もしある専制君主がぼくを投獄して権力を尊重させようとしたならば、ぼくは毎日ひとりで笑うことを健康法とするであろう。足を強化するためトレーニングをするのと同じように、ぼくは自分のよろこびを強化するためトレーニングをするであろう。 しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ、と言いたい。