しあわせ日記
5月21日(月)子どもの本
『子どものための本』も書きたい本の1つです。
少しは考えてはいるのですが、なかなか難しく、けっこう時間がかかりそうな気がしています。
と言ってばかりもいられませんので、どんなことを書きたいか少し整理してみようと思います。
子どもにとって大切な問題は、おとなにとってもすごく大切な事だったりもします。
おとなになるとごまかしてしまっていることも多いような気がします。
子どもにわかってもらえるように書けたら、おとなにもわかってもらえるはずです。
そんなわけで、子どもの問題を考えることで、おとなのために役立つ事が見つかるんじゃないか、とも思っているのです。
私は、このホームページを始める前に、「子どもに伝えたいこと」というのを書きました。
少し変えて「インナーチャイルドへのメッセージ」というページを作りました。
「子どもに伝えたいこと」は小学校の中高学年を意識して書きましたが、今度は中学生を対象に考えています。
中学生という時期は、難しい時期かもしれませんが、いろんなことを考えるのにいちばんいい時期のような気がします。
そんな中学生が大切なことを考える手助けができるような本が書けたらいいな、と思っています。
でも、それは中学生にしか役に立たない、なんてことはないとも思っているのです。
そういう本をこの世に1冊残すことができたら、というのも私の夢の1つなのです。
5月22日(火)なんのため?
「なんのために生きるのか?」という問題は、欠かせないと思います。
この問題については、私もいろいろ考えているので、すぐにでも書けそうです。「なんのために生きるのかわからない」「人生の目的」などでも書いていますし。
他にも「なんのため?」という問題がいろいろあります。
子どもなら「なんのために勉強するのか?」(おとななら「仕事?」)が代表かもしれません。
おとなになってからだったら、「あの頃、もっと勉強しておけばよかった」と思ったことのある人は多いと思います。また、「学校で勉強したことなんて社会に出たら役に立たないことばかりだ」と思ったことがある人も多いと思います。(両方思う人も多い?)
「なんのために勉強しなくちゃいけないの?」と中学生に聞かれたら、どう答えたらいいのでしょうか。
私だったら、まず「あなたは将来何になりたいの?」と聞きます。
もし、医者とか弁護士とか教師とか役人とかパイロットとかスチュワーデスとか看護婦とか保母とか電車の運転手とかだったら、「それなりに勉強しないとなれないよ」って言えます。
サラリーマン/OLとかいう人には、「どんなサラリーマン(OL)?」とさらに聞けば、「だったら勉強したほうがいいよ」って言えそうです。
歌手とか俳優(女優)とかタレントとか芸術家とかプロ野球選手とかJリーガーとかだったら、「なれるように頑張れ。でも誰でもがなれる訳じゃないから、勉強も少しはやっといたほうがいいんじゃない」。
料理人とか職人とかだったら、「卒業したらすぐにいい師匠を見つけて入門しろ。卒業できればいいんだから、勉強は適当でいいんじゃない」。
「いいお嫁さん・奥さんになりたい」と言う人には、(困ったな・・・)「勉強はほどほどでいいから、まわりの人を幸せにできる方法を考えてそれを身につけるように今から努力してみてください。きっと、いい相手が見つかって、幸せな家庭が作れますよ」とか言っちゃったりして。
何になりたいか「わからない」という人には、「勉強しといたほうが、後でいろいろ選べていいんじゃない」。
とか、ずるいおとなの答え方ですかねぇ。
「なんのために勉強するのか?」と聞かれて、「好きだから」「勉強したいから」と答える子どもだって、中にはいるはずです。
「なんのため?」には、「好きだから」「やりたいから」という答えもある、ということです。
「好きだから」「やりたいから」っていうのが、いちばんいいのかもしれません。そもそもそういう人は「なんのため?」なんて考えることもありません。
好き/嫌い、やりたい/やりたくない、などは、好み・気もちの問題だからどうしようもない、と考える人も多いでしょう。でも、好きになる工夫ややる気(やりたい気もち)になるための工夫もあると思うのです。「そういう努力をしてみたほうがいいんじゃない」とは言えそうです。
「なんのため?」の答えは「なくてもいい」というのが1つの答えです。
それをするか・しないかは、責任をもって自分で決めればいいのです。
生きていく中では、やりたくなくても、やらなくてはならないこと・やったほうがいいことがあるのです。
どうせやるのなら、(少しでも)「好きになれるように」「やりたいと思えるように」「愉しめるように」(工夫や努力をして)やったほうがいいんじゃないでしょうか。勉強も、仕事も、・・・生きることも。
好きで、やりたくて、愉しんでやれるのなら、「なんのため?」なんてどうでもいいことだったりします。
5月23日(水)なくちゃダメ?
おとなはよく、「将来なんになりたいの?」とか子どもに聞きます。
「ノーベル賞学者」とか「芥川賞作家」とか「大リーガー」とか「スター」とか「億万長者」とか答えると、「そうかそうか」って感じでニヤニヤしたりします。
「サラリーマン」とか「公務員」とか「OL」とか「主婦」とか答えると、ガッカリしたりします。中には、「もっと大きい夢を持ちなよ」とか言う人もいるでしょう。
そういうあんたはなんなんだ!
(サラリーマン/OLか公務員か主婦だったりして)
そもそも、「あんたに夢はあるのかい?」
(歳は関係ないんじゃない?)
夢がなくちゃいけないの?!
とか思う(かわいくない)子どももいるでしょう。
「夢がなくちゃいけない」んでしょうか?
「夢がなくちゃいけない」ということはない、と思います。
夢を持っていない人もいっぱいいます。それが悪いなんてことはありません。
(なくてもいいけど)あったほうがいい、と思うのです。そのほうが今が幸せそうだから。
夢も希望もない人より、夢がある人・希望を持って生きられる人のほうが幸せな感じがします。もちろん、夢以外にも幸せはいっぱいありますから、夢がなくても幸せに暮らすことは可能です。
夢や希望を持てるかどうかは、想像力によるところが大きいと思います。あとは、楽観的かどうか、でしょうか。(夢も希望もないという人は、想像力が足りないか、悲観的だから)
夢や希望を持つだけだったら、現実には何も変える必要はありません。夢や希望を持っているだけでも、少しは幸せだ(明るい気もちになれる)と思います。
夢には、大きい夢も中くらいの夢も小さい夢もあります。今の自分に合った夢を持つことが肝心です。自分に合わない夢は、自分を苦しめるだけです。
そんなに楽観的に考えられなくても、「明日があるさ」「なるようになる」とか思えるようになれば、夢や希望が持ちやすくなります。
夢を持って幸せに暮らせたら、なおいいのですが。
ところで、幸せを求めないといけない? 幸せになれるように努力しないといけない?
「いけない」ことはありません。特に幸せを求めて生活していない人もいっぱいいます。
でも、幸せになりたいのなら、幸せになれるように努力したほうがいいんじゃないでしょうか。
今より幸せになりたいというのなら、夢や希望を持って生きるというのも1つの方法ですよ、ってことですかね。
夢を持つのに歳は関係ありません。今の自分に合った夢を持てるといいですね。
5月24日(木)いけない?
中学生ぐらいだと、「親の言うことは聞かなきゃいけない?」という問題も多そうです。本来の意味は「親の言うとおりにしなくちゃいけないのか?」なのですが、「素直に話を聞けない」ということも大きかったりします。
「(とりあえず)親の話を聞けるか」と「言うとおりにするか」を分けて考えたほうがよさそうです。
「こうしろ」「そうしちゃいけない」とか、親はいちばんうるさい存在です。当たり前のことや、わかっていることや、「今やろうと思っていたのにー」ということなど、カチンとくることを言いがちだったりもします。また自分にとって、他人のようには遠慮せずに反抗できる存在でもあります。そして、中学生はそういう時期でもあります。
そういう感情的な反抗をしないために、「とりあえず親の話を聞く」ことをすすめたいと思います。その方法については、「アタマにくる一言への対処法」とか「聞く技術」とか「ハオハオ」とかいろいろあります。
とりあえず黙って聞いて、「考えさせて」と言ってその場を離れればいい、と思います。
親が言おうが誰が言おうが、その内容が自分にとって「いいことならする。よくないことならしない」というのが本来の対処のしかたのはずです。
でもその前に、親の言うことがいいことかどうか、それを判断する自分の能力はそんなに信頼できるものでしょうか?
正直言うと、40代半ばの私でも絶対の自信なんてないのです。自分の中学生の頃なんて、すごく未熟だったと思います。
自分が未熟だからかもしれない。とりあえず親の言うようにするのも悪くないんじゃないかな? のように考えたほうがいいことも多いと思います。
かと言って、親の言うことがいつも正しいなんてことはありません。親も未熟です。ましてや、経験を糧に自分を育ててこなかった人はいくら歳をとっても、中身は子どもとたいして変わりありません。
未熟な親の言うことにまともにぶつかっても話になりません。未熟な人とのそれなりのつきあい方を考えたほうがいいと思います。「親と意見が合わない」とかが参考になるかもしれません。
もう1つ本来は、養ってもらっている限りは聞かなくてはいけない、という一線があるはずなのですが・・・。
自分の中学時代を振り返ってみると、私は相当に「いい子」をやっていました。それでも父親とはほとんどしゃべらない時期がありました。
「いい子」のフリか、「反抗期」のフリか。たまには、自分と違うタイプのフリをしてみてもいいんじゃないか、と今は思ったりもします。
とか、まとまらなくなってきちゃいましたが、
・とりあえず話は聞く(感情的な反抗をしてもしょうがない)
・意見が合わないことがあってもいい(説得する必要もない)
・最終的には、自分のことは自分で決めてやるだけ(自分の責任)
みたいなことなのですが、もうちょっと整理しないといけませんね。
このようなことは、親の言うことには限りません。
人の言うことを聞いてもいいし、聞かなくてもいい。
人がどう言おうが、世間からどう思われようが、自分のことは自分で決める。責任は自分が経験してとるしかないのですから。
そんなふうに考えて生きられるようになるためにはどうしたらいいか。それをもっと考えていこうと思います。
5月25日(金)人間関係
やはり人間関係の問題は多いと思います。基本的には中学生でもおとなでも同じです。共通する様々な人間関係の問題があります。
学校での人間関係の大きな問題の1つは「いじめ」でしょうか。社会に出てからもいじめのようなことはあるものですが、学校の「いじめ」は特殊な感じがします。
「いじめ」問題を解決するいい方法を今の私に書けるとは思えませんが・・・。
「いじめ」と言っても、大きな「いじめ」と小さな「いじめ」があると考えられます。
暴力/恐喝のような犯罪行為を伴うものや、クラス全体の大がかりなものなど、大きい「いじめ」に1人で立ち向かってもどうにもならないことがほとんどでしょう。そういう時は助けを求め続けるしかないような気がします。担任がダメなら、学年主任、校長、教育委員会へ。信頼できる先生(保健室の先生やスクールカウンセラーなど)、いじめの相談窓口、警察。できれば親にも強力してもらって、いろんな人・所に助けを求め続けるしかないんじゃないでしょうか。
自分さえ気にしなければ済むような小さな「いじめ」には、なんとか少しでも軽く受け流す方法を身につけられたら、と思います。それが将来、社会に出てからも役に立つと思うのです。
学校での人間関係の特徴の1つは、時がたてば関係が切れることです。1年でクラス替えがあったり、3年で卒業したり、ということです。それまでなんとか我慢するという方法も考えられます。
もう1つは、いざとなったら、休んでもいいし、やめてもいい、ということです。転校してもいいし、フリースクールや独学で勉強する方法もあります。そういう選択肢もある、と考えられれば絶望しなくてもすむと思うのですが。
学校というのは人間関係を学ぶ場でもあると思います。1つ1つの人間関係で起こったことから何かを学び、何か(役に立つ方法)を身につけていこうと考えられたら、きっと少しずつ人間関係の能力を育てることができると思ったりもします。
おとなになっても同じことです。自分の経験から学びつつ自分を育てようとしない人は、いつまでたっても同じように苦しむことになってしまいます。また、場合によっては、助けを求めたり、避難する(やめる/休む/関係を断つなど)というような方法もありうるということです。
「人間関係」について考えると、どうしてもその問題・トラブルについて考えることになってしまいます。「人間関係を愉しむ」ということももっと考えたほうが良さそうです。
5月26日(土)楽しい?
「楽しくない」という人も多いと思います。
中学・高校時代は楽しくなくて当たり前、と考えている人もいると思います。
一方、学生時代に目いっぱい遊んでおこう、と考えているような人もいます。
他にも、体育系・文化系のクラブやボランティアや趣味の活動などを愉しんだり、充実した生活を送っている人もいます。
いろんな選択肢があって、自分で選んでいるはずなのですが・・・。
「楽しいだけでいいのか?」という疑問を持っている人もいると思います。
「今が楽しければそれでいいのか?」「将来のことを考えていないのではないか?」「楽しいことにそんなに価値があるのか?」「喜び/充実感/感動などを得られることのほうがいいんじゃないか?」「もっと有意義に生きなければならないのではないか?」とか。
学生時代に何に重点を置いて生活するかは自由です。いろいろ言い訳はあるかもしれませんが、(選択肢は人によって違いますが)自分で選んでいるはずです。
人の生き方をいい・悪いとか言っても意味ありません。
自分の生き方を変えるために(反面教師を含めて)参考にすればいいわけです。
「とにかく楽しければいい」と生活する人がいていいと思います。本人がそれでいいと思っているのなら。その人の将来がどうなってもいいんじゃないでしょうか。今を愉しめる人は将来も愉しめるんじゃないか、とも思ったりします。また、途中で「楽しいだけじゃイヤだ」と思ったら、生き方を変えればいいわけで、一生変わらない生き方をするよりいいのかもしれません。
将来の夢や目標に向かって一生懸命に努力する生き方もいいと思います。でもそのために今をまったく愉しめないというのはどうかと思います。努力の過程を愉しむ工夫をしたほうがいいと思います。また、忙しい時やつらい時ほど、短くても愉しむ時間をもって気合いを入れて愉しんだほうがいいと思うのです。
今を充実感を持って生活できること、今はこの生き方でいいんだと思えることは、難しいことかもしれませんが、とても素晴らしいことだと思います。
私は最近の自分の生き方には満足しています。充実感もあるし、これでいいんだと思っています。
いつか、そういう生き方が見つかるといいですけどね。
ふつうは、楽しいこともあり、大変なこともあり、イヤなこともあり、・・・いろんなことが生活の中にあるわけで、それぞれが自分の今の生活の中で愉しみ、人生の節目の時にこれからの自分の生き方を選択していく。そんな感じだと思います。
5月27日(日)苦しんでしまうのは?
イヤな思いをしてしまうこと、苦しんでしまうこと、落ち込んでしまうこと。誰にでもあることです。そういうことがあってもすぐに忘れられる人はいいのですが、それを苦にしてしまう人もいます。
「イヤな事ばかり」「イヤな人ばかり」「自分は恵まれていない」「運が悪い」「親が悪い」「社会が悪い」・・・などと嘆いてばかりいる人もいます。
「自分は弱い」「自分はダメだ」・・・などと自分を責めてばかりいる人もいます。
何かを嘆いてしまうことがあってもいいんです。嘆いているばかりでそれを言い訳にして何もしないと、いつまでたっても同じことの繰り返しになってしまいます。
自分は「弱い」とか「ダメだ」とか思ってしまうことがあってもしょうがないと思います。そこで自分をあきらめてしまって、何も努力しないと、いつまでたっても「弱い」ままです。
自分が「未熟」だと認めることはいいことです。ましてや、まだ人生経験が少ない人が「未熟」なのは当たり前です。
苦しんでしまうのは、まだ自分が「未熟」だからではないでしょうか。
とすれば、どうしたらいいか? 自分を育てていけばいいわけです。
自分を育てるのも、自分を変えるのも、なりたい自分になるのにも時間がかかります。
でも、考え方をちょっと変えるだけでも、だいぶラクになれたりもします。
例えば、「ハオハオ」や「ひと言でかたづける」や「3Hの考え方」などを身につけることです。
それなりの努力を続ければ、だんだん小さなことでは苦しまなくなれます。少しずつ幸せに暮らせるようになれます。
そう信じて自分を育ててみてはどうでしょうか。
5月28日(月)守りたいこと
「守らなければならない」と言われていることがいろいろあります。
マナー/エチケット/道徳/約束/交通ルール/規則/法律・・・。
人に迷惑をかけない、人を傷つけるようなことをしないのようなこともあります。
悪い事はしてはいけない、というのは当たり前のはずなのですが・・・。
最近、これらを守らない人、平気で悪い事をする人が増えているような気がしています。それも、「守らなければならない」と言われていることは承知の上でやっている人たちです。そういう人に「守ろう」と言ってもまずムダです。よっぽど何かの力を持った人でないと相手は言うことは聞かないでしょう。相手を怒らす結果になってしまうことも多いようです。
言ってもムダだと思う人やどうでもいい人に、「守らなくてはいけない」と言うことはない、と私は思っています。ましてや、自分のイライラや怒りをぶつけるのはよしたほうがいいと思います。
でも、みんながそういうことを守らない社会は、住みにくい、幸せに暮らしずらい社会だと思います。そんな社会になってほしくない、と願っていますが・・・。
そこでまずできるのは、「自分だけは」と考えることだと思います。「守らない人がいっぱいいても、自分だけは守ろう」ということです。
そう心がける人がいっぱい増えれば、まわりに合わせる人も増えて、いい方向に進むんじゃないか、とちょっと甘い考えですが、そう願いたいと思います。
同じように1人では小さい力だけど、「自分だけでも」と考える人が増えれば大きな力になりうるものとして、ゴミの減量/分別やリサイクルなどがあります。もちろん、関心がある人がやればいいのですが。そういうことに偽善的なものを感じる人は、人に見つからないように隠れてやればいいのではないでしょうか。ゴミ問題/資源問題/環境問題は地球の将来、私達の次の(次の・・・?)世代にとって重大な問題です。自分だけではほんの微々たる力ですが、地球や人類を守るために少しでも役立てるというのは素敵なことではないでしょうか。
このホームページを読んでくださる方や、まだ心が固くなっていない若い人の中には、こういうことを「守ろう」という気もちが伝わる人もいっぱいいると思って、珍しくこのようなことを書きました。
自分の中で「守りたいこと」があってもいいと思います。こだわりのようなものでもかまいません。
例えば私には、なりたくない自分があって、そんな自分になりたくないと考えたりします。
また、まだなかなかできないことが多いのですが、人と接する際にはやさしい気もちを守れるようになりたいと思ったりもします。
そして、常に心は幸せの方向をキープしたいと思っています。
守らない人がいっぱいいても、「自分だけは守ろう」ということがもっとあっていいような気がします。そういうことが「自分らしい自分」「なりたい自分」につながっていくんじゃないか、と思うのです。
5月29日(火)将来のこと
中学生ぐらいから「将来のこと」を真剣に考える人が多いと思います。進路を決めるとなると、第一の人生の選択になるかもしれません。その時期にいろいろ悩んでしまう人も多いと思います。
ところが実際には、30歳になって中学生の頃に考えた通りになった人なんて、ごくわずかだと思います。どんな仕事に就いて、どんな人と出会って、どんな生活をしてなんて考えても、まずその通りにはならないのです。中学生には想像できないことだらけです。いくら考えてもムダになることがほとんどなのです。
だから、「将来のこと」を考えて悩み苦しむのはよしたほうがいい。ましてや、将来の悪い事を想像して暗い気もちになったり、どうせ思い通りにならないだろうと勝手に決めて幸せな将来をあきらめてしまったりはしないほうがいい。
どうせ考えるのなら、いいように考えたほうがいい。将来が明るく感じられる希望や夢を持ったほうがいい。そのほうが今が幸せだし、あきらめない限りは叶う可能性もあるのです。
「思い通りにはならないかもしれないけど、夢や希望を持って生きたほうがいい」というのが現実的な幸せになる考え方ではないでしょうか。
何かに向かって努力を続ける力を育てることを考えてみてはどうでしょうか。
人生はどんなふうに転がるかわかりません。その時に自分が持てる(幸せな)目標に向かって努力すればいいのです。その時に役立つように、練習をするつもりで何かに向かって努力してみてはどうでしょうか。
もう1つは、どんな環境でもそれなりに幸せに暮らせるような自分になることです。どんな仕事に就いても、どんな人と出会っても、どんな環境で生活しても、それなりに幸せに暮らせるように。
人の生活は朝起きてから夜寝るまで、していることはそんなに変わらない、と思うのです。食べることを、歩くことを、仕事を、人づきあいを、・・・生活の中の1つ1つのことを、それなりに愉しめるようになれれば、どんな環境でもそれなりに幸せに暮らせるようになれると思うのです。
「将来のこと」はわからない、というのが45年近く生きてきた私の実感です。これからの私の将来もわかりません。でも、やりたいことはいっぱいあります。「思い通りにはならないかもしれないけど、夢を持ち続けて生きよう」と、今をそれなりに幸せに暮らせばいいと思っています。
5月30日(水)大人になったら幸せ?
「おとなになったら幸せになれる?」
学校を出たら、就職したら、社会人になったら、家を出(て独立し)たら、・・・幸せになれるんじゃないか、と思える人はどのくらいいるのでしょうか。
昔はそう思う子どもが多かったような。今の子どもでは減っているような気がします。社会状況が(経済成長期とは)違うからか、子どもがマセているからか、親やまわりの大人の姿の見え方が違うからか、・・・よくわかりませんが、なんとなく。
成功したら、出世したら、金持ちになったら、カッコいい人/美人/金持ちと結婚したら、・・・幸せになれるんじゃないか、と考える人は多いと思います。
もちろん、一時的には幸せになれるでしょう。また、幸せに暮らしやすい環境を手に入れることもできるんじゃないでしょうか。人から見たら幸せに見えるでしょう。でも、そういう人が実際に幸せを感じて生活できるかどうかは、わからないんじゃないでしょうか。
そういうことがなくても、けっこう幸せに暮らせる人はいます。例えば、私。
「大人になったら」の大人が、(心が)成長した人(私流に言えば、幸せになる能力がある程度ついた人)なら、「幸せになれる」と思います。(いつも書いていることなので、きょうは以下省略)
「○○たら、幸せになれる」と思えるのはいいことです。希望が持てます。「明日があるさ」と思えます。
でも、「○○たら」とただ思うだけでは、幸せにはなかなかなれません。ただの「(未熟な)おとな」になっても、ということです。
ではどうしたらいいか。「○○たらいいな。ではどうしたら?」と考え、○○になれるように努力を続ければいいのです。
「(成長した)大人」になるためには?・・・
5月31日(木)時代?
今、自分の学生時代を振り返ってみると、「けっこう幸せだったんじゃないか」と思えます。その当時には、そんなふうには思えませんでした。
今の自分だったら、学生時代をもっと愉しめると思います。勉強だって愉しめそうです。国語とか歴史とかは当時興味がなかったのですが、今は大ありで時間があったらもう一回習ってみたいと思うくらいです。クラブ活動ももっと愉しめそうです。当時はけっこうきつかった気がしています。
あなたも、今から学生時代を過ごすとしたら、前より愉しめそうな気がしませんか?
私がサラリーマンだったのは6年9ヶ月だけです。今から考えるとけっこう楽しかったと思います。仕事もいろいろできておもしろかったし、会社の人はいい人ばかりだったような気がします。仕事もよくしたけど、よく飲んだし、遊んだ想い出もいろいろあります。でも、幸せを感じることはそんなになかったような気がします。
今の私だったら、サラリーマン時代をもっと幸せに過ごせると思います。
今の私はけっこう幸せに暮らしています。でも、楽しいことは学生時代やサラリーマン時代のほうが多かったと思います。仕事とライフワークでほとんどの時間を使っていて、遊ぶことはかなり少なくなっています。でも、1日の中で幸せを感じられる回数や時間はずっと増えています。このホームページをやっていて喜びを感じられることもあるし、夢も希望もあります。今の自分の生き方をすごく幸せだと思っています。
私のような“幸せオタク”は特別としても、幸せになる能力がある程度つけば、今の生活のままでも、もっと愉しめるし、もっと幸せを感じて生活できます。過去の時代をやり直すことはできませんが、今の時代の愉しみ方・暮らし方を変えることはできます。
試しに、学生時代を愉しむ方法を考えてみてはどうでしょうか。こういう事をして愉しめばよかったかな、あの事はこうすればもっと愉しめたんじゃないか、あの幸せには気づかなかったな、とかいろいろ考えられると思います。その中から、今を愉しむヒントが見つかるんじゃないかとも思います。
学生には学生の愉しみ方、サラリーマン/OLにはその愉しみ方、主婦には主婦の愉しみ方。独身には独身の愉しみ方、結婚・家庭生活にはその愉しみ方。その時代その時代の愉しみ方があるはずです。
今の時代を愉しむ方法を、もう少し考えたほうがいいのではないでしょうか?