読書ノート 「生きるヒント」

                 五木寛之・文化出版局/角川文庫

1章 歓ぶ
2章 惑う
3章 悲む
4章 買う
5章 喋る
6章 飾る
7章 知る
9章 働く
10章 歌う
11章 笑う
12章 想う

「生きるヒント2」(五木寛之/文化出版局・角川文庫)
「生きるヒント3」(五木寛之/文化出版局・角川文庫)
「生きるヒント4」(五木寛之/文化出版局・角川文庫)
「生きるヒント5」(五木寛之/文化出版局・角川文庫)

「人生の目的」(五木寛之/幻冬舎)
「大河の一滴」(五木寛之/幻冬舎)


生きるヒント―
自分の人生を愛するための12章
(amazon.co.jp)



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幸せ雑記

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1章 歓ぶ
 <よろこび上手>とは、表現のテクニックではない。よろこぶ、という一点において上手か下手かということです。

 その気になってよろこぼうと身構えていますと、よろこびはおのずからやってくる感じがある。よろこびたい心の触手を大きくひろげて待ちかまえていることが大事なんですね。すると、いつの間にか手帖に書ききれないほどいいことがどんどんみつかるようになってきました。

 よろこぶ、というのも一つの習慣なんじゃないでしょうか。それに習熟することが必要な気がするのです。
 努力してよろこんでいるうちに、やがてなんでもうれしい感じになってくる。アホとちがうか、と人に思われてもいいのです。うれしがりの人生のほうが、周囲にとってもありがたいのですから。

 要は、積極的によろこぼう、という姿勢がまず第一歩のような気がするのですね。

 私たちは、自分がよろこぶことを知ったうえで、自分の体を、そして自分の頭をもよろこばせることを学べるのではないか。
 さらに、自分以外の外の世界を、他人を、他の生命体を、どうにかしてよろこばせることができたらどんなにいいだろうと思わずにはいられません。

 まず、<よろこばせ上手>は、自らをよろこばせることからはじめたほうがよさそうです。

 私たちは、よろこびをもって生きたい。それを待っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。
 どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい。<よろこび上手>こそ苦しい世に生きていく知恵なのだ、とぼくは自分の体験から思うのです。
 何も言うことはありません。
 "よろこび"を"幸せ"に変えて、読み直してみることをおすすめします。
 よろこびは、幸せの一種です。もしかしたら、"よろこび"は"幸せ"の別の呼び方かもしれません。

 
2章 惑う(まどう)

 五木さんは書き連ねています。ニューヨーク、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、中東、アジア、日本が惑っている。宗教、科学、医学も惑っている。その中で人は惑う。

 どれを選択しようか惑う。どうしようか惑う。進路について惑う。自分の生き方に惑う。
 こんな使い方でいいのでしょうか。私は、"惑う"という言葉を使ったことがなかったので。

 "惑う"を辞書でひいたら、「どうしていいかわからないで困る」とありました。"困る"というニュアンスがあるようです。似ているのが、"悩む"ではないかと思います。

 私は、悩むのではなく、幸せになる考え方をしようと心がけています。
 苦しくなるまで考えすぎないように。否定的な考えばかりしないように。幸せになる考えを選択できるように。
 "惑う"に関して、幸せになる考え方の1つの例は、
  「○○もよし、□□もよし」です。

 五木さんも、こう書いています。
「惑い自身を楽しむような感じで、惑いの中に、喜びなり生きがいを見つけていけばいいのではないかと思います」
「惑うというのは、実は、人間に与えられたすごい能力の1つなのではないかと思います。惑っている人間にしか見えない大事なものがあるにちがいない」

 幸せになる考え方ができることも、幸せになる能力の1つです。物事をよく考えて、幸せになる考え方を心がけ続ければ、少しずつできるようになれます。
 そのためのヒントを、これからもこのホームページの中で提供していけたらいいな、と思っています。

 誰にでも考えるべき問題があります。答えがすぐに出ないことも多い。
 惑ったり・悩んだりするより、もう少し上手に考えよう。幸せになる考え方を心がけよう。幸せに暮らしながら、その中で問題を1つ1つうまく考えられるようになれたら、と思います。

 
3章 悲む

「ぼくは、深く悲しむものこそ本当のよろこびに出あうものだと思います。暗さのどん底におりてゆく人間こそ、明るい希望に出あえるのではないか」

 
4章 買う

「一時、シンプルライフという言葉がはやったことがありました。できるだけ簡素な、物にとらわれない暮らしをしようというその気持ちはわかるのですが、やはりそれだけではなにか物足りない気分になります」

 私も同感です。
 買うというと"物"を思いがちですが、それだけではありません。サービスを買うこともあります。経験を買うと言えるようなこともあります。考え方によっては、時間やスペース(場所・空間)を買うと言えそうなこともあります。

 ところで、幸せを買うことはできるのでしょうか?
 直接は買えません。
 何かを買うことで、幸せを感じることはあります。

 何かを買うこと自体が喜びでもあるのですが、本来は手に入れた物を使ったり、味わったりして、喜びや幸せを感じるのが目的なのだと思います。

 五木さんも、こう書いています。
「ぼくらは物を買うことを心から楽しまなくては損をします。お金を損するのではなく、心を損するのです」

 食べるものを買ったらよく味わう。着る物を買ったら喜んで着る。お金を払って遊ぶ時には大いに楽しむ。お金を払って何かを勉強する時には多くを学ぶ。買った物はよりよく生活するために使う。
 もう少し自分の幸せのためのお金の使い方を考えたほうがいいのかもしれません。

 あなたは、自分の幸せのために、お金を使っていますか?
 お金を使った時には、できれば幸せを感じましょう。

 
5章 喋る

「<喋る>ということは、人間としての意志を持つことであり、自己表現することであり、感情を他人に伝えようとすることであり、非常に大事なことなのではないでしょうか」

 喋る・声を出す・思いを口にする・自分を表現することは、何かしらの発散になる。

 言葉に出すことで、自分の考えを明確にすることができる。喋りながら考えを進めたり、考えを整理することができる。

 自分が発する言葉の内容によって、自分の気持ちが変わる。それは、口には出さない心の中の言葉も同様。自分が使う言葉を幸せなものに変えることができれば、もっと幸せになれると思う。

 人は、自分をもっとよく知るために、もっと喋ることを(心の中の明確な思考、書くことも含めて)したほうがいい。それをもう一度素直な心で聞いてみて、考え直してみるといい。どういう言葉・考えが自分の幸せにつながるだろうかと。

「喋ることによって人間は成長するのです」

 
6章 飾る

「飾るといえば、化粧以上に大切なのが微笑することでしょう」
「上手に飾ること、本当の心で飾ること、情熱と技術をもって飾ること」

 
7章 知る

「それまで知らなかったことを知ったときの歓びというのは、たとえようもありません」
「ときどき、このことを知るため自分は生まれてきたのではなかろうか、とまで思うことがあるのです」

 私も知る歓びは大好きです。単に知識を得たという"知る"とは違う、「わかった」「気づいた」「出会った」のような"知る"歓びは大きいようです。

 自分の幸せをたくさん知る、ということが大事なのではないでしょうか。

 
9章 働く

「何もかもひとまとめにして、日本人よ、働くな、というのは、やっぱり変です。人間は遊ぶ存在であり、楽しむ存在であることはまちがいありません。しかし、そのほかに、働くことの中に喜びを見いだすという思想もあるのです」

 "喜びを見いだす"という表現に惹かれます。

「すべての生物は働きながら生きている」
「私たちは遊んでいるように見えても、じつは働いているのです。生存ということがすでに激しい戦いであり、労働なのです。そのこと自体を否定するわけにはいきません」

 生きることの中で、私たちの身体は働いています。そして、私たちの心も働いています。
 幸せになるには、"心の働き"が大きいと思います。例えば、自分が本当にやりたいことに気づくこと、幸せになる考え方を心がけること、自分の幸せを知り・それを求めること、など。

 
10章 歌う
 歌うことは、ストレス発散になる。自然に腹式呼吸ができる。うたうことに集中すれば、イヤなことも忘れられ、気もちよくもなれる。
 歌うことは、気分転換になる。メロディは心の中のイメージを変え、いい歌詞は心に響き、気分をよくしてくれる。

 私は歩きながらよく(鼻)歌をうたいます。気もちよくうたえる歌、どういう気分になりたい時にはこの歌、のようなレパートーがたくさんあるといい。
 歌うことは、簡単で効果のある小さな幸せになる方法だと思います。

 
11章 笑う

「今の若い人たちには、人を笑わせること、そして自分も笑うこと、そのことをアメリカ流に必死に追い求めているような傾向が強くみられるようになりました。
 そして、静かに微笑むこと、そして穏やかに笑うことが忘れられつつあるようです」

 笑う時と微笑む時は違う場面のような気がします。
 人を笑わせることも、自分が大いに笑うことも、いいことだと思います。
 微笑みの似合っている人って、いいですよね。

 ちなみに最近の私は微笑みが多いようです。年賀状にそう書いてくれた人がいました。私の場合、「ハオハオ」と微笑みがセットになっています。心の中で「ハオハオ」と言いながら少し微笑んでいるような。

「林達夫さんは、『笑い』の解説の中で、
『笑いは、生の躍動 − 本来、人間の前進と突破と解放とにどこかでつながり、生の充溢、生のエネルギーの発散を旨とする』
 ものだと言っています」

 笑うことは、心と身体の健康と幸せに、いいように思います。
 1日に少なくとも1回は、笑うように心がけたいものです。
ハッハッハ・・・

 
12章 想う
「人生に希望はあるのか」
「人生に価値はあるのか」
 いつかは必ずそういう質問を自分が自分に聞かなければならないときが人間、誰にも一回は必ずくるんです。ぼくの考えでは、できるだけ早くからそういう問答を自分の中でくり返しながら生きたほうが人間は幸せであると思っています。

 生存していること、この世の中に存在していること、このことで人間は尊敬されなければならないし、すべての人は自分を肯定できる。人は己の人生をそのまま肯定しなければならない。余力があれば、世のため、人のためにも働けるにちがいない。いまはただ、生きて、こうして暮らしていることだけでも、自分を認めてやろうではないか、と。そこから、本当の希望のある、前向きな人生観が生まれてくるのではないでしょうか。そんなふうに今、ぼくは人生というものを受けとめているところです。
 何も言うことはありません。さすが、という感じです。
 私も、人生に関する問答を自分の中でくり返しながら、幸せに生きていこうと思っています。その時々の幸せを感じ、希望を持ち、夢を持って、人の幸せを考え、いい経験を積み重ねていきたいと思っています。


著者からのメッセージ(あとがき)より
 ぼくは生きていることが好きです。かつてはそうでない時期もありました。自殺を考えたことも、ないわけではありません。
 しかし、そんななかでぼくを支えてくれたのは、暮らしのなかでの本当にちょっとした歓びでした。それをなんとか身近なところで見つけようとふと思いたったときから、それが少しずつ見えるようになってきたのです。
 小さな幸せが大切だと思います。小さな幸せを大事にできる人は、中くらいの幸せも大きな幸せも、より大事にできるのではないでしょうか。

 私は、「生きるヒント」からいろいろなことを学べます。
 新たな視点、ものの考え方、エッセイの書き方、言葉使い、スタンス(考える立場)のとり方、等々。そして、生きるヒント。
 ここにあらためて、五木寛之さんに敬意と感謝の意を表したいと思います。



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