しあわせ日記

6月21日(水)心の傷
 ゲストブックにゆきさんからリクエストがありましたので、「心の傷」について考えてみようと思います。
 まず「心の傷」で、私が思い出すのは、

    体の傷なら治せるけれど、心の痛手は癒せはしない

 という歌(詩とメロディー)です。沢田研二さんの「時の過ぎゆくままに」ですが、ちょっと歌詞の細部の記憶には自信がありません。
 そして、もう1曲。これは、詩も曲もタイトルも歌っていた人も忘れてしまったのですが、

    心の傷はいつか癒えるけど、体の傷は消えやしない

 のような意味の詩の歌が、「時の過ぎゆくままに」とほぼ同時期にありました。
 さて、どちらかが正しく、どちらかは間違っているのでしょうか?

 話は逸れますが、ジュリー(沢田研二さん)と言えば、「TOKIO」という歌もありました。あの頃のジュリーは、化粧をして派手な衣装を着て大きなパラシュート(のセット≒紅白の小林幸子さんのよりは小さいの)をしょって「トキオが空を飛ぶー」と歌っていました。

 そう言えば、『幸せになる方法』の本のカバーとタイトルページには同じイラストが入っています。スラっとした男性、背中には羽があります(頭の上に輪っかはありません)。
 出版社から本が届いて、はじめて見た時にはすごくうれしかったのですが、イラストにはちょっと(?)となりました。装幀などはすべて出版社まかせで、イラストはみやれいこさんという方が書いてくださったようです。友達に渡す時には少し気恥ずかしかったのを憶えています。どうしてもイラストと「本多時生」が重なってイメージされてしまうのが、単に恥ずかしかったのだと思います。今は気に入ってますよ。いいじゃないですか、「トキオが空を飛ぶー」みたいで。
(ずいぶん脱線しちゃいました。失礼しました)

(みんなで笑ってゴマかせ)       



6月22日(木)傷と傷痕
 傷をつくってしまっても多くの場合には、いつかは治ります。
 治っても傷痕が残る場合があります。でもそれは「治った」と言います。ただし、治っても傷痕が疼くということもあります。
 完全に治ることなく障害として残ってしまう場合もあります。

 体の傷にも心の傷にも同じことが言えると思います。
 ほとんどの傷は治ります。だから「体の傷なら治せる」も「心の傷はいつか癒える」もほとんどの場合は正しい。
 傷痕が残ってしまう場合はあります。傷痕を「傷」だと考えてしまうと、「心の痛手は癒せはしない」場合も「体の傷は消えやしない」場合も多くなってしまいます。
 重傷の場合には障害が残ってしまう場合があります。そのような場合には、「心の痛手は癒せはしない」も「体の傷は消えやしない」も現実になります。

 心の傷の場合には、「傷」と「傷痕」と「障害」の区別は難しいと思います。
 でも、「心の傷痕」を「心の傷」だと思いこんでしまうのは、ちょっと問題がありそうな気がします。

 「心の傷」について考えるにあたって、まだ治っていない「心の傷」と、治ったけども残っている「心の傷跡」と、残ってしまった「心の障害」と、この3つについて考えたほうがよさそうです。



6月23日(金)重傷
 重傷や重病の場合にはふつう病院に行きます。心の傷の場合でも、生活に支障がでるようなら考える必要があると思います。ただ、精神科や心療内科などに行くことには心に抵抗がある人も多いと思います。私自身も自分の心のことで病院に行ったことはありません。

 体の傷・病気の場合にはふつうは薬を使います。心の傷・病気の場合には病院に行かないと薬を使うことはできません。
 体の薬では、痛み/熱/セキ/炎症などの症状を緩和するものがよく使われます。薬を使用して症状を抑制することで生活に大きな支障をきたさないことができます。心の薬でも同じだと思います。
 心の傷・病気の場合には、手術のようなものはあるのでしょうか。私には思い当たりませんが。

 重傷の場合には専門家に診てもらうことが必要だと思います。ただその判断を自分でするのは難しいように思います。信頼できる人に相談してみて、その意見を尊重してみてはどうかと思います。その前に、心の問題で病院に行くことに対する抵抗や偏見がある人は、考え直してみたほうがいいと思います。幸せに生活できるようになるために。

 私は、もちろん医師ではないし、カウンセラーでもありません。医学や心理学を専門に学んだこともありません。どちらかと言えば、私は患者の立場だと思います。心の問題をその立場で考えたいと思っています。
 心の傷を治すためには、本人ができる方法もいろいろあると思います。また、その比重はとても大きいと思います。そういう方法を私なりにもっと考えてみたいと思います。



6月24日(土)いじくらない
 まだふさがっていない傷口をつっついたりいじったりしてしまったら、痛いだけではなく、傷の状態を悪くしてしまったり傷口を広げてしまうこともあります。心の傷の場合には、気づかずにそれをしてしまうことが多いように思います。

 傷を負った時のことを細部まで長時間思い出したり、その原因などについてあれこれと悪く考えてしまうと、傷は痛く・悪く・大きくなってしまいます。それを繰り返せばなおさらです。重傷にしてしまうこともあります。

 傷を負ってまもない時に傷口が痛むのはしかたがありません。ふとその傷を負った時のことを考えてしまい心を痛めてしまうことがあります。「忘れよう」という努力は効果がないと思います。ふと考えてしまった時に、それに早く気づき、いじるのをやめるのがいちばんです。

 体の傷だったら、ふと傷口をいじってしまっても痛みがあればやめます。心の傷でも同じはずです。でも心の傷の場合には、痛いのはその傷をつくった原因のせいだとばかり考えて、いじっているせいだと気づけない人が多いように思います。心の傷口が痛いのは「自分がいじっているから(不幸になる考えをしているから)」と考えられたら、と思います。

 心の傷をいじくってしまうことで、自ら傷を悪くしてしまっていることがある。
 体の傷と同じように、心の傷もいじくってはいけない。
 そういうことを知っておくことは大事だと思います。



6月25日(日)休息・栄養・運動
 傷を治すためには、休息・栄養・運動の3つが大切だと思います。心の傷でも同じです。それは自分で心がけて努力できるものだと思います。

 心の休息では、睡眠が大切なことは間違いありません。傷を負った当初は痛みで眠れないこともあると思います。でもある程度たったのちは、傷口をいじくってしまうから眠れないのではないでしょうか。
 心の休息では生活している時が大事だと思います。1つには心の平静な時間を持つことです。やすらいだ時間、くつろいだ時間、落ち着いた時間などを意識して作るように心がけたほうがいい。また、心が傷ついた時こそ、夢中になれることや好きなことをやる時間を持つべきです。忙しくすることが、心の休息につながり、よく眠れる、よい方法である場合も多いと思います。

 心の栄養は幸せを感じることではないでしょうか。心が傷ついた時には、いつもより「幸せに暮らす」ことを心がけたほうがいいと思います。

 心の運動はよく考えることではないかと思います。傷を負った原因について冷静に考えることは傷がふさがらないうちは難しいと思います。それよりも、もう少し広く永く、人生や幸せや夢や愛などについて考え直してみてはどうかと思います。その際に、幸せになる考え方を心がけるのは言うまでもありません。不幸になる考え方をしてしまうと傷を悪くしてしまいます。

 心の傷を負ってしまった時には、「自分で治そう」という強い気もちを持って、休息・栄養・運動をいつもより心がけるべきだと思います。自分の幸せのために。



6月26日(月)リハビリ
 心の傷がある程度治って痛みがほとんどなくなってきたら、リハビリを考えてみてはどうかと思います。痛んだところを強化していくことです。弱いままでは治ってもまたすぐに同じ傷を負ってしまいがちです。

 痛みがおさまってくれば少しは冷静に考えられると思います。痛みが強いうちは無理をしないほうがいいと思います。
 心に深い傷を負ってしまうのはそこに弱さがあるからではないでしょうか。少しでも強くなればそれだけ軽い傷ですませると思います。

 心を強くするとは、結局、幸せになる能力を向上させることだと思います。
 心に傷を負ったことを(少なくとも将来には)いい経験と言えるようにすることだと思います。そのためには、不幸を幸せに変える能力を育てることが重要です。
 つらい出来事も1つ1ついい経験とすることができれば、少しずつ強くなることができ、不幸になりにくく幸せになりやすくなれると思います。

 心に傷を負ってしまった時、多くの人は自然に治るのを待ちます。不幸になりやすい人は自分で傷口をつっついたりして治りを遅くしたり重傷にしたりしてしまいます。
 心に傷を負ってしまった時には、本気で治そう、と心がけたほうがいいと思います。傷をいじくらない、休養・栄養・運動、リハビリをするなどです。これらを気合いを入れて本気でやれば、きっと傷を負う前よりも強くなれると思います。



6月27日(火)傷痕
 心に傷を負ってからある程度時間がたっても心に傷が残っているという場合、それは傷痕だと思います。傷痕と言っても疼くことはあります。でも痛むのは自分でつっついているからではないでしょうか。ふと思い出しても、その事を悪く考えなければ苦しまなくてもすむはずです。「いい経験」と言えるようになっていれば、たいした痛みはないはずです。気づいてすぐにやめれば問題はないはずです。
 傷痕でも掻きむしったりつっつきすぎたりしたら、また傷にしてしまうこともあります。

 心の傷(痕)について人に相談したら、「忘れなさい」「(忘れるために)何か(好きなこと/夢中になれることなど)をしなさい」という答えがほとんどだと思います。
 人からそう言われたら、「あなたにはわからない」「心に傷がないから、人ごとだから、そう言えるんだ」「そんな簡単にはできない」「簡単にできたら苦労しない」などと考えてしまうかもしれません。
 でも自分で「心の傷痕で苦しむのはよそう」と考えられれば、方法はあると思います。

 まず、『できない』と言うとできなくなるので、できたらいいなのように考える。
 ふと考えてしまったことに気づいたら、何かいいことを始める
 考えてもしかたないことを考えてしまう場合には、今を大切にすること、幸せに暮らすことを心がけるのがいちばんだと思います。幸せに暮らしている時には、心の傷痕にはとらわれないと思います。

 「この心の傷は、もう傷痕なんだ」と考えることができれば、それだけでもずいぶん違うのではないでしょうか。



6月28日(水)障害
 「“心の傷”なんて考えるから、苦しんじゃうんだ。いつまでも忘れられないんだ」「“心の傷”なんて考えなければ、問題ないんじゃないの」などという意見もあると思います。その通りのケースもいっぱいあると思います。
 でも中には心の傷が後々まで障害として残ってしまう場合もあります。

 過去に人から被害を受けた人の中には、知らず知らずのうちに人を恐れて、人や人づきあいを避けてしまったり人の思惑を気にしすぎてしまったりしてしまうこともあります。
 過去に人に裏切られた人の中には、どうしても人を信じられなくなり、つい人を疑ってしまったり距離を置いてしまったりしてしまうこともあります。
 過去に大きな挫折をした人の中には、無意識に失敗を恐れて、積極的に行動できなくなったりチャレンジをしなくなったりしてしまうこともあります。
 このようなことはよくありがちことです。小さいことならほとんど問題はありませんが、生きていく上で(幸せになるための)大きな障害になってしまうこともあります。

 小さいことまで含めれば、誰にでも心の障害はあるんだと思います。性格の欠点には過去の心の傷が残ったものも多いんじゃないでしょうか。
 だからと言って、「心の傷(障害)があるから幸せになれない」「ひどい経験をしたから幸せになれない」「性格に問題があるから幸せになれない」と考えるのは間違いだと思います。

 誰でも多かれ少なかれ大きかれ小さかれ心の傷(障害)はあるはずです。それでも、誰でも自分なりに幸せに暮らせるはずだ、と私は思います。少なくとも「××があるから幸せになれない」と考えているよりは、「自分なりに幸せに暮らせるはず」と考えたほうがより幸せに暮らせます。
 大きな障害を持っていても、幸せに暮らしている人はたくさんいます。生きていく上で大きな障害を持っている人の中には幸せの達人が多い、と感じているのは私だけでしょうか。

 私がこんな幸せオタクになってしまったのは、きっと、もう忘れてしまった心の傷があったからのような気がします。元々幸せだった人が、こんなに幸せについて考えるようになるわけがありませんよね。




6月29日(木)心の傷
 「“心の傷”を幸せになる努力をしない言い訳にしている」というすごく意地悪な考えもありますが、幸せでない時にふとその理由を探して“心の傷”を思いついてしまうことのほうが多いような気がします。

 “心の傷”を忘れるために今を大切に幸せに暮らすことを心がけたほうがいい、とすでに書きましたが、幸せに暮らせていれば“心の傷”を思い出すことはなくなるのではないでしょうか。

 ある程度幸せに暮らせるようになると、「今幸せなのは、あの傷ついた時があったからでもある」「すべてのことはいい経験」と考えられるようになります。

 「心の傷があるから幸せになれない」と「幸せに暮らせるようになれば心の傷は忘れられる」は同じことを言っているようですが、ぜんぜん違います。どう考えてどう生活するかがぜんぜん違います。将来も変わってきます。前者はいつまでたっても幸せになれません。後者は少しずつ幸せになれます。

 心の傷の存在に気づき、心の傷を忘れるために、幸せになろうと意識して生活できるようになれたのなら、心の傷という不幸を幸せに変えることができたということです。

 どんな不幸もいつかは幸せに変えることができる、と私は信じています。「幸せになる方法」の5番目は「不幸を幸せに変える」です。心の傷を幸せに変えられるように、いい経験と言えるように生きられたら、と思います。


   

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