しあわせ日記

9月11日(月)『生きるヒント5』
 『生きるヒント5』の1章は「治る」です。

 と、今まで『(1)』から『2』『3』『4』まで、考えるヒントをいただいてきましたが、『生きるヒント』も『5』で終わりです。
 最近、『生きるヒント』を読んでいると、私が文体とか考え方で多分に影響を受けていることを感じます。改めて、五木寛之さんに感謝です。

 『4』まではだいぶ前に読んでいたのですが、『5』を買ったのは最近で読むのもはじめてです。
 1章を読んでいると、五木さんが愛用していた眼鏡のツルが折れてしまって接着剤でくっつけてテープをまいていた、と書いてありました。私も眼鏡のフレームが割れて瞬間接着剤でつけていたことがあり、今の仕事を始める前に面接に行った時に対応した人がそれを見て「なんだろう、この人は」と思ったと後で聞きました。
 また、五木さんは60歳を過ぎてから車を運転するのを極力ひかえるようになったそうです。私も5年前から車を運転するのはやめました。この夏に仲間とキャンプに行く時に運転を頼まれたのですが、頑固に断らせてもらいました。
 などと、私は五木さんと似ているところがある、と勝手に思わせていただいています。(閑話休題)
 人間が〈治らない〉部分を抱えた存在であることを認め、そこからちがう方向への旅立ちを考えることはできないものでしょうか。
 はっきり言えば、人間はみなガンを内側に抱えた存在です。おそかれはやかれ、人は死を迎えなければならない。そのことを素直に、そして明るく、できれば胸がわくわくするような気持ちで受けとめること。
 むずかしいことですが、ぜひその髪の毛一筋のような細い道を探してみたい。それが今ぼくが真剣に考えていることなのです。
 人間に死が訪れるのは誰も逃れることはできません。死についての悩みについては私も考えたことがありますが、それは考えなくてもいいし、考える場合にも一時期だけでいいと思います。
 それに関連して、「なんのために生きるのか?」についても、それぞれの答えがあってもいいし、答えがなくてもいいと思っています。

 生や死についていろいろ考えはあると思いますが、「どうせ生きるのなら幸せに暮らしたほうがいい」というのが私の考えです。ちょっといいかげんぽいかもしれませんが、私は真剣です。どうしたら幸せに暮らせるようになれるか、真剣に考え続けています。

 そんな私にとって、五木寛之さんは今もっとも目標にしたい人なのです。



9月12日(火)熱を伝える幸せ
 『生きるヒント5』の3章は、「熱く」です。
 ボランティアのことが書かれているのですが、他に仏教の「慈悲」と医療と、そして熱伝導の話が入れ替わり出てきます。そんな中からいくつか、
 ボランティアとは精神的な熱伝導のこと、といってもいいでしょう。ですから、ボランティアとして働くためには、まず自分の身体のなかの熱が高くあることが必要なんじゃないでしょうか。

 医療というのは、仏教でいうなら「与楽 抜苦」の仕事です。この「与楽(よらく)」が「慈」、「抜苦(ばつく)」が「悲」に相当するという人もいます。「与楽」とは元気をださせること。「抜苦」とは苦痛をやわらげること。

 ボランティアは疲れます。ときには感謝されるどころか、反発されたり、批判されたりもします。しかし、それでいいのだと思うのです。ボランティアを行うことで満たされるのは、こちらの心なのですから。

 熱い、ということは大事なことです。しかし、また、その熱を温存するだけでなく、伝導し、こちらが「悲」を感ずることで私たちは人間にかえることができる。そんなふうに考えるようになりました。
 「与楽 抜苦」を私流に言えば、「人に幸せを与えられたら、幸せにできたら。人の苦しみや不幸を少しでもラクにできたら」ということでしょうか。仏教の「慈悲」がそういうことなら、とてもいい感じがします。

 ボランティアをしていれば、反発されることもあるかもしれません。批判する人もいるかもしれません。でも、感謝されることのほうがずっと多いと思います。
 これは「人を幸せにすること」でも同じだと思います。大切なことは、それをすること自体を自分が幸せと思えるかどうか、だと思います。

 さて、ここでの「熱」とはなんのことでしょうか?
 熱い思い? 温かい心? 思いやり? 愛? 幸せ?
 いずれにしても、人に伝わるもの、人に伝えることができるものだと思います。
 そして、伝えられた人も幸せになれ、伝えた人も幸せになれるものではないでしょうか。こんなにいい幸せになる方法はなかなかない、と思うのですが。



9月13日(水)頼りになるのは?
 『生きるヒント5』の4章は「守る」ということで、五木さんはまず、「何を守るか」について、そして「いざという時に、何が自分を守ってくれるか、何がいちばん頼りになるか」について書かれています。そして最後には、こう書かれています。
 この国と私たちの明日が、いま、大きく傾こうとしている予感があります。遠くから地鳴りのような重い地ひびきがきこえてくるような気もします。なにもかもが頼りにならず、なにもかもが姿を変える、そんな日が現実のものとなったとき、私たちは自分が何を守ろうとするのか、はじめて知ることになるでしょう。人生で真に守るべきものはなんなのか、そのときになってみなければわからない。決して投げやりにではなく、そう思っています。
 世の中、何があるかわかりませんが、急激な変化はめったにないし、どうなるかわからないことを心配してもしょうがないので、私などは「なるようになる」「その時はその時」とすぐに考えてしまいます。

 私だったら、「何を守るか」と言えば、やはり「自分」です。厳密には「自分の○○」で、○○はいくつか考えられます。総じて言えば、「自分の大切なもの」ということでしょうか。
 「いざという時に、何がいちばん頼りになるか」、私は「自分の幸せになる能力」と答えたいと思います。これも「自分」ということでしょうか。

 私は「守る」という言葉はほとんど使いません。「大切にする」はよく使います。(例えば、「自分を大切に」)
 また、守ることを考えるより得ることを考えたい、と思います。幸せを得る(幸せを感じる、幸せの対象を手に入れる)、幸せになれることをする、幸せに暮らせるように心がける、幸せになる能力を身につける、・・・。

 いちばん守らなければいけないのは、「幸せになろう(そう心がけよう)」という気もちではないでしょうか。そんな気がしてきました。



9月14日(木)眠る/暮す
 『生きるヒント5』の5章は、「眠る」です。

 眠ることについては、まず、幸せな気分で眠りにつくことが大切だと思います。
 眠れない時や朝、眠い時もあります。
 目覚めも大切にしたほうがいいと思います。
 寝たふりなんていうのもあります。

 『生きるヒント5』の6章は、「暮す」です。

 私は、「幸せに暮らす」ということを心がけています。
 「暮らす」という言葉がなんとなく好きです。「生活する」より「暮らす」のほうが、味があるような気がします。1日1日(その時その時)を(何かして)過ごす、というようなイメージです。その何かが幸せなことだったら、と思います。
 幸せに暮らすために役に立つのが、「今の幸せ今を大切にする」や「気分よく生活する」だと思います。

 意識しているかいないかは別として、誰もが「幸せになりたい」と思っているはずですが、「幸せに暮らそう」と考えている人はそう多くはいないと思います。
 ほとんどの人は、今自分が持っていない何かが手に入れば幸せになれる、と思っていると思います。中には、それがなければ幸せになれない、それがないから今は不幸、と思ってしまう人もいます。
 ただ「幸せになりたい」より、「幸せに暮らそう」のほうがすぐに幸せになれる(幸せを感じられる)考え方だということがわかると思います。



9月15日(金)幸せ探し
 『生きるヒント5』の8章は、「探す」です。
 人間というのはだれしも、何ものにも屈しない強い信念とか信仰といったものを持ちたいと願います。しかし、なかなかそういうふうにはいかないところがある。けれども、小さな喜びというものをたくさん持っている人は、ただ幸せというだけではなくて、ひょっとしたらそういうときに命を強く支えていく、そういう可能性を持っている人かもしれない。

 とりあえず、私たちはいま立ち往生している。立ち往生しているという状態のなかで、これ一つを手中にしさえすればすべてがうまくいく、という万能薬のようなものはない。人生はそれほど簡単ではないのだということを、あらためて考えるほうがいいのかな、というふうにも思ったりするのです。
 真剣に幸せを求める人の中には、1つの大きな幸せ(になる方法)を探し求める人がいます。そういうものはなかなか見つからない・手に入らない。また、五木さんの書かれるように「万能薬はない」。

 では、どうしたら幸せになれるか?
 小さいものから大きいものまで、たくさんの幸せ(になる方法)を探し、手に入れ、幸せを感じればいい、と考えるのが自然ではないでしょうか。これがこのホームページ全体の考え方です。
 その中で大切にしたいのが、小さな喜び・小さな幸せではないでしょうか。それをたくさん持っている人は、幸せに暮らせるし、苦境になっても乗り越えていける力を持っているのではないか、と私も思います。

 1つの幸せに固執する人、大きな幸せに固執する人は、幸せになりにくいと思います。一時的に幸せになれることがあったとしても、その幸せは長くは続かないでしょう。
 大きな幸せを探し求めるな、なんて言いません。夢を持ち続けること、たくさん人を幸せにできることは、おすすめの幸せになる方法です。

 「幸せ探し」は一生のテーマだと思います。まずは、自分の幸せを知り・探し・感じることから、始めてみてはどうでしょうか。



9月16日(土)生きている幸せ
 『生きるヒント5』の9章は、「残る」です。
 どのように生きているかということ、つまり人間の価値について、ぼくはこんなふうに考えています。人間は充実した人生を送り、世のため人のために尽くし、そして輝く星のように生きる……これは望ましいことなのでしょうが、現実にはなかなかそんな人は多くはありません。むしろピラミッドのまん中から下に生きる人たちのほうが多いんですね。しかし、平凡に生きる人も、〈生きている〉というところにまず人としての価値があり、それ以上のこと、どのように生きたかということは二番目、三番目に考えていいことじゃないか。ぼくは本当にそう思うのです。
 まず、人間の価値についてですが、私も自分の存在価値として、何かを残せること、自分を発揮できること、人や社会の役に立てることを挙げましたが、これは自分の存在価値を求めたい人がそういうものを探すヒントであって、また、小さなことでもいい、と思います。
 そして、もう1つ私が提案したのが「自分の幸福感」です。幸せを感じることが自分の価値になるということです。

 「生きている幸せ」この幸せを感じられる人は少ないように思います。生死に関わることを身近で体験した人か、私のように幸せを追求した人でないと、「生きていて、幸せ」と思えるようになることは難しいように思います。
 ほとんどの幸せの対象はいずれ失われます。その中で、生きている限り残るのは、「生きているという幸せ」です。

 「生きている幸せ」を感じられるようになることが、自分の価値を生むとともに、失うことのない幸せを手に入れる唯一の方法なのかもしれません。

 私は少なくとも週に3回は「生きていて幸せ」と思い、幸せを感じることがあります。でも、私はそれだけではイヤです。それは私の感じる幸せのほんの一部でしかありません。でも、私が確実に幸せを感じられる方法の1つでもあります。

 正直言って、「生きている幸せ」を確実に継続して感じられるようになる人がそんなにいるとは思えません。きっと、その価値を認められないのではないかと思います。でも、その価値は本当はすごく大きいのです。身につけた人にしかわからないような気がします。



9月17日(日)歳をとること
 『生きるヒント5』の10章は、「痛む」です。
 それにしても肉体的な痛みはだれにとってもいやなものです。生理的な痛みは、ただ体を痛めつけるだけではありません。さっき指摘したように長くつづく痛みや、あまりにも耐えがたい痛みは、人間の心や精神まで変形させてしまう力を持っています。耐えがたい苦痛が人間の内側をもねじ曲げてしまうのです。心と体の相関関係を考えますと、それは心と体と両方を損ねるのです。
 ここでは「肉体的な痛み」について書かれていますが、心と体の相関関係を考えますと、「心の痛み」も心と体の両方を損ねるのです。

 「心の痛み」と「心の傷」にうまく対処することが、幸せに暮らすために大きな意味を持つことはまちがいありません。

 『生きるヒント5』の11章は、「若く」です。
 幼い季節も人間にとっては大事であり、若い季節も大事である。大人になるということも大切なことであり、また老いていくということも、若さと同じほど大切なことなのではないか。だから私たちが考えなければいけないことは、その時期その年齢なりに、その時期のよさをおもてにあらわすことでしょう。
 歳をとることは、人間の定めです。それをイヤがったり嘆いたりするのは、幸せになる方法ではありません。五木さんの言われるように、その時期のよさを、大切にして幸せに過ごせたらと思います。

 私は、今までの人生の中で今がいちばん幸せです。
 これからも、「今がいちばん幸せ」といつも言えるように、自分を育てて(幸せになる能力を向上させて)いこうと思っています。

 「痛み」は悪い部分を知らせてくれます。心の痛みやイヤな気もちは、自分の心の課題を知るためのヒントになります。それらを1つ1つ改善していくことが、自分を育てる近道です。

 歳をとることは幸せになること、にしたいものですね。



9月18日(月)生きる
 『生きるヒント5』の12章は、「生きる」です。
 いま私たちは決して平和のなかに生きているのではない。じつは年間二万三千人もの人びとが戦いに敗れ、そして死んでゆくという、恐るべき〈心の内戦〉のなかに生きている。

 私たちは今後もこの困難な戦いのなかで生きていかざるをえません。そして私たちは私たちの置かれた状態、状況をみつめ、それを認め、そして受け入れながら、なおかつそのなかで自分が生きていく道を模索しなければならないのです。
 〈心の内戦〉とは、平成8年の自殺者が2万3000人をこえた、ということです。(最近のニュースでは、年間3万人をこえたようです)

 今の日本が幸せな時代なのか不幸な時代なのか?
 私は、どちらにもなりやすい時代なのではないか、と思うのですが。
 でも、時代よりも個人の幸せになる能力や幸せに暮らす習慣のほうがずっとずっと大きいと思います。

 私たちにはそれぞれの現実があります。それは決して公平ではありません。どんな家に生まれたか、どんな親か、まわりにどんな人がいるか、自分の容姿、病気や障害、様々なコンプレックス、不幸な経験・・・。
 だからと言って、過去や今の現実や自分を嘆いたり、自分とはかけ離れた理想と現実を比較しても、不幸な気もちになるだけです。

 人はみな、それぞれの現実の中で生きていかなければなりません。そして、今の自分の現実からつながる将来にしか行けません。
 そんなそれぞれの現実の中で、どう幸せに暮らせるか、これから幸せになっていけるか、それがなによりも大事なことではないでしょうか。

 それは自分しだい、だと私は思います。
 誰にでも自分なりの幸せな生き方があるはずです。それを求め続ければ、きっと手に入れることができる。そう信じたいと思います。



9月19日(火)ネットと心の時代
 『生きるヒント5』の中に次のような個所がありました。
 そしていま、大きな時代の変動というものが迫ってきています。人間の心にも、社会にも、湿った部分、陰の部分が必要なのだ、と人びとが感じはじめているのです。
 しかし、世はコンピューターの未来へ一気になだれこもうとしている。コンピューターの論理には「悲」とか「情」とかいったどろどろした感情は邪魔であるにちがいありません。
 もちろんコンピューターの世界にも、人間的なドラマはあるでしょう。人間が作り出したものですから、どこかに人間の欲望や、夢や、憧れを反映していて当然です。
 しかし、それでもなお、ぼくにはヴァーチャル・リアリティの世界に百パーセント身をひたしてしまう気はありません。キーボードになじめない旧世代のひがみかもしれませんが。
 だいぶ前から「心の時代」という言葉が使われていますが、今は「心の時代」になっているのでしょうか?
 また一方、「コンピューター社会」とか「インターネット時代」とか言われています。こっちのほうが現実感があるような気がします。

 私は大学でコンピューターを専攻して以来、ずっと身近にコンピューターがある生活を続けています。今も1日に12時間くらいはパソコンの前に座っています。
 一方私は、自分の心を大切にしています。できれば24時間幸せを意識したいところですが、12時間くらいは断続的に意識できるようになった気がします。最近では、仕事中にも自分の心(感情や気分や気もちや考え方)に気を使えることが増えてきました。

 五木さんの文章の中に、たまにパソコンやインターネットやコンピューター社会に関して否定的な部分を感じてしまうことがあります。五木さんは、決して一方的に断定的な書き方はしていないし、「ぼくは〜〜」という書き方なので、文句のつけようはないのですが、コンピューターに強い愛着をもつ私は過剰に弁護したい気もちになってしまいます。

 「コンピューター」と「人の心」は排他的なものだとは思いません。むしろ私は両者の融合によって、人の幸せに役立てたら、と思っています。と言うか、五木さんにとっての本が私にとってのホームページ、と考えれば簡単だと思います。

 五木さんに百パーセント身をひたしてほしいなどとは願いません。このホームページを見ていただき、こんなことをやっている人間もいるのだと知っていただき、願わくば、一言いただけたらすごく幸せだろう、と夢のようなことを想ってしまいました。

 今の日本では「心」を見直すことがすごく大事になってきたんじゃないか、と思ったりします。それを人に強制はできません。せめて「心」の何かを求めて(パソコンとインターネットを利用して)このホームページに来てくださる方の少しでもお役に立てれば、と思っています。

ネットと心の時代? このHPの時代だ!     ハオハオ



9月20日(水)幸せのヒント
 『生きるヒント』の1章は、「歓ぶ」でした。
 私にとっては、いちばん印象深く、好きな章です。
 特に〈よろこび上手〉という言葉にぐっと引きつけられた気がします。

 『生きるヒント』(五木さん)の魅力の1つは、必ずしもプラス思考をしなくてもいい、ということだと思います。人には、悲しい時も、憂うつな時も、つらい時も、落ち込む時もある。そういう時が「あってもいいんだ」と思わせてくれるだけで、どれだけ助かる人がいることか。

 私も、いつもプラス思考や正しいことをしなくちゃいけない、という隠れた思いが自分を苦しめてしまうことがよくある、と思っています。だから、「こんな時もある」「まぁいいか」「そのままでもいいんじゃない」「なるようになる」「ハオハオ」のような考えも使えるようになるほうがいいんじゃないか、と思っています。

 『生きるヒント』と比べるとこのホームページや『幸せになる方法』は幸せ志向が強いと思います。だから読んで、とてもそんな気分にはなれないという時があると思います。そんな時にはムリに幸せ思考をしなくてもいいと思います。

 『生きるヒント』の中には、何度か「自殺」について書かれています。また、「自殺」という言葉が出てこなくても、自殺を考えている人に対するメッセージじゃないか、と思われたところが時おりありました。『生きるヒント』はそのために書かれているのではないか、それは五木さんご自身が自殺について真剣に考えた経験から出ているのではないか、などと私は勝手な推察をしています。
 もし、あなたが真剣に自殺を考えるような時があったら、ぜひ『生きるヒント』を思い出して、お読みになることをおすすめします。
 そして、幸せになりたい、という気もちが心の中で動いてきた時には、このホームページでヒントを探していただけたら、と思います。

 『生きるヒント』というタイトルも大好きです。ヒントということは、自分で考えるということです。ヒントはその手助けにすぎません。『生きるヒント』というタイトルは、自分で考えることが大事なんですよ、って五木さんがおっしゃっているのだと思います。
 私もこのホームページなどで「幸せのヒント」を書き続けたいと思っています。いろんなことをヒントに自分の幸せを考えることで、あなたの幸せになる能力が向上して幸せになれることを願っています。


   

生きるヒント

幸せ雑記

幸せのホームページ