しあわせ日記
信じるということ
8月23日は「一遍忌」(時宗の開祖・一遍上人の忌日)。
『信というはまかすとよむなり。
他の意にまかする故に人の言(ことば)と書けり』 一遍
「信じる」とは「相手にまかせる」こと。
「相手にまかせる」とは「信じるとは、裏切られてもかまわないと覚悟すること」かもしれません。
「裏切られてもいい。(それは相手の問題)」「たとえ失敗してもいい」と考えればいいのです。「愛したいから愛する」「やりたいからやる」「チャレンジすることに価値がある」「きっと人生のいい経験になる」などと考えるのもいいでしょう。
「信じる」ものはいろいろあります。
たとえば、人を信じる(愛する相手を信じる)、自分を信じる(自分の価値を信じる、自分の幸せを信じる、自分の力を信じる、自分の可能性を信じる、自分の「幸せになる力」を信じる)、未来を信じる(自分の夢の実現/目標の達成を信じる、将来の幸せを信じる)、社会(組織・国)を信じる、思想を信じる、宗教を信じる、自然(の摂理)を信じる、真理を信じる、・・・。
「信じる」ことに関しては、次のようなことを考えたことがあります。
「信じるとは、信じようという意志である」
信じられるか信じられないかよりも、自分が信じようとするかどうかのほうが大事なのです。「信じたいから、信じよう」と考えればいいのです。
「信じるとは、疑わないこと、疑う考えを捨てること」
信じられなくても、疑わなければいいのです。
つい疑ってしまっても、「こんなことを考えるのはよそう」「こんなことを考えるより、今できることをやろう」と心がければいいのです。
「信じるとは、一時的に不幸になっても、いずれは幸せになれると思うこと」
信じた結果が悪く、不幸になったとしても、それで終わりではない」「不幸がいつまでも続くわけではない」「幸せなときがきっとくる」と考えればいいのです。
信じることは幸せになる第一歩ではないかと思います。