読書日記

  幸せでないのは不幸?

 『老子』(小川環樹・訳注)をヒントに考える“幸せの道”。

幸せがあるから、不幸がある。
 不幸があるから、幸せがある

  (『老子』第2章「天下皆知美之為美、斯悪已、皆知善之為善、斯不善已」)

 幸せな人がいれば、幸せでない人もいます。幸せでない人は、(不幸なことがなければ)ふつうの状態です。ところが、幸せでないことを「○○が(で)ないから、私は不幸だ」と考えてしまう人がいます。
 本当なら、幸せ(+1)か、ふつう(幸せでも不幸でもない0)か、不幸(−1)か、の3択であるはずが、幸せか不幸かの極端な2択で考えているのです(本当は、すごく幸せからすごく不幸までいろんなレベルの幸福度がある)。

 ただし、幸せを失った時に(一時的に)不幸になるのはしかたがありません。でも、時が経てばふつうに戻るし、いずれは幸せにもなれるのです。
 反対に、不幸な状況から抜け出した時に「幸せ」と思える人もいると思います(不幸でない幸せ)。

無い不幸を知ることで、有る幸せがわかる
  (『老子』第2章「有無相生」)

 ふつうに有ったもの(物・人・事)が無くなった時に不幸な思いを痛感した人は、それが有るのが幸せなことだとわかるでしょう。たとえば、いつも使っている物、まわりにいる人、好きなことができること、健康、・・・。

 そういう経験をしなくても、無いと困る物が有る幸せ、いないと寂しい人がいる幸せ、やれないと不自由だったりつまらなかったりする事がやれる幸せなどの、有る幸せを感じられるようになるといいのではないでしょうか。



   

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