しあわせ日記

3月1日(水)過ぎたこと

     過ぎたことでくよくよしないために
 第5章 「いい経験」と言えるように。

 過去のことを思い出してくよくよするのは意味がありません。「しょうがない」と思えればいいのですが……。「いい経験」と考えることができれば、思い出したこともムダではありません。

 次のような考え方が役に立つと思います。
・「すんだことはしょうがない」「気にしない気にしない」
忘れられない
気にしないようにする
今を大切にする
・「いい経験
・「何かいいことを始めよう
 こんなふうな「第5章」の案を考えてみました。



3月2日(木)くよくよしない考え方

 第6章 くよくよしない考え方がてきるように。

 次のような考え方が役に立つと思います。
・「考えるのはいいこと、考えすぎはくよくよの素
・ 力を抜く(老人力)
・ 道は1つではない
・ 考え方考え方
・「××、ではどうしたらいいか?
・「それはそれ、これはこれ
・「いい経験
・ 問題で苦しまない自分になる
・「不幸を数えて暮らすより、幸せを数えて暮らそう

 こんなふうな「第6章」の案を考えてみました。



3月3日(金)できない?
 『くよくよしない考え方』をまとめようと思っていますが、それを読んでも「私にはできない」という人もいると思います。そういう人のために、どうしたら「くよくよしない考え方」ができるようになるか? について書いてみようと思います。

 次のような考え方が役に立つと思います。
・ 『できない』と言うとできなくなる
・ 自分には合わない
・「今はうまくできないけど、努力すればいつかはできるようになる
・「できたらいいな
・ 自分を変える



3月4日(土)「くよ」ならいい
 「くよくよ」するのはよくありません。
 「くよくよ、くよくよ」するのは、もっとよくありません。
 「くよ」くらいならいい、しょうがないんじゃないでしょうか。

 小さなこと、考えてもなんにもならないこと、自分さえ考えなければ何も問題がないこと、過去のこと、などで「くよくよするな!」と言われても、いつのまにか(無意識に)考えてしまうのはしかたがありません。

 やりたいことや夢中になれることをやる、忙しくするなどの方法もくよくよしないためには役立ちます。それでも、ふと、くよくよしてしまうことはあると思います。

 大事なのは、くよくよし始めた時にできるだけ早く、それに自分が気づけること。そして、気づいたら「くよくよしない考え方」をしようと努力することです。
 自分の「くよくよ」に早く気づけるためには、ふだんから「気分よく過ごそう」と心がけることがいいと思います。そうすれば、「自分の気分」に気づけるようになれます。「自分にはこういうことで、こういう考え方をして、くよくよしてしまうクセがある」と知ることができます。

 「あ、またこのクセだ」「クセが出てしまうのはしょうがない」と考えられれば、「くよくよ」しないで「くよ」ぐらいですませることが多いと思います。そのくらいで十分だと思います。
 「絶対にくよくよしちゃいけない」より「“くよ”くらいならいい」のほうが現実的だし、いいと思います。



3月6日(月)「あとで考えよう」
 自分がくよくよ考えているのに気づいた時、「あとで考えよう」という考え方が役に立つことがあります。

 「あとで考えよう」と言えれば、とりあえずくよくよから抜け出すきっかけになります。そう決めれば、「今は考えなくていいんだ」ということになります。本当はイヤなことは考えたくないはずです。

 「あとで考えよう」と言ったあとには、今を大切にすることができます。
 例えば、友達といっしょに話をしている時に、自分だけがイヤなことを考えて浮かない顔をして黙り込んでしまったら、自分だけでなくその場の雰囲気を壊してしまうこともあります。
 楽しんだほうがいい時には、何か気になることがあっても「あとで考えよう。今は楽しもう」。今やるべきことに集中したほうがいい時には、「あとで考えよう。今は一生懸命にやろう」。もし、特にすることがない時なら、自分がやりたいこと・好きなこと・好きな人のことを考えるきっかけにできれば、と思います。「あとで考えよう。何かいいことを始めよう(考えよう)」。

 くよくよ・イライラなどイヤな気もちのままで考えると、後悔するような悪いことをしてしまうこともあります。「あとで考えよう」とすることで、そういうことを防止することもできます。

 「あとで考える」ことで、そのことがどのくらい大事なことかがわかります。
 「あとで考えよう」と思ったのに忘れてしまうことがよくあります。ささいなことを忘れてしまうのはいいことです。ムリに思い出すことなんてありません。
 平静な気分の時に考え直してみれば、「小さいこと」だと判断できることも多いと思います。

 重要なことは時間をかけて、落ち着いて考えればいいのです。「くよくよしない考え方」を心がけることもできると思います。



3月7日(火)ささいな事
 昨夜の「ニュースステーション」(テレビ朝日系)で、春菜ちゃん殺害事件の裁判をトップで扱っていた。検事側の文章に「ささいな事」という言葉が繰り返されていたという。久米宏さんは「検事さんにはささいな事としか思えないのでしょう」、取材した女性ディレクターは「容疑者にとってはその時それがすべてだった」と言っていました。

 人から見たらささいな事でも、その人にとってはその時にいちばんの関心事で、心の痛みを伴ってしまうこともあるんです。同じ事でも、心の中での重大さは人それぞれです。

 私も、人の事をささいな事・小さな事と安易に判断してはいけない、と思いました。その人の心の中では決してささいなことではないのですから。

 その事をどのくらいの大きさにするかは、その人しだいです。大きなこととするのも、小さなこととするのも、その人によります。イヤな事はできるだけ小さくできたほうが、自分のためです。そのために「くよくよしない考え方」やこのホームページが少しでも役に立てたら、と思います。



3月8日(水)第一関門
 くよくよしない考え方をするための第一の関門は、自分の「くよくよ」に気づけることです。気づかなければ、次に何かをするか何かあるまで、くよくよ、くよくよ、・・・と続いてしまいます。
 ところが自分の「くよくよ」にはなかなか気づかないものです。だから、「くよ」ですまずに「くよくよ」になってしまうのだと思います。

 「あ、(今、自分は)くよくよしてる」と自分で言うことができたら、それだけでイヤな気もちは何割か軽くなり、「くよくよ」から抜け出すきっかけになると思います。気づければ「くよくよしない考え方」を心がけることもできます。

 ではどうしたら「くよくよ」に気づけるでしょうか。
 自分の気分に敏感になることではないか、と私は思います。
 「くよくよ」は考えによりますが、さまざまなイヤな感じをともないます。つらい/腹立たしい/
イライラ不安などのイヤな感じに気づくことで、自分が「くよくよ」していることがわかります。

 私は自分の気分に敏感です。それは「いい気分で過ごそう」「幸せに暮らそう」という心がけを続けているからだと思います。「今の気分は?」という問いかけを心がけた時期もありました。

 自分の「くよくよ」に気づくためのもう1つの方法としては、自分の「くよくよ」のクセやパターンを知ることです。1日の終わりにでも、その日に自分がくよくよした時・事と、どういう考え方をしたかを書き出してみれば、自分の「くよくよ」のパターンを知ることができ、くよくよしてしまう考え方のクセを知ることもできます。それを知っていれば、「あ、このパターンだ」「またこのクセがでちゃった」と気づけることが多くなると思います。

 「あ、くよくよしてる」と気づけ、そう言えることは、「くよくよ」から抜け出すための第一関門であるとともに、有効な方法だと思います。



3月9日(木)くよくよをやめる
 自分の「くよくよ」に気づけたとして、そのあとどうしたら、くよくよをやめることができるでしょうか。
 その時に合ういくつかの「くよくよしない考え方」があると思います。簡単なものなら、「まぁ、いいか」「そのままでもいいんじゃない」「そんな人もいる」「なるようになる」「いい経験」など。
 でもそれで、完全に「くよくよ」を無くしてしまうことはできないと思います。ある程度「くよくよ」が軽くなったら、他のことを考えたり、何かを始めることで、いつのまにか「くよくよ」を忘れることができるのだと思います。

 「思い通りにならないと」「自分が何かをできなくちゃ」「人が変わらなければ」「人が謝ってくれないと」「自分の望みがかなわなくては」「確かな解決法が見つからなきゃ」などと思っていたら、ずっと「くよくよ」や「イライラ」は無くなりません。そもそも、簡単に解決できることなら、はじめから「くよくよ」しません。だったら、少しでも気がラクになったら、他のことを考え・したほうがいいと思います。

  「
イヤなことを考えているのに気づいたら、何かいいことを始めよう

 「くよくよしちゃいけない、くよくよしちゃいけない」と考えるのは、「くよくよしたい、くよくよしたい」と言ってるのと同じようなものです。
 楽しいこと・好きなこと・好きな人のことなどを考えたり、やりたいことや夢中になれることなどをすることが、結果として「くよくよ」を打ち消してくれるのだと思います。



3月10日(金)「幸せ」と「ハオハオ」なし
 『くよくよしない考え方』には「幸せ」と「ハオハオ」は使わないようにします。

 「幸せ」は最小限に使おうと思います。
 世の中には「幸せ」という言葉に違和感をもつ人がいます。(特に男性に多い。私のように「幸せ」を連発したら、「あやしい」と思われてもしかたがありませんが)

 私も自分に実感がないものには一線を引いてしまいます。霊とか前世とか超能力とか、私にはまったく感じられません。神や仏も信じようという気にはなれません。
 「幸せ」はいろいろな幸福感として感じることができます。だから、私は自分が感じる「幸せ」を信じます。だから、「幸せ」という言葉も抵抗なく使います。「幸せ」という言葉を使ったほうが幸せになれるのではないか、とも思います。

 「ハオハオ」にも違和感をもつ人がいます。やはり、一般に使われる言葉ではありません。特殊な方法ということでしょう。
 だから、『くよくよしない考え方』には使わないことにします。
 でも、私は「ハオハオ」が役に立つと実感しているし、このホームページの読者の方からも「いい」「役に立つ」「使うようになった」などのお言葉が多く寄せられています。
 そこで、「ハオハオ」は別に1冊の本にしてみようと決めました。

 私から「幸せ」と「ハオハオ」をとっちゃうと、ますます特徴がなくなっちゃうような気もしますが、まぁいいか。ハオハオです。

 (このつづきはこちら)