しあわせ日記 「人の目」
4月21日(金)よく思われたい
「人によく思われたい」「人に評価されたい」「人に好かれたい」というような思いは、誰の心の中にもあると思います。
また、「人に悪く思われたくない」「人にバカにされたくない」「人に嫌われたくない」という思いも同様です。
これらの思いがあることは悪いことだとは思いません。人はひとりでは生きていけません。多くの人の中で幸せに生活するためには、人間関係がいいに越したことはありません。また、「人の目」があるから、悪いことをしないように自分を律することもできるし、自分を向上させることもできるのだと思います。
もしこのホームページに来てくれる人が誰もいなくなったら、私は続けないでしょう。多くの人が見てくれるから、やりがいもあるし、少しでも役に立てたらと頑張れるのだと思います。そして、このホームページは私の自己実現の場でもあります。自分を発揮し評価されたい、という思いがあるのだと思います。
ただ、「人によく思われたい」という思いのために、よくないことをしてしまったり、イヤな思いをしてしまうのは問題です。「よく思われたい」のような自分では意識していない、隠れた思いのために幸せに暮らせないこともいろいろあると思います。それらについて、少し考えてみようと思います。
4月23日(日)見栄
「人によく思われたい」という隠れた思いのために行われるものの1つに、「見栄を張る」ことがあります。自分をよく見せたいために、ムリをしたり、ムダなことをしたり、ウソをついたりしてしまいます。
そのことで、必要以上に気を使い、時間やお金を使い、後悔や自己嫌悪に陥ってしまうこともあります。
どうして見栄を張ってしまうのでしょうか?
相手に「すごいなぁ」「いいなぁ」と思われたいのでしょうか。
それとも、相手に対する優越感を感じたいのでしょうか。
見栄を張ることでどのくらいの効果があるのでしょうか?
人は自分が思っているほど自分のことに関心がないような気がします。自分がムリをして見栄を張っても、相手はそれほど気にしてないんじゃないかと思います。
また、見栄が見えてしまうと、逆に評価が下がると思います。
誰でも多かれ少なかれ見栄を張っていることはあると思います。また多くは事の成り行きで無意識に見栄を張ってしまうことが多いと思います。特に気にすることもないとは思います。
ただ、自分が見栄を張ってしまうことをイヤだと思うのなら、考え直してみるといいと思います。
この事で、この人に、見栄を張って、「価値があるのだろうか?」「うれしいのだろうか?」。
この見栄のために、こんなに時間やお金や気を使う必要があるのだろうか? それらを他に使ったほうがいいのではないか?
また、「自分にはときどき見栄を張ってしまうクセがある」と気づけば、「またこのクセだ(クセだからある程度はしかたがない)。まぁ、いいか」と軽く考えることもできると思います。
4月24日(月)悪く思われたくない
「人に悪く思われたくない」「人に嫌われたくない」というような隠れた思いは、誰にでもあると思います。それ自体は決して悪いことではないと思います。
ただ、そのために気を使い過ぎて、必要以上にイヤな思いをしたり、疲れてしまったり、自分がやりたいことや生活を愉しむことができなかったりしてしまうのは問題です。
気を使い過ぎ、考え過ぎなければ、それほど問題はないと思います。少しくらい人の目が気になるのはふつうだと思います。
「この人にこんなに気を使う必要があるんだろうか?」
「こんなことにそんなに気を使う必要があるんだろうか?」
などと、考えてみるといいと思います。
どうでもいい人のために気を使い過ぎるのも、小さなことを考え過ぎるのも、もったいないと思います。
相手がどう思うかは、相手の問題です。ある程度気を使った上で、自分に悪意がないのなら、「どう思われてもいい」くらいの考え方が必要なこともあると思います。相手が誤解した場合には、それは相手の責任です。世の中には、いくら気を使っても、なんでも誤解しやすい人がいます。
相手が自分にとって大切な人だったら、誠実に話をすれば誤解はとけると思います。
人に気を使ってイヤな気もちになった時には、「気を使い過ぎじゃないかな?」「相手に悪く思われたくない・嫌われたくないっていう思いがあるんじゃないかな?」などと考えられれば、少しは落ち着いて考えられると思います。
4月25日(火)評価してほしい
「自分を評価してほしい」「ちゃんとやっていることをわかってほしい」「本当はほめてほしい」というような隠れた思いは、誰にでもあると思います。それ自体は決して悪いことではありません。
ただ、そのことを気にし過ぎて、イヤなもちでやったり、やるべきことに集中できなかったり、「わかってくれない」と不平を言ってばかりいるようでは問題です。
「誰のためにやっているのだろうか?」「なんのためにやっているんだろうか?」「どんな気もちでやりたいか?」などと、考え直してみるといいと思います。
本来、自分のために、何かの目的のためにやるはずのことが、「人の目」のためにやっているようになってしまうことがあります。愉しんでやれたほうがいいのに、「人の目」を意識し過ぎてはそれもできなくなってしまいます。
評価は相手がすることです。人によって違います。人のことをわかってくれる人は少ないと思います。アピールすることでわかってもらえればいいのですが、いくらやってもわかってくれない人もいます。
「誰のために、なんのために、どういうふうにやりたいか」それを思いだし、そのためにはどうしたらいいかを一生懸命に考えることが、いい結果につながるのではないかと思います。
4月26日(水)人の思惑
人の視線や表情や咳払いなどのちょっとしたしぐさに対して、相手が自分のことを悪く考えているのではないか、と考えてしまうことがあると思います。自分のことをバカにしているのではないか、自分のことを何か怒っているのではないか、自分が悪いことをしたと思っているのではないか、・・・。さらには、離れたところにいる人が、自分の悪口を言っているのではないか、自分のことを笑っているのではないか、などと考えてしまう人もいます。
なぜ、このようなことを考えてしまうのでしょうか。このようなことを考えてもイヤな気もちになるだけで、いいことはありません。
「バカにされたくない」「自分のことを悪く思われたくない」などの隠れた思いが強いからではないでしょうか。
そして、そういう考え方はクセになっている場合が多いと思います。
「自分にはこういう時にこういう考え方をしてイヤな気もちになるクセがある」とわかっていれば、「あ、またこのクセだ」とその場で気づけるようになれます。
そういう考えをしてしまうことは、しかたがありません。クセなんですから。それを急にやめるなんてことはできません。無意識にしてしまうのですから。
問題は、それに気づき、その場でうまく対処することです。
私は「そんなことを考えるより、いいことを考えよう」と思います。楽しいこと、好きなこと、好きな人のこと、夢や目標のこと、やりたいこと、など。
そもそも、人の考えていることはわかりません。それに、人が考えることはその人の勝手です。
人の考えていることを勝手に悪く考えてイヤな気もちになることにどんな価値があるのでしょうか。そんなことより、自分にとってもっといいこと・大切なことがあるはずです。
人の思惑を考えてイヤな気もちになっているのに気づいたら、それをいいきっかけとして、いいことを考えられたら、と思います。
4月27日(木)人の目
「よく思われたい」「悪く思われたくない」などの隠れた思いは、「人の目」を気にしているものです。誰でも「人の目」は気にしています。ただ、気にし過ぎると幸せに暮らせない原因になってしまいます。
さて、「人の目」とはどんなものでしょうか?
「人の目」とは、人が自分のことをどう考えているか、だと思われます。
人が考えていることはわかりません。自分が想像したことは間違っている可能性があります。それを真実だと信じて考えていいのでしょうか。ましてや自分が未熟だと思う人は、自分の考えを疑ったほうがいいと思います。「自分のことを悪く思っているのではないか」「自分のことをばかにしているのではないか」・・・「本当? 絶対に?」
人が自分のことをどう考えるかは、相手の問題です。相手に任せてはどうでしょうか。「どう思われてもいい」「勝手になんとでも思えば」などと考えられればいいのですが。
「人の目」とは、自分の心が作り出した自分の影のようなものではないでしょうか。自分の影を気にして、恐れたりイヤがっていたら、たいへんだと思いませんか。自分の影はあるものです。それを気にするのがよくないのです。「自分が勝手に作り出した“人の目”におびえて、イヤな思いをするのはバカらしい」
「人の目」とは、人が自分のことをどう考えているか、というよりも、自分が自分のことをどう考えているか、のほうが近いような気がします。いずれにしても「人の目」は、人の考えではなく、自分の考えだと思います。自分で対処するべきものだと思います。
「自分は自分」と考えられるようになることも大切ではないでしょうか。
4月28日(金)やりたくないこと・やりたいこと
「人の目」を気にし過ぎてイヤな気もちになってしまうこと以外に、「人の目」を意識して「やりたくないことをしている」こと、「やりたいことができない」ことも問題だと思います。
と言っても、やりたくないことでも、しなければならないことはたくさんあります。それをさせてくれるのに「人の目」が役に立っているのだと思います。「人の目」がなかったらやるべきことをサボッてしまうような気がします。
あなたの生活の中で、やりたくないこと、できればしたくないことはありませんか? その中で、やらなくてもいいことはないでしょうか? 「人の目」のためだけにしていることはないでしょうか? 自分が「人の目」を気にしさえしなければ、やらなくても問題ないことはないでしょうか?
自分の生活の中でやりたくないことが1つでも減れば、それだけイヤな時間が減り、やりたいことができる時間も増えます。「人の目」を1つのヒントに探してみてはどうでしょうか。
また、やりたいことでもできないことはあります。なんでもやりたい放題というわけにはいきません。
あなたがやりたいことの中で、「人の目」を意識してやれていないことはありませんか? わがままと思われるからできない、人の期待を裏切れないからできない、・・・。そんな中でやってもいいはずのことはありませんか? 少しくらい人に何か思われてもかまわないからやりたいということはありませんか?
やりたいことだけをやって生きようって言ってるんじゃないよ。
自分にできないことをやろうって言ってるんでもないよ。
自分にできそうなやりたいことを、
とりあえず1つやればいいんだよ。
生活の中で、1つでもやりたくないことが減り、1つでもやりたいことができるようになったらいいな、と思います。
4月29日(土)マイペースな人
人の目を気にすることは悪いことではありません。誰だって「自分勝手な人」「わがままな人」とは思われたくありません。
世の中には「自分勝手な人」や「わがままな人」はたくさんいます。そういう人を見ると、ああはなりたりたくない、と思います。でもそのために、人の目を気にし過ぎるのはどうかと思います。
私はよく「マイペースな人」と言われます。私をよく知る人は、「頑固だ」と言います。
「自分勝手な人」と「マイペースな人」は、どう違うのでしょうか。
何でも、いつでも、自分のやりたいようにやっていたら、「自分勝手な人」と思われてもしかたがないでしょう。
ここだけは譲らない、このことだけは優先する、これだけはやりたいようにやる、かつ、そのことがある程度は人に納得できるようなことだったら、「マイペースな人」になるような気がします。
あなたも「マイペースな人」を目指してみませんか。
4月30日(日)自分の問題
最近街中では、人の目を気にしない人、人に気を使わない人が多くなったと感じているのは、私だけでしょうか。その反面、人に気を使い過ぎて、人間関係で苦しんでいる人は増えているような気がします。
人の目を、まったく気にしないのも、気にし過ぎるのも、どちらも問題があると思います。
ある程度人に気を使ったのなら、「あとは、どう思われてもしかたがない」と考えたほうがいいと思います。
誤解するのは相手の問題です。自分に期待し過ぎるのも、買いかぶり過ぎるのも相手の問題です。
「人にどう思われるか」より「自分がどう思うか」のほうが大事だと思います。人がどう思うかは相手の問題であり、自分がどう思うかが自分の問題です。
「人の目」より「自分の気もち」を大切にしたほうがいいと思います。
「(人に)好く思われたい」の前に「(自分が)自分を好きになる」ことが大事なのではないでしょうか。
「人の目を気にしすぎないために」