『生きるヒント― 自分の人生を愛するための12章』(amazon.co.jp) 「本のページ」 幸せ雑記 ホームページ |
<よろこび上手>とは、表現のテクニックではない。よろこぶ、という一点において上手か下手かということです。何も言うことはありません。
その気になってよろこぼうと身構えていますと、よろこびはおのずからやってくる感じがある。よろこびたい心の触手を大きくひろげて待ちかまえていることが大事なんですね。すると、いつの間にか手帖に書ききれないほどいいことがどんどんみつかるようになってきました。
よろこぶ、というのも一つの習慣なんじゃないでしょうか。それに習熟することが必要な気がするのです。
努力してよろこんでいるうちに、やがてなんでもうれしい感じになってくる。アホとちがうか、と人に思われてもいいのです。うれしがりの人生のほうが、周囲にとってもありがたいのですから。
要は、積極的によろこぼう、という姿勢がまず第一歩のような気がするのですね。
私たちは、自分がよろこぶことを知ったうえで、自分の体を、そして自分の頭をもよろこばせることを学べるのではないか。
さらに、自分以外の外の世界を、他人を、他の生命体を、どうにかしてよろこばせることができたらどんなにいいだろうと思わずにはいられません。
まず、<よろこばせ上手>は、自らをよろこばせることからはじめたほうがよさそうです。
私たちは、よろこびをもって生きたい。それを待っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。
どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい。<よろこび上手>こそ苦しい世に生きていく知恵なのだ、とぼくは自分の体験から思うのです。
「人生に希望はあるのか」何も言うことはありません。さすが、という感じです。
「人生に価値はあるのか」
いつかは必ずそういう質問を自分が自分に聞かなければならないときが人間、誰にも一回は必ずくるんです。ぼくの考えでは、できるだけ早くからそういう問答を自分の中でくり返しながら生きたほうが人間は幸せであると思っています。
生存していること、この世の中に存在していること、このことで人間は尊敬されなければならないし、すべての人は自分を肯定できる。人は己の人生をそのまま肯定しなければならない。余力があれば、世のため、人のためにも働けるにちがいない。いまはただ、生きて、こうして暮らしていることだけでも、自分を認めてやろうではないか、と。そこから、本当の希望のある、前向きな人生観が生まれてくるのではないでしょうか。そんなふうに今、ぼくは人生というものを受けとめているところです。
ぼくは生きていることが好きです。かつてはそうでない時期もありました。自殺を考えたことも、ないわけではありません。小さな幸せが大切だと思います。小さな幸せを大事にできる人は、中くらいの幸せも大きな幸せも、より大事にできるのではないでしょうか。
しかし、そんななかでぼくを支えてくれたのは、暮らしのなかでの本当にちょっとした歓びでした。それをなんとか身近なところで見つけようとふと思いたったときから、それが少しずつ見えるようになってきたのです。