しあわせ日記 不幸になる考え方
10月11日(月)不幸になる考え方
幸せになる考え方についてはいつも考えていますが、不幸になる考え方についてはあまり考えてはこなかったように思います。
不幸になる考え方とは、考えるとイヤな気もち/不幸な気もちになる考え方です。
私は、自分のイヤな気もちに気づいた時には、「不幸になる考え方をしてるんじゃないか?」と自問します。でも、その答えは必ず「イエス」と最近は考えています。
イヤな気もちになる原因や理由は様々です。でも、そのイヤな気もちを大きくし持続してしまうのは、自分の受け取り方や考え方のせいだと思います。少なくとも不幸に陥るのは100%、不幸になる考え方のせいだと思います。
きっと、もっと人間ができている人/幸せになる考え方ができる人なら、こんなにイヤな気もちにならずにもっと軽く済ますことができるんじゃないか。それができないのは、自分の考え方に問題があるから。のように考えます。
イヤな気もちになった時、今考えていたことを考えるのをやめられたら、もう少しラクになれる/幸せになれる考え方に変えることができたら、他のことを考えることができたら、・・・などができれば、イヤな気もちは自然に消えていきます。消えていかないのは、不幸になる考え方を続けているからです。
「クセだから」「性格だから」「自分は弱いから」などと理由をつけて、「自分の不幸(になる考え方)は変わらない」と考える人がいます。そう考えることはなくても、不幸になる考え方を変えようとしない人はたくさんいます。ただただ、自分の不幸を嘆き、自分を責めるか、人や環境のせいにしている人もいます。
不幸になる考え方がどういうものかを知り、不幸になる考え方は変えることができるということを知れば、少しは幸せになる考え方ができるようになると思います。
10月12日(火)本当?
不幸になる考えには正しくないものが多いと思います。正しくないものをそのまま信じて不幸になるのはバカらしいと思います。イヤな気もちになるようだったら、その時に考えていたことを、「本当?」と一度疑ってみたほうがいい思います。
「自分は××だ」「何をやってもうまくいったことがない」「自分にはいつだって悪いことばかり起こる」・・・「本当?」
そういう部分もある、そういうこともある、そういう時もある、・・・ってことじゃない?
「あの人は自分のことをこう思ってる」「嫌われている」「これをすると相手にこう思われる」・・・「本当?」
人の心はいくら考えても自分にはわかりません。それをわかったつもりになって、その上信じこんで、勝手にイヤな気もちになるのはおかしいと思いませんか?
自分の気もちを人が「わかるよ」と言ったら、信じられますか?
「きっとうまくいかない」「悪いことが起きるに違いない」「できないに決まっている」・・・「本当?」
将来のことは確かにはわかりません。将来のよくないことを考えたら、誰だって暗い気もちになってしまいます。少なくとも「絶対にそうなる」とは言いきることはできないのではないでしょうか。
ここに書いた例は極端なものですが、不幸になる考えは「本当?」「絶対?」と疑ってみる価値はあると思います。
10月13日(水)しかない?
自分のイヤな気もちに気づいた時には、「(今)不幸になる考え方をしているのではないか?」と考えます。考えを変えれば、それにつれて気もちも変わります。考えを変えるために「(その考え)しかない?」という問いかけが役に立ちます。
少なくともイヤな気もちが強い時には「(今よりラク・幸せになれる)他の考えがあるはず」です。
考えを変える方法の1つとして、「立場を変えて考える」方法があります。
「相手の身になって考えてみる」「自分が尊敬している人(知人/有名人/歴史
上の人物など)ならどうするか?」「なりたい自分なら?」など。
また、「感情的になって考えていないか?」「今は気もちが沈んでいるからではないか?」「疲れているのではないか?」など、「本来の自分ではないのではないか?」と考え、自分の状態が悪いことに気づければ、違った考え方ができると思います。
イヤな気もちが強い時には、「幸せになる考え方は?」と考えるのは難しいかもしれません。そんな時には、「今より、もう少しラクな考え方は?」のように考えてみてはどうでしょうか。そういう時にはそれも十分に幸せになる考え方だと思います。
まずは、無意識に「しかない」とならないように、違う考えを探し始めることが大切です。そのきっかけとして「しかない?」「絶対?」が役に立つことがあると思います。
10月14日(木)なんになる?
イヤな気もちになった時、「(今考えていることが)なんになる?」と自問してみてはどうでしょうか。
「こう考えることでなんになる?」「自分を責めてなんになる?」「人のせいにしてなんになる?」「イヤなことを思い出してなんになる?」「どうなるかわからない先のことを心配してなんになる?」「不幸を嘆くだけでなんになる?」・・・
その答えが「なんにもならない」のなら、考えるだけムダだと思いませんか。
それに実は「なんにもならない」のではなく「イヤな気もちになる」や「不幸になる」のです。
答えが「何かいい考えができるんじゃないか」なら、「どうしたい?」。それがわかれば「○○たらいいな」。それから「では、どうしたら?」と続ければいいと思います。このように考えられれば、イヤな気もちになる考えをしてしまったことも「いいきっかけ」になります。
自分の不幸になる考えが「なんになるか?」と考えてみれば、何かがわかるのではないかと思います。
10月15日(金)小さなこと?
「小さなことにくよくよしない」ということは、幸せに暮らすためには不可欠です。生活の中に小さなイヤなことは、誰でも必ずあると思います。そういうことに多くの時間かかわっていたら、幸せに過ごせる時間がそれだけ減ってしまいます。
自分のイヤな気もちに気づいたら、「小さなこと?」と聞いてみたらいいと思います。
私がよく使う考え方は「1年たったら忘れてしまうこと?」です。きっと多くのことは「1年たったら忘れてしまうこと」です。それに気づければ、「小さなこと」だということがはっきりします。
「小さなこと」でも、そのことを繰り返し考え、イヤな気分の時間が長くなると、心の中では「大きなこと」になってしまいます。
きっとみんな、くよくよしてしまうことは、自分にとっては「大きなこと」だと感じているのだと思います。だから、「小さなことにくよくよするな」と言われても、自分の問題にはあてはまらない、と考えてしまうことが多いのではないでしょうか。
今、心の中で「大きなこと」でも、人生の中では「小さなこと」があるのだと思います。くよくよしてしまうから「大きなこと」になってしまうのではないか、とも思います。
「人生の中では小さなことではないか?」と聞いてみればわかりやすそうですが、私はやはり、「1年たったら忘れてしまうこと?」のほうがいいと思います。
小さなことにくよくよするのは、「もったいない」と思います。
10月16日(土)クセ?
不幸になる考え方は、だいたいクセになっています。だから、同じような考えを繰り返し、何度も同じようにイヤな気もちになってしまいます。
でも、多くの人はその自分のクセに気づいていません。
自分のイヤな気もちに気づいた時、「今のように考えてイヤな気もちになることが多いのではないか?」「これは自分のクセではないか?」と考えてみてはどうでしょうか。
「私には、こういう時にイヤな気持ちになるクセがある」と気づけることがあると思います。
自分のクセを知っていれば、「また、やってる」「いつものクセだ」のように気づけるようになれます。それだけでいいと思います。「ハオハオ」です。
私は、自分の悪いクセを直そうとすることはいいことだとは思いますが、それを直さなければならないとは考えません。
例えば、傷口をかくクセは、傷口に手がいった瞬間に気づいてやめればいい。
クセが出てしまうのは、意識してやめようとしてもできないし、意識すること自体が気分のいいものではないと思います。その上、クセがでた時に「あんなにやっちゃいけないと思っていたのに」などと、自分を責めることにもなってしまいます。
クセが出てもいい、それに早く気づけて、そこで(ハオハオと)やめれればいい、と思います。それができるようになると、自然にクセはでなくなっていくような気がします。
不幸になる考え方のクセは、多くの時間自分を不幸にします。その時間が減ればその分、幸せに過ごせる時間が増えます。そのためにはまず、自分の悪いクセを知ることが大事なのだと思います。
10月17日(日)いいきっかけ?
考えてもイヤな気もちになるだけでなんにもならないこと、小さなこと、不幸になる考え方をしてしまうクセなど、でイヤな気もちになっている自分に気づいた時、それを「いいきっかけ」にすることができます。
イヤなことを考えているのに気づいたら、何かいいことを始めよう。
何かイヤなことがあった時に、「いいきっかけにしよう。そのためには?」と考えれば、きっといい方向に進めると思います。
自分が将来の夢や目標ややりたいことを持っていれば、いいきっかけとできることがたくさんあると思います。
少なくとも「幸せな気分になれることをしよう」と考えることができれば、イヤな気もちはほとんど消えてしまいます。
「いいきっかけじゃないか?」と考えることは、難しいことのように思う人も多いような気がします。「幸せに暮らしたい」という目標をもって生活することができるようになれば、そのために「できる」んじゃないかと思います。また、「いいきっかけにしてやろう」という強い意志が、結果として「あれがいいきっかけだった」と言えるようになる素、だと思います。
「幸せに暮らしたい」と思っていても、生活の中でそれを意識し続けることはとても難しいものです。自分のイヤな気もちさえも「いいきっかけ」にすることができれば、幸せに過ごせる時間が増えると思います。
急にはうまくできないかもしれませんが、少しずつならできるようになれる、と信じています。それができるかできないかは、大きな違いだと思います。
10月18日(月)大切なのは?
自分のイヤな気もちに気づいた、その時に考えていたことは「自分にとって今、本当に大切なのだろうか?」このように考えてみるといいと思います。
ささいなこと/気にしなければなんでもないこと/今は自分にはどうにもないことなどを考えるのに時間をたくさん使ってしまうのは「もったいない」と思います。
自分に夢や目標があれば、そのことと今考えていることで「大切なのは?」と考えれば、答えは簡単なことがほとんどだと思います。
また、幸せにしたい人がいるなら、イヤな人のことを考える時間があったら、幸せにしたい人のことを考えたほうがいい、「どっちが大切な人か?」は明らかです。
「幸せに暮らす」ことを目標としている人は、今考えていることと幸せに暮らすこと、「大切なのは?」・・・
10月19日(火)いい経験?
朝6時台の小田急線急行に乗り込むと、ちょうど1つ空いていたつり革を確保できた。電車が走り出してすぐ、隣にいた中年男性が1つ向こうのドアの方に移動した。
(???わかった。こっちのドアに寄りかかっている若者のヘッドホンからもれてくる音だ)
そう気づくと、気になってくる。「人の迷惑とか考えないのかな」などと思うと、少しイヤな気もちになる。
(そこで私は、心の中で「ハオハオ」といい、そのあと少しニンマリした)
確かに耳障りな音ではあるが、耳をすませば他にもいろいろな音が聞こえてくる。電車が走っている時の音、人の咳払い、新聞をめくる音も聞こえてくる。
ヘッドホンからもれる音に対して、イヤな気もちになるのは「なぜだろう?」と考える。その“人”に対するなんらかの思いがあるからではないかと思う。
そこでまわりを見渡すと、ドアのそばに座っている何人かは寝ていたし、本や新聞を読んでいる人もまったく気にしている素振りはない。私もふだんなら、気にせずに本を読んでいるか考え事をしているはずだ。
自分のイヤな気もちに気づいた時、「いい経験?」と自問し、「いい経験としよう」と思えるとイヤな気もちも小さくなるし実際にいい経験ができると思います。
私が少しニンマリしたのはこれでした。私にとっては、自分のイヤな気もちは幸せになる方法を考えるいいヒントなのです。私のような変人は特別でしょうが、「イヤだ」と思うのと「いい経験」と思うのでは、自分の気もちがどれだけ違うか、実際に感じてみるといいと思います。
帰りの電車の中は混んでいたので考え事をしていた。実はこの日記に書くことを考えていた。すると、近くで着メロの音が聞こえてきた。隣に立っている男性が胸ポケットからケータイを取り出した。
「ハイ。・・・今、電車の中だよー」
声の調子から、子供からだな、と思った。
「9時半ごろ着くから。じゃあね」
ほんのり暖かい気もちになった。
きょうは日記みたいだね
10月20日(水)不幸になる考え
自分が考えることも、それによって感じることも、それが絶対ではありません。必ずしも正しいことでも、当たり前のことでもありません。ましてや、自分がイヤな気もち・不幸になるようなことなら。
イヤな気分のまま時間を過ごしてしまうこと自体もいいことではありませんが、一時の自分の考えや感情に流されて、不幸に陥らないように気をつけたほうがいい。イヤな気もちは不幸になる考えを生みやすく、それをそのまま重ねるとどんどん不幸なほうにいってしまいます。
イヤな気もちになるのは「不幸になる考え」をしてしまうから。そして、それはクセになっていることが多い。
だからといって、「不幸になる考えをするのはよそう」と頑張るのはどうかと思います。「××したくない・しちゃいけない」と思うのは「××したい」に近い効果があるからです。
「不幸になる考え」は、それに早く気づき、そこでやめれば、それでいい。
気づくためには、自分のイヤな気もちに気づけばいい。そして、今考えていたことは「本当?」「しかない?」「なんになる?」「小さなこと?」「クセ?」「いいきっかけ?」「大切なのは?」「いい経験?」などと自分に問いかけてみればいい。
早く気づくためには、「幸せに暮らそう」と心がければいい。