しあわせ日記

2月1日(金)根を伸ばせ
 昨夜放送の「トップランナー」(NHKテレビ)をビデオで見る。ゲストはマラソンランナーの高橋尚子さん。これからについて聞かれて、
「次のオリンピックから逆算して今やるべきことを決めていく。
 でもいちばんの基本は、きょう一日をどれだけ全力で過ごしてこれるか。
 先のことを考えるより、きょう一日どういう過ごし方をしていくかが大切」

 なるほどー。わかるんですが、なかなかできないんですよねー。
 私も一日一日を大切にしたいとは思っているのですが、全力で過ごせたとはとても言えそうにありません。それに日々の愉しみとかも大切にしたいと思っているし。ふつうの人はそれでいいとも思うのですが。
 でも、夢や目標をもったらそれに向かって全力疾走できたほうがいいですね。毎日・24時間でなくても、3ヶ月間とか週に3日とか1日に3時間とかでもいいから集中して全力でできたらいいのではないでしょうか。夢をもった生活を愉しみながら続けるということが大切なような気がします。
 「甘い!」と言う人もいるかもしれませんが、私は夢をもった生活を愉しめればそれでいいと思っています。私の場合には、ライフワークとして人生のマラソンを愉しみながら走れたらいいな、と思っています。でも、毎日少しずつでも、けっこう遠くまでいけるんじゃないでしょうか。

 高橋尚子さんの「私の好きな言葉」第1位は、
「何も咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く」
 だそうです。

 私も、どんな日にも、このHPの下に少しずつ根を伸ばしていこうと思っています。やがて大きな花が咲くかもしれません。咲かないかもしれませんが、根を伸ばすことが実はけっこう楽しかったりするんじゃないでしょうか。



2月2日(土)限界への挑戦
 午後、アイススケートの清水宏保さんのドキュメント番組(テレビ朝日)をやっていた。
 「清水宏保はすごい人」だと長野オリンピックの時に思ってから、けっこう注目して見てきました。長野オリンピック時の清水さんのお言葉もHPに掲載させていただきました。
 きょうの番組でも、夏のトレーニングなどでは限界に挑戦しているという感じでした。人間、どこまで自分の限界に挑戦できるのだろう?って思わせてくれる人です。
 そんな清水さんにさらに難しい限界が。今シーズンの始めに腰を痛めて、得意のロケットスタートができなかったのです。

 私も腰を痛めた(それほど大きくではありませんでしたが)時期があって、今でも特に冬場は注意するようにしています。
 一度腰を痛めると、すごく気になります。もし大きく痛めてしまったらどうしよう、という恐怖があります。ヘタをするとふつうの生活もつらくなったり、入院や手術の可能性もあります。どこまでやって大丈夫なのかがわからないのです。かと言って、腰を使わずにできるスポーツはほとんどないでしょう。まさに体の要なのです。

 限界に挑戦するには精神力が必要です。そして、勇気が必要です。
 清水さんはもうすぐ始まるソルトレークオリンピックに照準を合わせて、調整を続けてきました。無理をしないというのも勇気が必要です。無理をして限界を超して体を壊してしまったら大変です。
 去年中は悪い成績でした。でも自分を信じて無理をせずにセーブしてきたのです。そして、清水さんは先日の大会で優勝しました。ちゃんとオリンピックの時に勝負できるところまでもってきました。すごいと思います。
 オリンピック本番では本気で限界にチャレンジするのだと思います。期待し、応援し、見守りたいと思っています。どんな結果になっても、きっと私は拍手をしていると思います。



2月3日(日)日記
 昨夜放送の「サイエンスアイ」(NHK教育テレビ)をビデオで見る。「ホーキング博士が語る最新宇宙論」で“膜宇宙論”の話でしたが、正直言ってよくわかりませんでした。やはり私が感心してしまうのは、スティーブン・ホーキング博士その人です。すごい人だなと思います。

 「特命リサーチ200X」(日本テレビ)新シリーズ最初のテーマは「富士山噴火」。
 確かに富士山が噴火することもあり得ることです。イメージがなくてちょっと驚いたのは、噴火が1年とか続くことも十分に考えられるということです。三宅島のことを考えれば想像できたはずなのですが。
 防災対策についてはこの前ちょっと考えましたが、実際にそういう事態になった時にどんな生活になるのでしょうか。私が生きている間に富士山噴火があるかどうかはわかりませんが、今の私ならそれなりに幸せに暮らせそうな気もします。

 深夜に日本テレビで放送の「NNNドキュメント'02」(中京テレビ制作)は「息子はなぜひきこもるのか?」。
 “ひきこもり”は家族の問題になります。親はそういう子供をなんとかしたいと思うからです。また、子供がひきこもるようになる要因が家族(特に親)にもあるようです。子供だけの問題ではなく、家族の(関係の)問題ととらえる必要がありそうです。家族の誰かが変われば、関係が変わり、問題も変化します。
 ひきこもりや不登校になるのはまじめな人のようです。まじめ過ぎて、完璧主義なのかもしれません。「うまくやりたい、でもできない」「こうしたいけど、できないんじゃないか」こういう葛藤が強すぎて動けなくなってしまうのだと思います。「まぁいいか」とか「なるようになる」とか思えるようになるとよさそうなのですが。

 ソルトレークオリンピックがいよいよ今週末に開幕ですね。
 日本選手の活躍に期待したいと思いますが、勝手な期待をし過ぎず結果にとらわれないで、選手たちの頑張る姿に何かいいものを感じられたらいいな、と思っています。



2月4日(月)セックス
 生きるヒント「夫婦の問題」に「セックスの問題」を追加しました。
 このHPでセックスについて書いたのははじめてです。
 セックスは人間にとって大きい問題ですが、難しい問題です。互いに納得・満足(をある程度)していれば問題はないのです。こうしなければいけないという決まりも、こうしてはいけないというルールもないわけです。(もちろん、人としてのルールはあります)

 私もセックスについてはいろいろ考えたことがあります。
 セックスの大きな目的・機能は、子供をつくる/快楽/コミュニケーションの3つ。どれを重視するかは人それぞれです。
 また、生活の中でセックスをどのくらい重視するかも、人によって違います。セックスに対する考え方も様々です。

 セックス(特に快楽)にとらわれ過ぎると問題が起きやすい。性欲をコントロールできるというのも人間として大事な能力だと思います。
 セックスに対してイヤな感じを持ってしまうのは、(過去にトラウマとなるようなことがあった場合は別として)偏見があるからだと思います。そのために得られるもの(幸せ)が減ってしまうのは、自分にとって損だと思います。
 愛を確かめ・育てるためには、コミュニケーションの部分が大切です。愛の心が通い合うセックスができればいいのですが。

 おとといの読売新聞の人生相談欄「人生案内」は「69歳妻が性交拒み続ける 苦痛訴え8年」という70歳の男性からの相談でした。
 4月から子供の学校が完全週休2日制(週5日制)になると夫婦のスキンシップの時間がさらに減少する、とテレビの報道番組で言っていたことがありました。

 やっぱりセックスというのは難しいものですね。まぁ、考えるものではないのかもしれませんが。
 セックスは大切なものなのだと思います。でも、なくても生きていけるものです。



2月5日(火)少子化
 午前中にテレビ朝日で放送の「情報バザール」(熊本放送制作)は「出費増大!当世出産&子育て事情」。
 日本の出生率は1.36で少子化が進み、その分出産は一家をあげての一大行事となり、貴重な子供にお金をかける親が増えているそうです。特に、教育費は増大。幼児教育から様々な習い事や塾など。

 少子化の理由として、「女性の社会進出」がよくあげられます。
 そこで少子化対策として、会社や社会の制度、保育園などの施設、地域の子育て支援サービス/ネットワークなどの整備・充実がよく言われます。

 大事なことだとは思いますが、そういうことで「子供をたくさんつくろう」と考える人は少ないのではないでしょうか。
 もともと「子供はつくりたくない」と考える人にとっては無意味でしょう。
 「子供はたくさんはいらない」「一人か二人でいい」と考えている人が多いと思います。こういう人たちにも効果は少ないでしょう。それにたしか、出生率は2.1ないと人口は減少するのだったのでは。
 「子供をたくさんほしいけれど、事情を考えるとたくさんはつくれない」と考える人には有効かもしれません。ただ、そういう若い人がそれほど多いとは思えないのですが。

 まず「子供がたくさん(3人以上)ほしい」と思う人が増えることが先決ではないでしょうか。そのためにはどうしたらいいのでしょうか。
 子供がいることの幸せ、子育ての喜び、子供が成長を見る幸せ、子供がいることの心強さ、子供が親に与えてくれるたくさんの幸せ。こういうものがもっと若い人に見えなければ難しいのではないでしょうか。
 そのためには、子供がいて幸せだという姿を親が見せること、そういうことが子供に伝わる本や映画やテレビ番組などを創ること、マスコミがそういうことをたくさん報道すること(反対の報道を減らしたり報道のしかたを変えること)、・・・などを思いついたのですが・・・。

 次には、夢や希望をもつ能力を育てることかもしれません。夢や希望がもてなければ消極的になってしまいます。自分や子供の将来に希望がもてず、不安が大きければ「子供をたくさん」とは思えないでしょう。社会環境を整備することも不安を減らす要因にはなると思いますが、夢や希望を抱けるかどうかはまた別のことではないでしょうか。
 夢や希望をもてるかどうかは能力によると思います。能力は育てることができます。
 もう1つは、将来のいいことを想うか悪いことを想うか、そういう考え方のクセを幸せになる考え方に変えることです。将来の悪いことばかりを考えてしまう人が多くなっているような気がします。

 などと書いていますが、正直言って日本の少子化は避けられないのではないかと思ったりもします。
 少子高齢化社会の弊害がいろいろ言われますが、どんな社会になっても幸せに暮らせるような自分になるために今から努力しておけばいいのです。日本経済が多少悪くなり物質的な豊かさが減ったとしても、大恐慌とか大戦争にでもならない限り、それなりに幸せに暮らすことはできると思うのです。

 生きるヒント「夫婦の問題」に「家族計画/不妊」を追加しました。



2月6日(水)アクセス向上
 今朝、HPのカウンターを見たら、はじめて1日に200以上アップしていました。
 1月中旬から少しずつですがアクセスが増えてきています。これもけっこううれしいことです。
 私は、ほぼ毎朝、HPを更新した時にカウンターを見て、カレンダーにその数字と1日に増えた数を記入しています。これもささやかな喜びであり、励みにもなっています。

 やはり更新量が増えれば、それだけアクセスは上がるのだ思います。
 もちろん、内容にもよります。今年に入って日記以外にもいくつかのコンテンツをコンスタントに更新していますが、何が人気があるのかはちょっと検討がつきません。
 HPを始めた頃には、どうしたらアクセスが向上するかを試してみたことがあるのですが、最近はほとんど考えたことはありませんでした。
 HPのアクセス向上は1つのバロメーターです。いいHPにしていくための1つの目標と考えるのもよさそうです。そのためには、もっと読んでくださる方のことを考えたほうがいい、と今、少し反省をしているところです。
 また、このHPの存在を知らないネットユーザーもいっぱいいます。その中にはこのHPが少しは役に立てる人もいると思います。そういう人をこのHPにお誘いできるような努力もしたほうがいいのかもしれません。
 HPのアクセス向上を少し考えてみようかと思いました。

 ところでもしかして、カウンター最高記録はおとといの日記のタイトルのせい?
 ふと、こんなことを思いついたのですが。
 「セックス」という単語が人を呼んだということがあったりして。
 でも、まさか当日に検索でひっかかるとも思えないし。
 まぁ、今後のカウンターの動きをみればわかるのかもしれませんが。



2月7日(木)不老

 あなたは長生きしたいですか?

 この質問への答えは、その人の老後のイメージによって変わるのだと思います。
 私は若い頃には、あまり長生きはしたくないと思っていました。今は、長生きできたらいいなと思っています。

 きのうの深夜に(3時台ですからきょうなのですが)、フジテレビ「FNSソフト工場」で「不老への旅」(サガテレビ制作)というのをやっていました。
 老化を制御する遺伝子(クロトー遺伝子)が1997年に発見されたそうです。今にバイオ技術で老化がコントロールできるようになるのでしょうか?
 一方、細胞分裂の回数には限界があって、不死とはなり得ないようです。
 活性酸素が老化に影響を与えるということで、アメリカでは活性酸素の発生を抑える酵素(SOD)のサプリメント(補助食品)が売っているそうです。ビタミンE・C/ポリフェノール/カテキンもいいそうです。また、カロリー制限をすれば活性酸素の発生が少なくてすむから、「小食」「腹八分目」はいいそうです。ストレスのない生活もいいということで、やはり「くよくよしない」のがよさそうです。

 「不老不死」と言うと、自分が望む年齢から歳をとらないというのが理想かもしれませんが、それは不可能だと思います。「不死」も不可能でしょう。
 「不老長寿」(あまり老いないで長生き)は心がけしだいである程度は可能なのでしょう。
 と言っても、長く生きるだけでいいのか?と考える人も多いでしょう。
 やはり、QOL(クオリティー・オブ・ライフ)が重要なのでしょう。

 体の不老だけでなく、心の不老が大事なんだと思います。
 「くよくよしないで幸せに暮らす」
 これがいちばんいいのではないでしょうか。

 私はけっこう長生きするかもしれません。
 あなたはどうでしょうか?
 長生きしたいのなら、今からでも遅くはないんじゃないでしょうか。



2月8日(金)余命

 あなたは、がんで余命半年と宣告されたらどうしますか?

 QOL(クオリティ・オブ・ライフ)がもっとも意識されているのは、ターミナル・ケア(末期がんの看護)の場ではないでしょうか。

 金曜夜のドラマ「木更津キャッツアイ」(TBS系)の主人公は末期がんで余命半年と宣告された21歳の青年(V6の岡田准一さん)だそうです。(見たことはありませんが、テレビガイドに書いてありました)
 来週月曜からNHKテレビで「生存・愛する娘のために」というドラマが始まるそうです。主人公は余命3ヶ月と宣告された初老の男性(北大路欣也さん)だそうです。(NHKの番組宣伝で知りました)

 でも、余命宣告されてすぐにQOLを考えられる人は少ないでしょう。
 キューブラー・ロスの「5つの心理過程」が有名です。(1)否認(2)怒り・憤り(3)取り引き(4)抑うつ(5)受容。「信じられない」「どうして自分がこんな目にあわなくちゃいけないんだ」「痛みはなんとか抑えてほしい」「何もしたくない」「これも現実。ではどうしたらいいんだろう」という感じで、QOLへと進めるのでしょうか。

 本当は誰にでも余命があるのです。
 私は50年ぐらいでしょうか?(まったく当てにならないカンですが)
 死や余命を考えて、怖ろしくなったり空しくなったりするくらいなら、そんなこと考えないほうがいいのでしょう。でも、自分のQOLを考え直すためには、その意識も役に立つのではないでしょうか。
 「あなたは、がんで余命半年と宣告されたらどうしますか?」を考えてみるのもいいのではないでしょうか。(心の散歩には「1年間あったら何をしますか?」というのもあります)

 私だったら、絶対に「幸せになる方法」を書く、ライフワークのまとめですから。
 当たり前のように、死ぬまでの一日一日を大切に、目いっぱい幸せに暮らそうとするでしょう。
 いろんな人に手紙やメールを書きたいと思います。
 プロバイダーさんに200万円先払いして、100年はこのHPが公開できるようにお願いしましょうか。
 もちろん、この日記は死ぬ前日まで書き続けたいと思っています。

 あなたなら何をしますか?



2月9日(土)存在意義
 今夜の「真剣10代しゃべり場」(NHK教育テレビ)は「あなたの存在意義って何ですか?」。(ビデオを見て11日に書いてます)
 存在意義についていろんな考え方があるのがわかって、なかなかよかったです。

 まず、何をもって存在意義とするか。
 自分にとっての存在意義。自分が(これがあるからなど)存在意義を感じられること。それは、自己満足でいいのかどうか。
 人から評価される存在意義。人から評価されなければ存在意義はないのか。
 誰かにとっての存在意義。親や友達など、まわりの人にとって自分の存在意義はあるのではないか。自分にとってまわりの人の存在意義があるのと同じように。
 世界(世の中/社会/宇宙など)にとっての存在意義があるのではないか。この世にいる人・ある物、すべてに存在意義はあるのではないか。

 存在意義を感じられるものは何か?
 夢や目標。もっているだけで存在意義があるのか、達成された時に存在意義が生じるのか。
 愛。誰かに対する愛があればいいのか、愛が受け入れられなければダメなのか。誰かに愛されていれば存在意義はあるのか。自分が望む人に愛されなくては意義はないのか。人の役に立つこと、人から必要とされることが存在意義につながるのか。
 感じること。楽しいこと・幸せなことが存在意義じゃいけないのか。
 存在。生きているだけで存在意義を感じられる人もいる。

 そもそも存在意義なんて必要なのか?
 夢や愛などのはっきりした存在意義を持たなくてはいけないの?
 存在意義(の意識)なんてなくても生きていけるのではないか?
 なんでそんなに存在意義にこだわるの?

 私は、「生まれてから今までに一度でも幸せを感じたことがあるなら、生まれた意義はある。これから幸せを感じる可能性があるなら、これから生きる意義はある」と思います。
 存在意義は頭で考えるより、存在意義を実感できたとしたら、それはすごく幸せなことだと思います。私は自分の存在意義を感じることができます。(自己満足かもしれませんが、感じるんだから好!好!です)



2月10日(日)いい疲れ
 メンタルケアのスペシャリスト養成講座を終え、帰りの電車の中で無性にコーヒーが飲みたくなった。それも砂糖多めの甘いのを。

 きょうは午前・午後とロールプレイを体験。7人グループの中で、1人がクライアント、1人が対話士の役をやり、他の人はオブザーバーになる。クライアントの設定は、(1)半年前に妻を亡くしひとり暮らしの82歳男性 (2)不登校の高校生 (3)失恋がきっかけでひきこもり状態の大学生 (4)子供たちが自立し更年期の主婦 (5)余命3ヶ月と宣告された57歳男性。

 私はどういうわけか、ジャンケンでいちばん勝ち、対話士のトップバッターに。
 すごい緊張感です。自分の顔が紅潮しているのがわかりました。
「また赤くなってるな」と気づき、「ハオハオ(まぁいいか)」。
「すごい緊張してる」、「でも、緊張するのは当たり前。一所懸命にやればいい」。
 初めての相手と初めての経験、すぐそばで人に見られているのだから緊張するのは当たり前です。緊張して顔が赤くなっても、やれることをやればいいのだと思えば、それなりにできるものです。
 慣れないうちは緊張し疲れるものだと思います。きょうの講師の精神対話士の先生によると、いつまでたっても緊張するとのことでした。

 ところで、ジャンケンのことなのですが、私はグーを出し続けたのです。
 相手がそれに気づけば相手は自分で勝ち負けを選択できるのです。私は勝っても負けてもどっちでもいい(ハオハオな)ので相手に任せればいい、とよくこれをやります。
 それも、ジャンケンでいちばん横着ができるグーを出すのでした。

 きのうのバスケットの練習での体の疲れと、きょうのロールプレイでの頭の疲れとで、コーヒーを飲んでちょっと横になったら眠ってしまいました。きょうの場合、体も頭もどちらもいい疲れだったと思います。