読書日記

  空は無常と無我

 『わたしの般若心経』(松原泰道)より、
 空は“無常と無我とを、一つに和えた真理の味”といえるでしょう。
 無常は、すでに学んだように「すべて形あるものは常に移り変わる」という教えです。
 無我も前に学んだように「すべて存在するものは、無数のかかわり合いがあって存在できるので、他と無関係に孤立しては存在できない」という道理です。
 仏教における「空(くう)」の考え方は難しく、よくはわかりません。
 無常と無我のほうが少しはわかりやすそうな気もします。

 一般的に「無常」というと「はかない/空しい」というイメージですが、仏教のおける「無常」は諸行無常・万物流転のような意味なのでしょう。
 たとえば、幸せについても「無常」が言えます。一つ幸せは長くは続きません。同様に、不幸がいつまでも続くことはないのです(幸不幸は変わる)。
 ですから一つの幸せを守ろうとするのは不幸の元です(幸せを固守しない)。今ある一つの幸せを大切にできるといいのでしょう。
 そして、どんな不幸もいずれは忘れてふつうに生活できる時がくる、幸せを感じられる時もくるはずです。それを信じることができれば、少しは心が落ちつき、希望ももてるのではないでしょうか。

 一般的に「無我」というと「私心がない/無心」というイメージですが、仏教における「無我」は「他との関係によって存在する」ということでしょうか。
 たとえば、幸せについても「無我」を考えることができるでしょう。幸せがあるから不幸もある。反対に、不幸があるから幸せがよりわかる(よりいっそう幸せを感じられる)ということもあるのです(幸せか不幸かそれ以外)。
 すべてに感謝し、すべてを愛することができるようになるといいのかもしれません。



   

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