『竜馬がゆく〈1〉 「竜馬がゆくから」 「本のページ」 ![]() ![]() ![]() ![]() |
竜馬は、船のともで潮風に吹かれながら、梶をとっている老人の姿を、子供のような熱心さで見つめていた。老人があきれて、竜馬は船が好きだった。それも子供のように好きだった。だから、梶取の老人にも気に入られ、弟子入りできた。楽しめた。船のことも覚えられた。
「旦那、よっぽど船がおすきとみえますな」
「ああ、好きだな」
竜馬は、梶取に弟子入りしてしまった。
「旦那、あんたはだまされたね。あの岡田以蔵さんという人はわるいお方じゃなさそうだし、お父つぁんが死んだために江戸から国へ帰るというのもうそじゃなさそうだが、路用がなくなってやむなく辻斬りをしたというのは、あれは下手なうそだ」「こんなヤツいるか!」とは思う。ふつうの人はだまされたと腹を立てるのが当然だ。しかし、怒ってイヤな気分になるのと、相手の身になって愉快な気分になるのと、どっちが幸せだろうか。
「ほう」
「大阪島之内の丁字風呂清兵衛という名高い家がある。そこの娼妓でひなづる。おんなの名などどうでもいいが、その女のもとでいつづけして路用をつかいはたしたはずなんだ。あっしが見ただけでも、五日は丁字風呂にいた。だから、旦那にもらった金で、いまごろは豪勢に風呂酒をあそんでるだろう」
「ほんとうか」
「うそじゃねえ」
「以蔵め、そいつは面白かったろうな」
以蔵の身になって笑いだした。竜馬はうまれつき明るいはなしがすきな男だから、足軽以蔵の陰気な話がやりきれなかったのだが、いまの藤兵衛のはなしで救われたような気がした。妙な性分である。腹が立つよりも自分までが風呂酒を飲んで陽気にさわいでいるような気分になってくる」
「藤兵衛、この景色を見ろ」竜馬のような、感じる心、向上心、大きなことを考えられる心、夢見る心、こういうものを大切にしたい。
「へい」 藤兵衛はつまらなそうにまわりをみた。
「気のない顔だなあ」「藤兵衛、一向に驚かぬな」
「見なれておりますんで」
「若いころ、はじめてみたときはおどろいたろう。
それともあまり驚かなんだか」
「へい」 藤兵衛は、にが笑いしている。
「だからお前は盗賊になったんだ。血の気の熱いころにこの風景をみて感じぬ人間は、どれほど才があっても、ろくなやつにはなるまい。そこが真人間と泥棒の違いだなあ」
「おっしゃいますねぇ。それなら旦那は、この眺望をみて、なにをお思いになりました」
「日本一の男になりたいと思った」
小五郎と竜馬がこの相州の山中であったときは、かれが二十二、竜馬が二十歳である。人のえらいところ、いいところを見る。それが本来、人を見るということだと思う。私たちは、ともすると人の欠点探しをしてしまう。それでは幸せな人間関係は生まれにくい。ましてや竜馬のように、初対面で本人をほめまくるような人はなかなかいない。
竜馬はもともと感心癖のある男だが、この桂小五郎にははらの底から感心してしまった。
「お前はえらい男じゃなあ」「えらいもんじゃ」「お前、えらいぞ」
あまりほめそやすものだから、小五郎はなんとなくばつのわるそうな顔つきになってきたが、竜馬は大まじめである。
「あんたには、英雄の風貌がある。」それにしても、これが二十二歳と二十歳とは・・・
「事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ。私にはそれがとぼしい、しかしあなたにはそれがある、と私はみた。人どころか、山でさえ、あなたの一言で動きそうな思いがする」
(桂は桂、おれはおれだ。桂とちがってもともと晩稲の俺はまだまだ学ぶべきことが一ぱいある。とりあえず、剣術だ)とおもった。人を知り、己を知り、道理を知っている。
(強くなろう)とも思った。
自分を強くし、他人に負けない自分を作りあげてからでなければ、天下の大事は成せまい。
−人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。たいていの相手は論ずるに足らぬやうに見ゆるものなり。なぜ竜馬はこんなことを言ったのか。しかも、繰り返し言っているに違いない。
−義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり。
−恥といふことを打ち捨てて世のことは成る可し。
「おれはずぼら者で仕様のない男だが、一番肝腎なたった一つの事だけは痩せようが枯れようが我慢する修業を心掛けてきた。それがなければおれは骨なしのくらげのような男で、だれにも相手にされなくばかりか、一番こわいことは、自分が自分に愛想をつかすようになる。おれはもともと、そんな危険性のある男だ」確かに一番こわいことは、自分が自分に愛想をつかすことかもしれない。自分(の人生)の主は自分だ。誰に何と思われようが、自分さえ自分を信じ、自分を大事にしていれば、それでいい。
竜馬は、妙なことにこのお田鶴さまと話をしていると、つい多弁になる。お田鶴さまの相槌の打ちかたが絶妙なのだ。聞き上手は、オールマイティな会話上手。
(中略)
お田鶴さまにひきだされるままにしゃべっていると、竜馬は、自分でもいままで考えてもいなかった考えがつぎつぎに湧いてきて、
(おや、おれは、こんなことをかんがえていたのか)
とおどろいてしまう。
「師匠はキコリであらるる。うらは江戸で天下高名の学者の門をほうぼう叩いたが、この牢の中でこのお方に学んだことのほうがはるかに大きい」岩崎弥太郎は明治維新後、竜馬の夢の一部を引き継ぐように商社を興す。そして、三菱財閥を築き上げる。
「その太助どんに何を習うたのじゃ」
「算術と商法の道よ」
それまで学問武芸しか知らなかった岩崎弥太郎が、はじめて算用の道を学んだのは、このときであった。将来、商業によって大をなそうと考えたのも、このときである。
竜馬の人生への基礎は確立した。勝に会ったことが、竜馬の、竜馬としての生涯の階段を、1段だけ、踏みあがらせた。竜馬自身も大いに喜び、姉・乙女に手紙を書いている。
(人の一生には、命題があるべきものだ。おれはどうやらおれの命題のなかへ、一あしだけ踏み入れたらしい)
このとし、竜馬二十八歳。まったく晩熟である。
そもそも人間の一生はがてん(合点)の行かぬはもとよりのこと。うん(運)のわるい者は風呂より出でんとしてきんたまをつめわりて死ぬる者あり。竜馬にとって勝海舟ほど素晴らしい師はいなかったと思う。まず、浪人である竜馬を受け入れる資質。西洋に関する知識。竜馬の好きな船の師としても最高だ。なんといっても、かん臨丸の船長だったし、幕府の軍艦奉行。竜馬に船の実地訓練をさせてくれた。勝のもっとも素晴らしかったことは、竜馬をひきたてたことだ。大久保一翁、松平春獄、横井小楠らの有力者に紹介した。竜馬は勝から得た、知識・操船技術・人脈を駆使し、幕末に飛翔する。
それにくらべて私などは運がつよく、なにほど死ぬる場へ出ても死なれず。自分で死なうと思ふても又生きねばならん事になり、今にては、日本第一の人物勝麟太郎と云ふ人の弟子になり、(中略)どうぞおんよろこび願ひ上げ候。かしく。
「おい、軍艦で大阪へ連れていってやろう」また、竜馬の勝に対する献身も相当である。
(そいつはありがたい) 竜馬は、飛びあがりそうな表情をした。
「お前さんは物喜びをするたちだねえ」 勝も感心し、
「こっちまでうれしくなるよ」といった。
勝のみるところ、竜馬はじつにとくな人間で、平素は土佐弁でいう無愛想い(すぼこい)つらつきのくせに、いったんよろこぶとなると、相手の心にまでしみとおるようなよろこびかたをする。
「とくだよ。ついまたこっちも、また喜ばせてやろうという気になる」
(勝先生の弟子になったとはいえ、いまさら蘭学を学ぶ気にもならん。それに先生の知遇に報ずる道もない。せめて夜警でもしよう)このほかにも、勝の命を守ることには、竜馬は気をつかっている。竜馬が師に対して、自分にできる大事なことだと考えたのだろう。
竜馬は、一見、不逞、性不覊、その男が夜警をしようというつもりになったとは、よほどのことであろう。
また竜馬は、惚れにくいたちであった。女にも男にも。
しかし惚れたとなれば、夜警でもやる、というところがある。
「可愛気のある奴だな」と勝は笑って捨てておいた。
「脱藩のことはおれが何とでも繕う。藩に戻っておれと一緒にやってくれ。お前は奇策家じゃ。いま、お前のような人物が要る」竜馬は逆に武市半平太のことを奇策家と思っている。
「おれは奇策家ではないぞ。おれは着実に物事を一つずつきずきあげてゆく。現実にあわぬことはやらぬ。それだけだ。それをなぜ人は奇策家とみるのか、おれにはわからん」
所詮は、武市のやることは手品であり、あとですぐ尻の割れる「奇策」である。真の奇策とは、もっと現実的なものだ。奇策とは人が考えつかない策だ。奇策にもいろいろある。竜馬の考える真の奇策とは、人が気づいていない真実のようなものだと思う。
が、竜馬はだまっている。
船をもち軍艦をもち、艦隊を組み、そしてその偉力を背景に、幕府を倒して日本に統一国家をつくりあげるのだ。自分らしい独創性を発揮するための1つのヒントは"好き"ということだ。
人間、好きな道によって世界を切り拓いてゆく。
「事をなすためじゃ。このような気概を持ち続けて、はじめて独創性がうまれるのだと思う。独創性は才能によることもあるが、人と違ったことをしたいという意志によることも多い。
ただし、事をなすにあたっては、人の真似をしちゃいかん」
竜馬は、新選組巡察隊の先鋒と、あと5・6間とまできて、ひょいと首を左へねじむけた。竜馬は言う。
そこに、子猫がいる。まだ生後三月ぐらいらしい。
軒下の日だまりに背をまるめて、ねむっているのである。
竜馬は、隊の前をゆうゆうと横切ってその子猫を抱きあげたのである。
一瞬、新選組の面々に怒気が走ったが、当の大男の浪人は、
顔の前まで子猫をだきあげ、「ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ」
とねずみ鳴きして猫をからかいながら、なんと隊の中央を横切りはじめた。
みな、気を呑まれた。ぼう然としているまに、
竜馬は子猫を頬ずりしながら、悠々と通りぬけてしまった。
「ああいう場合によくないのは、気と気でぶつかることだ。闘(や)る・闘(や)る、と双方同じ気を発すれば気がついたときには斬りあっているさ」人は自分の心の鏡と言う。
「では、逃げればどうなんです」
「同じことだ、闘る・逃げる、と積極、消極の差こそあれ、おなじ気だ。この場合はむこうがむしょうやたらと追ってくる。人間の動き、働き、の八割までは、そういう気の発作だよ。ああいう場合は、相手のそういう気を抜くしかない」
(とうとう、われわれは練習艦を得た)仲間と喜びをわかち合うことは、自分の取り分が減るわけではない。反対に喜びが増すものだ。
このよろこびは、一人では十分に味わうことができない。同じように艦の入手を待ちこがれていた仲間たちと抱きあうことによってのみ、味わうことができる。
「おい、みんな。坂本さんが来ちょる。舷側を掻きむしっちょるぞ」私は、このくだりを読む度に、ウルウルする。私も喜びを分かち合っているようだ。
といって笑おうとしたが、ふりむいて竜馬の姿を眼にとめた漕手のたれもが笑わなかった。菅野も、泣きっ面になってしまった。
(もとは一介の剣術使いだった男だ。それが軍艦にあこがれ、とうとう軍艦を一隻手に入れてしまった)
しかも浪人の身で。
菅野覚兵衛は、ぽろぽろと涙をこぼした。
西郷は「敬天愛人」という言葉をこのんだが、これほど私心のない男はなかった。若いころから私心をのぞいて大事をなす、ということを自分の理想像とし、必死に自己を教育し、ついに中年にいたってそれにちかい人間ができた。また、西郷は二度、島流しになっている。心がけと時間が人間を作ったのではないかと思う。
西郷の家は、(これが世に高名な西郷の家か)西郷も竜馬について、こう言った。
と竜馬が内心おどろくほどみすぼらしかった。
土佐の坂本竜馬が鹿児島に来て翁(西郷)を訪問し一泊したとき、夜半に翁は夫人となにか寝物語している。聞くとはなしにきいていると、夫人「宅は屋根が腐って雨漏りがしてこまります。お客様がおいでの時など面目がございません。どうか早く修繕してくださりませ」と訴えると翁は「いまは日本中が雨漏りしている。わが家の修繕なぞしておられんよ」とこたえられた。
竜馬は、そういう西郷に感心した。
「生死などは取りたてて考えるほどのものではない。何をするかということだけだと思っている。世に生を得るは事を成すにあり、と自分は考えている」「世に生を得るは事を成すにあり」
「事とは何ですか」
「しごとのことさ。仕事といっても、あれだな、先人の真似ごとはくだらぬと思っているな。釈迦も孔子も、人真似でない生き方をしたから、あれはあれでえらいのだろう」
竜馬はこの支店(亀山社中の下関支店)の名を「自然堂」とつけた。この男は、釈迦も孔子も尊敬しなかったが、ただふたり、ふるい哲学者のなかでは老子と荘子を尊敬していた。なにごとも自然なるがよし、という老荘の思想にあやかって自然堂とつけた。自然に逆らうのは無理がある。世の中、無理はとおらない。自然に事を成すのがいいのだろうか。
すでに歩み寄りの見込みはついている。死生観
あとは、感情の処理だけである。
桂の感情は果然硬化し、席をはらって帰国しようとした。薩摩側も、なお藩の体面と威厳のために黙している。
この段階で竜馬は西郷に、
「長州が可哀そうではないか」と叫ぶようにいった。
当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。
あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。
奇妙といっていい。これで薩長連合は成立した。
「人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」竜馬の死生観には、必ず「事を成す」ことがついてくる。死だけを考えずに、常にどう生きるかを考えるべきなのだろう。
「京の一人歩きはあぶのうございますぞ」本当の夢があれば、自分の保身など考えているヒマはないのかもしれない。
「わしには、天がついちょる。大事をなそうとする者にはみな天がついちょるもンじゃ」
「生きるも死ぬも、物の一表現にすぎぬ。いちいちかかずらわっておれるものか。人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよいとおれは思うようになった」
「三吉君、逃げ路があるかないかということは天が考えることだ。おれたちはとにかく逃げることだけに専念すればいい」天はまだ竜馬を呼び戻しはしなかった。
絶望するな、と竜馬はいうのであろう。
「旦那は、いってえどなたがお好きなんですえ、江戸のさな子さまか、京のお田鶴さまかそれとも伏見のおりょうさんか」出会っても、好きになっても、結婚できない人、幸せにできない人もいる。
「余計なことをいうな」 竜馬は、むくれてしまった。
「みな、好きなんじゃ」
実は、お田鶴さまが好きである。が、この身分階級でできあがっている浮世ではしょせんむりなことだ。
江戸には、千葉さな子がいる。が、千葉家の娘にふさわしい結婚生活をあたえてやれるとはおもえない。
やはり、おりょうである。このひろい世間に、おりょうだけは竜馬の庇護がなければ立ってゆけない女性ではないか。
お田鶴さま、さな子、おりょう、の三人については、いままでの関係がいちばんいい。一歩でも深めれば、泥沼になる。自由と結婚、どちらを選ぶか。人それぞれで違うだろう。でもふつうの人はそれほど極端に考える必要はない。
(君子の交りは淡きこと水のごとし、というが)
礼記のことばである。もっもとこれは、男同士の交友についての言葉だが、竜馬は、男女間でもできればこれでゆきたかった。
恋愛は、心ののめりこみである。愛情の泥沼にのめりこんで精神と行動の自由をうしないたくない。
「坂本さん、おりょうさんをどうするの?」そして、成りゆき次第の、成りゆきが起きた。
「そこは成りゆき次第だ」
「つまり、成りゆきによっては、お嫁さんにするというの?」
「まあ、そうだ」
「本来なら、坂本さんは、嫁御寮なんかはもたぬ、ということだったでしょう。それはどうなったの」
「いまもそのつもりでいる。嫁もちで諸国を走りまわれるか」
「走りまわったらいいじゃないの」
「なるほど」 竜馬は、新鮮な表情になった。
下世話に、「ひょんなことで」という。竜馬はケガの湯治のために薩摩に行く。おりょうもいっしょだ。これで、竜馬が日本ではじめて新婚旅行をした人、と言われる。
男女の仲というのは、多分にこのひょんなことで出来あがる。
竜馬とおりょうの場合、あの事件が「ひょんなこと」であった。
とすれば、群がって襲来した百人の幕吏こそふたりの仲人になったわけである。
高杉晋作は平素、同藩の同志に、「おれは父からそう教えられた、男子は決して困った、という言葉を吐くなと」と語っていた。どんな事でも周到に考えぬいたすえに行動し、困らぬようにしておく。それでなおかつ窮地におちた場合でも、どんなにきびしい状態になっても絶望してはいけない。私は「困った」くらいは言ってもいいと思うが、簡単にあきらめてはいけないと思う。常に希望を持って生きたほうが幸せだと思う。
「こまった」とはいわない。困った、といったとたん、人間は知恵も分別も出ないようになってしまう。
「そうなれば窮地が死地になる。活路が見出されなくなる」
「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし死地におちいればそれでおしまいだ。だからおれは困ったの一言は吐かない」
「石炭代のかたしろに薪をいただこうなんて、料簡はもっておりませんですよ。坂本様というお人に賭けているつもりでございますが、どうもそこのところが、まだわかっていただけないようだ」人に賭けるなんて金持ちの道楽かと思うと、そうでもない。
「いや、甘えてはならぬと思うだけだ」
「もっと甘えていただきます。人に賭けるというのは、商人のしごとのなかでもいちばん度胸の要ることなんでございますが、わたくしはうまれてはじめてそれをやっている。坂本様もそのおつもりになって、私をいい気持ちにしてくださらないといけません」
「ありがたい」
「解散じゃということでござりますげな」と不平ったらしくいった。私は、このくだりを読むたびに涙があふれてくる。今もこれを書きながら、涙ぐんでいる。私も人に賭けてみたいな、と思う。そういう人に出会えればだが・・・
「それに反対か」
「反対でござりまするぞ。われら一同、たかが水夫火夫風情(ふぜい)でも、坂本様のお下知で馬関の砲火をくぐった者でござりまするぞ。情(つれ)なきことを申されますな」
「払ってやる賃銀がないのだ」と、竜馬は、袖を振った。
「食わせられん」 ぽつんと言い、言いおわると、
われながら情けなくなって、ポロポロ涙がこぼれた。
「みな、よい所へ口を預けい(就職しろ)」
が、甚吉老人は怒気をふくみ、
「われら一同、はらをくくりましてござりまする。坂本様がなんと申されましょうとも、坂本様から離れませぬぞ。船が御手に入るまで、われらは市中で食い代を稼ぎながら待ちまするわい。われらのことはお構いくだされますな」と畳をたたいていった。
竜馬は、生涯のうちで何度か激しく感動した男だが、このときほど感激したことはなかったであろう。
(後藤は)竜馬の論にうなずきつづけて、ついに、竜馬は人のことは言えない。剣で一流になったのにあっさり捨てる。土佐勤王党に参加しながら脱藩してしまう。勝海舟への入門。このあと土佐藩と手を組む。コロコロと変わっているのだ。
「わしも竜馬の党になる」といった。
竜馬が拍子ぬけするほどけろりとした転身ぶりである。
(会見後)
「溝渕のおんちゃんよ、参政後藤象二郎なる人物は、ありゃなんじゃ」
と、竜馬は笑いながらきいた。
溝渕にも竜馬のいう意味がわかる。変わり身の早さを指しているのだろう。
「しかし、それにしても」と、竜馬は笑いだした。
「おれもむかし、千葉重太郎と二人で勝先生を斬るために赤坂氷川下のお屋敷にゆき、その場で論破されて開国論者になった。後藤の転身を笑えた義理ではないか」とくすくす笑っている。
時勢が、たった一年で変転し、暗転し、討幕気運は急速に冷えた。竜馬はよく時勢・時運を口にする。
「腫物(ねぶと)も膿まずば針を立てられず」
という竜馬の時勢観は、そこである。幕府という腫物(しゅもつ)は、はれあがっているばかりで膿みきってはいない。
「ものには時機がある。この案を数カ月前に投ずれば世の嘲笑を買うだけだろうし、また数カ月後に提(ひっさ)げて出ればもはやそこは砲煙のなかでなにもかも後の祭りになる。いまだけが、この案の光るときだ」時勢に乗って成功する人はいる。日本ではアメリカン・ドリームのようなケースは少ないが、パソコン・ブームに乗って成功した人もいる。インターネット・ブームに乗って成功する人もまだこれからでるだろう。
(はたして政権を慶喜はなげだすかどうか)人間、自分の持っているものを手放すことは難しい。それが大きいものであればあるほど。ましてや先祖伝来のものは。
この一瞬、幕府は消滅し、徳川家は単に一諸侯の列にさがるのである。そういう自己否定の道を、慶喜はとれるかどうか。
(人間、自分で自分の革命をおこすということは不可能にちかいものだ。将軍がみずから将軍でなくなってしまうことを、自分でやるかどうか)
人情、おそらくそうではあるまい。
たとえ慶喜が個人としてそういう心境になったとしても、慶喜をとりまく幕府官僚がそれをゆるさないであろう。
(しかし)と、竜馬は繰りかえしおもった。
日本を革命の戦火からすくうのはその一手しかないのである。
「大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」徳川慶喜は決してできの悪い、小心な殿様ではない。日本のためを考えて、決断したのだと思う。慶喜の自己犠牲によって、日本の多くの人が不幸にならずにすんだ。
と声をふるわせつついった。竜馬は自分の体内に動く感激のために、ついには姿勢をささえていられぬ様子であった。
この男のこのときの感動ほど複雑で、しかも単純なものはなかったといっていい。
日本は慶喜の自己犠牲によって救われた、と竜馬は思ったのであろう。この自己犠牲をやってのけた慶喜に、竜馬はほとんど奇蹟を感じた。その慶喜の心中の激痛は、この案の企画者である竜馬以外に理解者はいない。
いまや、慶喜と竜馬は、日本史のこの時点でたった二人の同志であった。
「あすから朝廷に政権を」といったところで、おどろくのは朝廷自身であろう。「その方法をつくらねばならない」竜馬はいった。船中八策には、議会政治、人材登用、外交、軍事、財政について書かれている。討幕を考えた人は多かっただろうが、新政府の政治について考えた人は竜馬の他にはほとんどいなかっただろう。
大政奉還の案だけを天下に投ずるのは不親切というものであろう。
「おぬしゃ、行き届いちょるな」 後藤が感心した。
竜馬といえばどこか粗放な感じがあるから、後藤は意外におもったらしい。
「あたりまえではないか」 竜馬は卓上の懐中時計を指さした。
「人に時計をくれてやっても、その使い方を教えてやらねばなにもならぬ」
「八策ある」と竜馬はいった。
「坂本さぁ。この表を拝見すると、当然土州から出る尊兄の名が見あたらんが、どぎゃンしたかの」その場にいた陸奥陽之助(のちの宗光)は、「このときの竜馬こそ、西郷より二枚も三枚も大人物のように思われた」といった。
「わしの名が?」「わしゃ、出ませんぜ」
「あれは、きらいでな」「窮屈な役人がさ」といった。
「窮屈な役人にならず、お前さァは何バしなはる」
「世界の海援隊でもやりましょうかな」