しあわせ日記

1月21日(月)どしゃ降り
 午後はすごい雨になりました。この季節には珍しいどしゃ降りでした。

 今夜の「クローズアップ現代」(NHKテレビ)で「1日契約で働く若者たち」を放送していました。人材派遣会社が仲介しているとのこと。企業側は正社員どころか契約社員やパート社員も減らして1日契約の若者を雇うそうです。月末月初などの忙しい時だけ1日契約で増員するケースもあるそうです。
 そういう働き方を希望する若者と企業の要求があるからなのでしょうが、やはり不景気の影響が大きい気がします。
 リストラとか倒産とかのニュースもよく目にします。朝日新聞には「菅氏職安へ『55歳、月収50万円』の求人希望も空振り」という記事がありました。
 一方、「日本科学未来館にASIMOが就職」なんてニュースも先週ありました。
 ロボットと言えば、きょうから「ラーゼフォン」(フジテレビ系)というアニメが始まりました。絵は「新世紀エヴァンゲリオン」風でしたが。

 日記に書くことが思いつかなかったので、ネットの中を探して書いてしまいました。



1月22日(火)あたたかいストローク
 きょうはいい天気。3月下旬並みの陽気だそうです。

 愛を伝えるためにはなんらかの行為が必要です。
 「ストローク」という言葉が心理学で使われます。人に対する働きかけです。プラスのストロークとマイナスのストロークがあります。なぐさめる/励ます/ほめるなどのやさしい言葉、ほほえむ/うなづく/やさしいまなざしなどの行為や態度などはだいたいプラスのストロークです。あいさつなどの声をかける行為や様々なスキンシップもストロークです。
 ストロークをプラスと受け取るかマイナスと受け取るかは、受け側の感じ方なので、その人の性格や働きかける人との関係によって変わってしまいます。手がふれてうれしい人もいれば、イヤや人もいます。

 おとといの精神対話士の講座で、「ストロークを惜しげなくどんどん出しなさい」と教わりました。あたたかい言葉やあたたかいほほえみ・まなざしなどの態度です。言葉よりも態度のほうが伝わる量が多いそうです。

 人間関係をよくしたいのならあたたかいストロークを与え続けることです。太陽のように。
 あたたかいストロークを出すためには、あたたかい心が必要です。あたたかい心を持ってストロークを出し続ければ、きっと相手に伝わるのではないかと思います。
 プラスのストロークで受ける側が癒されるとともに、働きかける側も癒されるそうです。あたたかい心・やさしい心・思いやりの心を持つこと自体が自分の心を少しあたたかくし、相手の心に届いて反射・増幅されると、さらに自分の心があたたかくなるのだと思います。

 自分へのストロークもあります。「子どもに伝えたいこと、大人が考え直したいこと」に「自分にやさしくする」を追加しました。



1月23日(水)チョボラ?
 “チョボラ”って何のことかわかりますか?
 「あなたもチョボラしてみませんか?」というテレビCM(公共広告機構)をはじめて見ました。
 “チョボラ”とは「ちょっとしたボランティア」のことです。
 試しに“チョボラ”をGoogleで検索してみたら49件ヒットし、みんな同じ意味で使っているようでした。
 なるほど、「ちょっとしたボランティア」ですか。いい感じですね。
 「ちょっとした幸せ」もいいと思いますが、略すのは・・・難しい。

 CMと言えば、イチロー選手が証券会社のCMで次のように言っていますね。
「今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない」
「今自分がやっていることが好きであるかどうか。それさえあれば自分を磨こうとするし、常に前に進もうとする自分がいるはず」
 うーん、なるほど。説得力があります。

 きょう、プロボクサーの畑山隆則さんが引退会見をしました。
 今後について聞かれて、「なるようにしかならないよ」と言っていました。
 そうだ、そうだ。と、♪自分に言い聞かす(「明日があるさ」)。

 今、ちょっと気になるCMが「今の自分は本当の自分じゃないかもしれない」というヤツ。
 今の自分も“本当の自分”。これから変わる自分も“本当の自分”。
 人にはいろんな可能性があるのだと思います。でも、現実となった自分はすべて“本当の自分”です。
 「自分探し」については以前に書いたことがありますが、自分探しで迷ってしまう危険性もあると思います。
 “本当の自分”は「なりたい自分」かもしれません。

 「子どもに伝えたいこと、大人が考え直したいこと」に「『なりたい自分』になる」を追加しました。



1月24日(木)高知漫遊計画
 勉強会(メンバーは大学時代の同じ学科[電子計算機学科=当時]の仲間)のメーリングリストがあるのですが、そこできのうから話題になっているのが「高知漫遊」について。というのも、仲間の1人が昨年の7月から高知に赴任しているからです。そこで、毎年恒例の夏のキャンプを今年は高知漫遊の旅にしようかという話になっているのです。

 高知と言えば土佐、土佐と言えば坂本龍馬。さっそく高知の仲間から、坂本龍馬の生家跡(ホテル南水、上町病院付近)や、武市半平太が切腹した南会所跡(四国銀行帯屋町支店付近)、吉田東洋の暗殺跡場所(追手前小学校付近)などの紹介がありました。
 メーリングリストでは『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)の話にも及んでいます。

 『竜馬がゆく』は私の人生を変えたとも言える本で、今でも愛読書としてここ15年以上年中行事のように読み返しています。たぶん、20回を越えたのではないかと思います。
 そんなわけで、今年も明日からは電車の中では当分『竜馬がゆく』を読むことにします。うーん、楽しみです。今回のテーマはもちろん「愛」です。『竜馬がゆく』の中から「愛」について学んでみようと思います。この日記の中に書くことになると思います。乞う、ご期待!

 竜馬ファンの私としては、高知漫遊は興味津々、ワクワクする計画です。桂浜を散歩してみたいですねー。今から楽しみです。ぜひ参加したいと思っています。

 「子どもに伝えたいこと、大人が考え直したいこと」に「ワクワクするようなこと、考えようね」を追加しました。



1月25日(金)俺たちの旅
 「俺たちの旅」の再放送(テレビ東京/月−金の午前)が今週から始まったようです。
 きょう、たまたま見て、すごくなつかしい思いがしました。私の学生時代と同時期だからでしょうか。まずファッションからして、ベルボトムのジーンズ(私たちはジーパンと言っていた)、長髪にパーマ(私も大学入学前に髪を伸ばしてパーマをかけました。たぶん、自分を変えたいと思ったのだと思います)。
 カースケ(中村雅俊さん)とオメダ(田中健さん)はバスケ部だし。
 よくでてくる井の頭公園には、友達と調布から歩いて行きました(夜中に調布から新宿まで4時間ぐらい歩いたこともありました)。ヒマだったんですねー、あの頃。

 あの頃を今から考えるとなつかしいと共に、幸せだったんじゃないかと思います。でも、当時は幸せなんてぜんぜん考えていなかった。
 人生はよく「旅」に例えられます。私も『くよくよしない考え方』の中に次のように書きました。
 旅行をする目的は、目的地に行くことではなく、旅の過程を愉しむことです。結果だけを考えれば、「どうせ家に戻ってくるのなら、行っても行かなくても一緒」ということになってしまいます。夢や目標についても「失敗や挫折をしたら価値がない」と考えるのはいかがなものでしょうか。

「過程を愉しむ」ことが大切なのは、人生も同じだと思います。仕事も恋愛も家庭も同じでしょう。結果ばかりを求め過ぎて過程を愉しめないよりも、愉しむことをいい結果に結びつけようと考えたほうがいいのです。そういう工夫と努力を続けることが、過程も結果もよくすることにつながるのではないでしょうか。
 番組の終わりに「男はいつか歩き出す その道がつらくとも」という文字がでてきました。これって「29歳のクリスマス」と同じです。なるほど、脚本は鎌田敏夫さんでした。
 なんかよかったですね。これからずっと見ちゃおうかな?



1月26日(土)ちょっとしたこと
 バスケットの練習があるので午後に外出。天気予報で夜雪になるというので傘を持ってでる。歩きだしてすぐに「手袋を持ってくるんだった」と思ったが、「ハオハオ(まぁいいか)」とそのまま駅へ。
 電車の中で『竜馬がゆく』を読んでいたのですが、「雪になったら、手袋があったほうがよかったなぁ。傘を持つ手が冷たいし、ポケットに手をつっこんで歩くとすべってころんだら危ないし」などといつのまにか考えていた。
 そこで、「またこのクセだ」と先の心配をする自分のクセに気づく、「どうせ駅から体育館までの10分ぐらいだけじゃないか。一時の事だ」などと考え、また本を読みだした。
 心配性のクセは直らないが、すぐに気づいて考え直す習慣はできているので、いつまでも心配し続けてイヤな気もちになる時間は少なくなっているのです。

 目的の駅につくと、みぞれが降っていた。「これは帰り道は雪だな。まぁその時はその時、なるようになる」と傘をさして体育館に向かう。
 練習が終わって外に出ると、雨が降っていた。

 実は心配していたことはまったくなかったのでした。
 仲間の中には傘を持っていないのが2人もいた。
 私のように心配性の人もいれば、ぜんぜん心配しない人もいるのだ。
 どちらがいいということはないと思いますが、自分はいい(好好)と考えればいいのでしょう。
「心配するのはいいこと、心配しすぎは・・・」
 ほどよく心配すればいいんじゃないかと私は思います。

 まぁたいした話ではなかったのですが、くよくよ・イライラしやすい人はちょっとしたことでけっこう長い時間イヤな気分で過ごしてしまいます。
 今から思うと私の若い頃はずいぶんもったいない時間を過ごしてしまったな、と今と比べて思います。



1月27日(日)期待?
 『竜馬がゆく』の物語は、竜馬19歳から始まります。竜馬は乙女姉さんに育てられたようです。
「乙女は、竜馬の十二歳のとき母の幸子が死んでから、わずか三つ上ながらも、弟をおぶったり、添い寝をしたりしてきょうまで育ててきた。」

 ところで竜馬という名前は、「うまれおちたときから、背中いちめんに旋毛がはえていた」ので、父・八平が「この子はへんちくりんじゃ、馬でもないのにたてがみがはえちょる」と言って名づけたそうです。
 乙女姉さんは竜馬が将来駿馬になると信じていた。「ひょっとすると、土佐はおろか、日本に名をのこす者になるかもしれませぬ」(実際に、名を残した)
「乙女のほかに、もうひとりだけ竜馬の支持者がいた。ひょうきん者の源おんちゃんである。もっともこの老僕は乙女と竜馬のことなら、なんでも味方になるくせがあった。『坊(ぼん)さんは、きっとえらくなる。いまははなたれじゃが、大きゅうなればきっと日本一の剣術使いになれまする』」(実際に、すごい剣術使いになった)

 「期待が人を育てる」と言われます。人に期待してあげることも「愛」だと思います。
 一方、期待につぶされてしまう人、期待が重荷になってしまう人もいます。
 1つは、期待されたほうがプラスの期待と受けとめるかマイナスの期待と受けとめるかによると思います。人からの声援(目)を励みにできるかプレッシャーにしてしまうかと同じです。
 もう1つは、期待のかけ方だと思います。「期待はいいこと、期待しすぎは・・・」です。期待しすぎの裏には、「誰のための期待か」があるような気がします。本当に本人のためを考えているのか、実は自分のためなのではないかということです。「本当の愛」があるかどうかです。

 「期待」の問題は、期待と現実の違いです。期待通りに現実がいかない時が問題です。
 本人が、期待に応えられないことに罪悪感を持ってしまったり、逆に期待を恨めしく思ってしまうことがあります。
 期待したほうも、期待通りにいかないからと相手を責めたり、バカにしたり、あきらめたりしてしまう人がいます。本当に本人の幸せを考えているのなら、そういう時にこそ力になってあげられるはずなのですが。
 本当の愛があるのなら、その時々の現状を受け入れた上で、期待し続けてあげられるはずです。これは自分への愛も同じです。

 乙女姉さんは、竜馬の心も育てたのではないかと私は思っています。



1月28日(月)自分を大切に
 「まさか死ぬとは思わなかった」(ホームレス男性集団暴行死事件で逮捕された中学生)
 このような事件が起こるたびに言われるのが、「感情のコントロールができない」「想像力の欠如」「命の大切さ」。

 「自分には感情がコントロールできない時がある」「自分は感情のコントロールが苦手」という自覚がある人は多いと思います。
 感情のコントロールがうまくできたらいいな、とは誰でも思うでしょう。
 ではなぜ、感情をコントロールできるようになるための努力をしないのでしょうか。
 「感情のコントロール」なんて言うと、「そんなことできっこない」と思ってしまう人も多いような気がします。
 どうしたら感情をコントロールできるか、その方法がわからないのかもしれません。
 自分の感情をコントロールできるようになる考え方と方法については以前に書きました。私がいちばん役に立つと実感し、おすすめしたいのは「ハオハオ」です。
 自分で工夫しながら努力を続けて、少しずつ感情をコントロールできるようになれればと思います。

 「想像力の欠如」の前に「恐怖心がない」ような気がします。単純に「こんなことをしたら警察につかまるんじゃないか」という怖れがあるだけでも、その後のことを考えるきっかけになり、抑止力になると思います。
 恐怖心がないのは「自分(の人生)を大切にする」気もちが乏しいからではないでしょうか。それは、将来に夢も希望も持てないからかもしれません。それも想像力の欠如と言えそうです。

 「命の大切さ」を言葉で教えることは難しそうです。教えなくても「命の大切さ」という言葉は知っているでしょう。それを本当にわかっているかどうかは別問題です。
 これもやはり「自分を大切にする」ことからではないでしょうか。本当に自分が大切だと思える人は、他の人の大切さもわかるはずだと思います。

 このようなことも「子どもに伝えたいこと、大人が考え直したいこと」に入れたほうがよさそうです。
 このような事件に至ってしまうのはほんの一部の少年だとは思いますが、自分を大切にしていない人は多いと思います。
 でも、このHPに来る人は「自分を大切にしよう」という気もちがあるのだと思います。



1月29日(火)ウソは?
 田中真紀子外務大臣と野上事務次官が更迭だそうです。
 小泉裁きは「ケンカ両成敗」ということのようです。

 「ウソツキは泥棒のはじまり」か「ウソも方便」か?
 時と場合と相手によるということなのでしょうが。
 自分の悪い所を隠す、相手をだます、見栄をはる、言い訳をするなど、いろんなウソがありますが、子どもにはあまりすすめられるものではありません。
 相手を思いやってのウソというのもあります。相手が知らないほうがいいことを知らないフリをしてあげるとか。
 浮気疑惑を問い詰められて、しらを切るのは思いやりでしょうか?
 ウソもバレなければ現実的には問題は起きないのでしょうが。
 ウソがバレた時には、ウソをついたという罪も加わり、ウソをつく人格への疑問や信頼の失墜につながることにもなりかねません。
 やっぱり、ウソはつかないほうがいいのでしょうね。その前にウソをつかなきゃならないようなやましい事をしなければいいのですが。

 ウソではなく、あいまいな言い方というのもあります。言いたくないこと、はっきりさせたくないこと、説明するのがめんどうくさいことなど。たとえば、人から何かに誘われた時に、「きょうはちょっと」「用事があって」とか、「ごめん」「きょうは勘弁して」とか。
 あいまいなままでもいいこと、はっきりさせないほうがいいこともあります。
 でもやっぱり、大切なことをあいまいにする人は信頼できないような気もします。

 などと、何が言いたいのかわからないあいまいなことを書いてますが。ウソもアイマイも難しいところがあり、一概には言えないということでしょうか。
 ところで政治のほうは、誰がウソをついているのかは藪の中、玉虫色の(あいまいな)決着になってしまうのでしょうか。「正義は勝つ」というわけにはいかないのでしょうか。
 さて、人気の真紀子さん更迭で小泉内閣の支持率は?



1月30日(水)バレたら
 時事ネタ/ニュースネタが続いたついでに。
 雪印食品という会社は輸入牛を「国産牛」/北海道産牛を「熊本産」と偽っただけでなく、輸入豚肉も「国産」として販売していたようです。
 ここまでひどいとは・・・。あきれちゃいますね。
 「バレなければなんでもあり」という感じです。

 「バレなければいい」という意識で悪い事をする人が多いような気がします。
 犯罪行為をする人は「バレないだろう」「捕まらないだろう」と思ってやっているのでしょう。実際にバレずに不正をしている人が山ほどいるのでしょう。
 バレた時のリスクを覚悟してやっているのでしょうか? 「こんなことをしてバレたらどうなるのか?」と考えていないのか、「バレたらバレたで、その時はその時」と考えているのか。
 逮捕されたり、会社をクビになったり、人や社会からの信頼を失ったり、・・・。
 自分の人生に大きな悪影響を与えてしまう可能性があることもあります。とても自分(の人生)を大切にしているとは言えないと思います。

 ところでやはり、牛肉は売れてないんでしょうね。牛丼とかハンバーガーとかの売り上げにも影響があるのでしょうか。
 考えてみると、私は牛肉をほとんど食べていませんね。「狂牛病」騒ぎの前からなので、関係ないのですが。

 国立社会保障・人口問題研究所が発表した「日本の将来推計人口」によると、日本の人口は2006年をピークに減少していくそうです。
 少子・高齢化も進みそうです。人口ピラミッドの変化を見ると、2050年とかは超高齢化社会という感じです。

 2050年はどんな社会になっているのでしょうか?
 私は93歳。けっこう自分を大切にしているので生きていそうな気もします。
 私個人としては、人口増にも貢献しない(少子・高齢化には貢献?)だろうし、あまりお金も使わないから日本経済にも貢献していないのですが。
 どんな社会になっても、幸せに暮らせるようになれたら、と思います。



1月31日(木)人の目
 1月も終わりですね。
 きょうの読売新聞の人生相談欄「人生案内」は「嫌な出来事、何度も思い出す」。
 人の目がすごく気になる、そういう事があると何度も思い返してしまう。
 そんなふうだと、ビクビクしているような感じの時が多くなり、たいへんだと思います。「自分らしく生きられない」というような思いもあるのではないでしょうか。

 でも、そういうケースが自分に多いことを気づいているというのは、すでに一歩前進だと思います。
 「私には人の目をすごく気にしてしまうクセがある」「私にはイヤな事を何度も思い返してしまうクセがある」と、まず自覚すればいいと思います。

 人の目が気になった時には、「あ、またいつもクセだ」と気づいてそこでストップできればいいですね。
 「人の考えることはわからない」と私はよく考えます。「そんな不確かなことで自分が実際にイヤな気もちになるのは損だ」とか考えます。

 イヤな出来事をふと想いだして(イヤな気もちになって)いるのに気づいたら、「またこのクセだ」と、そこでそのことを考えるのをストップできればいいのです。
 悪いクセは気づいた時にやめればいいのです。

 「よく思われたい(人の目が気になる)」ということについては書いたことがあります。
 また、「人はハオハオ、自分もハオハオ」という考え方を身につけることをおすすめしたいと思います。

人の目を気にしすぎないために