しあわせ日記

  中庸

 『中庸』(宇野哲人訳注/講談社学術文庫)の序文より、
 この本でいう中庸とは、一般に考えられているのとは少し違って、その場、その時に、もっとも適切妥当なことである。だから、本当の意味での中庸は、生易しいことではなく、常に中庸を得ることができるのは聖人だ、と言われる。けれども一面、中庸の庸は、普通のこと、当たり前のこと、という意味もあって、平凡な、当たり前のことの中にこそ、中庸はあると考えられているから、どんな人でも中庸を得ることができると言っていい。
 『広辞苑』によると、“中庸”とは「かたよらず常にかわらないこと」「過大と過小との両極の正しい中間を知見によって定めることで、その結果、徳として卓越する」。

 極端にかたよったやり方・考え方には問題が多いのでしょう。
 極端な生き方では、幸せになるのは難しく、その中間に幸せな生き方があるのではないでしょうか。

 たとえ良いことでも極端になりすぎるのはよくないでしょう(○○はいいこと、○○すぎは・・・)。
 働くのはいいこと、働きすぎは・・・学ぶのはいいこと、学びすぎは・・・遊ぶのはいいこと、遊びすぎは・・・休むのはいいこと、休みすぎは・・・お金を使うのはいいこと、使いすぎは・・・節約はいいこと、節約しすぎは・・・運動はいいこと、運動しすぎは・・・生活を楽しむのはいいこと、楽しみすぎは・・・人に気を遣うのはいいこと気を遣いすぎるとつらくなる考えることはいいこと考えすぎはくよくよの元、人の目を気にするのはいいこと人の目を気にしすぎると自分を失う、求めるのはいいこと求めすぎるから不幸になる、頑張るのはいいこと頑張りすぎは続かない、完璧を目指すのはいいこと完璧主義は不幸の元・・・。

 中庸で難しいのは、平凡なもの当たり前のことを選ぶことなのかもしれません。
 でもそれは「自分にも可能な選択」と考え、中庸の徳を身につけていくことで、幸せに暮らせるようになるといいのではないでしょうか。



   

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