読書日記

  有る幸せ

 『老子』(小川環樹・訳注)をヒントに考える“幸せの道”。

すべてのものは有ること自体が幸せなのである。
 有る幸せは無い不幸があるから生じる

  (『老子』第40章「天下万物生於有、有生於無」)

 すべてのもの(物・人・事)は、それとの関わり方によっては幸せになれる可能性があるのだと思います。
 その物が、使える幸せ、見える幸せ、聞こえる幸せ、香る幸せ、触れる幸せ、味わえる幸せ、・・・何かしら自分の役に立つ幸せ、それが有る幸せ。
 その人といっしょに何かができる幸せ、何らかの幸せを与えてくれる幸せ、・・・その人がいてくれる幸せ、この世に存在する幸せ。
 その事が、楽しめる幸せ、・・・何かをもたらしてくれる幸せ、やれる幸せ。

 有る幸せは、それが無くなった時に不幸を感じることで、わかることがあります。
 ふだん使っていた物が使えなくなる、まわりにいた人がいなくなる、生活の中でやれていたことができなくなる、・・・(無い不幸、有る幸せ)。
 無い不幸を痛感することで、それの有る幸せを感じられるようになる人はけっこういます。

 無い不幸を経験しなくても、頭の中で想像してみることで、その有る幸せいてくれる幸せ)・有り難さに気づけることもあると思います。
 「○○が有って、よかった/幸せ」「○○がいてくれて、よかった/幸せ」「○○ができて、よかった/幸せ」と思うことで、有る幸せを感じられるようになれたらいいのではないでしょうか。

 実際には、すべてのもの(物・人・事)との不幸な関わり方もあるのだと思います。
 でも、不幸は幸せに反転することができるのです。
 たとえば、成功は幸せにつながり、失敗は(一時的な)不幸につながります。でも、失敗をいい経験にしてその後の(幸せな)人生に活かせればいいのです。いちばんよくないのは、失敗を恐れて何もしないことかもしれません。
 たとえば、愛は幸せを生み、憎しみは不幸を生みます。でも、憎しみは愛に変わる可能性があります。『愛の反対は憎しみではなく無関心です』とマザー・テレサが言っています。
 人生には、幸せな経験だけでなく、不幸な経験もあったほうがいい(幸せ)。よくないのは何も経験しないことではないでしょうか。

 すべてのもの(物・人・事)とどのような関わり方をしたとしても、まったく関わらないよりはいいのです。
 すべてのもの(物・人・事)は存在するということだけでも幸せ、と言ってもいいのではないでしょうか。



   

次の日の日記

最新の日記

老子』から学ぶ幸せの道

ホームページ