しあわせ日記

2月11日(日)竜馬に学ぶ自育
 『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)を読み始めました。私の年中行事です。たぶん20回目くらいではないかと思います。
 今回は「自育」をテーマに読んでみようと思っています。

 私は20代半ばに『竜馬がゆく』を読み、「世に生を得るは事を成すにあり」という竜馬の考えに影響されて「夢を持って生きよう」と思い、そこから人生が変わりました。

 また、竜馬は「自分を強くし、他人に負けない自分を作りあげてからでなければ天下の大事は成せまい」と言っています。事を成すために自分を育てようとしていたのだと思います。
 例えば、15歳から3年間もこんなことをしていました。

 「夢」を持ち続けること、それは生きる力になります。自分の夢の実現のために「自分を育てよう」と考えたら、その努力も続けやすいんじゃないかと思います。



2月12日(月)自分の考えを大切に
「世に生を得るは事を成すにあり」
「事を成すにあたっては、人の真似をしちゃいかん」
「人の一生というのはたかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ」
 これが「竜馬の持論で、かれはつねづね友人に語っていた」と、『竜馬がゆく』の中にあります。きっと、竜馬がずっと思い続けていたことで、それが竜馬の生き方につながったんじゃないか、と思います。
 自分の生きる指針となるような考えを持っているということは大きいと思います。

 『竜馬がゆく』の中には、他にもいろいろ「竜馬語録」が出てきます。
「死を怖れては大事はなせぬ」
「恥といふことを打ち捨てて世のことは成る可し」
「(事をおこすには)薄情の道、不人情の道わするるなかれ」
 竜馬は、自分の弱さをよく知っていたのではないか、それを克服していくためにいろんなことを自分に繰り返し言い聞かせていたのではないか、と思うのです。

 自分が「こういう生き方をしたい」「こんなふうになりたい」「こういう時にはどんなふうにしたい」など、そういう考えを明確に持つことは、自分を育てるいい方法だと思います。
 それは、生きる方針のようなものでも、座右の銘のようなものでも、生きる上での注意点やチェックポイントのようなものでもいいと思います。

 私だったら、「幸せに暮らそう」「夢を持ち続けよう」「多くの人の幸せに役立てるようになれたらいいな」「不幸を数えて暮らすより、幸せを数えて暮らそう」「自分を育てよう(幸せになる能力を向上させよう)」などでしょうか。

 言葉で言うのは簡単ですが、「こうしたい」と思っていてもなかなか実際にはできない、という人も多いのではないでしょうか。その前に「こうしたい」という自分の考えを忘れて生活してしまうことが多いのではないかと思います。
 本気で「こうしたい」と思うのなら、強い意志をもって、何度でも自分に言い聞かせながら生きていくことが大切なのだと思います。



2月12日(月)自育の読書
 竜馬は江戸での5年の剣術修業から土佐に帰り、24歳から約3年半、勉学に励んだ。この期間も竜馬にとって大きいような気がします。

 いろんな読書があっていいと思います。楽しい読書、いい気分になれる読書、知識や情報を得る読書、イヤな事を忘れられる読書、・・・。
 自分を育てる読書というのもあると思います。

 『竜馬がゆく』の中で、司馬遼太郎さんは次のように書かれています。
 この時代の「学問」というのは、こんにちの学問、つまり、人文科学とか自然科学とかいったものと、言葉の内容がちがう。哲学、という意味である。というより、倫理、宗教にちかい、要するに、儒教である。教養の中心は、人間の道の探求と、それをまもることにあるのだ。孔子を教祖とし、それに中国、日本の先哲がのこした名言を学ぶ。学ぶだけでなく、踏みおこなう。
 このような「学問」、よりよく生きるための学問が今の時代にももう少しあったほうがいいんじゃないかと思います。さらに言えば、幸せになるための学問です。

 私は最近、ほとんど幸せになるために本を読んでいます。幸せになる方法を考えるため、幸せになる能力を向上させるため、つまりは自育のための読書です。

 私がおすすめする自育のための読書のポイントは、以下のようなものです。
・考えるヒントを探すつもりで読む。実際に途中で考え事をしていい。
・何か1つでも自分のものにできたら、という気もちで探す。
・いい本を繰り返し読む。

 本を読んで「なるほど、なるほど」「いいことが書いてあるなぁ」などと思っても、結局は何も残らないことが多いんじゃないかと思います。
 今の自分(の問題)に役立つこと、かつ現実にできることでなければ意味がない。学ぶだけでなく、生活の中で実践することが大事。忘れないように、繰り返す。
 このようなことが重要だと思います。

 「自分を育てる」というはっきりとした目的をもって本を読めば、きっと何か得ることがあると思います。その積み重ねがいつのまにか自分を大きく育ててくれるんじゃないかと思うのです。



2月14日(水)船と海と夢
 『竜馬がゆく』の中で、「人間というものはいかなる場合でも好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ」と竜馬は言っています。
 竜馬の好きなものとは「船」です。

 竜馬は、船に乗れば船頭に弟子入りしてしまうし、幕府の軍艦奉行並・勝海舟に弟子入りし、幕府の軍艦繰練所の授業にもぐりこんだりもしました。
 といっても、時間をかけてちゃんと教わったわけではありません。
 そこで、次のような勉強をしたそうです。
 道中で船に乗るごとにいろんな船知識を仕入れているし、藩の船手組の水夫から操法などもきき、また、この当時、船頭の必読書といわれた、日本船路細見記や、日本汐路之記、廻船安乗録、なども諳(そら)んずるほど読んでいて、下手な船頭などよりもはるかに物知りになっていた。

 船舶をほとんど独習したといっていい竜馬は、この男なりに勉強法を工夫していた。軍艦奉行並勝海舟の手もとにある各艦船の航海日誌を、かたっぱしから読んだのである。
 自育をテーマに読んでみて、これらのことを改めて考えてみると、すごい熱意と努力だと感心してしまいました。

 自育の方法として“好き”を大切にするということを書きました。
 その中でも紹介しましたが、『論語』の中に次の言葉があります。

    「これを知る者はこれを好む者に如かず。
          これを好む者はこれを楽しむ者に如かず

 竜馬は船が好きで、船のことをいろいろ勉強して知り、もっと好きになったと思います。そして、竜馬は船を自分の夢にして人生を愉しもうとしたのだと思います。
 竜馬艦隊を持つということが、竜馬の尽きない夢であった。こういう男だが、この点だけは執念深い。恋に似ている、などという程度のものではない。男子の志は、簡明直截であるべきだと、竜馬は信じている。
 船。
 これのみが、生涯の念願である。船をもち軍艦をもち、艦隊を組み、そしてその偉力を背景に、幕府を倒して日本に統一国家をつくりあげるのだ。
 竜馬は「船」が大好きだったのですが、その前に「海」が好きだったんだと思います。海から続く広い世界、その中に広げられる夢や可能性に強く惹かれていたんじゃないか、などと考えてしまいます。
 竜馬の夢である倒幕・新国家建設の目的は「日本国民の幸せ」だった、と私は勝手に考えています。竜馬の考えた新国家は、藩をなくし、士農工商の階級制をなくすことでした。明治維新はそのとおりになりました。

 竜馬の夢の持ち方や生き方は、私にとっての憧れです。
 私にとっての「船」は「コンピュータ」で、「海」は「インターネット」かな? なんて考えてみました。この船と海でどんな夢と人生を愉しむことができるんでしょうか。なんかワクワクしてきました。
 あー、やっぱり『竜馬がゆく』はいいなー。

好!好!



2月15日(木)歩きながら考える
 自育の基本は「よく考える」ことだと思います。
 幸せになるためには、まず幸せになる考え方からだと思います。幸せになる考え方が、幸福感を生み、幸せになる行動にもつながるのだと思います。
 不幸になるのは、ヘタな考えや考え過ぎなどの不幸になる考え方をしてしまうからです。
 考える能力を向上させるには、自分で「よく考える」ことが必要です。

 『竜馬がゆく』の主な舞台は、土佐/江戸/京・大坂・神戸/長崎です。竜馬は東海道だけでも5回以上は往復しています。他にも長州/薩摩/越前/熊本などにも行っています。当時の交通手段は“歩き”です(竜馬は晩年には船も使いましたが)。相当の日数をかけてすごい距離を歩いていると思います。
 私が思うには、竜馬はきっと長時間歩きながらいろんなことをじっくりと考えたんじゃないか。夢を持ち続け、そのために他人に負けない自分を作りあげようとしていた竜馬なら、きっとそうだ。それが竜馬を育てる1つの要因だったんじゃないか、と思うのです。

 私はよく歩きながら考えます。それも幸せな気分で幸せになれるようなことを考えたいと思っています。
 「よく考える」ためには、それなりの時間(量)が必要です。また、考える内容(質)も重要だと思います。
 自分にとって重大な問題(生き方/夢/愛など)は時間をかけてじっくり考えてみる時があったほうがいいと思います。あまり物事を考えない人が多いような気がします。
 でも、そういうことを考えることで悩み苦しむのはよくありません。悩みが先か、不幸が先かはわかりませんが、気分が悪い時・不幸な時に重大な問題を考える人が多いような気がします。
 「よく考える」ためには、重大な問題はできるだけ、気分が悪い時には考えるのはやめて、気分がいい時に考えるのがいいと思います。
 私はハッピー・ウォーキングが習慣になっており、その時にいろんなことを考えます。

 「歩きながら考える」のもう1つの意味は、何かを始める前とかに、ある程度考えたらとにかく始めてみて歩きながら考えればいい、という考え方です。
 いくら考えてもやってみなければわからないことがあります。やってみれば、どのくらいできるか、何が課題か、自分に合うか、やめたほうがいいか、次にどうしたらいいか、とかいろいろわかることがあります。やってみる前に考えていたことより、やりながら考えたほうが現実的で、役に立つことが多いと思います。
 竜馬は、大きな節目の時、歩きながら考えることをしました。
 勝の江戸召喚や、塾の解散、練習艦の取りあげなどから来る衝撃、今後のこと、たとえば塾生の始末、薩摩藩とのかけあい、浪人会社の設立など、竜馬の胸中をうずまくおもいが、未整理のまま、混沌としていた。
(どうすればよいか)
 竜馬は、行動しつつ考えようとしている。その行動の直前であった。
 そして、竜馬は一歩一歩歩きながら考え、「海援隊」を創り、船を手に入れ、倒幕・新国家建設という夢の扉を開けたのでした。

 「よく考える」のも習慣になれば自然にできるようになるし、続けているうちに少しずつ幸せになる考え方ができるようになると思います。
 自分の人生を歩きながら「よく考える」ということが、とても大切だと思うのです。



2月16日(金)人は師
 竜馬は、剣術は千葉道場、船は勝海舟という最高の師から学んだ。
 この点、竜馬は恵まれている、いいなぁと私は思っていました。
 また、それは竜馬の人柄・もって生まれた人間性によるものが大きいんじゃないか。私と竜馬はぜんぜんタイプが違う、などとも考えていました。
 その辺について、『竜馬がゆく』の中に次のようにありました。
 この若者は、物おじせずひとの家の客間に入りこむ名人といってよかった。相手もまた、この若者に魅かれた。ひかれて、なんとかこの若者を育てたいと思い、知っているかぎりのことを話そうという衝動にかられた。
 幕臣の勝海舟もそうだし、大久保一翁もそうだった。熊本にすむけたはずれに合理主義的な政治思想家の横井小楠もそうだったし、越前福井藩の大殿様の松平春嶽もそうだった。かれらは、
「竜馬愛すべし」
といって、さまざまなことを教えた。竜馬には、それをさせる独特の愛嬌があった。どんな無口な男でも、坂本竜馬という訪客の前では情熱的な雄弁家になる、といわれていた。
 ことばをかえていえば竜馬は、異常な取材能力をもっていたといい。
 さて、今回私がはじめて注目したのは「取材能力」という言葉でした。
 竜馬は人から聞き出すのがうまかった。そのための努力もしたんじゃないか。その前に「人から学ぼう」という積極的な姿勢があったのではないかと思います。
 竜馬は、勝海舟から船を学んでいることについて、「偏見をもつな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間ならおれは受けるわい」と同藩の盟友・武市半平太に言っています。

 竜馬とはタイプは違っても、私には私なりの人に対する取材のしかた・学び方があるのだと思います。そのことをこれからよく考えて実践してみようと思いました。
 私は、「すべてのことはいい経験」とよく思うのですが、これからは「すべての人は皆いい師」とも考えてみたいと思います。

 「我以外皆我が師」という言葉がありますが、すべての人は皆いい師になる可能性があるのだと思います。
 と言っても実際にすべての人から学ぼうと考えたら、いくら時間があっても足りません。自分が気になる人から学ぶことを考えてみてはどうかと思います。好きな人/何かいい所を持った人/憧れの人/尊敬する人などはもちろんですが、嫌いな人/イヤな(ことをした)人などからも学べることがあると思います。
 「自分を育てる」ことを人生目標とする人は、「この人もいい師」と考えられることも多いと思います。「世の中にはいろんな人がいる」ということがわかるだけでも、自育につながると思うのです。

 私にとっての一番の師は、「竜馬」(『竜馬がゆく』の主人公)という気がしてきました。



2月17日(土)自分は自分
 幕末、勤皇の志士たちはそれぞれに藩の政治に参加したり仲間と集まったりして、倒幕への道を目指していた。挙兵して敗れたり藩内で処刑されたりして多くの若者が命を落としていった。
 そんな中で竜馬は、剣術修行をし、学問をし、脱藩し、船を学ぶことに専念していた。「自分を強くし、他人に負けない自分を作りあげてからでなければ天下の大事は成せまい」と考えていたのだろうか。そして、海援隊を設立し、船を使って商売をしたり長州に味方して海戦をしたりし、薩長同盟を結ばせ土佐も参加させて大政奉還・倒幕に大きな貢献をした。
 竜馬の倒幕の方法は他の志士たちとはぜんぜん違うものだった。
 「世に生を得るは事を成すにあり。事を成すにあたっては、人の真似をしちゃいかん」という人生観を実践していったのでした。

 そんな竜馬も子供の頃は、愚鈍、薄のろ、気弱、泣き虫、はなたれ、寝小便たれ、あいさつもできないという様で、塾の師匠からも「手に負えない」と見放された落ちこぼれだったのです。
 世の中の
   人は何とも云えばいへ
 わがなすことは
   われのみぞ知る
 これは竜馬が十代のときにつくった歌である、と『竜馬がゆく』にありました。
 要は、「(人は人、)自分は自分」ということだと思います。
 きっと、人からいろんな(イヤな)ことを言われているのを感じて、それを自分の心の中ではね返すために、このようなことを考えたのではないか、と私は思います。

 人がどう言おうが思おうが、人が何をしようが、世間の多くの人がどう考えようが、 「自分はどうするのか?」としっかり考えることが大事だと思います。
 自分が納得する(思いこみでいい)生き方をしていればいいのです。
 ただし、完全主義・高望み過ぎは不幸の元です。現実的でないことを求め過ぎると自分を苦しめることになってしまいます。
 「今はそれなりにいい。でも○○たらいいな。そのためには(自分はどうする)?」のように考えられたら、と思います。

 竜馬が一番こわいことは自分が自分に愛想をつかすことだったという。自分に愛想をつかすことほど不幸なことはないかもしれません。
 自育のためには、「人の目」よりも「自分の目」のほうがずっときびしいのかもしれません。
 真のやさしさを持って(自分を守る時には全力で守り、甘やかさないように時にきびしく)、自分を育てていけたら、と思います。



2月18日(日)時
 風雲急な幕末にあって、竜馬は自分を育てることに専念していた。内心、あせる気もちもあったはず。竜馬は次のようなことを思ったり言ったりしていた。
(まあ、時期を待つんじゃ。いまにみていろ)
(いまは迂遠の道を通るが、やがてみろ、日本をおれが一変させてみせてくれるぞ)
「おれは奇策家ではないぞ。おれは着実に物事を一つずつきずきあげてゆく。現実にあわぬことはやらぬ。それだけだ」
 成らぬことは成らぬ、と竜馬は思った。成るには時の勢いというものが要る。
(いまは、力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない)
 これらは、あせる気もちを押さえるために、自分に言い聞かせていたのではないかと思うのです。

 竜馬はよく時勢・時運を口にしていました。
 事を成すためには、いいチャンスやいいタイミングやいい出会いやいい流れをつかむことも大事だと思います。そのためには、あせらずにその「時を待つ」ことも重要です。
 ただ「待つ」のではなく、自分を育てつつ、今現実にできることを一つずつ積み重ねながら、その「時」を見逃さないようにアンテナをはっておくことが大切です。

 でも、じっくり待つというのはなかなか難しいものです。「このまま何もできずに終わったら」という怖れもあります。竜馬は、
 いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。
 と、道中で死ねばいい、と覚悟を決めました。

 私にも夢や目標があります。そろそろまた、チャレンジをしようと決めましたが、仕事の関係で約1年延び延びになっています。でも、今の私はあせりません。この1年は決して無駄ではない、その間に蓄えたもの・自分の成長をきっとこれからに活かすことができる、と思っています。
 また、夢が達成せずに死んでもそれはそれでいい、夢を持って生きている今を愉しんで幸せに暮らすことができればそれで十分、だとも考えています。
 でも、いつかブレークする時があるんじゃないか、ってけっこう本気で思っています。
 竜馬が、武市の予言した、「偏に竜の名に恥じず」といった活動を開始するにいたるのは、三十を越えてからのことである。
 満32歳の誕生日に竜馬は暗殺されたのです。でも竜馬は事を成しました。短期間に事を成したのではないと思います。その前の自分を育てる時間・1つずつ築いたことがあったからです。
 その後の大きな夢もあったはずですが、その道中で死んでいきました。

 着実に少しずつ自分を育て続けることが、時間を経て、大きく自分を育てることにつながるのだと思います。
 自分を育てるためには「時」が必要だと思うのです。



2月19日(月)夢
 私の人生を変えた「世に生を得るは事を成すにあり」という竜馬の人生観は、「夢をもって生きる」ことにつながります。竜馬もそうだし、私もそうです。

 「夢は自分を大きく育て」てくれると思います。
 自分を育てるためには努力が必要で、少なからず苦労や困難もつきものです。どうせするなら、自分の夢のために苦労をしたほうがいい。夢のためなら困難にも立ち向かえると思います。それが自分を育てることにつながると思えば、始められることも多くなると思います。

 竜馬には「私設艦隊をつくって天下の風雲をおさめる」という夢がありましたが、それだけではありませんでした。
 なるほど日本の危険をすくうために徳川幕府は倒したい。しかし、そのあとに樹立される革命政権の親玉になるなどは、竜馬はまっぴらである。
「おれにはもっと大きな志がある」
「日本の乱が片づけばこの国を去り、太平洋と大西洋に船団をうかべて世界を相手に大仕事がしてみたい」
 西郷(隆盛)さんが「窮屈な役人にならずに、お前さァは何バしなはる」と聞いた時、「世界の海援隊でもやりましょうかな」と竜馬が言った意味のヒントを今回読んで見つけることができました。
 それにしても、竜馬の夢は大きい。

 確かに大きい夢は素晴らしいと思います。
 でも、自分にとって大きすぎる夢は自分を幸せにはしてくれません。
 大きすぎるかどうかは、その夢を心に思い描くことで幸せの予感を感じられ、そのために行動したくなるかどうか、でわかると思います。その夢に向かって一歩も進めないようでは、今の自分にとっては大きすぎるんじゃないかと思います。

 どのくらいの夢を持てるかも能力だと思います。最初は大きい夢は持てなくても、自分が持てる小さな夢を持って歩いているうちに力がついて、だんだん大きい夢が持てるようになるのだと思います。
 まず今自分が持てる小さな夢(目標、やりたいこと・・・)から始めてみてはどうでしょうか。自分を育てるために、大きな夢を持つために、幸せになるために。



2月20日(火)一片の志
 竜馬を育て、偉業を成し遂げさせたものは、
 まず、「世に生を得るは事を成すにあり」という変わらぬ人生観、
 好きな「船」を大切にしつつ、心の中に抱き続けた「夢」、
 そのためには「まず自分を育てよう」と考え、
 いい師・いい仲間との出会いを大切にしながら、ずっと努力し続けたこと。
 などと、『竜馬がゆく』を読みながら「自分を育てる」ことを考えてきました。

 さてその竜馬を育てた源は、三つ上の姉・乙女だったんじゃないかと思います。
 竜馬自身がこう言っています。
「私は乙女姉さんに育てられたんだが、あのひとは気のつよい女人でしてね。──人の命は事を成すためにある、といった。また、死を怖れては大事は成せぬ、牛裂きに逢うて死するも、磔(はりつけ)にあうもまたは席上にて楽しく死するも、その死するにおいては異ることなし、されば武士は英大ことを思うべし、と申しました。──いや、女だてらにあらっぽいことを弟に教えたもんだ」
 なんと竜馬の人生観は、乙女に教えられたものだったという。
 竜馬を育てたのは、「剣」だと考えるのがふつうかもしれません。剣術が強くなったから自信をもてたのでしょう。きっと心・技・体を鍛えながらいろんなことを学んだのだと思います。また、竜馬が剣の達人でなかったら事を成す前に死んでいたでしょう。竜馬は何度も命をねらわれ襲われています。
 竜馬が剣術を習いだしたのは14歳から。その頃の生活は、
 竜馬は、毎日、剣術防具をかついで築屋敷から本町一丁目の屋敷にもどってくると、姉の乙女が待っている。
「庭へ出なさい」(中略)「竜馬、おさらい。──」
 今日ならったとおりに打ちこめという。
 剣術も乙女が育てたようです。習ったことをおさらい(復習)し繰り返すことは物事を身につけるいちばんの方法だと思います。

 私にとっての乙女姉にあたるのは、『竜馬がゆく』という本で、そこから人生観とかいろいろなものを繰り返し教えていただいています。
 つまるところは司馬遼太郎さんということなのでしょうが。
 その司馬遼さんは『竜馬がゆく』の中でこう書かれています。
 筆者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた。
 この一片の志とは、「世に生を得るは事を成すにある」という人生観だと思います。
 一片の志でも、それを持ち続け、それに少しでも近づけるように努力し続けることが、自分を育てることになり、かつ自分の夢を愉しみ、自分が納得できるいい人生を歩むことにつながるのだと、あらためて思ったのでした。


   

この日記のつづき

自分を育てるためには

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