しあわせ日記
6月11日(火)自分はハオハオ
「人はハオハオ」をやったら、やっぱり次は「自分はハオハオ」をやらないわけにはいかないようです。
「自分はハオハオ」と思えるようになることが、幸せに暮らせるようになるためには大事だと思うのです。
幸せになれない人には、「自分はハオハオ」と思えない、自己イメージが低い人が多いような気がします。
次のような「自分はハオハオじゃない」考えも多いのではないかと思います。
・「自分は不幸だ」「恵まれていない」
・「自信がない」「○○ができない」「○○が苦手」
・「将来に不安」「夢も希望もない」
・「自分が嫌い」「今の自分(の生き方)に不満」
・「生きている価値がない」
このようなことを考えて落ち込んだりしないように、できればこの反対のような考えができるようになれたら、と思います。
「自分はハオハオ」、できれば「自分は好好」と思えたらいいわけです。
「自分は好好」と言っても、100%好好と考えられるわけではなく、それなりに好好でいいと思うのです。80%でも、60%でもいいと思います。それで「自分は好好」と思えるようになれたら、十分だと思います。
話はテーマから逸れますが、現在、午前3時半です。
重低音の響く音楽が階上から聞こえてきます。もう30分以上続いています。
幸いなことに(私にとってはですが)、2階上のようです。「またか」という感じです。
たぶん、上下左右の部屋ではけっこううるさいと思います。
とうとう、私の上階の人が動きだしたようです。ベランダ側のガラス戸をバタン、ちょっとしてまたバタンと開閉しました。これも「またか」という感じですが、「お気もちはわかります」。
私はこのぐらいは大丈夫(ハオハオ)です。多少気になりますが、別に平気です。そのための工夫を過去にしたことがあります。それについては明日、今週の生きるヒントに書く予定です。
そうこうしているうちに雨がけっこう降ってきて、ベランダに落ちる雨だれの音が強くなってきたら、例の重低音はかすかにしか聞こえなくなりました。やっぱり気に障るのは「音」というより「人」になんですね。
話が逸れついでに、先日、「東京タムレ」(原由子)と、ついでに「feel」のCDを買いました。どちらも気に入りました。私は好きです。
今は、「花咲く旅路」(まろ茶のCM曲)と「世紀を越えて」(同名NHKスペシャルのテーマ曲=「feel」の1曲め)がマイブームになっています。
これからヘッドフォンで聴きながら、少しお休みすることにします。
6月12日(水)それなりにいい
自分を悪く考えない、できれば良く考えるというのが「自分はハオハオ」の第一だと思います。
誰にでも欠点や苦手はあるものです。
そういうことに関する幸せになる考え方には、次のようなものがあります。
「××もあるけど、○○もある」
「今は××だけど、いつかは○○」
多少問題があってもなんとかなることや、すぐにはどうしようもないことについては、「そのままでいいよ」と考えられたら、と思います。
『くよくよしない考え方』には、次のように書きました。
自分に「そのままでいいよ」と言うことに違和感がある人もいると思います。軟弱な感じがするかもしれません。でも、その一言でラクになれる場合もあるのです。
しかし、いつも「そのままでいいよ」では、自分を甘やかすことになってしまいます。そこで少し条件をつければいいと思います。
「今は、そのままでもいいよ」
「ここは、このままでもいいんじゃない」
「今は」ということは、「いつかは○○」のような考え方です。今すぐにはできないことがあります。でも時間をかければできることはあります。
「ここは」ということは、「他のところは○○」のような考え方です。誰にでもいいところとよくないところがあります。いいほうにも目を向けることです。
多少の問題はハオハオ(しかたがない/そのままでいい)と済ませたほうがいいと思います。
そうはいかない大切な問題で、どうにかしたい場合は「○○たらいいな。ではどうしたら?」と3Hの考え方ができたら、と思います。
「自分に問題のある所はハオハオ、いい所もある(好好)はずだし、できれば将来は好好」と考えられるようになれたら、と思います。
今の自分を悪く考えずに、時間をかけて自分を育てていくという姿勢があればいいのだと思います。そういう自分は「それなりにいい(好好)」と考えていいと思います。
このような考え方ができるようになれば、多少問題があっても「自分はハオハオ」と思えるのではないかと思います。
6月13日(木)自分を評価する
人は自分のことを評価してほしいのです。
人がしてほしいことを自分にしてあげることも幸せになる方法です。
自分のことは、自分がいちばんよく知っているはずなのです。
「わかってくれない」と思うのは、人はわかってくれないけど「自分はわかっいる」ということでしょう。
同様に、「評価してくれない」と思うのは、「自分は評価している」ということです。
そのことに気づいていない人が多いのではないでしょうか。
人が自分のことを心の中で評価していても、それが自分に伝わらなければ評価されていないのと同じです。同様に、自分が自分を評価していると気づいたら、その評価を自分に伝えてあげたほうがいいのです。
自分が実際にやったこと/勇気/努力などを「よくやった」「えらい、えらい」などと自分をほめてあげるのがいいのです。
「頑張ってる」「よくやっている」と(結果だけでなく)過程を評価したほうがいいのです。たとえば、一日(の仕事)の終わりに、「きょうもよくやった」とその日の自分を評価すれば充実感も得られるはずです。ビールや甘いものなどを自分へのごほうびにするのもいいでしょう。そういうことを習慣にすれば、自然に自分を評価できるようになれます。
きびしすぎる自己評価は自分を苦しめ、自信をなくします。
今の自分を評価できれば、自分の心を支え、少しずつ自信を与えます。
すごい評価でなくていいのです。それなりの評価ができれば、それなりの自信がもてます。
まだ頑張れる時には多少きびしい評価もいいでしょう。でも、つらい時には甘めの評価をして自分を支えたほうがいいのです。
自分を評価することが、「自分はハオハオ」と思えること、自分を育てることにつながるのです。
6月14日(金)将来は好好
日本、韓国、W杯一次リーグ突破おめでとう!
好!好!
ヤッター
いーぞ、いーぞ
好好
自分の将来を好好と考えられるのも大切なことだと思います。
自分の将来に夢や希望をもっていない/もてないと言う人も多いような気がします。
自信がないと言う(これも、自分はハオハオと思えない)人も多そうです。
実際は将来には、いいこともあれば、悪いこともあります。
ですから、例のごとく、
「将来いいことは好!好! 将来の悪いことはハオハオ(その時はその時、なるようになるなど)」と考えて生きていこうと思えるのなら、「将来はそれなりに好好」ではないでしょうか。
「明日があるさ」でもいいと思います。
希望がもてるかどうかは能力によるのだと思います。それは、幸せになる能力の一つです。能力は育てることができるのです。
「希望がもてない」と言う人は、一所懸命に見つけようとしていないか、見つけることをすぐにあきらめてしまっているのではないかと思ってしまいます。
大きな希望だけしか探していないのかもしれません。ささやかな希望でも、ないよりあったほうがいいのです。
一生懸命に探し続ければ、いつかきっと見つかると思うし、希望を見いだす能力も向上するはずです。
「希望をもつ」ことがすごく大事なんじゃないかと最近思っています。来年のテーマにしようとも考えています。
ハッハ
ハッハッハ オマエは鬼?
6月15日(土)過去はハオ好
誰の過去にも、いいことも悪いこともあったでしょう。
過去の悪いことを嘆いてばかりいるのはよくありません。
「過去のいいことは好!好! 悪いことはハオハオ(もしかしたら好好じゃない?)」と考えるのがいいのです。「もしかしたら好好じゃない?」と考えることで、悪い出来事も人生の中ではいいことだったかもしれないと考えられることがあります。
そんなふうに考えられれば、「今までの人生はそれなりに好好じゃないか」と思えるのではないでしょうか。
私は、どんな不幸も幸せに変えることができると考えています。
すぐにはできなくても、時間をかければ、いつかきっとできるようになると思っています。
過去の不幸を、今幸せになる努力をしない言い訳にはしないほうがいいと思います。
「いい経験」として今後の幸せに役立てることができればいいのですが、少なくとも過去の不幸に縛られて、今とこれからの幸せをあきらめるのは自分のためによくないと思います。
今が幸せ(になりつつある)なら、「過去はすべてそれまでの過程」「その過去があったから今の幸せな自分がある」のようにも考えられるでしょう。
「自分の過去(今までの人生)はハオ好(悪いこともあったけど、まぁいいんじゃないの)」と考えられるようになるためにも、今を幸せに暮らせるように、これからの幸せのために、努力したほうがいいと思います。
6月16日(日)今は幸せ
「自分は好好」と思えるためには、「今は幸せ」と思える必要がありそうです。
「あなたは幸せですか?」と問われれば「はい」と答えられる人は多いと思います。でも、その人が「自分は好好」と肯定的に思えているかどうかはわからないと思います。客観的には幸せかもしれないけど、主観的には(実感としては)必ずしも幸せとは感じていない人も多いような気がします。
今、日本に暮らす人はみんな基本的に幸せなのかもしれません。
そんなに幸せではないかもしれないけど、それなりには幸せなのではないでしょうか。(あいまいな言い方ですが)
客観的にでも基本的にでも、「自分は幸せ」と考えられる人は、本当ならもっと幸せを感じて生活できるはずなのではないでしょうか?
そのためには、まずは「幸せを感じて生活しよう」という意識が大事だと思います。また、幸せ感じる能力(自分の幸せに気づく能力、幸せを十分に感じる能力)を育てる必要がありそうです。
「今は幸せ」と実感として思えるようになることが、心から「自分は好好」「自分は幸せ」と思えることにつながるのだと思います。
「今はそれなりに幸せ」でいいのです。
「今はそれなりに幸せ、でも(だから)もう少し幸せになれたらいいな」という心の姿勢でいつもいられたら、と思います。
6月17日(月)問題はあってもハオハオ
誰でも多かれ少なかれ大きかれ小さかれ問題を抱えています。
何か問題があっても「自分はハオハオ」と思えることが大事だと思います。
悪いことがあってもハオハオ(こういうこともある)
そのことについて自分が何を考えてもハオハオ(しかたがない)
それでイヤな気もちになってもハオハオ(多少はしょうがない)
このように、悪い出来事と自分の思考と感情を受け入れることができれば、余計なことを考えずに、イヤな気もちを最小限にし、軽く済ませることも多くなると思います。そうすれば、小さいことを問題化しないですみます。(ハオハオの使用例)
『くよくよしない考え方』には、慢性的な問題について書きました。
自分の体や心に慢性的な問題があっても、ちゃんと生きることや生活を愉しむことをあきらめてしまうのはよくありません。問題とうまくつきあい、問題を抱えている自分とうまくつきあっていくことが大切だと思います。
そのためにはまず、自分の抱えている問題をしっかりと認知し、自分の一部として「うまくつきあっていこう」と覚悟することだと思います。そして、長い目で改善できるように努力したり、多少の痛みがあってもそれなりの生活をしていく努力と工夫をすることが肝心です。
「自分にはこの問題があるから」とあきらめたり、よりよく生きる努力をしないことがいちばんの問題ではないでしょうか。
何か問題があってもハオハオ。
でも、幸せに暮らせたらいいな。(ホープホープ)
では、どうしたら?(ハウハウ)
このような心の姿勢をキープできれば、悩みや問題があってもそれなりに幸せに暮らすことはできると思うのです。
それができる「自分は好好」だと思えます。
6月18日(火)自分を好きになる
「自分は好好」と思えるには、「自分を好きになる」のがいいのですが。(難しいでしょうか?)
どうしたら自分を好きになれるか?
「自分を大切にする」「自分を幸せにする」ということができるようになれば、きっと自分を好きになれると思います。
私は今の自分は好きです。
自分(特に心)を大切にしているし、自分を幸せにしようともしていますから(それも相当に一生懸命に、でもマイペースで)。
幸せに暮らせるようになると、「自分を好き」と自ずと思えるようになるのではないでしょうか。
W杯、日本は残念でした。そして、韓国は8強入り、おめでとう!
負けはハオハオ
ナイスゲーム
好好
よくやった
いっぱい感動をありがとう
韓国とブラジル
ガンバレ!!
6月19日(水)自分は大丈夫
「自分は大丈夫」って思えると、「自分は好好」という気がします。
人生の中では、多少の我慢は必要です。
辛抱できないために、悪い方向に行ってしまうこともあります。
「(自分は)このぐらいは大丈夫」と思えると、我慢できます。
我慢すると言っても、力を入れて我慢するだけではないと思います。力を抜いて受け流す方法もあると思います。それでも大丈夫なのです。
「自分はダメだ」と思ってしまうはよくないと思います。努力をやめていまう、逃げてしまう、放棄してしまう、あきらめてしまう・・・というのは、一つのことでは状況によってはいいと思いますが、すべてのことにそうなってしまうのは自分のためによくありません。
「自分はダメだ」と考えてしまうと、そうなりがちです。
「今はちょっと××だけど、なんとか大丈夫だし、いつかは本当に大丈夫になれる」ぐらいでいいと思います。
「ここは××だけど、なんとか大丈夫だし、他に○○があるから大丈夫」もいいと思います。
将来の不安については、「将来、何か悪い事があるかもしれないけど大丈夫。その時々に一所懸命に(幸せになれるように)自分は努力すると信じられる。一時的に不幸になってしまうことはあっても、必ず立ち直ることができる」のように考えられれば、「自分は大丈夫」と思えるでしょう。
今までに「自分はダメだ」「大丈夫じゃなかった」と思ったことでも、今から考えれば、「大丈夫だったじゃないか」「なんとかなったじゃないか」と思えるのではないでしょうか?
「こうして、今問題がないんだったら、大丈夫でしょ?」
うまくできなくても大丈夫、失敗しても大丈夫、問題があっても大丈夫ということが多いのだと思います。それに、いずれは大丈夫になるのです。
困った時・つらい時に、「自分は大丈夫」「自分は好好」と考えられるといいのですが。
自分を育てていけば、いつかきっと本当の意味での「大丈夫」になれるんじゃないか、と私は思っています。
6月20日(木)自分は自分、だから好好
「自分は自分」と思えることが大事だと思います。そうすれば人に左右されずに生きられると思うのです。
そのためには、一つは「人はハオハオ」と人を受け入れられること。もう一つは、自分(の考え/行動/選択/生き方)を「これでいい」と思えることではないかと思います。そうすれば、人は人でいいし、自分は自分でいいわけです(どちらも好好です)。
「自分はこれでいい」と思えるためには、まず自分を知ること。特に、自分のやりたいことと自分の大切なものを知ることだと思います。自分のやりたいことを少しでもやれるように、自分にとって本当に大切なものを大切にして生活できるようにすることが重要だと思うのです。
次に、自分でよく考え、自分で選択し、それを信じること。自分の可能性をいろいろと考え、その中から自分を大切にできる行動を選択する。そして、自分が選択した行動・生き方を自分が信じて期待してあげること。その選択の中で幸せに暮らせるように努力することだと思います。
自分でよく考えて選択したのなら、「それでいい」のだと思うのです。「自分はこれでいい」と思い込むぐらいの気もちがほしいと思います。
ただ、実際に「これでいい」と本当に思えるためには、自分が幸せに暮らせるようになることが必要なんじゃないかとも思います。幸せに暮らせているという実感があれば、自分も自分の生き方も「これでいい」と思えるでしょう。
と言っても、急にそんなに幸せに暮らせるようになるわけでもありません。まずは、「以前に比べたら、少しは幸せを感じられるようになった」と思えればいいと思います。そして、「(一年一年、)少しずつ幸せに暮らせるようになりつつある」と実感できれば、十分ではないでしょうか。そうすれば、「これでいい、自分は好好」と思えるのではないでしょうか。
どうしたら幸せに(暮らせるように)なれるか、というのがこのHPのテーマです。少しでもお役に立てれば、幸いです。