しあわせ日記 「愉しむ(楽しむ)」
4月1日(日)愉しむ
幸せに(暮らせるように)なるためには、今を大切にして幸せを感じて生活できるようになるのがいちばんだと思います。幸せを感じるために役に立つのが「愉しむ」ということです。
“楽しい”こと以外にも様々な“愉しみ“があります。いろんな愉しみ方もあると思います。
“愉しむ”ことの基本は、「今を愉しむ」ということです。
今していることを愉しむ、今の仕事・生活(環境)を愉しむ、季節を愉しむ、今の年代を愉しむ、この人生を愉しむなどと考えるだけでも、何か思いつくことがあるのではないでしょうか。
“愉しむ”目的は何でしょうか?
それは、どれだけ心から愉しめることができるかどうかということではないでしょうか。自分の心に感じることが大切ではないかと思うのです。
「ゲームを愉しもう」と思ったら、勝負・結果よりもゲーム中にどれだけ愉しい思いができるかが大事なのではないでしょうか。「勝たなきゃいけない」「負けたらどうしよう」などと考えるより「プレイを愉しもう」と思ったほうが結果もいいような気もします。
いろんな愉しみ方について書ければ、と思っています。
4月2日(月)味わう
「愉しむ」ための第一の方法は、「味わう」です。
要は、幸せを味わおうとすることです。
何かを食べる時に「味わって食べよう」と思うと、無意識の時や余計な事を考えている時より、味を確かに感じられます。いろんな味に気づけることもあります。自分で実際に試してみるとわかると思います。
食べることと同様に、幸せなことも「味わおう」「愉しもう」と思うことで、幸せを豊かに感じることができます。
「味わう」ことのポイントは、
・今のことに集中すること。なんとなくではなく。
また、余計な事は考えない。特にイヤな事は。
・いい所/幸せな所を探す。イヤな所は探さない(見つかってもハオハオ)。
・見つけたいい所/幸せな所を「いいなぁ」「幸せだなぁ」のように思う。
とにかく、自分で試してみることです。「味わおう」「愉しもう」と思うだけでも、ある程度は愉しめると思います。いろいろ工夫しながら続ければ上達するものです。
その前に、「味わおう」「愉しもう」ということを忘れてしまうことのほうが多いと思います。今の私でもそういうことがよくありまです。それでも少しずつ意識できることが多くなってきました。
「味わおう」「愉しもう」と意識できることは、けっこう強力だと思います。私ももう少し工夫してみようと思います。
4月3日(火)自分の愉しみ
“自分の愉しみ”がはっきりわかっていると、それを愉しみに生活でき、その時には十分に愉しめます。
1日に1回の愉しみがあれば、その時を愉しみに過ごせ、その時は十分に愉しめ、次の日も愉しみになります。
週に1回の愉しみがあると、その日まで頑張れたり我慢できたりでき、その日は十分に愉しめ、次の週も愉しみにできます。
年に数回の愉しみがあると、その日を愉しみに生活でき、その日々は十分に愉しめ、次回を愉しみに生活できます。
これが自分の愉しみだと思えれば、何でもいいんです。
食べる事や飲む事(食事/おやつ/お酒など)、趣味や娯楽や好きな事(音楽鑑賞・カラオケ/テレビ・ビデオ・ゲーム/風呂/旅行など)、家族や恋人や友人との関わり(遊ぶ/スキンシップ/会話/寝顔を見るなど)、生きもの・自然と親しむ(ペットを飼う/植物を育てる/山や海や川などに行く/散歩など)、くつろぐ事や休む事(ゆっくりする/ボーっとする/寝るなど)、・・・。
すごい事や立派な事である必要なんてありません。ごくふつうの事でいいんです。
私の場合、日々の愉しみは風呂上がりのビールとか、週の愉しみはバスケットの練習とその後のお酒とか週末の昼寝とか、年の愉しみはバスケットの合宿(いい風呂/いい酒/いい仲間)とか、・・・。
きょうはバスケと風呂と酒でまとめてみました(?)が、実際こんなもんでいいんです。
「あれが愉しみ」と思えれば、それを愉しみにして生活できます。
「これを愉しみにしてた」と思えば、十分に味わえます。
「この愉しみがある」と思えば、生きる張りや甲斐のようなものも感じられます。
ちょっと大げさに書いてしまったような気もしますが、「これが愉しみ」と心から思えることが1つでもあれば、それだけでも幸せに暮らすためにけっこう役立つんじゃないかと思います。もちろん、自分の愉しみがいっぱいあれば、もっといいわけです。
“自分の愉しみ”なんて自分の思いこみでいいんじゃないかと思います。でも、“自分の愉しみ”があるのとないのとでは大違いだと思います。
4月4日(水)愉しみにする
先の事を「愉しみにする」こと自体がいいんです。その事を愉しむのを想うだけでも、ワクワクしたり「いい(だろう)なぁ」と思えたり、ちょっといい気分になれます。どんなふうに愉しむかをあれこれ考えると、もっと愉しくなってきます。
愉しみにする気もちが残ったままその事を味わえば、無意識の時よりもずっと愉しめます。
私はよく帰り道でハッピー・ウォーキングをしながら、ご飯は何(にしよう)かなぁ、日記に何を書こうかなぁ、うれしいメールや書き込みがあるといいなぁ、お風呂が気もちいいだろうなぁ、風呂上がりの冷えたビールは最高だ、きょうも気もちよく寝られそうだ、などと思います。
特別な事でなくても、これからすることを愉しみにする(自分の中で愉しみに変える)こともできるんです。どうやったら愉しめるか、を考えてみれば何か思いつくこともあると思います。
これからすることが決まっていない時間があるのなら、「何をしようかな?」「何をして愉しもうかな?」と考えればいいわけです。自分の好きな事・やりたい事を考えればいいんです。そういうことを考えるのもけっこう愉しかったりします。思いついたら、その事をどうやって愉しもうか、と考えればさらにいいんです。
自由な時間は愉しみにすることができるはずです。
ちょっとした愉しみで、大したことじゃないかもしれません。でも、「愉しみにしよう」「愉しもう」という気もちになれることが幸せなんじゃないか、と思ったりもします。
4月5日(木)愉しむ工夫
“愉しみ”は工夫することで大きくすることができます。
その事をどうしたらもっと愉しめるかを考え、それを試してみて、いい方法をいろいろ見つけていきます。
私は、ただ外を歩く時にも少しでも愉しめるようにいろいろ工夫しています。
私はビールをおいしく飲むためにも工夫をします。(こればっかり?)
まず、ビールがおいしい時は、風呂上がり(愉しめるタイミングというのもあります)。そして、缶ビールを冷凍室に2・30分入れてキンキンに冷やして飲みます。
もっと最高の時が、バスケットをやった後。練習後には飲み物をガマンして、その時を心待ちにしています。この時のビールをおいしく飲むためにバスケットをやっている、とも言えるくらいです。
大した工夫ではありませんが、それを実践して愉しみが大きくなるのですから、やめられません。
やる必要があることも、できれば愉しめるように工夫できたら、と思います。
仕事でも家事でも、何か愉しみを見つけて工夫できたら、と思います。
“遊び心”のようなものもあったほうがいいと思います。
そうじなどは鼻歌を歌いながらやったほうが愉しかったりします。私は今の仕事は「ゲームだと思って」やっています。
忙しすぎたり疲れすぎたりすると愉しめなくなってしまいます。「力を抜く」ようなことも必要な時があると思います。
ちょうど今は新年度の始まりで新しい仕事や職場に就いてちょっと大変な人もいると思います。仕事・職場のことでくよくよしないというのも大事だと思います。
ちょっとしたことでも、自分なりに工夫をする、というのが愉しみをふくらませてくれるのだと思います。
4月6日(金)愉しむ努力
何かを本当に愉しめるようになるためには、そのための努力を続ける必要がある事もあります。その事をよく知る/研究する/上達する/手間ヒマをかけるなど。
知れば知るほど好きになる、ということがあります。
その事に関する知識や情報が増えれば、それだけ愉しめる要素も増えるのだと思います。そのために本を読んだりホームページで情報を探してみたりするのもけっこう愉しかったりするものです。愉しむためには“好奇心”のような心の元気さも大事だと思います。
また、自分でいろいろ試して、その経験の中から知識や情報を得て、自分なりの愉しむ工夫をしていくことも重要です。自分の愉しみを見つけ、自分なりの工夫をするのがいちばんです。
うまくできるようになればなるほどおもしろくなる、ということもあります。
なんでもやりはじめは、うまくできなかったりとまどうことも多く、なかなか愉しめないものもです。だんだん慣れて、うまくできるようになれば愉しめるようになれます。
慣れないうちにやめてしまっては、その愉しさわかりません。食わず嫌いとか三日坊主ばかりでは愉しいことはなかなか見つからないんじゃないでしょうか。
手間ヒマをかけた分愉しみも大きくなる、ということがあります。
何かを愉しむために、いろいろアイデアを考えたり計画したり準備したりするのは、それ自体もけっこう愉しめると思います。そして、その手間ヒマが多かった分、愉しみも大きくなります。“感動”のような大きい喜びを得るためには、そういうことが必要なんじゃないかと思います。
私のいちばん大きい愉しみは「幸せ探求」です。
そのために、たくさん本を読み、いろいろ考え、自分で試し、工夫を続けています。こういうこと自体が私の愉しみなのですが、(自分の)幸せについてよく知り、幸せになる方法が少しずつ実践できるようになり、このホームページなどにその成果が発表でき、多くの人に読んでいただき、うれしいメールなどをいただくこともよくあり、多くの喜びや愉しみを味わうことができます。夢や目標もあるし、これからも末永くたくさん愉しめそうです。
大きな愉しみを長く続けるためには、愉しむ努力を続けることが必要なんじゃないかと思います。
4月7日(土)飢える
お腹をすかせて食べるとおいしく感じます。
私は、ここ数年は1日2食です。1回の食事も少ないほうです。(それでもやせないのが不思議ですが)
だから、食事の時にはおなかがペコペコなので、いつでもけっこう愉しむことができます。なんでもおいしく感じられます。その美味しさに改めて気づけることもあります。
今の日本では食べ物に飢える経験はなかなかしにくいようです。無理に飢える必要はないのかもしれませんが、たまには1・2食ぐらいは抜いてみるのもいいかもしれません。
一方、心の飢えを感じる人は多いような気がします。退屈だったり楽しくないという人、孤独・寂しさを感じたり愛に飢えている人、やりたいことや夢や目標が見つからないという人、生きがいや生きる目的がないという人、・・・。
たまたま飢えてしまった時には、その大切さを再認識できる時なのかもしれません。今度それを得た時には大切にしてたくさん愉しもう、と考えられたらと思います。
失ってからその大切さに気づくことがありますが、だったらその前に、今あるものの価値を知ることができたほうがいいはずです。
今していること・今持っているもの・今まわりにいる人が、「もしできなかったら?」「もしなかったら?」「もしいなかったら?」などと想像してみるだけでも、その大切に気づくことができそうです。
ふだん当たり前と無意識に思っていることでも、それが大切な事やありがたい事だと気づくことができれば、それを「愉しもう、そのためには?」と考えることで愉しめると思います。それに気づき、より愉しむためにも、たまには“飢えて”みるのもいいのかもしれません。
4月8日(日)人生を愉しむには
もう15年ぐらい前だと思うのですが、「クラブ紳助」という深夜番組で島田紳助さんと秋元康さんが、人生を「すごろく」に例えて話をしていました。盤を持ってきてサイコロを振らなければ始まらない、サイコロの目はどうでるかわからない。そして、ゲームオーバーになったらまた次の盤を持ってきてつなげればいい、というような話でした。
その話がずっと印象に残っていて、私もサイコロを振り続けたいな、ゲームオーバーになったら次のゲームを始めればいい、のように考えることがあります。最近はそれに加えて、ゲームは結果よりも愉しむことが大事なんだ、と考えます。
島田紳助さんと秋元康さんは確か私と同じ昭和31年生まれだと思います。ふたりともどんどんいろんなことをやり、ともに人生を愉しむ達人だと思います。私ももっと人生を愉しめたら、と思います。少なくとも日々幸せを感じることだけはふたりにも負けないようにしたいと思います。
などと言っても、波瀾万丈のようなすごく変わった生き方をしたほうがいいなどと言うつもりはありません。そもそも生き方はいろいろあっても、日々の生活はそんなに変わらないんじゃないかと思うのです。起きて、ご飯を食べて、仕事(家事・育児/勉強)をして、風呂に入って、寝る。これらは社長だろうと大金持ちだろうと有名人だろうとみんないっしょです。個々に内容は違っていても、生活の中の1つ1つを愉しめているかどうかはまた別のような気がします。
人生を愉しむためには、自分がやりたいことをやる、のがいちばんだと思います。
「やりたいことがない」「(1つの)やりたいことができない」などと何もしないより、自分が今やれるやりたいことを探せばいい、と思うのですが・・・。
小さいやりたいことをとりあえず1回やってみる、ことから始めればいい。それを1つ1つやっていけば、だんだんやりたいことができるようになると思います。
小さいことでも、やりたいことをやって愉しもう、とする心のあり方が人生を愉しむ秘訣かもしれません。
人生をゲームのように考えられたら、ずいぶん気ラクに愉しめるような気がしませんか? 気ラクに生きても気難しく考えて生きても大して変わらないんじゃないか、などと思ったりもします。
4月9日(月)今を愉しむ
「愉しむ」キーワードは、「今」だと思います。
今愉しめるものを味わう、今愉しめることをする、
今持っているものを使って愉しむ、今まわりにいる人と関わって愉しむ、
今の季節を愉しむ、今の年代を愉しむ、今の時代を愉しむ、
今この場/ポジション/境遇/環境/社会の中で愉しむ、
今できるやりたいことをやる、今の人生を愉しむ、・・・。
先の事を愉しみにするのもいいと思うのですが、そのために今は愉しめない、というのではどうかと思います。先の愉しみもあって今もそれなりに愉しめる、ってそんなに難しいことじゃないと思います。先の愉しみを想う時間・そのために何かをやる時間と、今を愉しむ時間を両方持てばいいのですから。
「今愉しめるものは?」と考えてみると、現実的な愉しみを見つけるきっかけになると思います。その時々にきっと何かあるはずです。それでちょっとの時間でも愉しい思いができればいいんです。それをいくつかつなげられれば、もっといいし。
少しでも愉しい思いができる時間があれば、大きな先の愉しみのために頑張れる力も湧いてくるのではないでしょうか。
「今を愉しもう」という気もちになる時間が、もっとあっていいような気がします。
4月10日(火)自育の愉しみ&ご報告
前進や上達や成長の「愉しみ」について書こうかと思っていたのですが、どちらかというと「喜び」のような気がしてしまいました。
「愉しむ」と「よろこぶ」の違いは?
では、「愉しみ」と「よろこび」と「幸せ」の違いは?
などと考えてしまいましたが、「愉しみ」も「よろこび」も「幸せ」の一種でしょう、ぐらいでハオハオとしておきましょう。
要は、前進とか上達とか成長にも大きな「愉しみ」や「よろこび」がある、ということです。「自育の愉しみ」なんていうのもあると思います。もっと愉しめるようになるのも自育の一部ですし。
話は変わりますが、7月から幸せのホームページ作りに復帰します。宣言してから1年たってしまいましたが、確定しました。今の仕事を6月いっぱいでやめることになりました。
しばらく(少なくとも3年?)はやりたいことを中心に生活しようと思っています。
このホームページでやりたいこともいろいろあります。
何冊か書きたい本もあります。
今年のテーマ「自分を育てる」こともいくつかやってみようと思います。
そして、何よりも目いっぱい愉しみたい、と思っています。
ということですので、これからもよろしくおつきあいを。乞う、ご期待!