しあわせ日記
8月21日(火)感情の問題
“くよくよ”の元は「1年たったら忘れてしまうことではないか?」と自問することで、たいていのことは「1年たったら忘れてしまうこと」だと考えられます。1年たったら忘れてしまうことなのだから「小さいこと」だと気づける、ということを『くよくよしない考え方』に入れました。
そこで、「確かに1年たったら忘れてしまうかもしれないが今の自分にとっては大きいこと、それは理屈じゃなくて“感情の問題”」ということになります。
『くよくよしない考え方』の中では現在次のように書いています。
「小さいこと」にこだわってしまうのは、なぜでしょうか?
多くの場合、ただ感情が許さないからという理由だけのような気がします。イヤな事があった後、残っているイヤな気もちにつられてその事を考えてしまうのだと思います。その事を考えてもさらに気分が悪くなるだけでいいことは何もないのに。
ちょっと思いやりが足りないような気がします。
かと言って、感情の問題だからしかたがない、ということではありません。
感情は考え方を変えることである程度はコントロールできる、と考えているからです。
感情は「しかたがない」部分と「コントロールできる」部分があると思うのです。
イヤな事・人のことを無意識に、ふと、つい考えてイヤな気もちになってしまうのは「しかたがない」のです。でもそのまま感情に流されてイヤなことを考え続けたり、悪く悪く考えてしまったら、イヤな気もちは強くなり自分の中で問題は大きくなってしまいます。生活にも少なからず影響が出てしまいます。
イヤな気もちになっても、「1年たったら忘れてしまうこと」「小さいこと」だと気づいて、「こんなことでイヤな気もちになるのはもったいない」「まぁいいか」などと考えることでイヤな気もちを小さくすることができます。ある程度は「コントロールできる」のです。
考えは意識すれば変えることは可能です。考えを変えることで感情をある程度(完全というのは無理かもしれません)コントロールすることも可能だと思うのです。あとは今のことに集中したり、今を愉しむことで自然に“くよくよ”の気分から回復できるのだと思います。
ただし、考え方はクセや習慣になっているので、そう簡単に変えることはできないかもしれません。そのことについては、また明日。
きょうは、『くよくよしない考え方』1章の改善作業をしました。日記にこの3日間で書いたことを入れることによって、少しは善くなったような気がします。先日、1章内の順番を入れ替えたのですが、そのための問題が少しありました。また、1章の最後になった「くよくよしているのに気づいたら、いいことを始めよう」が弱い感じがしたので少し書き足しました。
8月22日(水)性格? クセ?
くよくよしてしまうのは「性格だからしょうがない」と考えてあきらめている人が多いような気がします。
くよくよしやすい要因がいくつかあると思います。
1.過敏 ちょっとしたことでイヤな感じがしてしまう
2.感情的 感情が強い、流されやすい
3.悲観的 悪く悪く考えてしまう
4.執着 一つのことにとらわれやすい、気にしすぎ
5.完璧主義 思い通りにならないことが許せない(自分・人・物事)
これらは性格的なものでしょうが、100%性格とは言えないと思います。
「過敏」だけは性格かなという気もします。「繊細」と(いいように)考えられたら、と思います。気づいても軽く済ませればいいのです。
「感情的」の性格の部分は瞬間だけで、その後はどう考えるかによって感情は変わります。私は「ハオハオ」を使えるようになって、イヤな感情をだいぶ抑えられるようになりました。
「悲観的」なのは考え方で、これはクセや習慣が大きいと思います。でも楽観的な人は性格かなとも思います。だって考えないんだから(うらやましい?)。ただし、意識的な楽観主義というのはあります。自分で楽観的に考えようと心がけ、それが習慣になっている場合です。私の場合には「なるようになる」が口グセに近くなってきて、楽観ではないにしてもお気ラクにはなっています。
「執着」は感情や気分に流されてしまうのではないかと思います。イヤな気もちになるとその原因について考えてしまうのです。自分をイヤな気もちや気分にした犯人を(心の中で)責めないと気がすまないのかもしれません。原因追求より気分をよくすることのほうが大事なのではないでしょうか。ところが、自分の感情や気分をコントロールしようとしない人が多いような気がします。気分が悪い時にはすぐに気分転換法を実践できる人は少ないのではないでしょうか。
「完璧主義(完全癖)」は染みついた習慣という気がします。親に仕込まれた性格のような気もします。完璧主義は求め過ぎなのではないでしょうか。完璧主義が顔をだして一瞬イライラしてしまうのはしかたがないと思います。そこで、「まぁいいか」など考え直すことができればいいと思います。
性格的な部分はある程度しょうがないとして、(主に考え方の)クセや習慣は変えることができると思います。それについては、また明日。
8月23日(木)考え方のクセ
その人がどんなふうな考え方をするかは、性格ではなくてクセや習慣だと思います。生まれたばかりの赤ちゃんにも性格はあります。でも、言葉を知らない赤ちゃんには考えることはできません。考え方は育っていく過程で身についたクセや習慣です。
『くよくよしない考え方』でもこのHPでも、「クセを直せ」とは書いていません。考え方のクセがでないようにするという努力は不可能じゃないかと思うのです。
思考は自由です。縛ることはできません。
「××と考えちゃいけない」と言い聞かせるのは、逆効果だと思います。
では、くよくよする考え方への対策は?
まず、クセが出てしまうのはしかたがないのです。
出てしまった時に、「あ、またこのクセだ」と気づけることが第一です。「私にはこういう時に、こういう事で、こんなふうに考えて、こういうイヤな気もちになるクセがある」と自覚していれば、その場で気づけるようになります。
クセは気づいた時にやめればいいのです。考え方のクセは今考えていたことをストップすればいいのです。
できれば、考え方のクセのために悪くなった気もちを軽くするような考えをする。
さらにいいのは、「こんなことでくよくよするより、いいことを始めよう」と“いいきっかけ”にしてしまうことです。他の何かを始めて、それを愉しんだり夢中になることで、気分を良くし、イヤなことを忘れられます。
このようなことができるようになって、軽く済ませるようになるとクセがでる頻度が減るようです。
では、くよくよする習慣は? それについては、また明日。
8月24日(金)いいクセ
「クセ」と言うと悪いものを想像しがちですが、いいクセもあります。
私は「ハオハオ」が心の中の口グセになっています。いつもというわけではありませんが、ふとよく出てきます。人の話をよく聞く時などには意識して使います。きつい状況になった時には、とりあえず「ハオハオ」を使えばいい(困った時のハオハオ頼み)とも思っています。
また、「なるようになる」という言葉もけっこう出てくるようになりました。先をことを考えて悩ましくなってくると、「なるようになる」とふと出てきます。
私も自分のくよくよする考え方のクセをいくつか知っています。
ささいなことに敏感で気にしすぎ、人から自分を悪く思われたくない、先のことを心配しすぎなどに関する考え方のパターンがあります。
でも、「ハオハオ」が口グセになると、小さいことは「ハオハオ(まぁいいか)」と済ませるようになりました。クセになっているくよくよする考え方をしても「ハオハオ」が出れば、そこからくよくよしない考え方を心がけることができます。くよくよする考え方のクセより「ハオハオ」のほうが先に出て未然に防いでしまうこともあります。
くよくよしない考え方がクセになれば、くよくよする考え方のクセをストップできます。「いいクセ」が「悪いクセ」に勝つようなものです。クセにはクセで対抗すればいいのです。悪いクセは無意識ですが、いいクセには「意識」という強い味方がつきます。実は、それが大きいのです。
理屈も感情も抜きに、いいクセ(=くよくよしない考え方のクセ)をつけてしまうことが、くよくよしない自分に近づくいい方法なんじゃないかと、ちょっと前から思っています。
8月25日(土)くよくよする習慣
無意識にしてしまう「くよくよする考え方のクセ」があります。
「くよくよする習慣」もあるようです。それは、くよくよする自分を放っておく習慣だと思います。自分のくよくよする考え方のクセをやり放題にさせることです。
正しくは、「くよくよしない考え方をする習慣がない」ということかもしれません。
それは、自分がくよくよしているのに気がつかないのか、気がついてもそう考えてしまうのはしょうがないと思ってしまうか、そんな弱い自分を責めてさらにくよくよしてしまうかなのだと思います。
私は毎年、正月に「はじめてのおつかい」(日本テレビ系)を楽しみにして見ています。その中で気がついたのが子供が、「へいき、へいき」「がんばろう」「よしいこう」などと自分を励ましたり、かけ声をかけたりしていること。歌をうたって自分を元気づける子もよくいます。
これって、くよくよしない考え方をしてるんだと思います。人間の自分を守る本能が働いているんじゃないか、などとも考えました。
くよくよしやすい人は、自分がくよくよしてしまうのは「それなりの理由・事情があるから」「誰かが悪いから」「自分は弱いから」などと、くよくよしない考え方をして自分を助けることをあきらめてしまっているのではないか、などと考えてしまいます。
くよくよする考え方のクセが出てくよくよし始めてしまうのはしかたがありません。でも、それに気づいてくよくよしない考え方を心がければいいのです。それを習慣にすればいいのです。そうすれば今よりはくよくよする時間が減るはずです。
習慣にするまでにはそれなりの努力が必要です。そのことについては、また明日。
8月26日(日)決意と努力
くよくよしない考え方を心がける習慣をつけるためには、まず、「くよくよしない自分」になろうとする決意が必要だと思います。そのためには、
・くよくよしてしまうことの生活への悪影響
・“くよくよ”の価値
・くよくよする時間が減れば、それだけ生活を愉しめるようなるメリット
・努力をすれば少しずつ「くよくよしない自分」になれること
などを知り、今後の自分のためにはどうしたらいいかを考えればいいと思います。
「くよくよしない自分」になろうと決意したら、くよくよしない考え方を心がけ、少しでもうまくできるようになるように工夫をしながら努力を続ければいいのです。
努力を続けるためには、くよくよしない考え方を実際に試してみて、少しでもうまくできて効果(心にいい影響)があったら喜ぶこと。努力を始める前と比べて少しでも進歩したことを喜ぶことなどが重要だと思います。そうすれば、くよくよしない考え方を心がけることを習慣にできると思います。
私の場合には、少しでもイヤな気もちになったら「不幸になる考え方をしているのではないか?」(答えは、いつも「Yes」)「では、今の幸せになる考え方は?」と、幸せになる考え方を心がけることが習慣になっています。そうして考えだし・自分で試し・工夫してきたことが『くよくよしない考え方』やこのHPに書かれています。
そういう意味では、イヤな気もちになったら「くよくよする考え方をしているのではないか? 今のくよくよしない考え方は?」と自問することを『くよくよしない考え方』に入れたほうがいいような気もしてきました。
8月27日(月)それなりに
“くよくよ”“イライラ”しやすい人の中には“高望み”をしている人が多いのではないでしょうか。いい事を望み過ぎ、人に望み過ぎ、自分に望み過ぎ、・・・。
思い通りにならない事や○○してくれない人や何かができない自分にイライラしたりくよくよしたりしてしまうのは、望み過ぎ・期待し過ぎ・求め過ぎなのではないでしょうか。
『くよくよしない考え方』には「こういうこともある」「こんな人もいる」「○○してくれないのは当たり前」「その時はその時」など、自分の望み通りにならないことを現実として受け入れる考え方が入っています。
また最近私がよく使う「それなりに」という言葉を使った「(特別な人以外とは)それなりにつきあえばいい」「慢性的な問題があっても自分と(それなりに)うまくつきあう」「悩みがあってもそれなりに(幸せに)暮らす」というような考え方も入っています。
“くよくよ”“イライラ”してしまう原因は、自分の理想と現実のギャップにあるとも言えそうです。そうなりやすいのが“高望み”です。理想が高過ぎるとそれに現実を合わせることは無理があるので、ただ“イライラ”“くよくよ”してしまうことになってしまいます。
理想と現実を合わせる方法は、現実を理想に近づけるか、理想を現実に近づけるかです。(互いに歩み寄らせることができれば理想的かもしれません)
「こういうこともある」などと考えることで理想を(部分的に)否定することができ、現実に合わせる考え方がしやすくなります。
「それなりに」というのは現実に合わせた目標を設定して努力することにつながると思うのです。と言っても、「それなりに」という言葉があいまいで、良く解釈すれば理想的で、悪く解釈すればいいかげんなのかもしれませんが。
8月28日(火)時間をかける
くよくよしやすい人の中には「あせり過ぎ」の人がいると思います。何か問題があって、その問題を解決しようと努力するのですが、すぐにいい結果がでないと落ち込んでしまい、“くよくよ”の悪循環に陥ってしまいます。
人間関係を良くしようと努力し始めたり、自分を変えようと努力し始めたりしても、そんなに急にはいい結果はでないものです。最初はうまくいかないのが当たり前、はじめて試したことに違和感があるのは当たり前、ある程度疲れるのもしかたがない、しばらくは我慢も必要なのではないでしょうか。
「時間をかけて、少しずつ」という考え方が必要じゃないかと思います。
時間をかければそれなりにできるようになる、慣れればそんなに疲れなくなる、努力すればだんだんうまくできるようになるというようなことです。
きのう「高望み」について書きましたが、理想が高いことは悪いことではありません。今の自分には無理なことを望むとつらくなるということです。
高い理想・目標を達成するためには、時間をかければいいのです。
私は7月から本を書いていますが、この1・2ヶ月で書いているわけではありません。このHPで書きためたことの中から「くよくよしない考え方」というテーマで選び出してまとめているようなものです。
このHPは開設から、もうすぐ(9月1日で)5年になります。その間にほぼ毎日のように更新し続けています。中身を書くためには多くの時間、考えます。私はそんなにスラスラ文章が書ける人間ではありませんから。
私は自分が才能がある人間ではないと思っています。でも、そういう人間でも夢を持って生きられると考えています。それには、人より時間をかければいいと考えます。それに私は、夢を持って生きる過程の幸せを大切にしていますから、長くてもいいわけです。
『くよくよしない考え方』の本の出版も、実現できるまで時間をかければいいと思っています。
また私は、「自分を育てる」ことを人生目標にしています。それは一生かければいい、だから少しずつ成長できればいいと考えています。それでも昔の私から比べれば、相当に幸せに暮らせるようになっています。
「くよくよしない自分」になるのも「時間をかけて少しずつ」と考えたほうがいいと思うのです。「あせり過ぎ」て、すぐにいい結果がでないとくよくよしたり、あきらめてしまうのは、(今の、そして将来の)自分のためにならないと思うのです。
8月29日(水)大切なのは?
くよくよしてしまうのは「今を大切にしよう」としていないと思います。くよくよすることでどのくらいの時間をイヤな気もちになり、どのくらいの時間を悪い気分で過ごすことになってしまうのでしょうか。そのために損なわれる今の価値はすごく大きいと思うのです。
くよくよしてしまう事はその時の自分にとっては大きい事かもしれません。でもそのために、大切な今の生活を愉しめなくなるのはよくないと思います。
重大な問題を考える時には集中してちゃんと考えたほうがいいと思います。『くよくよしない考え方』の中では次のように書きました。
考える時間には集中して考えます。ただ過去の出来事を繰り返し想い出したり、人のせいとか自分はダメだとか考えたり、今後の悪い結果ばかりを考えていても、つらいだけで問題解決には近づけません。無意識に考えてしまう時には、このような考えが多いのです。今は集中してちゃんと考えよう、というしっかりした意識を持つことも重要だと思います。
その事を考えない時間には今を愉しむことが大事です。それが“くよくよ”の悪い気分を回復させ、そのイヤな事を忘れるための方法でもあります。もちろん、今を大切にすることにもなります。
くよくよしない考え方をしようとしない人は、「気分よく生活しよう」とか「幸せに暮らそう」とか考えていないのではないでしょうか。
くよくよする自分を放っておくのは自分にやさしくないと思います。「くよくよしない自分になろう」としないのは自分を大切にしていないと思います。
くよくよする時間が長い人は、自分にとって「大切なもの」がわかっていないのではないでしょうか。わかっていても本気で大切にしようとしていないのではないでしょうか。かつての私のように。
8月30日(木)今月まで
7月・8月と『くよくよしない考え方』の執筆/改善に専念してきました。
改めて全体を見直してみると、それなりに役に立つ素材(くよくよしない考え方)はそろっていると思います。また、いろんな考え方を提案できたような気がします。
あと感じるのは、まだまだ文章力が足りないな、ということです。美文・名文を書きたいとは思いませんが、もっと自然な流れの中で説得力がある文章を書けたらいいな、と思います。
そんなこともあってか、この1週間くらいで文章の書き方に関する本を数冊読み直しました。どれも『幸せになる方法』の出版前後に買った本ですが、いい文章を書くのはなかなか難しいですね。とか言って、本来なら『くよくよしない考え方』を書く前に読めば良かったのですが、なにしろ早く書きたくてしかたがなかったものですから。
また、つい最近発売された文藝春秋・臨時増刊号『新幸福論』も少しずつ読んでいます。これは、次に書く本『幸せについて』の参考になると思っています。『幸せについて』は今回のように急がずに時間をかけて書いていこうと思っています。執筆の開始は来年かな、とか思っています。それまでに、文章の書き方や幸福論などの本をいっぱい読み直してみようと思っています。
第三次改善作業は、着眼法でいこうと思っています。他の本を読んだりHPの作業をしたりしながら、改善のヒントを見つけようと思っています。
9月からはHPで新しいことも始めます。それについては、また明日。
8月31日(金)来月から
9月からはHPの更新も始めます。
「自育の広場」はもっと早く始めたかったのですが、どのようにやっていくかが決められなかったのですが。それについては明日から時間をかけて考えていこうと思っています。
同様に「ハオハオの広場」というのも始めようと思っています。
「広場」というのは、読者参加型ということです。
もう1つ始める予定だった「人生案内」は「生きるヒント」に変更します。「人生案内」は人生相談のイメージが強いのでやめました。あくまでも読者の方が自分で考えることが大事で、そのヒントが提供できたらと思っています。
「生きるヒント」はこのHPのインデックス的なものにしようと思っています。このHPが未整理で、どこに何が書いてあるかが見つけにくくて、申し訳がないとずっと思っていましたので。
と言っても、9月中は『くよくよしない考え方』の改善作業も続けますので、少しずつ着々と開始していこうと思っています。乞う、ご期待!!