(前略)言葉の量ではなくて、うれしさを自然に相手に伝えることは大事なことです。『幸せになる方法』には、「幸せを素直に表現する」ということを書きました。少しでも幸せを感じたら、それを素直に表現することで幸福感をより感じられる、ということです。
そのための第一条件は、まず、よろこぶ、という心のありようではないでしょうか。本当によろこんでいれば、それはおのずと外に表れるものです。本当の気持は隠しても隠しようがありません。
以前、一日に一回よろこぼう、と考えたことがありました。ちょうど男の更年期にあたる時期で、毎日がとてもしんどく感じられた頃のことです。一日に一回、どんなことがあってもよろこぶ。そう決心しました。そして、それを手帖に書くことにきめました。そのために新しい日付入りの手帖を買い込んだのです。ベストセラー作家の「五木寛之」さんほどの方が、このような努力をされたということがすごいことだと思います。それも今の私の歳を越えてからです。
こんなふうに、その気になってよろこぼうと身構えていますと、よろこびはおのずからやってくる感じがある。よろこびたい心の触手を大きくひろげて待ちかまえていることが大事なんですね。すると、いつの間にか手帖に書ききれないほどいいことがどんどんみつかるようになってきました。「幸せを感じたい」と心のアンテナをはって(意識して)いれば、だんだんアンテナの感度が高まってくるんですね。自分の幸せに気づく能力が向上するのだと思います。
よろこぶ、というのも一つの習慣じゃないでしょうか。それに習熟することが必要な気がするのです。ハオハオ、本当にそう思います。慣れること、熟達すること、それが無意識にできるようになることが重要なんだと思います。
〈よろこび上手〉には、生まれながらの素質というのもある。家庭の家風もあるだろうし、本人の性格もあります。しかし、人は多少なりとも慣れることができる。うれしいことがたくさんあり、よろこぶ回数が多くなればなるほど、やがて〈よろこび上手〉に変わらないともかぎりません。幸せを感じる回数と時間が増え、幸せを確かに実感できるようになればなるほど、〈しあわせ上手〉になれるのだと思います。
私たちは、自分がよろこぶことを知ったうえで、自分の体を、そして自分の魂をもよろこばせることを学べるのではないか。人をよろこばすこと・幸せにすることは、自分の大きな喜びであり幸せです。
さらに、自分以外の外の世界を、他人を、他の生命体を、どうにかしてよろこばせることができたらどんなにいいだろうと思わずにはいられません。
私たちは、まず自己を肯定するところから出発したほうがいいようです。自己を肯定し、自己を認めてやり、自己をはげまし、よろこばせること。それが必要ではないか。自分を肯定することはなかなか難しいかもしれません。問題のあるところは(現状は現状として「ハオハオ」と)受け入れ、自分にあるものを(「好好」と)よろこび、「今の自分はそれなりにいいんじゃないか」くらいに考え、つらい時には「そのままでいいよ」のように自分に言ってあげられたら、と思います。そのためにはまず、「自分を好きになる」ことからかもしれません。
私たちは、知的に充実すればするほど、大きな悲しみをあじわうことになりかねません。南北問題、中東の現状、地球環境の悪化、などという大きな事柄から、小さな個人的な出来事まで、日々は悩みと悲しみの連続です。老い、病気、愛と憎しみ、別れ、差別、孤独。そして、死。「生きていること」。もしかしたらこれが究極の幸せの1つなのかもしれません。誰もが持っている幸せです。ただ、これを幸せと思えない人も多いと思います。
しかし、それにもかかわらず私たちは生きている。これからも生きていこうとしている。この点で生きている人間は、すべてが許されるのではないかと考えます。
「よく生きてきたね」
と、私たちは自分にむかって言ってやる必要があると思うのです。
シェークスピアの芝居の登場人物は言います。なにが生きていくうえの支えになるのでしょうか?
「人はみな泣きながら生まれてくる」
そんな人間にとって、なにが生きていくうえの支えになるのでしょうか。理想か。それとも、信念か。それとも絶対者への信仰なのか。
どれも立派なことです。それらによって支えられる人生には、手ごたえがあり、輝きがある。
しかし、ごく普通の人間にとって、終始かわらぬ確信に支えられる人生というものは、手のとどかない高い所にあるような感じがすることも事実です。
だからこそ、日々の小さな、どうでもいいような、つつましいよろこびが大事なのだと思うのです。
私たちは、よろこびをもって生きたい。それを待っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい。最近、ビートたけしさんがCMの中で、「幸せは歩いてこない」と言っていますね。そこで、私が思い出してしまうのが、
要は、積極的によろこぼう、という姿勢がまず第一歩のような気がするのですね。
〈よろこび上手〉こそ苦しい世に生きていく知恵なのだ、とぼくは自分の体験から思うのです。やはり体験してみないと、その本当の価値はわからないのかもしれません。
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