人生に目的はあるのか。私は、「なんのために生きるのか」の答えについて書きました。
私はないと思う。何十年も考えつづけてきた末に、そう思うようになった。
人生に目的はない、と、私は書いた。正直に言えば、「人生の目的」がわからない、ということだったのかもしれない。しかし、このことだけはわかっている。人生の目的の第一歩は、生きること、である。やっぱり、「人生の目的」はわからなくてもいいようです。
(「人生の目的」より)
「人は何のために生きるのだろうか」や「自分はどう生きていけばいいのだろうか」というようなことは、誰もが一生のうちに何度かは考えることです。そして、自分なりに答えを出す人も、答えが見つからない人もいます。その答えは人それぞれで違っていても、「どうせ生きるのなら幸せに暮らしたい」と願うことは共通のはずです。生きることが第一であることは、その通りだと思います。生きていなければ幸せを感じることはできないからです。
(「幸せになる方法」の書き出し)
思うに、すべての人は、その人なりの目標や夢をもっている。「夢を持ち続けて生きたい」というのは、「人生の目的」でしょう。
(中略)
人生の目的というものは、それらの具体的な目標とはちょっとちがう問題のような気がするのは私だけだろうか。
確実に見つかるのは目的ではなく「目標」である。
だが目標は達成すれば終わる。そのあとには、自分は達成した、という満足感が残るだけだ。そして、その満足感も、時間とともに薄れてゆく。
(「人生の目的」より)
人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。さびしいだけでなく、むなしい。むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。ただなんとなく生きても、それで幸せなら問題はないと思います。また、「幸せ」なんて考えずに生活しても、それはその人の勝手です。
(「人生の目的」より)
人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。変な言いかただが、「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってもいい。私はそう思う。と、五木寛之さんは「自分の人生の目的」について言う。私は、
(「人生の目的」より)
そのために生きたいと自分が心から思えれば、それは何でもいいと思います。1つでなくてたくさんあってもいいし、時とともに変わってもいいと思います。新たな自分の生きる目的を見つけながら生きればいいのです。「自分の人生の目的」が、今はわからなくても嘆くことはありません。でもやっぱりあったほうがいいから、探したほうがいいと思います。
(自分はなんのために生きるのか)
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