しあわせ日記

5月21日(日)損
 「かーるいテツガクでもしてみようか」と考えたのですが、「さて、何を考えよう?」ということで、ヒントを探していたら、本を見つけました。
 「生きるヒント」(五木寛之)はすでに読書ノートで書いていたので、「生きるヒント2」をヒントにさせていただくことにしました。

 さっそく「1章 損する」から。
 五木さんは、ご自分の欠点として「筆不精」を挙げています。そして、
 この筆不精というやつは、長い年月にわたって計り知れないほどの損失を人にあたえるものです。
 と書かれています。

 私も筆不精ですが、損をしているとは考えません。
 五木さんもこう書いています。
 努力しても直らない欠点は、たぶんその人の最良の部分に根ざしているのではないかとぼくは思います。そのことで現在は損をしていると思われるかもしれません。しかし古い諺をもじって言えば、「損得はあざなえる縄のごとし」という見方も成り立ちます。世間的な損が、ひょっとしたら大きな得に背中合わせにつながっているのかもしれません。
 うーん、さすが、という感じですね。
 五木さんは、私の目標とする人の1人です。

 「損」と言えば、私がよく使うのは「こんな××のためにイヤな気分になるのは損だ」という考え方です。

ぜんぜん自分でテツガクしてない!   ハオハオ



5月22日(月)励ます
 『生きるヒント2』の2章は「励ます」です。
 「がんばれ!」という表現は、じつはものすごく大きな問題をはらんだ行為なのではないでしょうか。
 と五木さんは書いています。

 実際に、人から「がんばれ!」って言われても、つらいだけの時や、言った相手に腹が立ってしまうことがあります。
 それは時と場合と事柄によるのですが、誰が言ったかや、その言い方によっても感じ方がずいぶん違うことがあります。

 でも、自分にとってイヤな「がんばれ!」を言った人は、無神経かもしれませんが、悪意はないと思います。もちろん自分がイヤな気もちになってしまったことはしかたがありません。イヤな気もちになっても、(後からでも)相手の善意だけは受け取れたら、と思います。

 私はよく「これからも頑張ってください」というメールをいただきます。とてもうれしく思います。でも素直でない私は、「マイペースで続けていきます」などと返事を書いてしまいます。

 励まされても困る時があります。励まされたい時もあります。
 それがいちばんよくわかるのは自分のはずです(ただし、それが自分でわかるようになることは難しいのかもしれません)。
 私は、「今誰かが励ましてくれたらな」「今励ましてくれる人がいたらいいな」という心の中の思いに気づくことがあります。「励ます」が「ほめる」の場合もあります。そういう時に最近の私は、自分を励ましたりほめたりします。ご褒美をあげることもあります。
 また、心の中で「頑張ろう!」ってかけ声を出すこともあります。

 自分の心の中で、「頑張ろう!」と「まぁいいか(ハオハオ)」をうまく使い分けられたら、と思います。



5月23日(火)感じる
 『生きるヒント2』の3章は、「感じる」です。

 私は、「感じる」ことをいちばん大切にしています。
 いくら幸せ(の対象)を持っていても幸せを感じられなくては、価値がないとまでは言いませんが、すごくもったいないと思います。すごくいい家に住んでいる人や、すごい成功をした人や、すごいことを成し遂げた人や、すごくいい旦那さん/奥さんがいる人や、すごく素敵な彼氏/彼女がいる人などのすごく幸せそうな人が、もし幸せを感じていない、もし不幸を感じてばかりいるとしたら、すごくもったいないと思いませんか?
 本当は誰でも幸せをいっぱい持っています。それを感じないのはもったいないと思います。

 不幸を感じることもあります。不幸を感じるのは、何かがよくありませんよ、っていう信号じゃないでしょうか。それが、幸せになるきっかけにもヒントにもなり得ると思います。少なくとも不幸に陥らないための注意信号にはなります。それに早めに気づいて方向を変えることができます。

 私は元来、不幸を感じやすいほうです。だから、こんなに幸せについて考えるようになったのでしょう。そのおかげでだいぶ幸せに暮らせるようになりました。今でもイヤな感じになるこはよくあります。でも、ほとんど軽く受け流すことができます。ちょっと重いものは、最近では「考えるヒント」になります。自分を育てるいい材料になる、と考えてしまいます。

 幸せには敏感で不幸には鈍感なほうがいいと思います。でも、不幸に敏感な人は、人より幸せになるチャンスやヒントがある、と考えたほうがいいのではないでしょうか。
 「幸せを感じる」ことが大切だとわかっている人には、私の「幸せになる方法」やその実践講座能力養成講座もある程度はわかっていただけるのではないかと思います。



5月24日(水)なるようになる
 『生きるヒント2』の4章は、「任せる」です。
 努力したから、その分だけむくわれて当然だという理屈は、ないんじゃないかとぼくは思います。人生とは、思うにまかせぬものなのです。その気になって頑張っても、できないことはできない。
 なにかが働いているのです。自分の力をこえた、目に見えないなにかが。
 それを神秘的な力のようには、ぼくは思いません。そうではなくて、一人の人間の能力をこえた、なにか大きな流れのようなもの。
 生命のリズムのようなもの。
 それにまかせるという感覚を、ぼくは少しずつ開発してゆきたいと思っています。
 「運を天にまかせる」の「まかせる」のようなことでしょうか。

 私は最近、「なるようになる」という言葉が好きでよく使います。「今は幸せ。将来はなるようになる。私には夢がある。みんなが幸せになれたらいいな。すべてのことはいい経験」という、1日の中で数回は使う幸せになる呪文の中にも入っています。

 「なるようになる」はけして投げやりでも神頼みでもありません。
 やらなければ得られないものがあり、多くのことは努力すればそれだけ可能性が高くなります。それなりになる、ということです。
 やるだけやったら後は「なるようになる」。結果はどうでもその時々に、いいと思うことでやれることをやればいい。
 頑張ってもうまくいかなくいこともあるけど、つらい時は限られていて、忘れて生活できる時がきっときます。それがいい経験やきっかけになることだってあります。
 結局、「なるようになる」のだと思います。

 先のことをあれこれ心配しずきて悩み苦しんだり、悪い結果を想像してビクビクするよりも、「なるようになる」と思ってしまったほうがずっとラクだ、ということです。
 人生いろんなことがあります。どんな結果もハオハオと受け入れてその時々に幸せになる考え方をしよう、という覚悟さえあれば、「なるようになる」でいいのではないでしょうか。その分、今を大切にできると思います。



5月25日(木) 夢 
 『生きるヒント2』の5章は、「乱れる」です。「規則正しい生活をする」ことについてですが、パスすることにします。私の関連ページとしては、正しい生活をするでしょうか。

 『生きるヒント2』の6章は、「夢見る」です。
 人生における夢というものは、必ずしも期待したとおりにはいかないものです。むしろ夢の何分の一かでも実現できたならラッキーだ、と思っていいのかもしれません。

 夢は必ずしも実現しなくてもいいのです。むしろ夢は夢にとどまるからこそ、意味があるのかもしれません。

 夢見ることは、人間にとって大事なことです。心にも大事だし、体にとっても大事なのではないでしょうか。
 そのことを考えると幸せの予感を感じられるのが「自分の夢」だと思います。だから、夢を持って生きること自体が幸せなのだと思います。「夢があるから」と幸せを感じることができます。

 「夢」をもっと広く「将来の幸せ」と考えると、夢には大きな夢から小さな夢までいろいろあって、幸せになる活動は夢見ることから始まるのだと思います。夢見ること・将来の幸せを発想できることはとっても大切なことではないでしょうか。

 私はよく「○○たらいいな。では、どうしたら?」という考え方をします。
 いっぱい「○○たらいいな」と想えば、そのうちのいくつかは実現できると思います。「夢の何分の一かでも実現できたならとても幸せだ」と思います。



5月26日(金)青い鳥
 『生きるヒント2』の7章は、「忘れる」ですが、パスすることにします。関連ページとしては、忘却力でしょうか。

 『生きるヒント2』の8章は、「教える」です。この中には“青い鳥”について書かれています。

 『青い鳥』はベルギーの作家メーテルリンクが書いたお芝居の台本だそうです。
 チルチルとミチルという兄妹が、どんな幸せでも実現できる青い鳥を探して長い旅に出るが、見つからずに家に帰ってくると、部屋にあった籠の中の鳥が変身して“青い鳥”になる。でも最後は、青い鳥は飛び去ってしまう。
 ということだそうです。五木さんは、「飛び去る」という結末に驚き、メーテルリンクが教えたかったことについて考えています。

 私も“青い鳥”(が飛び去ってしまうこと)について考えてみました。(結末はバレてる?)
 ご存知のとおり、“青い鳥”は“幸せ”の象徴です。
 ほとんどの幸せ(の対象)はいつかは失われてしまうものです。“青い鳥”が幸福感だとしたら、いずれ去ってしまいます。だからと言って悲嘆することはありません。いろんな青い鳥が星の数ほどいるし、同じ青い鳥が何度も遊びに来てくれることもあります。
 何でも叶えてくれる魔法の“青い鳥”を求める人がいます。「これさえ手に入れば」「すぐに」「すごく」「永遠に」幸せになれる、そういう幻の“青い鳥”からは解き放たれたほうがいいように思います。そういう意味で、魔法の青い鳥が飛び去って「自由になる」なんて考え方もいいのではないでしょうか。

 そして最後に、私は
 「幸せに暮らす習慣こそ、本当の“青い鳥”ではないか」と思います。



5月27日(土)まずハオハオから
 『生きるヒント2』の9章は、「認める」です。
 私たちは、人間にとって自由になることとならないことがある、ということを受け入れなければなりません。

 私たちは人間が不自由な存在であることを認めざるを得ないのです。

 私たちは人生をあるがままに受け入れなければならない。

 私たちはまず認めることから出発しなければならない。
 人生なかなか思うようにはなりません。
 そういう時に、「信じられない」「なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ」「許せない」「××が悪い」「自分はダメだ」「なんて自分は不幸なんだろう」などと考えるのと、「こういうこともある」「世の中にはこういう人もいる」「現実は現実」「しょうがない」「まぁいいか」のように考えるのでは、心の中はずいぶん違うと思います。

 なんでも思うようになってしまうとしたら、それも問題があるような気がします。幸せってなくなっちゃうんじゃないか、なんて思います。
 そもそもすべての人の思い通りになるなんてことは、どんな神様でもできっこありません。

 「認める」というと、「それが正しい」と認めるのようなイメージがあります。
 「受け入れる」のほうがイメージしやすいと思います。
 私の場合には「ハオハオ」です。

 なかなか思うようにならない人生を、幸せに暮らすためには、まず現実を受け入れることだと思います。現実を嘆いたり不満を抱いているだけでは、イヤな気分になるだけで、何も変わりません。
 まず「ハオハオ」から始まるのだと思います。



5月28日(日)出会い
 『生きるヒント2』の10章は、「属する」ですが、パスすることにします。
 『生きるヒント2』の11章は、「出会う」です。
 私たちは出会い、別れ、そして出会い、また別れ、ふたたび出会いながら、小さな生命の火を絶えることなく受け継いでゆく。そんなイメージを思い描くことが、ぼくはとても好きです。
 幸福感も出会いと別れの繰り返しです。いろんな幸せとたくさん出会えたら、と思います。

 幸せとの出会いを求めて行動することも大事だと思います。
 あなたがこのホームページとの出会ったのも、何かしらの行動をしたからだと思います。

 誰にでも出会いはいっぱいあるのだと思います。その出会いを大切にして育てることで“いい出会い”になるのだと思います。
 「いい出会いがない」と嘆く人は、出会いを求めて行動していないか、出会いを大切にしないかのいずれかではないか、と思います。

 私は、小さい幸せから大きい幸せまで、いろんな幸せをたくさん感じられたら、と思っています。1つの幸せとは別れがありますが、次から次へと幸せとの出会いをつないでいくことができれば、いいわけです。それが幸せに暮らす方法ではないかと思っています。



5月29日(月)愛する
 『生きるヒント2』の12章は、「愛する」です。この章は「親孝行」の話から始まって、次のように終わっています。
 いずれにせよ、〈愛する〉ことは自分の勝手、と、心に言いきかせておく謙虚さが大事な気がするのですが、どうでしょうか。〈親孝行〉もまた、要求するものではなさそうです。
 私は、幸せになる方法としての〈愛する〉は、「人を幸せにする」ことだと考えています。そのポイントは、人を幸せにする幸せを感じられるかどうか、だと思っています。そして大きいのは、幸せにしたい人がいるかどうか、ではないかと思います。

 〈愛する〉と言うと、多くの人は男女の恋愛を想像すると思います。でも『生きるヒント』の中にも、このホームページの中にも恋愛についてはほとんど出てきません。恋愛は、十組十色、互いがよければどんな形でもいい、正解はない、のようによく言われます。私も、恋愛の問題はいくら考えてもわからない、というのが正直なところです。ましてや私の苦手なかけ引きのようなものが入ったらそれこそお手上げです。それでも、愛することで重要なことはヒントになると思います。

 〈愛する〉ということが、血縁のなかにとどまっているだけでは、それほどすばらしいことだとは思えない、そのことを言いたくて遠回りしてしまいました。
 私は、どうしたら多くの人の幸せに役立てるか?、などと本気で考えます。多くの人を幸せにすることができたらそれだけ自分が幸せになれる、と考えるからです。
 私は、幸せになるためには「自分を育てる(幸せになる能力を向上させる)」ことだと考えています。ということは、人を幸せにするためには、人が育つ手助けができればいいのではないか、などと最近考えています。それがこれからの私の大きな課題の1つだと思います。

 もう1つ、〈親孝行〉については、
   「いちばんの親孝行は、自分が幸せに暮らすことではないか」
 などと勝手なことを考えて、私は自分のやりたいことばかりやっています。



5月30日(火)自分がいちばん大切
 『生きるヒント2』(角川文庫)の巻末には、「著者からのメッセージ」があります。
 人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。そして、そのことをほんとうに自覚した人間だけが、自然なかたちで他人を大切に思うことができる。
 口で言えば簡単ですが、なんとなくそう思うのです。
 最初の『生きるヒント』でも、この『2』でも、ぼくが語っていることは一つのことです。同じ歌を口ずさんでいるにすぎません。
 正直に「自分がいちばん大切」って思っていいんですね。そしたら、もっと自分を幸せにすることを考えられるような気がします。

 今の自分を大切にしたほうがいいと思います。今の自分が苦しんだりイヤな思いをしていたら、そのままにほうっておかないで、いちばん大切な自分を助けてあげるべきです。
 将来のためだから、と言って今をつらいだけにしてしまうのもよくないと思います。少しずつでも幸せを感じられる時間を持つようにしたほうが、頑張る時には頑張れるのではないでしょうか。

 将来の自分も大切にしたほうがいいと思います。一時の感情や悪い考えに流されて、将来の自分を損なうようなことはしないように気をつけなくてはなりません。そのためには「自分の将来が大切」なことを自覚することだと思います。
 自分を甘やかし過ぎるのも将来の自分のためにはなりません。

 などと書いてきましたが、どうも「インナーチャイルドへのメッセージ」の中に、伝えたいことがみんな書いてあるようです。

 最近、自分を大切にしていない人が多いように感じるのは、私だけでしょうか。
 今の自分を大切にしてない人、将来の自分を大切にしてない人、まわりの人を大切にしてない人、自分のやりたいことを大切にしてない人、自分を幸せにしようとしてない人・・・。



5月31日(水)著者からのメッセージ
 『生きるヒント2』(角川文庫)の「著者からのメッセージ」より。
 ある読者のかたから、こんなお手紙をいただきました。
〈(前略)読みすすめるうちに、ほんとうにそうだ! そうなんだ! と強く共感する部分と、それはちょっと違うなあ、私はそうは思わないけど、どうなんだろう? と、首をひねる部分と両方あって、その肯定と疑問のふたつの感情のあいだを揺れながら読み終えたのです。(後略)〉
 この文章を読んで、とても嬉しくなりました。本というものは、まさにこんなふうにして読むのが最高だと思ったからです。
 その通り、だと思いました。
 このホームページも、そんなふうに読んでいただけたら、と思います。
 これを読んでくださる皆さんが、うなずいたり、首を横にふったりする姿を想像すると、なんとなく嬉しくなってきます。この本に書かれてあることを信じるのではなく、それに触発されて変化する自分自身の心模様を信じること。
 一冊の本が見知らぬ誰かの心に、小石を池に投げたような波紋をつくることを信じて、これからも書き続けていこうと思います。
 私も、このホームページも、まったく同感です。
 欲を言うと、読んでくださった方の幸せに少しでも役立てたら、私はとても幸せです。

ぜんぜん自分で考えてない!   明日からのテーマを


   

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