読書日記

  幸せは責任回避?

 『心のシンプルライフ』(ヒュー・プレイサー)より、
“惨めさ”を正当化する8つの思い
6、幸せは「責任回避」だ
 幸福感を感じると何か間が抜けた精神状態に陥ったのではと警戒し、人生の責務を怠っているような錯覚を起こします。喜びのために時間をとるのは人生の責任を回避することだと思ってしまうのです。だから幸福にひたった後は何となく罪悪感を感じる人が多いのです。
 幸せを感じている時は「間が抜けた状態」「怠けている」「人生の責任を果たしていない」「なんか後ろめたい」というような思いをもってしまう人もいるのでしょう。
 同様に、「幸せは怠慢を呼ぶ」「他人に対して無頓着になる」という幸せの弊害、「幸せを敬遠する」「幸せを馬鹿にする」「幸せを恥ずかしいと思う」「幸せをいけないと思う」という幸せのタブー視、「幸せは人を無気力にさせる」「幸せは人を利己的にする」「幸せは人を不安にする」「そもそも幸せなんて存在しない」「幸せなど広告の宣伝コピーにすぎない」「幸せは民衆の阿片である」「幸せは低俗である」という幸せの大罪のようなことを挙げる人もいます。

 実際には、一つの幸福感は長くは続きません。いつまでも幸福感に浸ってやるべきことを怠けるような人は少ないと思います。むしろ、幸せな気分のほうが仕事や家事や勉強などははかどるのではないでしょうか。
 人生の目的は人それぞれにあるでしょうが、それは自分の幸せにつながるものだと思います。むしろ、「幸せ」を人生の目的としていいのです。ならば、幸せを感じることは人生の責任を果たしている、と言えるでしょう。

 幸せを感じるのを悪いことと考えていたら、幸せになるのは難しいでしょう。
 幸せを感じるのはいいことです(幸福感の価値幸福感は良薬)。
 どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せを感じていなければ、その人は幸せではないのです。幸せになるためには、幸せを感じられるようになることが肝心です。



   

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