しあわせ日記
1月11日(金)防寒対策
なんか暖かくていいですね。
4月上旬の気温だそうです。
連休中は暖かい日が続くようです。よかったですね。
ということで、「とこや」に行ってきました。
床屋のイスに座って目を閉じて理容師さんに身をまかせている感じはけっこう好きです。
私はここ5年ぐらいは事務所で暖房を使っていません。
寒ければ着ればいいわけです。(首からつながる)肩とおなかと腰が冷たくなければカゼはひかないと思っています。くつ下もはかずに裸足で過ごしています。
早朝散歩をよくするので寒さに慣れていることもあります。以前に新たな感覚を経験してから、手袋も雪がふらなければしなくなりました。マフラーはもっていません。
筋トレをするとその時に体が温まります。筋肉がつくと寒さにも強くなるような気もします。
暖かいものを飲むと温まります。しょうが湯だと体の中から温まってくる感じがします。
今朝も女子高生はスカートだったし、毛皮のハーフコートにミニスカートという女性もいました。若さのせいか体脂肪のせいかもしれませんが、慣れているということもあると思います。慣れというのは人間の体温調節機能が強化するのだと思います。
防寒対策には、服を着る方法も室温を上げる方法もありますが、自分の体を強くする方法もあるのです。
では、心の防寒対策はどうでしょうか。自分の持っている物やまわりの人を変える/環境を改善するという方法もありますが、自分の心を強くするという方法もあるということです。心を元気に動かしたり、夢に向かって熱い心をもったり、人に温かい心でせっしたりというのもよさそうです。
体の防寒対策を自分の体に、心の防寒対策を自分の心に、ということも考えてみたほうがいいのではないでしょうか。
1月12日(土)13日(日)情熱を持ち続ける
土曜は初バスケ、今年最初の練習でした。
筋トレ効果でさすがに調子がいい。久しぶりに少しは思いどおりに身体が動き、シュートもけっこう入りました。
練習後、居酒屋へ。乾杯のビールが最高。
「お正月に食っちゃ寝、食っちゃ寝でお腹のまわりが・・・」とか「身体重い」とかいう仲間もいた中、「本多さんは若い」「ぜんぜん変わらない」などとおだてられ、テレながらも内心(好!好!と)よろこんでいました。
そんなこんなで、けっこう酔っぱらって終電近くに帰ってきました。
日曜は「メンタルケアのスペシャリスト養成講座」の実践過程の初講義。
中国の砂漠の緑化を進めている日本沙漠緑化実践協会会長の遠山正瑛先生の特別講義。遠山先生は96歳。でも、すごく若い。
見るからに若い。シャキっとして黒板を使いながら話す。
声からして若い。張りのある声で演説という感じ。
気もちが若い。100歳を越えても頑張るという。
行動が若い。今年も中国に行き陣頭指揮を執るということです。
途中で「いいぞ」と声をかけたくなったり、拍手をしたくなることもありました(実際にはしませんでしたが)。一種のカリスマ性すら感じました。
遠山先生が心身ともにお元気なのは、「砂漠を緑化して、人を幸せにしたい」という強い情熱があるからだと思います。
世の中にはすごい人がいるものです。
情熱を持ち続けること。それが若く元気でいる秘訣かな、とか思いました。
1月14日(月)大人?
きょうは成人の日。街中にも晴れ着姿の新成人が見うけられ、なんとなく微笑ましく思えることもありました。日本は豊かで幸せなんだとも改めて思います。
テレビのニュース番組では、数日前から成人式をめぐる騒動とその対策などについて報じていました。なんかレベルが低いなー、という感じです。
ほとんどの人は歳相応に大人のふりができるようになるものです。特に人前では。
実際にはいくつになっても心には子どもの部分がけっこう残っていて、ひとりの時や家族といっしょの時などには子どもになってしまうことがある人も多いのではないでしょうか。
身体は食べていれば自然に成長しますが、心は自分の経験をちゃんと消化しないとなかなか成長しません。心の栄養となるものをとることと、心の運動をして鍛えることも大事ではないかと思います。
幸せになるためには、大人になることも必要ですが、子どもの自分を大切にすることも必要だと思います。
1月15日(火)不幸は心が決める
日曜の夕方に放送された「課外授業 ようこそ先輩」(NHKテレビ)をビデオで見る。僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久さんが母校の小学校で授業をした。テーマは、「その出来事が不幸かどうかは心が決める。だから、心の持ちようを変えれば不幸は不幸でなくなる」。
私もその通りだと思うのですが、それはとても難しいこと。ましてや、小学生にそれをわかってもらえるのだろうか、と正直思って見てました。
今までの(12年足らずの)人生で不幸だと思ったことを小説に書く。その前にその問題について親などに取材する。自分の問題を小説の主人公の問題として、主人公が考え方を変えて不幸でなくす。
これがみごとにできていた。人間ってすごいな。そういうことができるようになっているのだ。
そのこと(このテーマ)とそのやり方を知らないだけなのだ。
本当に関心してしまいました。
人に意見を聞いてみる。客観的に考えてみる。不幸になる考え方を変えようと努力する。
このようなことが大切だと学べると思うのですが、それよりも小学生の素直さが大きいような気もしました。
というのも、このテーマを大人に与えたら、「私にはできない」「頭ではわかっても感情の問題はどうにもできない」などと言い訳が先にでてきて、はじめからあきらめてしまう人が多いような気がするからです。
言われたとおりに素直に一所懸命にやった成果だと思うのです。
誰にでもそういう(このテーマを実践する)能力があるのだと思います。
それを実践するいい方法を考えてみたいと思いました。
1月16日(水)「ありがた迷惑」
きのうの読売新聞「人生案内」は「ご近所に分ける野菜、迷惑と知る」。
畑で作った野菜をずっと近所に分けているが、それを迷惑がっている人がいると聞いたということです。
自分の好意が相手のありがた迷惑になっていたのかと思うと、つらいし、これからどうしたらいいか悩んでしまうのも無理ありません。
まずは、次のように考えてみてはどうでしょうか。
ありがた迷惑だと思う人もいる(ハオハオ)。でも喜んでくれる人もいる(好!好!)はず。ましてや、うれしそうに受け取ってくれるのだから、それを続けていたのは当たり前(ハオハオ)。それは「相手の問題」ではないでしょうか。またもしかしたら、迷惑がっているというのは事実ではないかもしれません。
今後については、どっちもハオハオと考えましょう。
相手から断られない限り今まで通りおすそ分けを続けるのもいい(ハオハオだ)し、余計な気を使うくらいならやめてしまってもいい(ハオハオ)でしょう。直接相手にそれとなく聞いてみるのもいいのではないでしょうか。
自分の好意が伝わらないこともあります。伝わらない人もいます。それはしょうがないのではないでしょうか。
「好意」「やさしさ」「思いやり」「愛」が伝わらないことがあっても、それ自体を疑問視したり、あきらめたり、捨てたくはないものです。
「愛について」のページに、「愛の行為? 大きなお世話?」を追加しました。
1月17日(木)防災対策
阪神大震災から7年たったんですね。
この日を機に、自分の防災対策について考えてみました。
被災して電気・ガス・水道が使えない状況になったとしたら、やっぱり大変でしょうね。
まずは食べ物ですか。とりあえず、リッツ(クラッカー)、やわらか黒パン、チョコレート、あめ、ガムはだいたい買い置きがあります。今は1日2食なのですが、間にこれらを少しずつつまむからです。他には缶詰が少しありますが、麺類やレトルト食品はお湯を沸かせないとダメですね。
飲み物は、スポーツドリンクと炭酸飲料がペットボトルで1本ずつ以上はあります。
水道がでないと困るのは水洗トイレかもしれません。換気扇もまわりませんし、臭いも大変かもしれません。これに対しては、風呂の湯を抜かないようにして、ペットボトル5・6本ぐらいに水を入れてあります。
懐中電灯とラジオと電池と少々のろうそくはあります。救急箱はあるのですが、中身はスカスカです。懐中電灯を試しにつけてみたら、かすかに光ってすぐに消えてしまいました。電池切れのようです。スペアの未開封の電池をあけたら、さびていて使いものになりませんでした。あした買ってきようと思います。
ところで現金というのは役に立つのでしょうか。少しは引き出しの中にも置いてありますが。
これくらいかな?
でも実際には、すぐに5駅離れた家まで歩いて帰ることも考えられます。
とりあえず、ナップサックに防災用品をまとめておくことにしました。
阪神大震災で思ったのは、物は失われてしまうこともある、やっぱり頼りになるのは人かな、どんな状況になってもたくましく(幸せに)暮らせる自分(の心身の健康・能力・人格)がいちばんではないか、というようなことでした。
また、失った時にわかるのが人のありがたさ・大切さです。こういう時にでも、まわりにいる人のありがたさ・大切さを考えてみるのもいいのではないでしょうか。
1月18日(金)自分だけは
世の中には悪いことをする人がたくさんいます。犯罪行為をする人、ルールを守らない人、マナーをわきまえない人、モラルがない人、・・・。
世の中にはやさしくない人がたくさんいます。意地悪な人、無神経な人、無礼な人、思いやりがない人、・・・。人にやさしくない人、街にやさしくない人、地球にやさしくない人、・・・。
人がしているから自分もする、自分が人からそういう目にあわされたから自分も人にする、というのは・・・。
そういう人がいるのはハオハオ、自分だけはそんなことはしないぞ(そんな自分は好好)。
自分と同じようなイヤな思いは人にさせたくないから、自分だけはそんなことはやめよう。
「そういう人をなくそう」と大声をあげる人、そういう人に注意する人は好好だけど、自分はそういうことはしなくてもハオハオ、でも自分は悪いことはしない。それでいいと思うのです。
悪いことをする人がいない世の中、みんながやさしい人だったら素晴らしいと思うのだけど、残念ながらそういう世の中にはならないでしょう。むしろ反対方向に向かっているのかもしれません。
だからこそ、「自分だけは」を大切にしたいと思うのです。そう考える人が少しでも増えてくれるといいな、と思います。
1月19日(土)執筆作業
最近、「ハオハオから始めよう」のページは更新していませんが、作業は少しずつ進めています。
本の原稿を書くための材料集めをしています。このHPの中、参考になりそうな本、人生相談などから、材料になりそうなことを目次の中に割り振って入れています。
「ハオハオ」の使い方自体はいたって簡単ですから、その使用例が重要だと考えています。材料を探しながら1つ1つ書いていく方法も考えられますが、先に全部の材料をたくさん集めてからちゃんと書き始めようと思っています。材料が多すぎていっぱい削るくらいがいいのではないかとも思っています。
今回は時間をかけてじっくり書きたいと思っています。
ということで、今は「子どもに伝えたいこと」を二世帯住宅の「子どもに伝えたいこと、大人が考え直したいこと」に改築中です。
子どもに伝えたいことも大人が考え直したいことも実は同じことでしたという見え透いた話ですが、幸せに向かうためにはまず「自分を大切にする」ことからだと思うのです。それは子どもも大人も同じです。
やり始めたらけっこうノってきたので、もうしばらくは続きそうです。
こういうのが本になってもいいかな、と思ったりもします。いいものができてから考えてみようと思います。
1月20日(日)プロに話を聞いてもらう
今週もメンタルケアのスペシャリスト養成講座・実践課程の講義を朝から夕方まで受講。昼休みの1時間(私はいつも30分以上は会場周辺をブラブラ散歩しているのですが、きょうもいい天気でとても気もち良かった)をはさんで約6時間の講義。きのうのバスケットの練習疲れと飲み疲れもあったのか、午後一番のスライドを使った授業ではうとうとしてしまいました。
精神対話士・1期生の方の講義があり、その活動と対話のポイントについての授業がありました。
昨年後半に3つのテレビ番組で精神対話士の活動が紹介され、派遣を望む人と精神対話士になりたい人からの問い合わせの電話がメンタルケア協会に殺到したそうです。
また、町田市の高齢者への派遣制度や三宅島被災者の方への派遣についても報道され、他の自治体からの見学なども多く、今後広がりを見せそうとのこと。
当初は、高齢者の方の話し相手的な派遣がほとんどだったのが、ひきこもりの方やその家族の方、入院中の方への派遣なども増えているそうです。
様々な問題や悩みを抱えて誰かに話を聞いてほしいと思う人はすごく多いのではないかと思います。でも、そういう話をする相手がいない人も多いでしょう。身近な人にはかえって言いづらいこともあります。知人だと話が他に漏れてしまう可能性もあります。
そういう意味では話し相手のプロに聞いてもらうというのも1つの選択だと思います。と言っても、日本ではカウンセリングを受けることはまだ一般的ではなく、精神科や心療内科へ行くのはいろいろと抵抗があると思います。
当然のことながら、プロに話を聞いてもらうのにはお金がかかります(精神対話士の派遣料は1回80分を月4回で2万5000円)。
お金を払ってまで話を聞いてもらう必要を感じないという人が多いと思います。また、話を聞いてもらうだけでそんなに払えないという人もいるでしょう。
人はいろんな物やサービスにお金を使います。それは生活を豊かにしてくれます。ある面では心を豊かにしてくれる。極端に言えばなんらかの幸せのためなのでしょう。
大きな問題や悩みのために幸せに暮らすことができないのなら、多少のお金を払ってもいいのかもしれません。
などと、どこかのまわし者のようになってきましたが、私個人としては誰にも相談しないほうだし自分で考えて対処していくことが自分を育てることにつながると思っているので、ずっとそういう方法を提案し続けているわけです。
ただ、人によっては、事によっては、人の力を借りないとどうにもならない場合もあるのではないかと思うのです。そのためにお金を使うというのも、ひとつの手段ではないかと思います。
もう1つは、話を聞いてもらう効果への疑問でしょうか。それは経験しないとなかなかわからないのだと思います。私自身も最近、聞く側の勉強をして少しは感じているというレベルです。次回の講座ではロールプレイをやります。話を聞く側だけでなく、話を聞かれる側の擬似経験もできるわけです。
きょうの講義で、精神対話士は「相手の感情・気もちを受けとめ切る(徹底して受けとめる)」ことを強調されていました。自分の気もちをわかって(一所懸命にわかろうとして)くれる人がいるというのは大きいことなのだと思います。