読書日記

  幸福のレベルの違い

 『「裸のサル」の幸福論』(デズモンド・モリス)より、
 世間の常識とは異なりますが、幸福のレベルは教育とも年齢とも銀行口座の残高とも関係ありません。
 教育のない人も学者と同じく幸福を見つけることが出来ます。若者と年寄りには、それぞれに幸福になるための方法があります。金持ちは貧乏人よりも、部分的にしか幸福ではありません。
 幸福のレベルの違いは、むしろ個々人のパーソナリティの違いと深い関係があるように思えます。
 幸福になるには、「一時的に」と「日常的に」があります。
 幸福のレベルとは、日常的な幸福のレベルであり、一日の幸福度の平均のようなものではないかと思います。

 学歴がなくても幸福な人はたくさんいます。高学歴でも不幸な人はたくさんいます。学歴を理由に「自分は幸福になれない」と考えるのは間違っているのでしょう(学業・学歴と幸福感)。
 若者に若者の幸福があり、若者の不幸があります。そして、年寄りには年寄りの幸福があり、年寄りの不幸があります。もちろん、若者と年寄りに共通する幸福も不幸もあります。「若いから幸福になれない」「年寄りだから不幸だ」のような考えは間違っているのでしょう(世界的には生涯の幸福度はU字カーブをたどる)。
 幸せに暮らすためにはある程度のお金は必要でしょう。でも、それ以上あっても幸不幸はあまり変わらないようです(お金と幸福感)。

 幸不幸は人それぞれです。そして、幸不幸を左右するのは学校の成績や財産や年齢などの条件よりも、個々人のパーソナリティ(心)なのでしょう。
 パーソナリティの一つは「性格」でしょう。ただし、変えようのない根の性格はほんの一部であり、それ以外は「考え方の習慣(クセ)」だと思います。習慣やクセを変えるのは大変ですが、心がけを粘り強く続ければ変えることはできると思います(性格と幸福感)。
 私が考える幸福になれる第一の性格は「素直な心」です。

 幸不幸を左右するもう一つのパーソナリティは「幸福になる能力」だと思います。
 ほとんどの能力は努力しだいである程度は向上させることができます。幸福になる能力も努力で向上させることができます。しかも、その限界はなく、生涯向上させることが可能だと思います(年をとっても幸福幸福への道)。
 自分を育てる努力を続けることで、生涯少しずつ幸福度を高めていけたらいいのではないでしょうか。



   

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