しあわせ日記 「なりたい自分」

5月1日(火)なりたい自分?
 私は時々「なりたい自分なら?」と考えます。こんな時、なりたい自分なら、どうするか? どう考えるか? というような考え方です。
 この考え方がすごく役に立つこともあるのですが、なかなかうまくできない時もあります。慣れないうちはけっこう難しいところがあります。

 難しさの第一は、その時に合った「なりたい自分」が思いつかない時があることです。どんな自分ならいいのかがわからないことがあります。
 難しさの第二は、「なりたい自分」と「今の自分」のギャップです。いくらなりたくても今の自分には(そういうふうには)なれない場合があります。

 「なりたい自分になれるように」というのは、自分を育てる1つのいい方法ではないか、と最近思っています。ちょっと難しい分だけ、努力も必要ですが、できるようになった時の効果もそれなりに大きいのではないかと思います。
 私も少しずつできるようになってはいるのですが、さらに役に立つように工夫できたら、と思っています。

 ところで、あなたはどんな自分になりたいですか?



5月2日(水)強くなりたい
 どんな自分になりたいですか? と聞かれたら、「強い自分」「強くなりたい」という人が多いんじゃないでしょうか。
 「自分を強くする」のは、いいことだと思います。
 小さなことでくよくよしない、人間関係で苦しまない、人生の問題で悩まない、・・・そんな人になれたら、どんなにラクに暮らせるでしょうか。

 ただし、「強くなりたい」と思っても、すぐに簡単になれるわけがありません。「自分を変える」のはたいへんなことです。そのためには、努力や工夫が必要だし、時間もかかります。でも、努力を続ければ少しずつ強くなれると思います。

 「なりたい自分」と「現実の自分」にはギャップがあります。2つを近づけるには、「現実の自分」を変える方法と、「なりたい自分」を変える方法があります。
 いくらなりたくても、なれない「なりたい自分」を目指すのは、自分を苦しめてしまうだけです。自分に合った、なりやすい「なりたい自分」を目指すことが大事だと思います。

 「強くなる」で私がよくイメージするのは「柳に風」です。強い風がふいたら流されて揺れてしまってもいい。でも、風がやんだらすぐに立ち直る。そんな「しなやかな強さ」がいいんじゃないか、と思うのです。
 風に逆らって無理して踏ん張ると疲れます。暴風にあったらポッキリ折れたり根元から倒れてしまうこともあります。世の中には、力を入れて踏ん張りすぎて心が折れてしまったり病に倒れてしまう人もいます。
 また、何かある度に少しずつ傾いていって、本来の健全な自分に戻れなくなってしまうような人もいます。1つの事で傾いてもすぐに立ち直ることができれば、いろんな事をどんどん付け加えて傾きを大きくしなくてすみます。

 「柳に風」流のしなやかな強さのいいところは、「揺れてしまってもいい」ということです。イヤな事や問題に出遭ってしまったら、心が揺れてもいい(しかたがない/ハオハオ)。ぜんぜん動揺しない人になんてならなくてもいい(私はなりたくもない)。
 「くよくよ」しないほうがいいけど、「くよ」くらいならいいんじゃないか。「くよ」で済ましてすぐに立ち直れることができれば、もっといい。
 こういうほうが、なりやすい「なりたい(強い)自分」ではないかと思います。



5月3日(木)明るくなりたい
 どんな自分になりたいですか? と聞かれたら、「明るい自分」「明るくなりたい」という人もけっこういるんじゃないでしょうか。
 人前でもっと明るく元気に振る舞えたら、もっと楽しそうにできたら、人を笑わすようなおもしろい話ができたら、沈んでばかりいないでもっと明るい気もちで過ごせたら、もっと楽天的になれたら、もっと明るく楽しい人生を送れたら、・・・確かに、幸せそうな気がします。
 少しでも明るくなれるように努力を続けるのはいいことだと思います。

 ところで、明るさは表面と内面のどちらが大事でしょうか。もちろん、どちらも大事なのでしょうが、表面だけでは疲れてしまうような気がします。内面の明るさが自然に表面に出るのが望ましいのかもしれませんが、明るく振る舞うことで内面がついてくることもあります。
 では、明るくするのは誰のため? これも自分のためでもあり、まわりの人のためにもいいことだと思います。自分が明るく振る舞うことが、自分にも人にもいいことが多いような気がします。無理をしてまで明るく振る舞う必要はないと思いますが、ちょっと頑張って明るく振る舞ったほうがいいことは多いかもしれません。要は、自分の気もちの問題のような気がします。喜んで明るく振る舞えるのならすればいい、イヤイヤならしなくてもいい、という感じでしょうか。

 以前、「ネアカ」と「ネクラ」という言葉がはやったことがありましたが、「ネアカ」が良くて「ネクラ」が悪いのような考えは良くないと思います。
 でも、「ネクラ」な性格のようなもの(そういう考え方や言動のクセ?)もあると思います。

 私は元来、無表情で、内心はけっこういろいろ感じるほうなのですが、それが表に出ないほうです。無口で人見知りするので、よく知らない人は「ネクラ」っぽく感じているんじゃないかと思います。最近は特に、無理して明るく振る舞うこともほとんどないので、なおさらかもしれません。でも、私の心の中は最近のほうがずっと明るいのです。
 もっとも、私は「明るくなりたい」とは特に思っていません。「幸せになりたい」と思って、日々努力しているのです。

 明るさにもいろいろあると思います。例えば、太陽の明るさと月の明るさ。
 太陽には太陽の良さ、月には月の良さがあるのだと思います。月のやさしい明るさ、私は好きです。
 太陽を目指すのもよし、月を目指すのもよし、他の明るさもあると思います。
 それに、照る時ばかりでなく、曇る時もあります。いつも明るくいるのはすごく難しいことのような気がします。

 私自身も、太陽のようになるのは難しく、月のほうがなりやすい「なりたい自分」ではないかと思います。もっとやさしい明るさで人を照らせるようになれたらいいな、とは思います。「人を幸せにする」ことは、(自分が)「幸せになる方法」の1つですし。

 もし、明るくなれる簡単な方法をお探しのようでしたら、
  「
いいことは好!好! 悪いことはハオハオ
 を試してみることをおすすめします。

 きょう感動した言葉。
               「人の役に立ちたい」(岡田たかし君)



5月4日(金)自制心
 どんな自分になりたいですか? と聞かれたら、「自制心」のようなものを身につけたいという人もいるんじゃないでしょうか。
 もっと落ちつきたい、どんな時も平常心を保ちたい、もっと大人になりたい、自分をコントロールできるようになりたい、目標を達成できるようになりたい、不動心を養いたい・・・。
 確かに、物事や人に左右されずに、自分の望む方向に自分をコントロールできたら、平穏に暮らせるようになり、望む幸せも手に入りそうな気がします。

 何かあっても心が乱れずに平静でいられたら、イヤな思いをすることもなくなり、落ちついて生活できそうです。世の中にはそういう人もいるような気もします。そんな人になれたらいいな、とは思うのですが・・・。
 でもやっぱり、人間には喜怒哀楽があったほうがいいんじゃないか、とも思うのです。
 いい事は大きく(感じられ)、悪い事は小さく(できれば、幸せのきっかけや材料に)できたら、すごくいいんじゃないかと思います。
 1つ方法を挙げるとすれば、○○の1つ覚え「
ハオハオ」です。
   「いい事は好!好! 悪い事はハオハオ(できれば、
                 では、どうしたい?(ホープホープ)
                 そのためには、どうしたら?(ハウハウ)「3Hの考え方」)」

 頭ではわかっているけど、そのように自分をコントロールできない、ということもあります。「自分(感情/考え/行動/人生)をコントロールする方法」を考えたことがありました。「怒りがコントロールできない」「考えてもしかたないことを考えてしまう」「悪癖がやめられない」という問題についても考えました。「怒り」については、この日記の中でも書きました。

 したいことがあるけどなかなかできない、ということもあります。「目標がなかなか達成できないという問題で、やる気をだす工夫/うまくいく方法の考え方/行動力を高める方法/落ち込まない考え方について書きました。

 久しぶりに読み直してみましたが、すぐにできるようになるのは難しいかもしれない、という気がしました。
 でも、努力を続ければ、少しずつできるようになるものだと思います。
 「なりたい自分」になれたらいいな、と思い続けること。そして、日頃の心がけや工夫を続けることが大事なんだと思います。

 私は、子供の頃から無表情(良く言えばポーカーフェイス)で、沈着冷静に見えるようです。心の中の思いや感情を(無意識に)押さえ込んでいたんだと思います。今でもそういう部分はありますが、だいぶコントロールできるようになりました(いざとなれば、「ハオハオ」と心の中で言い続ければいい、みたいな心の備えもありますし)。
 最近の私は、自分の心をコントロールしようとしていることがいちばん大きいんじゃないか、とこれを書いていて気づきました。その場ではうまくできなくても、後で時間をかけて考えて、こういう時にはこんなふうにしたらいいんじゃないか、のようにも考えます。そういう積み重ねが、このホームページになっているわけで、私自身も少しずつ成長していると実感できるのだと思います。

 自分をコントロールすることは、努力すれば誰でも上達できるものだと思います。
 私が特別だとは思いません。自分が要領がいいほうだとは思えないし(どちらかというと逆、不器用なほう?)、これだけ時間をかけて努力を続けているのに、やっぱり“少しずつ”の進歩という感じです。でもその分、一生、前進できそうだし、それを愉しみに生きていけそうです。
 いいんじゃないでしょうか。少しずつ、自分をコントロールできるように、「なりたい自分」になれるように、幸せになれように・・・“少しずつ”で。



5月5日(土)なりたくない自分
 私は、「そんな自分にはなりたくない」という考え方をする時があります。

 人を憎む自分/人に嫉妬する自分/人を傷つけようとする自分/人を落としめようする自分/人に対して悪意をもって接するような自分にはなりたくない。自分がそういうことを考えているのに気づいたら、「そんな自分にはなりたくない!」と考えを変えたいと思っています。
 相手と時と場合によっては、人を嫌う自分/人をバカにする自分/人を疑う自分にはなりたくない、と考えることもあります。

 自分についても、いつまでもくよくよするような自分/つらい時に自分を助けようとしない・放っておく自分/自分を責めたり傷つけたりする自分/その時にできる幸せになる考え方をしようとしない自分にはなりたくない、などと考えます。

 このホームページに今までに書いたことを探してみたら、次のようなものもありました。
 聖人・君子にはなりたくない。無感動な人間にはなりたくない。(自ら)不幸になる考え方をする自分にはなりたくない。幸せそうな幸せでない人にはなりたくない。
 また、私が敬愛する竜馬は、「一番こわいことは自分に愛想をつかすこと」と言っていました。そんな自分にはなりたくない、と日頃から心がけていたのではないでしょうか。

 「なりたくない」には、「誰々のようにはなりたくない」というような使い方もあります。イヤな人・悪い人・許せない人なども反面教師にはなる、ということです。
 また、こんな大人にはなりたくない、こんな親にはなりたくない、こんな人間にはなりたくない、のような使い方もあります。

 「なりたくない自分」にならないようにすることも、「なりたい自分」になっていくための1つの方法だと思います。気がつかないうちに「なりたくない自分」になっていることって、意外に多いいんじゃないかって気もするのです。



5月6日(日)気を使う自分
 私は自分が人に気を使うほうだと思っています。人の目や思惑が気になるのだと思います。要は、小心者なんだと思います。
 その割には、やさしくしたい人・幸せにしたい人以外には、特に何かをしてあげるということはあまりないのです。そういう相手に対する必要以上のやさしさはいらないのではないか、などと気を使ってしまうこともあります。

 「気を使うから疲れる」と考えていた時期もありました。
 今は、「気を使うのはいいこと、気を使いすぎるのは・・・
 「気を使いたくなければ使わなくていい、気を使いたい時には使えばいい」
 「譲るが勝ち」などと考えます。

 世の中にはいろんな人がいます。人に気を使う人も、気を使わない人も。
 私は「気を使う」ほうが向いていると思ったのです。「人に気を使う、そんな自分が好き」(ちょっと気もち悪い?)とかも思います。
 イヤイヤ気を使うのではなく、すすんで(できれば、喜んで)気を使えばいい。そうすればイヤな疲れはなくなるんじゃないか、なんて思っています。

 いいことでも、過ぎてしまうとよくないことがあります。
 頑張る自分/いい子・いい人の自分/人にやさしい自分/まわりの人の言うことをきく自分/人に気を使う自分・・・これらを「なりたい自分」にするのはいいことですが、それも過ぎてしまうと自分を苦しめてしまうことがあります。だからと言って、これらを「なりたくない自分」にするのはよくありません。私が、「(気を使うから疲れる。だから、)気を使わなければいい」と考えてしまったように。
 「もう少し頑張れる自分になれたらいいな。でも頑張り過ぎには注意」「いい子・いい人でいいじゃないか。でも、無理してまでいい子・いい人をしなくてもいい」「まわりの人の言うことはとりあえずきく。参考にはするけど、最終的には自分のことは自分で決める」「気を使うほうが自分らしい。気を使う時には喜んでできたらいいな」のような柔軟性があったほうがいいと思います。
 「なりたい自分」も「なりたくない自分」も、決めつけてはいけないのかもしれません。



5月7日(月)ありたい自分
 最近、私が試しているのが、「今はどういう自分でありたいか?」と考える方法です。
 そして、その時々によって、次のようなことを心がけます。

 「今はとにかく愉しもう」「元気出していこう」「集中してやろう」「(ハオハオを使って)もうちょっと落ち着いて」「この時間は静かな気もちで過ごそう」。
 人に対する時には「やさしい気もちで接しよう」と考えたいのですが、その場で余裕がないのか、忘れてしまってできないことが多いのが現状です。
 疲れていると感じる時には「やすらぐ時間を大切にしよう」。心がちょっと痛んでいると感じる時には「いつもより気合いを入れて幸せを感じよう(それが一番の癒しになる)」などとも考えます。

 「ありたい自分」はその時々によって変わります。また、今できそうな「ありたい自分」でなければ意味がありません。
 今は、どんな気分だといいんだろう?
 今は、どんな精神状態でいるのが望ましいか?
 今は、どんな心がけをしたらいいのか?
 今、自分の心に必要なのは?
 などと、考えれば「ありたい自分」を思いつきやすいかもしれません。

 私もまだうまくできないこともありますが、だんだんできるようなってきています。
 この方法の効果は、文章では伝わらないような気がします。自分で試してみるのが何よりだと思います。
 「今はどんな自分でありたいか?
   こういう自分であれたらいいな。
    では、どうしたら? こうしよう」
 って感じで。
 うまくできたら効果が実感できます。うまくできなかったら、もう少し工夫してみてください。それでもダメなら、今はあきらめてかまいません。幸せになる方法は他にもいっぱいありますから。



5月8日(火)この人なら?
 「なりたい自分」ではなく、「この人ならどうするか?」と考える方法があります。
 「この人」は、自分が目標とする人/見習いたい人/尊敬する人など、ある意味「なりたい自分」です。
 そして、「この人」になったつもりで、もしくは、「この人」がするとしたら、どうするだろうか? と想像してみます。

 私だったら、敬愛する「竜馬なら」と考えます。
 「竜馬だったらこんなことでくよくよしない」「竜馬だったら無愛想で通してしまう(人の目を気にしたり、人に気を使ったりしない)」「竜馬だったら議論なんてしない」「竜馬だったらもっと人にやさしい」「竜馬だったら今は力を蓄える」「竜馬だったら悠然と時を待つ」・・・。
 私の場合、生き方自体が竜馬に影響を受けています。「竜馬だったら夢を持ち続ける」「竜馬だったら脱藩する(会社を辞める)」「竜馬だったら独創の道をゆく」。

 近頃の私には、もう1人「この人」がいます。それは「時生(トキオ)」です。「時生」は私のペンネームですが、「もうひとりの自分」という感じもあります。「文章(上の)人格」と言えるかもしれません。
 時生は、いつでもそれなりの幸せになる考え方ができます。たくさんの幸せになる方法を持っています。なんと言っても、このホームページに書いてあることは実践できるはずなのですから。
 ところが現実の私は、そういつもすんなりと幸せになる考え方や方法ができるわけではありません。くよくよしたり、イライラしたり、弱気になったり、落ち込んだりすることもあるのです。そんな時、「時生なら?」と考えることができます。
 また、現実的な方法としては、このホームページの中からその時に合ったヒントや考え方や方法を探すことができます。この方法は、読者の皆さんにもできます。一種の「時生なら」になると思います。

 「この人なら」と考えることで、いつも(の自分)と違う見方やアプローチができます。自分の中だけでは考えられることはある程度限られていると思うのです。そこで、「(この)人」の力を借りてしまえばいいわけです。
 この方法も慣れるまではうまくできないことが多いかもしれませんが、慣れれば少しずつできるようになります。また、あくまでも(他の)人だったらですから、自分に合わない部分もあります。いつもとちょっと違う発想をするための1つの考え方として使ってみればいいと思います。



5月9日(水)なりたい自分?
 「成功したい」「出世したい」「有名になりたい」「金持ちになりたい」のように考える人は多いと思います。「成功した自分」「金持ちの自分」などが「なりたい自分」と言えるのかもしれません。
 でも、そのためには「何か」をしなれば「なりたい自分」にはなれません。「何か」は「仕事」の場合が多そうです。
 「何か」をしていい結果を出すためには、どういう自分だったらいいか? この答えを「なりたい自分」にすればいいのではないでしょうか。
 目標を達成するための1つの方法として、「どういう自分になればうまくいきそうか?」と考え、その「なりたい自分」になれるように努力するという方法もあるということです。

 「なりたい自分」になるためには、「自分を変える」ことが不可欠です。
 なりたい自分になるために、「自分の欠点を克服したい」と考える人が多いと思います。そのためには、相当の努力が必要で時間もかかると思います。その覚悟をして少しずつ変えていくしかないような気がします。
 なりたい自分になるために、「自分の長所をさらに伸ばす」のもいいことだと思います。そのほうがラクにできそうだし、その結果として自分を活かせるようになるんじゃないでしょうか。欠点がない人より、多少の欠点はあってもすごくいい所がある人のほうが魅力的な気もします。自分の長所に自信がもてれば、自分全体の自信にもつながります。
 なりたい自分になるために、「今の自分には無い新しいものを加える」のもいいことだと思います。「あの人のこういう所を見習おう」「自分が目標とする人ならどうするだろうか」「新しい考え方や方法を(本とかホームページとかで)探して試してみよう」・・・。小さなことでも1つ1つ身につけていけば、時間たてば大きく変わることができます。無意識のうちに「なりたい自分」に近づけるんじゃないでしょうか。

 ここに書いてきた以外にも、「なりたい自分」はもっといろいろあるんだと思います。また、小さな「なりたい自分」がいっぱいあってもいいわけです。
 とにかく、「なりたい自分」をもって、それを目指して努力し続けることが大事なんだと思います。
 「なりたい自分」になれれば、幸せになれそうな気がしませんか?



5月10日(木)幸せになりたい?
 「強くなりたい」「明るくなりたい」「成功したい」・・・いろんな「なりたい自分」があることでしょう。ところで、それはなんのため?
 「幸せになりたい」からではないでしょうか。

 「幸せになりたい」のなら、そのような自分、つまり「幸せになれる自分」「幸せに暮らせるような自分」を「なりたい自分」にすればいいわけです。いつも書いている「幸せになる能力を向上させる」「自分を育てる(自育)」ということです。

 「幸せになりたいですか?」と聞かれれば、ほとんどの人は「幸せになりたい」と答えます。
 でも、「幸せに暮らせるような自分になろう」と努力している人は少ないと思います。

 幸せになる能力が向上すれば、ふつうに暮らせる状況なら、1日の中でそれなりに幸せを感じられる(時間を持てる)ようになれます。将来についても、不安や憂うつになるよりも、希望が持てます。少なくとも、「明日があるさ」や「なるようになる」とは思えるようになれます。大きな不幸な出来事があっても、少しでもラクにやり過ごせるようになれます。長い目で見れば「いい経験」と考えられるようになれます。「夢」や「愛」をもっと大切にできるようにもなれます。
 このように、私は信じています。それは私の経験からです。

 「幸せになりたい」と“幸せ”を意識して生活する人が少ないのはなぜでしょうか?
 “幸せ”を意識しても幸せになれない、と思っている人が多いんじゃないでしょうか。「どうしたら幸せになれるかわからない」「(自分が思う)幸せになることができない」「(できないから)“幸せ”を意識するだけ疲れるし、落胆も大きい」のように(無意識に)思いこんでいるのかもしれません。

 だからと言って、“幸せ”を意識しないほうがいい、と考えるのはいかがなものでしょうか。私から言わせれば、単に「幸せになる能力が足りないだけですよ」ということです。自転車や自動車の運転でも水泳でもスキーでも、いきなりうまくはできないし、始めた頃はけっこうきつかったりします。でも、続ければそれなりにできるようになるものです。できるようになればラクになるし、身についてしまえば無意識にできるようになり、愉しめるようにもなります。

 などと書きましたが、私も20代までは“幸せ”を意識して生活するなんて考えられなかったのです。それに、このホームページに来てくださる人には「釈迦に説法」のようなものかもしれません。
 1つだけ言えるのは、私は“幸せ”を意識して自分を育てようと努力を続け、少しずつ幸せに暮らせるようになっている、ということです。20代までの自分と比べたらずっとずっと幸せに暮らせるようになったと思えます。たぶん、これからももっと幸せになれると信じることができます。

 「幸せになりたい」と本気で思う人は、どうしたら自分が幸せになれるかを一生懸命に考えて、現実的な方法を見つけてそれに向かって努力すればいいと思います。少しでもそういう人の役に立てたらいいな、と思っています。


   

この日記のつづき

幸せのホームページ