「幸せについて」
その44 人生の目的としての幸せ
「なんのために生きるのか?」と考えたことがある人は多いと思います。その答えを見つけた人もいるでしょうが、見つからなかった人が多いのではないでしょうか。
「なんのために生きるのか?」と考えるのはいいことだと思います。人生の中に何度かはそういう時期があっていいと思うのです。人間にとって大切なものや自分にとって大切なものについて考えてみるのはいいことです。
「なんのために生きるのか?」には、「自分はなんのために生きるのか?」と「人(間)はなんのために生きるのか?」の二つがあると思います。
「自分はなんのために生きるのか?」の問いに対しては、人それぞれにいろいろな答えがあっていいと思います。「何かのために生きたい」と思える“何か”があればいいのです。夢、目標達成、生きがい、仕事、何かを手に入れる、愛、家族、人の役に立つ、社会に貢献する、いろいろな経験をする、生活を愉しむ、・・・。
そのために生きたいと自分が心から思えれば、何でもいいのです。
「人はなんのために生きるのか?」の問いに対する明確な答えはなかなか見つかりません。私は、「わからない」と答えていいと思います。わからないから探すのです。「答えがない」とは思いません。それを求めたい人は探し、必要だと思わない人は探さなくてもかまわないと思います。
「なんのために生きるのか?」に対する一つの答えを提案します。
それは「幸せを感じるため」という答えです。
「幸せになるため」としないで「幸せを感じるため」としているのは、幸福感を大切に考えているからです。
人は幸せを感じた時に、「幸せだなぁ。生きててよかった。生きているかいがある。これからも(幸せを感じるために)生きていこう」と思うことができます。幸福感は、生きる価値・生きがい・生きる目的につなげることができるのです。
誰の人生にも「死」という終わりがあります。
終わりがあるから、それまでの過程が大事、今が大事と思えるのではないでしょうか。
たとえば、旅行をする目的は、目的地に行くことではなく、旅の過程を愉しむことです。結果だけを考えれば、「どうせ家に戻ってくるのなら、行っても行かなくても一緒」ということになってしまいます。
「過程を愉しむ」ことが大切なのは、人生も同じだと思います。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)という言葉があります。この「人生の質」の基準として「幸せ」を考えるのは自然なことだと思います。
そして、「幸せは感じるもの」です。だから、幸福感を大切にしたほうがいいと思うのです。
「幸せを感じて暮らす」ことを心がけて生活することが、自分の人生を豊かで幸せなものにすることにつながると思うのです。
実際に幸せに暮らせていると実感できれば、人生の最期に、「幸せな人生だった」と確信をもって言えるのではないでしょうか。
「幸せについて」目次
幸福論のページ
幸せのホームページ