しあわせ日記


3月11日(火) 耳をすませば
 昨夜は12時すぎまでかかって、やっと青色申告書を作成し終わった。昨日の日記を読んで、収入がないのに申告する必要があるのか、と思った人がいるかもしれない。確定申告で損失申告というのをする。すると3年間は赤字が持ち越せる。黒字になったときに相殺され、税金が少なくなる。私は事務所を開設している自覚のためにやっているような気がする。でも自覚が足りない。

 今朝は税務署に行くために8時半頃には、事務所を出ようと思っていた。「ふたりっ子」「8時半のニュース」(共にNHK)を視ながら支度をしていたら、次の「生活ほっとモーニング」が始まった。「あなたも音でリラックス」という興味がある内容だったので、そのまま視続けてしまった。
 外出したのは10時少し前だった。暖かい。まるで春だ。(今カレンダーを見たら、立春は2月4日だから、こよみの上ではとっくに春だ)

 行く先々で耳をすましてみた。実を言うとここ1ヶ月くらいは、たまに耳をすまして何が聞こえるか試している。それが始まったのは、朝の散歩中だった。ある鳥の声に気づいた後に、よく聞いてみたら、他の鳥の声がいくつか聞こえ、さらにその他の音もたくさん聞こえるようになった。
 その時に考えたことをネタに「耳をすませば」というタイトルの日記を書こうと思っていたのだ。だから、今日の日記のラストはもうとっくに決まっていた。(と書いたところで、裏切りたくなった。あまのじゃくな私)

 私が聞いた音を紹介しようと思っていましたが、やめました。あなたが今度いろいろな所で、耳をすまして何が聞こえるか試してみてください。こんなにあるのかと思うほど、いろいろな音が聞こえてくると思います。きっと音のない世界なんて、ほとんどないのだと思います。
 私が考えたことを1つだけ。「自然の音と人がつくった音がある」

 いよいよラストです。
「耳をすませば聞こえてくる。・・・・・」
 あとは、幸せオタクの私が言いそうなことを考えてください。

今日は手抜きが多いネ   深い考えがあるんです



3月12日(水) 眠い
 3日ぶりに昼寝をした。いつもは夜の睡眠が3時間以下の場合に、だいたい昼寝をする。ここ2晩は4時間半寝ていたので、今日も必要ないはずなのだが、昼前に眠くなった。きのう・おとといは確定申告に関する慣れない作業で忙しかったので、疲れたのかもしれない。単に春だからかもしれない。長くても1時間半のつもりが3時間近く眠ってしまった。
 テレビをつけたら「テレビ体操」(NHK)がちょうど始まった。腰掛けたまま上半身だけマネてみた。身体の各部を拳の手の平側でたたくのは意外に気持ちがいい。前屈に移ったので、私も立って前屈と身体をひねる運動を合わせた体操をやった。先生の説明のあと、YMOの「ライディーン」のオルガン演奏とともに、一見大極拳のような静かな体操になった。

 頭も身体も完全に目覚めた。「昼寝のあとは頭が冴えている」これは私の暗示の言葉のようだ。数年前までは寝過ぎると少し後悔した。時間がもったいない、とも思った。そういう考えはつまらない。そこで「昼寝のあとは頭が冴えている」と言うことになった。
 実際にそうだった。私の経験では昼寝から目覚めた後は調子がいい。集中力も持続する。今日も1つ、書くことの内容がまとまり、続いて日記を書いている。

 今晩は久しぶりにネットサーフィンを楽しむか。どうせすぐには眠くならないだろうから。今も頭が冴えている。続けてラッセルの「幸福論」を読もう。



3月13日(木) AC
 今日は1日中、ACのことが頭の中にあった。ACとはアダルトチャイルド(またはアダルトチルドレン、両者の違いがわからないのでACと書きます)の略で、もともとは心理学の用語です。まだ本質的な意味を理解している感じがしないので説明はできません。
 ACについて以前から関心はありました。幸せのヒントなど、いくつかのACに関するホームページは読んでいました。幸せに関するホームページをサーフィンしていくと、ACに関する言葉に何度か出会いました。

 昨日の深夜に、ACに関するホームページをいくつかまわってみました。その中で必ずリンクされているのは、ADULT CHILD NETWORKというホームページです。
 掲示板をのぞいてみてビックリしました。驚いた理由の1つは掲示数の多さ。毎日10〜20件の書き込みがあるようです。もう1つの理由は、その内容が真剣なことです。なかなか掲示板に思っていることを素直に書くことは難しいと思います。ここの掲示内容には心のつぶやきが多く見られます。webmasterさんの管理がいいせいか、無意味なホームページ広告や、誹謗や中傷が見られません。そういうものがあったという痕跡は少し残っているので、webmasterさんにより削除されるようです。
 掲示内容を午前中にプリントアウトして、昼過ぎまで読んでいました。
「自分がACと気づいて少しラクになった」
「私と同じような思いをしている人がたくさんいるのがわかった」
「母もACだったと気づいた」
のようなメッセージがいくつか見うけられました。

 私がACかどうかという判断は難しい。本質的にはそうだと思う。いくつかのホームページに書いてあったACの特徴にあてはまることはある。もし私が20代の頃だったらほとんどの項目が当てはまりそうだ。今から考えると20代も幸せだったと思えるが、その当時は今の100分の1すら幸せを感じていたとは思えない。
 そこで、私はどうして変わったのだろうか、と考える。今はまだよくわからない。
 この問題をもっと考えみたいと思っている。4月の人生相談のテーマはだいたい決まっていたが、もしかしたらACに関わるテーマに変わるかもしれない。私の取り挙げ方としては、「親との関係」のようなものになるとは思う。

 でも、明日は今月の人生相談「自信がない」を考えなくては。



3月14日(金) 眠れない
 昨晩はなかなか眠りにつけなかった。3時過ぎまで起きていたのに。少し昼寝をしたせいもある。ふだんは短時間睡眠で眠くなったら寝るを基本にしているので、すぐに寝つける。ただし身体を休めるために、1日に3時間は続けて横になるようにはしている。そういうときには今日のようなこともたまにある。

 特に冬に手足が冷えて眠れないことがある。そんな時私は、以前に本で読んで少し練習した自律訓練法を応用する。「腕が重くなる。足が重くなる」「手が暖かくなる。足が暖かくなる」のような自己暗示の方法だ。「手足が身体の中から温まると眠れる」と思っているので、実際に眠りにつくことができる。
 ただし、これを寒い時期にまともにやると時間がかかる。そこで私はズルをする。手をグッと握り、パッと力を抜く。この「グッーパー、グッーパー」を繰り返すと、手がジーンと熱くなる。足も同じことをする。足はそれだけではなかなか温まらないことがある。そんな時には、左右の足を擦り合わせる。摩擦と運動で温まってくる。それから「手足が暖かい」とイメージすると、簡単に短時間に手足がジーンと中から暖かくなる。そうするといつのまにか眠れる。昨晩もそれで眠れた。

 それでも時には眠れないこともある。そんな時には、身体を休めるためにリラックスして横たわっていることを第一の目的とし、あとはいろいろなことを考えることにする。最近幸せを感じたことを想い出す。夢の実現をイメージする。どうしたら目標を達成できるかを考える。人を幸せにするにはどうしたらいいか考える。まわりの人への感謝をする。過去の幸せを想い出す。など、いろいろなことを考える。それは幸せな時間なので朝まで続いてもいいと思う。実際にそうなることもある。
 ふつうの人は生活の中で静かに物を考える時間はあまりないと思う。眠れない時はそのチャンスだ。楽しいことを考えれば、精神衛生上もいいはずだ。自分の幸せになる方法を考えることができる。もちろん身体は休めることができる。昼間眠くなったら、それはその時に工夫すればいい。明日の晩はよく眠れるに違いない。

 こんなことを実際にやっている人がここに一人いる。



3月15日(土) 一局の人生
 NHKの朝ドラ「ふたりっ子」を見ている。「ひらり」以来だ。「ひらり」は相撲の世界、「ふたりっ子」は将棋の世界が出てくる。

 私は20代の一時期、将棋をいちばんの趣味にしていたことがある。3冊の月刊誌を読み、将棋道場にも少し通った。会社の中では部長や課長の人たちによく相手をしてもらっていた。
 将棋の先生の書いた本は好きだ。米長邦雄さん、芹沢博文さん、大山康晴さん、谷川浩司さん、羽生善治さんの書いた生き方や考え方についての本を読んだ。囲碁の藤沢秀行さん、武宮正樹さんの本もいい。
 これらの先生の書いた本には、大局観、深い読み、いさぎ良さなど独特のものがある。中には進歩的過ぎたり、割り切り過ぎたりして、一般の人には受け入れられそうもない考えもある。それらは決して間違っているのではなくて、選ぶには勇気がいる選択だったりする。物事にはいろいろな選択肢があって、こういう選択もできるのだということをつきつめた結果の場合がある。

 将棋や囲碁の世界で使われる言葉で「それも一局」というのがある。対局後の感想戦(対局者がいっしょに内容を検討する)の中でよく出てくる。1つの局面で考えられる手が複数ある。実戦ではこの手を指したが、もう1つの手だったらどうだろうか、と検討する。そこで「それも一局だね」と言うことがある。要するには、どちらの手を選んでもいい。それぞれが一局の勝負になる。というような意味だ。
 人生でも同じことがよくある。人生は選択の連続だと言うこともできる。迷うこともある。過ぎたことを後悔するだけでは、イヤな気分以外に何も生まれない。「それも一局」であって、今の人生も「これも一局」であるから、後悔する時間があったら、今の人生を自分らしく幸せに生きるように考えたほうがいい。また、選択に迷ったときにも、決断すべき時には「これも一局」と、考えられる。

 生きていく中でどのような選択をしても結果は自分で受け入れるしかない。常にこれからどうするかを考えていくしかない。反省はこれからのためにするものだ。
 私は変わった生き方をしていると思う。でも本当はみんなが違った生き方をしているのであって、やっていることはそんなには変わらないと思う。ただ何を求めて生きてているかという方向性と、実際に何を感じて生きているかは相当に違うのかもしれない。少なくとも私は、20代と今では考えていること、感じていることが大きく違う。朝起きて、ご飯を食べて、電車に乗って、コンピュータの前に座ってキーボートを打って・・・、昔も今も変わっていない。でも今は幸せをいっぱい感じて生きている。
 これからどうなるかわからないが、どんな生き方をしても「私の一局の人生」。ただ、その中で大事にしたいものはわかっているつもりだ。



3月16日(日) 風邪気味
 金曜日から鼻水が止まらなかった。でも、熱もでないし、ノドも大丈夫。こういうことが年に1・2回ある。ほとんどがこの季節なので、一種の花粉症(アレルギー)だと思っている。
 だいぶ前に友達にその話をしたら、「そんなのは花粉症じゃない。花粉症はそんな甘いもんじゃない」と言われた。私の友達には何人かひどい花粉症がいる。確かに大変そうだ。2週間前にもバスケットの仲間の1人が花粉症防止のためにマスクをかけていた。

 私は少しくらいカゼ気味の時には、バスケットをやれば治ると思っている。きのうも行きの電車の中ではときどきハンカチで鼻を押えながら練習に向かった。練習の途中に何回か鼻をかんだが、練習が終わった時には鼻水は止まっていた。
 練習後の飲み会でS君がウーロン茶を飲んでいたので聞いたら、「カゼ気味だから」と言う。私は「カゼ気味だから、家につくまで冷えないように酒を飲むんだ」と言って、飲んでいた。

 私はほとんど薬を飲まない。きのうの朝も、母親が「飲んだら?」とカゼ薬を出してきてくれたが、「いいよ」と言って飲まなかった。そのかわりに薬を飲んだときにはよく効く。少しくらい歯が痛くても鎮痛剤は飲まないが、飲むときには大人は1回に2錠服用する薬が1錠で効く。
 私は長時間寝ると体調がよくない。身体もだるくなるし、頭もスッキリしない。「病気になっても病人になるな」という言葉を本などで見かけることがある。病気は1つの状態だが、病人はその人全体だ。必要以上に身体を休めることは身体を弱くする。持病をかかえたまま普通に生活している人はたくさんいる。「一病息災」という言葉もある。
 心の病にも同じことが言えると思う。イヤなことや自信をなくすことがあったからといって、落ち込んだりして不健康な生活をしていたら、気分が悪くなるばかりだ。問題がある時ほど、身体だけは健康的な生活を心がけたほうがいいと思う。でも、落ち込んでいる時にそういう考え方をすることは難しいかもしれない。少しでも気分がよくなった時にこのことを思い出せたらいいと思う。

 いつものように話が違うところに来てしまいました。昨晩バスケットの練習後に飲んで帰って、そのまま6時間寝て起きたら、今朝はスッキリ全快。足の筋肉が少しはっていて気持ちがいい。
 今週もはりきっていきましょう。



3月17日(月) 書きたくなかったエヴァ
 今日はエヴァについて書こうとは思っていなかった。でも今、頭の中が「新世紀エヴァンゲリオン」でいっぱいだ。

 朝、幸せのホームページの今週の追加更新分をアップロードした。実はまだ今週の心の散歩が残っている。内容と構成は決まっていたが、コメントや言葉遣いでまだいまいちな部分がある。

 9時55分からは、親の目子の目「あんり15才」(テレビ朝日)を視た。中3・成田杏里さん(15歳)は、この3年間の大半は不登校だった。試験でぜんぜん答えが書けない。学校で受けたからかいや、いたずらの連続。家に閉じこもる。ひどい時には、手や唇がふるえる症状にもなった。
 杏里さんが6歳のときに両親は離婚し、母が女手ひとつで兄と杏里さんを育てた。母は仕事で忙しかった。杏里さんのお母さんは言う。「子どもがいる人はどんなことをしてでも別れないほうがいい」最近、お母さんは会社を辞め、自宅でできる仕事を始めた。
 杏里さんは昨年、「こころの教育相談所」に通うようになった。そこの先生に受け入れられ、友達もできた。今年、3学期になって登校するようになった。談話室で本を読んだりした。進路相談で高校進学を決めた。将来、料理の道へすすみたいと話す。
 相談所の先生「家の中に閉じこもると回復がおくれる」
       「いくらでも人生はやり直しができる」
   お母さん「家庭、相談所、学校の3つがとてもうまくいった」
   杏里さん「追いつかないこともあるけど、
          それはそれなりに楽しく生きられたらな」

 午前中に今週の心の散歩のデザインが終わり、午後から作成に入った。土曜日に録画しておいたビデオを視ながら。「サイコメトラーEIJI」(最終回)、檻(おり)の中の心理学者は「羊たちの沈黙」と同じだったが、なかなか楽しめた。「未来派宣言」、日本海重油流出事故で活躍するボランティアと地元の人たち。
 今週の心の散歩はだいたいできた。あとは確認と修正作業。そこで「新世紀エヴァンゲリオン」24話から26話(最終回)。しばしばテレビ画面に目と頭が釘付けになる。途中いいセリフをA4の紙にメモしていく。2枚3枚と増えていく。それでもなんとか最終回の始めには、今週の心の散歩が完成。ビデオを止めてアップロードに移る。FTPで送って、確認する。朝からカウンタが15増えている。14人の方すみません、間に合いませんでした。

 そして、「エヴァ」最終回。「何だこれは」という世界が第24話から続いていた。心理描写の叙情詩か?心理分析か?そのうち、心理学、哲学、世界観、みんなが持っている悩み、生きることについて、現実認識、価値観、自分。そして、ラストシーン。
   シンジ「ボクが好きになれるかもしれない。
       ボクはここにいてもいいのかもしれない。
       そうだ。ボクはボクでしかない。
       ボクはボクだ。ボクでいたい」
   みんな「おめでとう」
 最後に画面に映る文字。
   「そして、すべての子供達(チルドレン)に、おめでとう」
 エンディングの流れる中、しばらく呆然とする。
 こんな世界は今までで初めてだ。単なるアニメの世界を越えている。
 ところで、「エヴァンゲリオンはどうしたの?」「人類補完計画は?」
 ずるい!これでは映画を観ないわけにはいかない。きのう、映画公開の模様をテレビのニュースでやっていた。

 「エヴァ」を視た人にしかわからない(?)。



3月18日(火) 入院の思い出
 夜「川の見える病院から」(テレビ朝日)というドラマを視た。片岡鶴太郎さん演じる主人公である実在の医師が書いた本が原作のようだ。私はガンに関する本を過去に何冊か読んでいる。

 思い出したのは、3年半前に入院したときのことだ。バスケットの練習中にアキレスけんを切って、約2ヶ月間入院した。当然、整形外科の病室に入ったのだが、約1ヶ月後に整形外科の病室が満杯になった。そこで、空いている内科の病室に移されたのが、アキレスけん断裂・縫合手術後の私ともう1人だった。リハビリ以外に特に処置の必要もないからだ。
 移された6人部屋には、既に3人の方がいた。3人とも元気に歩き回っていた。少したってからわかったことだが、1人は糖尿病、あとの2人は肺ガンで入院していた。そこで約1ヶ月間生活した。抗ガン剤治療の副作用によるつらそうな様子も見ていた。
 当時70歳の鳶職のおじいちゃんとはよく話をした。毎日お見舞に来ていた女性のことを「娘さんですか?」と聞いたら、「女房だよ」と言われて少し驚いた。歳は48だという。以前に大きな交通事故で入院した病院に勤めていた看護婦さんだったそうだ。若い頃の話、交通事故で死にかけた臨死体験、家族と家のこと、人生についてなど、いろいろな話を聞いた。私が退院する前日には、私がリハビリに向かうエレベータに乗り込んできて、「俺の娘を嫁にもらわないか」と言われた。
 入院中には、多くの出会いがあり、いろいろなことを考えました。そこから「幸せになる方法」の出版、そして「幸せのホームページ」の開設へとつながって来たことは確かです。

「川の見える病院から」を視ながら、何度か涙を流した。人が誰かのことを思いやって何かをした場面に特に弱いようです。医師の立場、看護婦の立場、患者の立場、家族の立場など、いろいろな立場で考えることができます。「人を幸せにする」ことについて考えても、それぞれの組み合せで、両方向が考えられます。患者さんの場合、笑顔、「ありがとう」のひと言、頑張る姿、まわりの人への思いやりなど、人を幸せにできることがたくさんあります。

 不幸な出来事と思われることも、それは一面や一時のことであって、すべてではない。そこには、幸せの側面もあり、幸せな時間もある。
 「不運なとき、そこには幸運がよりそっている



3月19日(水) 絶版
「幸せになる方法」の本の品切れ後の取り扱いについてなかなか連絡がなかったので、出版社に電話して担当の編集者と話をした。絶版と決まった。受話器を置き、すぐに支度をして、外出したのは11時過ぎだった。今後のことを少し考えたかった。外を歩きながら考えるのがいいと思った。気持ちのいい散歩日和だった。

 その足で福家書店・町田店に行った。ちょうどレジのところに店長さんがいたので、あいさつを交わした。店内を少し見て回り、「アダルトチルドレンと家族」と「テレパル」を買った。4月には「アダルトチャイルド」を取り挙げることに決めていた。レジでお金を払うとき、店長さんから「今度、西友にリブロの大型店ができる」と聞いた。そう言えば今町田の西友は改装中だ。去年もビーミー大丸に広大な三省堂ができたばかりだ。店長さんも大変だろうな、と思った。私はこれからもできるだけ福家書店・町田店で買います。この店長さんには、私の願いを快く聞いていただき、「幸せになる方法」をずっと平積みで置いていただいた。本当に感謝しています。
 私はすぐそばの町田駅から小田急線に乗った。となりの相模大野駅で降りた。次の行き先は紀伊国屋書店・相模原店だ。インターネット関連の本を2冊買った。福家書店・町田店にはこの手の本がない。何とここでもレジカウンターの中に店長さんがいた。この店長さんにも「幸せになる方法」のお取り扱いで大変お世話になった。深く頭を下げて店を後にした。

 大野から事務所まで、いつもより少しゆっくり歩いて帰ってきた。途中、ピンクの梅の花や、赤い椿の花が咲いていた。いつも散歩で立ち寄る神社の境内に白い花が密集して咲いているのが見えた。そばまで行ったら、おみくじがいっぱい結びつけてある木だった。(すみません。ウソつきました。最初からわかっていました...私って正直者?)
 今日ホームページに桜のリンク行を作りました。今年咲いた桜の画(え)がやっと1つ見つかりました。それだけではちょっと淋しいので、ヘールボップすい星も入れました。また見つけたら追加します。

「幸せになる方法」については、いくつかの出版社をあたってみようと思っています。私の感触としては、書店に置いてもらえればある程度は売れると思っています。まぁ、私の評価は誰も当てにはしません。それを知るためにも出版社の人に見てもらう価値はあると思います。「新しい装丁の『幸せになる方法』が本屋さんで見られるといいな」って思っています。



3月20日(木) ウェブマスター
 きのう買った「ウェブマスターはすてきなお仕事」(佐藤尚規・工業調査会)を読んだ。今、4月からのホームページ改編に向けて、いろいろと考え直している。そのヒントが欲しかったのだ。コンテンツ(内容)だけでなくホームページの運用全体を見直すために、ウェブマスターに関する本を選んだ。

 この本は目次にひかれた。ウェブマスターに望まれる7つの役割をあげている。中心となる章は『第△章 ウェブマスターは「○○人」(×××)』になっている。7つとは、「企画人」(プランナー)、「情報収集人」(リサーチャー)、「技術人」(エンジニア)、「創作人」(クリエーター)、「広報人」(スポークスマン)、「遊び人」(エンターテイナー)、「商売人」(マーチャント)。
 なるほど、と思わせる。私もやっている。私のメインは「創作」(?)。今考えているのは4月からの「企画」。本、テレビ、ホームページなどから「情報収集」。私は本来コンピュータソフトの「エンジニア」。アクセス向上法で「広報」。「遊び(心)」を大切にしたい。「商業」という意識はないが「幸せになる方法」の本を売っている。
 あとがきに「これからウェブマスターになりたい人の参考書を意識して書いた」とある。私はとりあえずウェブマスターと名乗っても良さそうだ。本のタイトルは「ウェブマスターはすてきなお仕事」だが、私はいわゆるビジネスをしたいとは思わない。「幸せ」をテーマとしたライフワークの一部だと思っている。

 きのう買った「アダルトチルドレンと家族」(斎藤学・学陽書房)は、きのうのうちに読み終わった。とても「今月の人生相談」の1テーマとして1ヶ月で済ませるわけにはいかない。4月から1コーナーを追加して取り組むことにします。乞うご期待。