しあわせ日記

2月11日(月)「外の目」
 日記に何を書こうか、ちょっと困っていたところ、「ほぼ日デリバリー版」(メルマガ)が届きました。その中でdarling(糸井重里さん)が、
たぶん、自分でホームページを
持っている人はわかると思うんですけどね。
「毎日」「外の目」って、スゴイです。
ぼくよりも、長く連続してホームぺージに
文章を書いているという方がいたら、
ぜひぜひ、お知らせくださいな。
 と書かれていました。
 「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)HPの開設は1998年6月。このHPの開設は1996年9月、しあわせ日記は1997年1月からほぼ毎日書き続けています。たまに2日まとめて書いたり、1日遅れで書いたりもしていますが、ほぼ毎日ではあります。(きょうは、初めての反則、2日前の日記を書いてしまいました)
 やはり、「外の目」は大きいです。読者の方がいるから、続けられているのだと思います。ありがとうございます。

 ということで、darlingにメールを送ってみましょう。
 もしかしたら、この日記をdarlingが読むのかもしれませんね。
 「糸井さんの目」を意識するとちょっとドキドキしたりして。

 反則ついでに(12日朝の話ですが)、やっぱり清水宏保さんはすごいですね。ソルトレークオリンピックのアイススケート500m1日目で2位です。明日への期待がふくらみます。

 ちょっと遅くなりましたが、
里谷多英さん、銅メダルおめでとう!
 
 上村愛子さんもよかったです。(審判の点が辛いんじゃない?)

 寒い日が続き、インフルエンザも流行っているようです。カゼなどひかないように気をつけましょう。



2月12日(火)自分の目
 きのうの日記に、「上村愛子さんもよかったです。(審判の点が辛いんじゃない?)」と書いたのですが、それに関することが「ほぼ日」のダーリンコラム<愛子とあゆ>に書いてあり、感心しながら読んでちょっと反省したりもしました。

 コラムの中でdarling(糸井重里さん)が「自分に嘘をつかない」ということを書いていました。
 「自分に嘘をつかない」というのも幸せになる方法の1つだと思います。
 自分に嘘をついて生きていると、どこかしらに違和感や不満や疲れがでてしまうような気がします。
 自分に対する無意識の嘘も多いのではないでしょうか。それに気づくためには、自分を見つめる「自分の目」が必要だと思います。それにはやはり「自分を大切にする」意識が大事なのではないでしょうか。
 自分の嘘に気づいて、自分に正直に生きられるようになるとよさそうです。

 「自分に嘘をつく」と言うと、「本当はしたい事をしない(できない)」ことをイメージしてしまいます。
 したい事でも、現実にはできないこともあります。それをしないからといって、「自分に嘘をついている」と考えてしまうと、つらい思いをするだけになってしまいます。現実として自分にはできない事はできなくて当たり前、けして自分に嘘をついているのではないと思います。
 また、「したい」けれども「しないほうがいい」ということもあります。「しないほうがいい」と考える裏には、(カッコ)悪い事はしたくない、人から悪く思われたくない、人からよく思われたいというような思いがあるのかもしれません。その場合には、「したい」と「よく思われたい」のどちらを優先するかです。「しない」ことを選んだとしても、「自分に嘘をついた」ことにはならないと思います。

 理屈っぽくなっちゃいましたが、「自分に嘘をつかない」というのは、「なりたい自分なら?」と同じように、自分を苦しめかねない両刃の剣でもあるので、注意したほうがいいと思ったのです。その注意をできるのも自分を見つめる「自分の目」だと思います。

 スノボー・ハーフパイプ5位になった中井孝治さんとってもよかったです。(審判の点が辛いんじゃない?)

ぜんぜん反省してない!   ハオハオ



2月13日(水)「悔しい」

清水宏保さん、銀メダルおめでとう!
 
 インタビューに「悔しい」と言った清水さんがむっちゃくちゃカッコよかった。
 まず、何よりも正直であること。
 いさぎよいこと。結果は現実としてちゃんと受け入れていること。
 冷静なこと。現状や自分をよくわかっていること。
 自然なこと。誰に負い目を見せるわけでも、こびるわけでもないこと。

 「悔しいこと」はイコール不幸じゃない、と感じました。
 同様に、悲しいこと/寂しいこと/苦しいこと/つらいことも、イコール不幸じゃないのだと思います。
 そういうことを自分がどう受けとめ、どう消化するかによるのだと思います。
 「現実は現実」と受けとめ、自分の感情をそのまま受けとめればいいのです。
 そして、そのことをどう考え、今後どうしていくかが大事なのです。

 私は5つの「幸せになる方法」の1つに「不幸を幸せに変える」ことを入れているのですが、実際には時間をかけて「いい経験」にできるように努力すればいいのだと思っています。

 競技直後に「いい経験になったと思う」と言った清水宏保はすごいと改めて、さらに強く思いました。(本当は腰がすごく痛かったんですね)

 フィギュアでSP2位につけている本田武史さん、フリーでも気もちよくいい演技をしてね。

ガンバレ!ガンバレ! ホンダ!!



2月14日(木)忙しい
 先週までと打って変わって、また締め切りのある生活が久しぶりにやって来ました。
 『くよくよしない考え方』の初稿ゲラが昨夜文芸社さんから届きました。月曜までに著者校正をして送り返さなければなりません。
 ということなので、メンタルケアのスペシャリスト養成講座・実践過程のレポート2つを昨夜いっしょうけんめいに書いて、今朝清書して郵送しました。こちらの締め切りは明日だったのです。
 去年の11月末にも、完成原稿の締め切りと基礎課程のレポート締め切りが同じ週にバッティングしたのでした。
 その上、今週末にも予定が入っています。
 あしたの夜は2・3ヶ月に1度の勉強会があるし。
 あさってはバスケットの練習が久しぶりに午後からあるし。

 スキー・モーグル銅メダルの里谷多英さんが日本に帰ってきましたね。空港でのインタビューで「今は焼き肉が食べたい」と言っていました。
 私も焼き肉食べたいなー、とか珍しく思いました。
 政治家のヘタな試食パフォーマンスよりよっぽど効果がありそうです。

 タイトルに「忙しい」と書きましたが、「忙しい」というよりも「張りがある」という感じでしょうか。
 てなわけで、日記以外の更新は来週までお休みします。
 ゲラを見ると本のイメージが実感できて、ちょっとワクワクして、やる気もでてきます。でも校正は集中するのでけっこう疲れます。(まぁ、来週になれば、また気ままな生活が戻ってくるのですが)

ガンバレ!ガンバレ! ホンダ!!



2月15日(金)「気もち」
 きのう・きょうとずっと、『くよくよしない考え方』の校正をやっているのですが、いちばん頭を悩ましたのが、「きもち」の表記でした。

 私は最近、「気もち」と書くようになっています。以前は「気持ち」と書いていたので、このHPの中では混在しています。
 一般的には「気持ち」です。
 広辞苑には「気持」、ある国語辞典には「気持(ち)」とありました。
 元々は「気持」だったんじゃないでしょうか。「気分と気持」のほうが「気分と気持ち」よりもバランスが良さそうですし。

 正直に言うと、私が「気もち」と書き出したのは、手で書く時に「気持ち」よりも早くてラクだからでした。
 もう1つ、「夢を持つ」を「夢をもつ」と書くことが多くなっています。こちらは、「持」の手ヘンに違和感があるという理由もあります。「心にもつ」のと「手に持つ(所有する)」のを使い分けたい気がするのです。
 今はこの2つの理由で「気もち」を使っています。
 それに、「気持ち」よりも「気もち」のほうが、なんとなくやさしい気がしませんか?
 「心」を「こころ」と書く人がけっこういますが、同じような感覚だと思います。

 「気づく」「気づき」は、元々は「気付く」「気付き」だったはずです。広辞苑には「気付く」「気付き」はありますが「気づく」「気づき」はありません。
 これもたぶん、書きやすいからこうなったのだと思うのです。

 私はやはり、「気もち」を使いたいと思います。
 広辞苑に書いてなくても「気持ち」や「気づき」は使われていますし。(広辞苑にケンカを売る気は毛頭ございません)

本田武史さん、4位入賞おめでとう!
 
いーぞ!いーぞ! ホンダ!!

 男子フィギュア・フリープログラムで、中国選手が4回転ジャンプを失敗・転倒し足を痛めたようだったが立ち上がって演技を続けたら、それ以降は観客がすごい声援をした。「あぁ、いいなー」と私も思ったのですが、続けて「同情するなら金をくれ」、いや「同情するなら点をくれ」、イヤ「同情するならOne more chance.」とか思ってしまった。

×××!



2月16日(土)「見いだす」
 きょうも引き続き『くよくよしない考え方』の校正をしていたのですが、きのうの「気もち」に続いて、きょうは「見い出す」で考えてしまいました。
 実は、この「見い出す」が誤りで「見出す」が正しいのです。これは編集の方が直してくださっていたので気づきました。
 同じ間違いがあってはいけないと思い、原稿を「見い」で検索してみたら、「見い出す」の他に「見いだす」を使っているところも見つかりました。
 この「見いだす」は正しいのかどうか、広辞苑をひいたら「見出す」しかありませんでした。

 ところで、「見出す」は「みい・だ・す」でしょうか?「み・いだ・す」でしょうか?
 「見」を「みい」と読むのはなんかヘン。
 ここで思い出したのは、ドラゴンボールが7つ(5つだっけ?)揃ったら言う呪文「出(いで)よ、ドラゴン!」。それに、ソニーのトップは「出井(いでい)さん」。
 ということは、「み・いだ・す」じゃないか。なら、「見いだす」は間違ってはいないということ。

 なぜ私が「見い出す」という間違いをしてしまったかというと、「見出す」を「みいだす」と読むのに違和感があること、「みだす」と読み間違える人がいそうなこと。
 だって、「見出す」は「みいだす」、「見出し」は「みだし」、では「見出して・・・」は?
 もちろん文脈からわかるのですが、同じ「見出」が「みいだ」と読まれたり「みだ」と読まれたりで、意味が違っちゃうんだから紛らわしい。

 と、ここで「みいだす」と(パソコンに)入力し変換すると、「見出す」の次に「見いだす」がでてくるではないか。試しに、モバイルギアを開けて「みいだす」変換でも「見いだす」がでてきた。
 「ということは」と、角川の国語辞典をひいたら「見いだす」がちゃんと載っていた。
 「出る」「出す」は「でる」「だす」(デム、デン=おやじギャグ)とひらがなで書くことも多い。(このおやじギャグがわからないという人は、ドイツ語を習ったことがある人に聞いてください)

 ということで、私は「見いだす」を使いたいと思います。(広辞苑には載っていませんが)



2月17日(日)「小さな幸せ」「小さい不幸」
 おとといの勉強会も、きのうのバスケットの練習も、いつも楽しみにしている終わってからの飲み会をパスし、速攻で帰って『くよくよしない考え方』の校正をしました。
 金曜の夜(と言っても、実は土曜の朝4時すぎ)までに一通りの校正を終え、目立った用語・用字の不統一を整理しました。たとえば、「気もち」「気持ち」は、「気もち」に統一。「すぎ」「過ぎ」は、「すぎ」に統一。「いちばん」「一番」は、「いちばん」に統一。「見出す」「見い出す」「見いだす」は、「見いだす」に統一。「すむ」「済む」は、「すむ」に統一。「すます」「済ます」は、「済ます」に統一。「まぁいいか」「まぁ、いいか」は、「まぁいいか」に統一。

 土曜はバスケの練習から夜7半頃に戻り、疲れていたのですぐに3時間ぐらい寝て、それから徹夜で二度めの校正。最後に、私流の言葉の使い分けを再確認。たとえば、「愉しむ」と「楽しむ」、「想い出す」と「思い出す」、「小さい」と「小さな」、「大きい」と「大きな」など。
 私は、「楽しい」をイメージする時は「楽しむ」を使いますが、楽しい以外のいろんな愉しみ方をイメージする時には「愉しむ」を使っています。「生活を愉しむ」「過程を愉しむ」などとよく書いています。
 また私は最近、「小さな幸せ」「大きな幸せ」に対して「小さい不幸」「大きい不幸」と書きます。「小さな」「大きな」のほうが大切にしたいこと、「小さい」「大きい」は軽くしたいことなのです。「小さいことにくよくよしないで、小さな幸せを大切に」という感じで使います。今回の見直しでは「大きい問題」と「大きな問題」の使い分けが違っている箇所がいくつか見つかりました。小さくしたい問題と大切にしたい問題の違いです。
 これらはあくまでも私が勝手に自分なりにこだわっているだけで、どっちを使ってもいいはずなのです。もちろん不統一はよくありません。(私の使い分けを不統一と見る人も多いかも)

 てなわけで、なんとか午前中に初稿ゲラの校正を終え、宅配便で発送しました。予定通り「明日には着く」ということです。
 昼からひとりで校正の打ち上げです。いくつかつまみを作って、缶ビールを飲んで。2時頃から気もちよく、ちょっと長い昼寝でした。

めでたし、めでたし



2月18日(月)人を信じる
 土曜夜放送の「真剣10代しゃべり場」(NHK教育テレビ)をビデオで見る。今回のテーマは「人を信じること、できますか?」。
 「人を信じること」については昨年11月に書きましたが、本当に難しい問題だと思います。

 「人を信じたいけど信じられない」「裏切られるのか怖い」
 「信じることに見返りは期待しない」「信じ合うことが理想」
 「みんなを信じたい」「特定の人だけでいいんじゃない?」
 「疑うと自分の気分が悪くなる」「信じられれば安心」

 「人を本当に信じられるのか?」「100%信じられると言いきれるのか?」
 「信じても裏切られるだけ」「ダマされるのはバカ」
 「疑ったほうがいい」「現実には信じられる人はそんなにいない」
 「そんなに信じられては重い」
 「信じる/信じないとか価値があるの?」「信じなくちゃいけないの?」

 「ふだんの生活の中ではこんなこと話せない」「信じてるか?なんて聞けない」

 誰のために信じるの? 自分のため? 相手のため?
 信じているかどうかは、意識するもの? 口にだして言うこと?

 などと、ぜんぜんまとまっていませんが。
 というよりも、まとめられないということでしょうか。

 「人を信じられない」と悩む人もいるけど、「人を信じる」なんてぜんぜん考えないで生きている人もいっぱいいるんですよね。
 なんなのかなー、「人を信じる」って。
 人を愛することの一部だとは思います。



2月19日(火)減点法と加点法
 フィギュアスケートの採点方法が変更されることになったそうです。減点法が加点法になるようです。
 減点法だと「ミスのない演技」が良く、加点法だと「高度な演技」が良いのでしょう。観客が喜ぶ「魅せる演技」は加点法のほうがでやすいと思います。

 加点法と減点法については書いたことがあります。減点法は不幸になる考え方で、加点法は幸せになる考え方ということです。
 減点法への対策は不幸にならない方法で、加点法への対策は幸せになる方法です。

 減点法は「守り」で加点法は「攻め」とも言えそうです。
 守りも攻めも両方とも大切です。
 守りと攻めでは、攻めのほうが楽しそうです。守りばかりではつまらない気がします。

 「攻撃は最大の防御」と言われます。
 幸せを感じている時には、不幸は感じません。
 幸せになることに夢中になっていれば、不幸を忘れられます。
 幸せになることが、不幸にならない方法でもあるのです。

 ミスや失敗や挫折はしないほうがいいのでしょう。
 でも、本当に取り返しのつかないことはめったにないと思うのです。ほとんどのことは「いい経験」にできることだと思います。
 チャレンジにリスクはつきものです。そして、チャレンジすればうまくいく可能性があるのです。チャレンジしなければ何も得られません。
 なんでもチャレンジすればいいとは思いません。守りも大切です。でも、時には、事によってはチャレンジしたほうがいいと思います。「成功」か「いい経験」を得て、幸せになるために。



2月20日(水)自分らしく
越和宏さん、8位入賞おめでとう!
 
 「スケルトン」という競技を日本中に知らしめましたね。
 さすがは、「スケルトンの伝道師」「日本スケルトンの父」。
 いろいろ苦労されたようですが、きっと後継者が現れるんじゃないかと思います。

 「人がやらないことをやる」というのを長野パラリンピックの時に書きました。まだちょっと早いですが、ソルトレーク・パラリンピックでも日本選手が活躍してくれるのでしょう。
 「人と違うことをする」という意識が自分らしさにつながると書いたこともありました。

 いいと思うものを学んだりマネしたりするのはいいことだと思います。大事なのはそれを、どう身につけていくか、どう自分のものにしていけるかだと思います。ただ本やHPを読んだだけではなかなか身につかないと思います。実際に自分で試したり、自分なりに工夫することだと思います。

 「人がやらないこと」「人と違うこと」をあまり意識しなくても、人はそれぞれに違っています。同じように見えても、それぞれの生き方(特にその感じ方)は相当に違うんじゃないかと思います。
 「自分らしさ」を発揮するためには、自分で考えて工夫や努力を続けることだと思います。少しずつ、1つ1つの考えや工夫が時間の経過とともに自分らしい生き方になっていくのだと思います。