“いい人”というのは悪い言葉ではないはずなのですが、
否定的な表現の中に使われることもあります。
「ただのいい人」「都合のいい人」「どうでもいい人」・・・。
「いい男」や「いい女」はもてるのに、「いい人」は・・・。
一方、「いい人(いい子)のフリをしているのがつらい」
と悩む人もいます。
人前での「いい人の自分」と
「本当の自分」とのギャップに悩む人もいます。
All About ビジネス・キャリアのおすすめガイド記事に
「職場で“いい人”を演じる憂鬱」というのがありました。
筆者の角田さんは、“いい人”を“マスオさん体質”と名づけ、
「仕事を抱えてしまう」「不本意な仕事が増える」
「やりたいことができない」という兆候を挙げています。
恋人にしたい相手、結婚したい相手の条件の上位には、
男女を問わず「やさしい人」が入ると思います。
本当にやさしい人と本当にいい人は近いような気がします。
「ただのいい人」は、
「嫌われたくない」「好かれたい」だから、
ご機嫌をとったり、ノーと言えない。
「本当のいい人」は、相手の幸せを考えられる。
人を喜ばすことを自分の喜びとできる。
人を甘やかすことは、その人のためにはならないと考えられる。
“いい人”であろうというのは、いいことです。
“いい人”を演じることも、
気もちよくできるのならいいのではないでしょうか。
でも、人から“いい人”と思われたいために
無理をするのはよくないでしょう。
“いい人”であることが、自分にとっても心地いいことならいいのでしょう。
きのう、長者番付(高額納税者)が発表されましたが、世の中にはすごいお金持ちがいっぱいいるんですね。
『何も贅沢しなければ幸福になれないと言うことはない』
武者小路実篤
もちろん、ある程度の収入がなければ幸せに暮らすことは難しいでしょう。
最低限「衣食住に困らない」程度、できればある程度の余裕はあったほうがいいでしょう。
高収入の人、お金持ちの人は、幸せそうに思われるでしょう。
でも、本当に幸せかどうかは、本人がどう思っているかです。
「自分は幸せ」と思っている人もいるでしょうし、「自分は幸せ」と思っていない人もいるでしょう。
高収入の人と、ある程度余裕のある人の幸福度はそんなには変わらないんじゃないか、と私は思います。
物質的余裕、時間的余裕、精神的余裕のうち、幸せにより影響するのは、右から左の順ではないでしょうか。
経済的な余裕があれば、三つともつくりだせると思うのですが、高収入の人には忙しい人が多く、時間的・精神的余裕は少ない人が多いような気がします。
精神的な余裕がある人は、生活に困らない収入があれば、幸せに暮らせると思います。
忙しくても、そういう生活を愉しめるのならいいと思います。
でも、ぜんぜん愉しめないのはよくないのではないでしょうか。
生活を愉しめない人は、心が急ぎすぎているのかもしれません。
愉しむ心の余裕がないのかもしれません。
単に、生活を愉しもうという意識がないのかもしれませんが。
“スローライフ”という考え方があります。
「ゆっくり暮らすライフスタイル」という感じでしょうか。
「ゆっくり」と言っても、ヒマな人が幸せなわけではありません。
何かに追われずに、ゆとりをもって暮らせればいいのだと思います。
今、生きることがちょっとしんどいと思う人は、少しペースを落とすスローライフの考え方を自分の生活に取り入れることを考えてみるのもいいのではないでしょうか。
「あなたのオアシスを教えて?」というアンケート結果が
アサヒビールのサイトに掲載されいます。
あなたが「オアシス」を感じる瞬間は?
1位 湯船に浸かっているとき
2位 晩酌のとき、お酒を飲んでいるとき
3位 蒲団・ベッドに入ったとき
4位 子供(孫)の笑い顔・寝顔を見たとき
5位 家族団らんのとき
6位 デザート・菓子など甘いものを食べているとき
7位 ご飯を食べているとき
8位 趣味でパソコンをしているとき
9位 テレビや映画を見ているとき
10位 温かい飲み物(お茶、コーヒー)を飲んでいるとき
どれも、もっともな感じがします。
そして、どれも、幸せなことなのではないでしょうか。
男女別では、
男性は、1位 お酒、2位 お風呂、3位 寝る
女性は、1位 お風呂、2位 寝る、3位 甘いもの。
私は、お酒も甘いものも、両方とも好きです。
もちろん、お風呂も、寝るときも、「幸せだなぁ」と思えます。
このような日常生活の中のオアシスが
けっこう幸せを感じられるものなのではないでしょうか。
幸せになりたいのなら、
生活の中に自分の楽しみをもち、
それを「幸せ」と思えるようになることが、
いちばんの近道なのかもしれません。
内閣府のHPの「第6回世界青年意識調査報告書」によると
11カ国の18歳から24歳までの青少年に
幸福かどうかを聞いたところ、「幸福だ」と感じている者は、
韓国とロシア以外では9割を上回ったそうです。
日本の場合、
「幸福だ」49.0%、「どちらかといえば幸福だ」43.9%。
両方を足すと、92.9%の人が「幸福だ」ということです。
「どちらかと言えば(不幸ではなく)幸せ」
という人は多いのかもしれません。
このホームページの幸せアンケートでは、
「あなたは幸せですか?」に、「はい」54%、「いいえ」46%。
また、「はい」の人に対して、
「1日に何回ぐらい幸せを感じていますか?」に、
「4回以上」11%、「2・3回」21%、「約1回」31%、
「たまに」32%、「感じない」5%。
「幸せですか?」と聞かれれば「はい」と答えられる人でも、
「幸せを感じて暮らしていますか?」では
「はい」とは言えない人も多いのではないでしょうか。
「自分は幸せ」と思える人は、
幸せを感じて生活できたほうがいいでしょう。
それは心がければ、できることだと思います。
幸せを感じて暮らせている人は、
「どちらかと言えば」ではなく
はっきり「自分は幸せ」と言えると思います。
「自分は幸せ」と今答えられない人は、
何か悩みや問題を抱えているのかもしれませんが、
問題があってもそれなりに幸せに暮らすことは
(努力すれば)できると思います。
特に大きな問題はないという人は、
生活の中で小さな幸せを感じられるようになれば、
「自分は幸せ」と思えるようになるのではないでしょうか。
「幸せは健康にいい」という研究をいくつか紹介した記事がありました。
◇「幸福は最良の薬」を裏付ける研究成果(Wired News)
「喜び(joy)や感謝(thankful)といった言葉を
使っていた修道女たちは、否定的な感情を
記していた修道女よりも最長で10年長生きしていた」
「毎日幸せだと答えた人は、
身体的にも健康であることが立証された。
幸福を感じると、神経内分泌系の作用、
炎症、心臓血管の活動が減少」
「コルチゾールは重要なホルモンだ。
最も不幸な被験者と最も幸せな被験者とでは、
コルチゾール濃度に32%の差が出た」
「人は健康だから幸せだというだけではなく、
幸せだから健康なのだ」
「笑いは健康にいい」
幸福感は薬になり、不幸な感情は毒になるのかもしれません。
「怒る」と身体の中に毒が作られる、という心理学の実験もあります。
でも、毒も少量なら薬になることがあります。
毒が身体の中に入ることで、人間が本来もっている治癒力を呼び起こしてくれるのだと思います。
不幸があるから、より幸せを感じられることがあります。
不幸な出来事や状況が、幸せになるためのきっかけや契機になることもあります。
不幸な経験によって成長できることで、幸せに暮らせるようになれることもあると思います。
不幸な感情(毒)を頻繁に、もしくは長期間受けていたら、病気になりやすいでしょう。
「幸福感は心の栄養」と私は思っています。
また、喜怒哀楽などの「感情の動きは心の運動」、やすらぎなどの「心地よさは心の休養」です。
健康には、栄養・運動・休養の3つが大切です。
健康だと気分よく過ごしやすく、健康だからできる幸せになれることがたくさんあります。
健康なだけでも「幸せ」と思ってもいいのではないでしょうか。
幸福感の価値は他にもあります。
幸せに、健康に暮らしたければ、幸せを感じて生活することすごくが大事なのだと思います。
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