しあわせ日記
8月11日(土)e本化プロジェクト見直し
e本化プロジェクト全体を見直してみました。
現在、『くよくよしない考え方』の改善作業は7章です。今月いっぱいは専念する予定ですが、改善作業が一巡したところで原稿をまとめて1つの出版社に持ち込んでみよう思います。
9章の「大きい悩み・問題に対するくよくよしない考え方」と10章の「くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために」は大きく手を入れる必要がありそうです。
「目次」と「はじめに」も改善しようと考えています。
目次と構成については、メールモニターの方にアンケート協力をお願いしました。現時点でのアンケート結果のまとめをしてみました。
これらの作業をし、8月19日までに第一次の持ち込み原稿を作成し、8月20日に出版社に電話で確認の上で送ってみようと考えています。
8月中は『くよくよしない考え方』の改善作業に専念することにしました。
新しいコーナーの開始やHPの改善などは9月からにします。
8月12日(日)悪循環への対策
“くよくよ”“イライラ”の悪循環への対策を考えています。
1つめの対策は、問題化しないこと。
何かイヤなことがあっても、軽く済ませる、その場だけで終わらす、その後に思わず考えてしまった場合には考えを切り替える、というような方法です。
どうしようもないことは受け入れる。
問題にしなければ(解決・改善の必要もなく)、悪循環に入らなくて済む。
2つめの対策は、現実的な目標設定をする。
人を変えようとする(変わるのを期待する)のはやめる。
自分を変えることは時間がかかるものと覚悟する。
改善策もすぐには思いどおりにはいかないと覚悟する。
工夫と努力を続け、少しずつ改善できればいい。
問題を解決しようと思っても、「すぐに解決・改善できない」と“くよくよ”“イライラ”しないために。
3つめの対策は、悪循環の考え方をしないように心がける。
くよくよイライラの価値を認識する。
自分の悪循環の考え方のパターンやクセを知る。
気分に流されない。
一つ一つ考える。
悪循環の考え方に気づきストップする。
4つめの対策は、生活を大切にする。
1つの悩みのために生活を台無しにしない。
考え過ぎない。
悩みがあってもそりなりに暮らす。やるべきことをやる。
気分よく生活することを心がける。
心身の健康を管理する。
新たな大きな問題を発生させないように。
このようなことを『くよくよしない考え方』9章に入れる予定です。
8月13日(月)全体の構成
きょうは一日、『くよくよしない考え方』9章の「大きい悩み・問題に対するくよくよしない考え方」の改善作業をしていました。“くよくよ”“イライラ”の悪循環への対応を反映させることを検討したのですが、章全体のコンセプトを変えることはやめました。でもそれをヒントに9章内の順番は大幅に入れ替え、悪循環については個々の文章の中に反映しました。
9章のテーマは大きく分けて4つです。それを章のはじめに明示することにしました。
“くよくよ”“イライラ”の悪循環への対応については、「エピローグ」に総括として入れることに決めました。また、「はじめに」をふくらませて「プロローグ」とすることにします。
プロローグとエピローグで“くよくよ”“イライラ”全般に関することを書き、本文は94の独立した考え方という形式にします。
また、プロローグはよく考えて(特に書き出しは)力を入れて書かなければ、と思っています。
とりあえず、これで『くよくよしない考え方』の全体の構成が固まり、あとはそれをまとめて持ち込み原稿を作成すればいいわけです。
早く出版社に見てもらって審判を仰ぎたいというのは山々ですが、まだ改善作業をしっかりやらなければなりません。
さて、この先どうなるでしょうか。自分でも楽しみです。
8月14日(火)常夏、常夏
久しぶりに暑い日になりました。
私は相変わらずクーラーなしの生活なのですが、新兵器があるのです。
除湿(乾燥)機を買ったのです。エアコンが壊れた時にけっこうの量の水が漏れたのを見て、室内の空気にこんなに湿気があるのかと驚いたのです。パソコンが壊れたらたいへんだ、とか理屈をつけて買ったのでした。
除湿機には「冷房機能はありません」と書いてありましたが、なんと暖房機能がついていたのです。室内の空気を吸って乾燥した暖かい空気を出すのです。「買ったのは失敗?」と一瞬思いました。
でも、試しに使ってみました。確かに部屋の中はさらに暑くなりました。しかし、少したつと汗が出なくなったのです。すぐに蒸発しているのでしょう。暑さに慣れるとけっこう快適です。(暑さに弱い人にはおすすめしません)暑いけど湿気がないというのはこういう感じなのだと実感できました。
もしかして、常夏の島のリゾートってこんな感じなのかなぁ、と今まで一度も日本から出たことがない私は思ってしまいました。
ついでに「常夏」(発泡酒=飯島直子さんがCM)を飲んでしまいました。
「♪トコナツ トコナツ ココッナッツ」と歌が浮かんできました。(「二人のアイランド」石川優子&チャゲ/歌詞はちょっと間違ってますが)
「常夏だ。常夏だ」とひとり浮かれた、ただのオヤジでした。
きょうも午前中にふとん乾燥をしながら部屋の除湿をしたため、汗をかかずに作業ができました。文明の利器はすごいものです。
だったらクーラー使えばいいじゃないか!
8月15日(水)過程を愉しむ
きょうは、『くよくよしない考え方』10章の「くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために」の改善作業をしました。10章は、以前に書いた「くよくよしない考え方ができない理由」を元に、くよくよしない考え方ができるようになるための考え方を書いていますが、この章の内容は簡潔にポイントだけにしたほうがいいと考え、ほとんどは1ページに入りきるように、削る作業をしました。
もう1つきょうした作業は、8章の「生きることにくよくよしないために」を改善するために、「過程を愉しむ」という話を追加しました。少し前から目次全体を見渡した時に、8章の中ほどに「やりたいこと」と「生きがい」が2話ずつ計4話並んで、なんとなく冗長な感じがしていたのですが、どうしようか考えていたのでした。メールモニターのYTさんのご感想からヒントをいただいて「過程を愉しむ」というのを入れることに決めました。そして、「生きがい」に関する2話を1話にまとめました。
私は、夢は結果よりも過程を大切に考えています。過程が充分に愉しめればいいんじゃないか、過程を愉しめたほうがいい結果にもつながるのではないかと考えています。
結果だけを求め過ぎると、過程を愉しめなくなる危険性があります。愉しめないとやる気や元気も出ないのではないでしょうか。苦しい・つらいだけでは途中でイヤになってしまうのではないでしょうか。長い時間、苦しい・つらいだけの時間を過ごしていい結果を出しても、喜べる時間はほんの少しではないでしょうか。もし悪い結果になったら、長い苦労はどうなるのでしょうか。立ち直れないかもしれません。
過程を充分に愉しめたのなら、たとえ結果が悪くても納得できるのではないでしょうか。また、長く素敵な時間を持つために次の夢にチャレンジしたくなるのではないでしょうか。
それ以前に、多くの人は失敗や挫折を恐れて夢にチャレンジできません。結果だけを考えているからです。過程を愉しむことを重視できれば、やれるだけでも幸せとか、人生の中でのいい経験をするためになどと、夢にチャレンジできるのではないでしょうか。
そういう自分は、1つの夢へのチャレンジの真っ最中なのですが、充分に愉しんでいるつもりです。7月のはじめからずっとやる気満々で一日中、『くよくよしない考え方』のことを考えているような感じです。キャンプに行っていた1日半以外には特に休みもとっていません。でもそれはやりたいからやっているのです。「休みがあったら何がしたい?」と聞かれたら、「今いちばんやりたいこと」と答えたのと同じなのですから。
人生の中でこういう時間を持てることをすごく幸せだと思っています。
8月16日(木)大きな力
『くよくよしない考え方』の改善作業が1章から10章まで一巡しました。
きょうはメールモニターの皆さんからの今までのご意見・ご感想を全部見直してみました。まだ、検討が必要なところがいくつか残っていました。
あらためて、いろんなご意見・ご感想をいただいたことがわかりました。また、今回のプロジェクト(今までは主に執筆作業)でメールモニターの皆さんに大きな力を与えていただいたことに気づきました。
私にはない観点からのご意見・ご感想はとても参考になります。こう考える人もいる、こう感じる人もいることがわかります。そういう人にはどう書いたらより伝わるだろうかなどと考えて書き直したり追加したりしたところもあります。具体的に、文章上の誤りや誤字脱字を指摘していただいたり、こうしたほうがいいのではないかというアドバイスもいただきました。
また、たくさんのうれしいお言葉もいただきました。
「この考え方・方法・言葉・見だしはいい」というおほめの言葉や、「ラクになれる」「気もちが落ちつく」などの「いい感じがする」というご感想、「発想の転換」「ユニークな考え方」「新しい切り口」というようなうれしい評もありました。
「そのとおり」「私もそう思う」「同感」「納得」「なるほど」などのお言葉もいい手応えとして感じられました。書いていることに自信が持てます。
「やってみます」「心がけます」「参考になります」「ためになります」というようなお言葉はうれしいです。そのために書いているのですから。そんな中でも「やってみて役に立ちました」というお言葉がいちばんです。「役に立つ」というのがこの本の一番の目的ですから。
皆さんからのご意見・ご感想を原稿に中に活かすことで、少しずつ「いい本」に近づいている気がします。私のひとりよがりではない「いい本」「役に立つ本」になっているという手応えも感じています。今後の展開がさらに楽しみになってきました。
「頑張ってください」という励ましもたくさんいただきました。
私のやる気満々がずっと続いているのは、これらのお言葉を絶え間なくいただいたおかげだと、きょう気づきました。私にとってどれだけ力になっているかわからないくらいです。
メールモニター以外のHPの読者の方からも、ご感想や励ましのお言葉をいただきました。
皆さんにあらためてお礼申し上げます。とても感謝しております。
そして、これからもよろしくお願いいたします。
本多時生
8月17日(金)目次と書きだし
きょうは、『くよくよしない考え方』の目次と構成の改善作業をしました。
目次には、各話にサブタイトル入れました。ただし、1行に入り切らないために入っていないものもあります。統一性に問題はありますが、読者の興味をひくことを優先しました。タイトルも一部変更しました。
各章の中の順番も一部入れ替えました。特に1章を大きく変更。
これらの改善はメールモニターの皆さんのご意見を参考にさせていただきました。
そして、今、プロローグとエピローグを考えています。
特に、プロローグの書きだしには迷うところです。とりあえず、今思いつくところでは、
「私は元来、くよくよしやすい人間です。」
「私は、精神科医でもカウンセラーでも心理学者でも宗教家でもありません。」
「あなたは知らず知らずのうちに、“くよくよ”“イライラ”して過ごしてしまうことがありませんか?」
「多くの人は自分がくよくよしていることに気づかないで生活しているのだと思います。いつのまにかくよくよし始めて、いつのまにか平常に戻っているのです。」
「くよくよすると『健康上よくない』『長生きできない』などとよく言われます。『美容上よくない』という女性もいます。」
「あなたは『くよくよしない自分』になりたくありませんか?」
などと考えていますが、第一次の持ち込み原稿にはプロローグとエピローグはつけないことにしました。余計な色をつけずに、内容を見てほしいからです。また、プロローグなどは編集者と相談してからでもいいと思います。
早く出版社の反応・感触を知りたいという私の気もちが早ってしまい、20日に1つの出版社に持ち込み原稿を送ることに決めましたが、今月中は改善作業に専念する予定です。来月以降も出版社に入稿するまで改善作業は続ける予定です。
8月18日(土)持ち込み原稿用の編集
きょうは『くよくよしない考え方』の持ち込み原稿用の編集をしました。
そもそもどういう形式で出版社に提出すればいいのか、よくわからないのでちょっと試行錯誤をしていました。
ふつうは、原稿用紙に執筆したもの(または、そのコピー)を提出するのでしようが、ワープロで書く人はどのようにしているのか知りませんので。まぁ内容がわかればいいのでしょうが。
1行40字にして、約10行毎に仕切り(400字詰め原稿用紙1枚相当)を入れてみました。仕切りにカウントを入れたら、全部で277でした。原稿用紙277枚ということなのでしょうが、それが本の原稿としてどのくらいになるか検討がつきません。
でも、各話は本の(見開き)2頁が多く、3頁になりそうな頁もけっこうありそうなので、94話で200頁〜250頁ぐらいじゃないかという感じはします。
実は最初勘違いをしていて、約20行毎に仕切りを入れてしまって、あとでやり直しました。ワープロでA4の紙に横書きで印刷した10行が原稿用紙1枚というのは、すごく少ない感じがします。それが勘違いの言い訳でもあるのですが。
私はワープロソフトではなくエディターソフトを使っています。修飾の機能などはいらないので、昔から仕事で使い慣れていて使い勝手がいいエディターを愛用しています。
また、『くよくよしない考え方』の原稿はふつうのテキスト(文字だけ)ではありません。HTML(ホームページ表示用)で書いているのです。だからそのまま、ブラウザーで表示できるし、目次からは各話にリンクで直に移動できます。「(2章参照)」などという部分もリンクがはってあります。けっこう使い勝手がいいと思っています。
その編集作業と並行して、全原稿を通し読みしました。一部訂正もしました。
さっと読んだせいか、なかなか自分で評価をするのは難しい感じがしました。あしたから、この日記の中で『くよくよしない考え方』を分析してみようと思います。
8月19日(日)いいかげん?
『くよくよしない考え方』を読んでまず目につくのは、「まぁいいか」「なるようになる」「このままでもいい」「そのままでいいよ」などが各章の頭にきていることでしょう。
これらをいいかげんと感じてしまう人が多いのではないでしょうか。そんな言葉で済まさないでちゃんと対処すべき、よく考えることが大切など。
「まぁいいか」でいつもいいわけではないのだと思います。でも、いい時もあるはずです。
ちゃんと考えられる人、ちゃんと考えられる時は、ちゃんと考えればいい。
その事でくよくよしたくない人、くよくよしたくない時には、「まぁいいか」で済ましたほうがいいのではないでしょうか。
考えても価値がない事やしかたがない事があります。小さいことや考えるだけでどうせ何もしない事や今の自分にはどうにもならないなど事は、「まぁいいか」で済ましてしまったほうがいいのではないか。他に大切なことがあるなら、そちらを優先したほうがいいのではないか。
「まぁいいか」で済ましたほうがいい時と、済まさないほうがいい時の判断が必要なのかもしれません。くよくよしている自分をやさしく助けたほうがいいか、きびしく励ましたほうがいいか。どちらがその時の自分にとっていいのか。
「まぁいいか」と済ましたほうがいいメリットは、まず、その一言でラクになれることです。その事を問題化しないことにより、何もしなくても(考えなくても)いいことだと思います。問題化するとその解決がうまくできないとくよくよの悪循環に陥ってしまう危険性もあります。また、くよくよの時間を他のことに使えるというメリットも大きいと思います。
完璧主義がくよくよしてしまう大きな要因の一つだと思います。いつでも絶対に「まぁいいか」とは言えない・思えないというのもその現れのような気がします。
くよくよする時間を減らしたいと思うのなら、「まぁいいか」で済ませたほうがいい事や時があったほういいのではないでしょうか。現実としてその一言でラクになれること、減らした分の時間をいいことに使えることなどのメリットを考えれば、「まぁいいか」と言いやすくなりそうです。
以上のようなことを、『くよくよしない考え方』の中に反映してみようと思います。
8月20日(月)小さいこと?
『くよくよしない考え方』の1章は「小さいことにくよくよしないために」なのですが、この「小さい」ということに考えなくてはいけない課題があるようです。『くよくよしない考え方』の中にこのように書きました。
きっと多くの人は、くよくよしてしまうことは自分にとっては「大きいこと」だと思っているのです。だから、「小さいことにくよくよするな」と言われても、自分の問題には当てはまらないと考えてしまいます。
確かに、その時の自分の頭の中では大きい問題です。「その時にはそれがすべて」という感じがするのもわかります。
そのようなことでも、長い目でみると(人生の中では)「小さいこと」だったり、人から見たらささいなことだりすることがあります。また、過去を振り返れば「どうしてあの頃は、あんなことにすごく悩み苦しんでいたのだろう」と考えられることも多いのではないでしょうか。
このような考え方がその場でできれば、「小さいことだ。まぁいいか」などと考えることも可能になります。その場でそういう考え方をすることが難しいのはわかりますが、そういう考え方ができるように努力してみたほうがいいのではないでしょうか。すぐには難しくても、少しずつできるように努力する価値はあると思うのです。それができるようになることで、どれだけくよくよする時間が減り、その分いいことができる時間が増えるのでしょうか。今後の人生の中ではすごい時間になるはずです。
10章「くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために」の中に、「くよくよしない考え方ができたらいいな」ということを書きました。いつもの「○○たらいいな」ですが、「できない」と最初からあきらめてしまうのとでは大きな違いだと思います。
「もしかしたら小さいことかもしれない」「これがすべてということはないんじゃないだろうか」「人生の中では一部なのかもしれない」という可能性を考えられるだけでもいいような気がします。
「小さいこと」かどうかを知るために役に立つのが、「1年たったら忘れてしまうこと?」という考え方なのですが、これにもいろいろ考えるべき要素があるので、また明日ということで。
話は変わって、きょうサンマーク出版さんに電話をしてあて先などを確認後に、『くよくよしない考え方』の持ち込み原稿を郵送しました。さて、どのような返事がくるのでしょうか。
明日から第二次の改善作業を開始します。今回は「弱点強化」をしようと思っています。各章の中で弱いと思う話の強化、1話の中で弱いと感じるパラグラフの強化などです。弱い部分を探して強化する一種の苦情法だと思います。また、きのうから日記で始めた、『くよくよしない考え方』で問題点をさらに考えた結果を反映させることもします。今月いっぱいの予定。
9月以降は、着眼法を考えていますが、それはまたその時になってから。