読書日記

  当たり前?

 『脳はなにかと言い訳する』(池谷裕二)より、
 身辺を振り返ってみよう。自分が「当たり前」に思ってしまっていることがいかに多いか。
 給料だけではない。日頃、顔を合わせる同僚や顧客との会話、連日繰り返される単調な仕事、通勤路の風景、家族や恋人の存在。
 世の中とは本当は刺激に満ち溢れているのに、それに気づけなくなっているのは他ならぬ“慣れきってしまった脳”だ。
 なんでも「当たり前」と思えば、何も(幸せを)感じられません。
 あって(いて/やれて)「よかった」「有り難い」「幸せ」と思えば、幸せを感じられます。
 人は日常的な幸せには慣れて「当たり前」と思いやすいのです。

 たとえば、自分の身の回りにある物の中で「ある(使える)のが当たり前」と思っている物がたくさんあるのではないでしょうか。でも実は、ないと困る(不便/つまらない)物があるはずです。
 たとえば、まわりにいる人に対して「いる(何かをしてくれる)のが当たり前」と思っていないでしょうか。でも、もしいなくなったら困る(寂しい)人がほとんどで、いつもしてくれていることをしてくれなかったら困ることがいろいろあるでしょう。
 たとえば、生活の中で自分がやっていることは「やるのが当たり前」と思っていることがほとんどでしょう。でも、それをやれなかったらイヤだ(つまらない)ということがあるでしょう。これがやれなかったら「生きていけない」と思うようなこともあるのではないでしょうか。

 「当たり前」と思ってしまうのは、慣れてしまうからなのでしょう。
 今ある幸せ(有る幸せ人がいてくれる幸せやれる幸せ)を感じられる素直な心になれるといいでしょう。
 心から幸せを感じられれば、その有り難さ・その幸せを忘れることはないのではないでしょうか。



   

次の日の日記

最新の日記

脳はなにかと言い訳する』池谷裕二

ホームページ