読書日記

  幸せか不幸かそれ以外

 『老子』(小川環樹・訳注)をヒントに考える“幸せの道”。

幸せになる心の働きにより、幸せが生じる。
 幸せは、幸せだけでなく、不幸も生む。
 幸せと不幸は、それ以外を生む。
 すべてのものは、幸せか不幸かそれ以外である。
 すべてのものには、不幸の面と幸せの面がある。
 すべてのものは不幸と幸せを合わせもち、調和したものである

  (『老子』第42章「道生一、一生二、二生三、三生万物、
            万物負陰而抱陽、沖気以為和」)


 幸せの対象への幸せになる心の働きによって、幸福感が生まれます。その際に、「幸せだなぁ」と思う幸せの自覚が生まれます(幸せという言葉と概念は、人類最高の発明の一つ)。
 幸せがあれば、その反対の不幸もあります(幸せでないのは不幸?)。また、一つの幸せは次の幸せを生むこと(「幸せを力に」)もあれば、不幸を生むこともあります。
 実際には、(日常的に)幸せな人もいれば、不幸な人もいれば、それ以外の(幸せでも不幸でもない)人もいます。誰でも(一時的に)幸せな時もあれば、不幸な時もあれば、それ以外の時もあります。

 すべてのもの(事・人・物)は、幸せの対象にもなれば、不幸の対象にもなれば、それ以外のこともあります。
 すべてのものには、幸せの面もあれば、不幸の面もあれば、それ以外の面もあるということです。
 幸せになるためには、どういう面に心の焦点を当てたらいいでしょうか。

不幸を数えて暮らすより   幸せを数えて暮らそう

 幸せに対して不幸が生まれたのですが、反対に不幸があるから幸せがあるとも言えます。
 不幸を痛感することで、幸せを感じられるようになることもあります(有る幸せ)。
 現実世界は、幸せもあれば不幸もあり、それ以外もあり、うまくできているのでしょう。
 だからこそ、自分の心の世界での幸せになる心の働きが大事なのではないでしょうか。

 すべてのものを大切にする(愛する)ことで、すべてのものが幸せに思えるようになることが人間の理想なのかもしれません。

すべてのものは好好



   

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