しあわせ日記

3月1日(金)就職活動

  Spring has come.

 という感じです。
 もう3月なんですね。

 今夜の「特報首都圏」(NHKテレビ)は「私が内定を受けるまで」。大学生の就職活動についてでした。
 就職活動は「まず自己分析から」だそうです。
 「自分のセールス・ポイントは?」とかなんだと思うのですが、でもその前に「自分は何がやりたいのか?」が実際には問題のようです。
 それがわかっていないから、内定をもらってから「これでいいんだろうか?」と考えてしまう“内定ブルー”というのがあるそうです。

 就職する前に、仕事に夢をもっている人はどのくらいいるのでしょうか?
 就職してから、仕事に夢をもち続けられる人はどのくらいいるのでしょうか?
 自分が本当にやりたいことがわかっている人はどのくらいいるのでしょうか?
 自分が本当にやりたいことを実際にやれている人はどのくらいいるのでしょうか?

 私は、「やりたいことをやろう」「夢をもち続けて生きよう」と思っていますし、実際にやりたいことをいろいろやっていますし、いくつかの夢に向かって歩いているつもりです。
 これってやっぱり、すごく幸せなんだと思います。
 それに、マイペースで今の生活をいろいろ愉しみながら、それなりに幸せに暮らせています。
 私は現在、金持ちでもなければ、成功者でもありません。安定した仕事・収入があるわけでもありません。幸せな家庭があるわけでもありません。でも、すごく幸せです。

 きょう、精神対話士派遣業務参加受験願書を書いて郵送しました。
 履歴書のようなことも書きました。
 フリーになってから15年もたっているんですね。
 前半は、人の役に立つパソコンソフトの開発に夢をもっていました。後半は、「幸せ」に関するライフワークで少しでも人の役に立てたらいいな、と思ってやってきました。これからもずっと続けていくつもりです。それが、このHPであり、本の出版であり、精神対話士だったりするわけです。
 今月末に精神対話士の資格試験があります。合格率は10〜15%だそうで、受かるかどうかわかりませんが、いい経験ができたらいいなと思っています。
 どうやら私も、1つの就職活動をしているようです。



3月2日(土)竜馬のやさしさ
 『竜馬がゆく』(司馬遼太郎/文春文庫)を半分、読み終わりました。
 今回は「愛」をテーマに読んでいるのですが、なかなか書くのが難しいのです。
 「竜馬の人にたいするやさしさ」を私は感じるのですが、平素無愛想な竜馬には具体的なやさしさがなかなかでてこない。それについて、三菱の創業者・岩崎弥太郎が物語の中で竜馬のことをこんなふうに思っています。
(あいつが、おれに優っているところが、たった一つある。妙に、人間といういきものに心優しいということだ。将来、竜馬のその部分を慕って、万人が竜馬をおしたてるときがくるだろう。竜馬はきっと大仕事をやる。おれにはそれがない)
 また、岡田以蔵(人斬り以蔵)などに対しての、次のような箇所がありました。
以蔵などを見るときの竜馬は、沁みとおるようにやさしい目をする。

かれらも、(竜馬に愛されている)ということがわかった。
 心の中に本当のやさしさがあれば、それは自然に伝わるということでしょうか。
 少なくとも、心の中に本当のやさしさがなければ、愛は伝わらないのでしょう。
 では、心の中に本当のやさしさをもつためには?
 これは、宿題ということにしておきましょう。



3月3日(日)貧乏と貧困
 今夜の「知ってるつもり」(日本テレビ系)は、「天才建築家・ガウディ」。
 ガウディは「貧乏になるのはしょうがないけど、貧困になるのはよくない」というようなことを言ったそうです。
 お金や物が貧しい「貧乏」と、心が貧しい「貧困」の違いのようです。

 「論語」(岩波文庫)には、「君子もとより窮す。小人窮すればことに濫(みだ)る」(君子ももちろん困窮する、だが小人は困窮するとでたらめになるよ)とあります。
 君子と小人の違いは、心が乱れるか乱れないかということだと思います。

 不幸な出来事は誰にでも起こります。そこで心が乱れる人もいれば、黙然と受け入れられる人もいます。心が乱れてよけいな不幸をひき起こしてしてまう人も多いのではないでしょうか。

 などと言っても、人間そんなに強くも完璧でもありません。
 “くよくよ”はよくないけど、“くよ”ぐらいならいいんじゃないでしょうか。
 強い風がふいたら揺れてしまってもいい“柳に風”流のしなやかな強さがもてたらいいんじゃないでしょうか。



3月4日(月)努力と結果
 先週ビデオにとり損ねた、土曜午前に再放送の「真剣10代しゃべり場」(NHK教育テレビ)をビデオで見る。テーマは「素質がなければ努力してもムダ?」。
「私は世の中の人は『努力が大切』と思いすぎていると思います。どんなに一生懸命に努力しても、結果が人に認められなくては、単なる自己満足で、まったく意味がない。努力よりも大切なのは素質や人に認められること。努力だけで終わる人生なんてつまらないと思いませんか?」と土屋さんは言う。

 私は『くよくよしない考え方』の中で、「○○したらの人生」について次のように書きました。(つらいだけの努力/ガマンだけの人生でいいのかな?)
 おとなになったら、入学試験に受かったら、いい会社に入ったら、恋人ができたら、結婚したら、マイホームを買ったら、成功したら、夢が叶ったら、歳をとったら、・・・。
「○○したら」というのには「○○するまでは我慢」というようなニュアンスが感じられます。
「○○したら」という生き方をする人は、一つを達成してもまたすぐに次の「○○したら」を設定するのではないでしょうか。いつになったら「○○したら」の次に続く言葉につながる(総じて言えば、幸せになれる)のでしょうか。

「○○したら」がすべてではなく、その努力の過程を愉しむことと、それ以外の生活の中で愉しむことを忘れてはいけないと思うのです。
「今」より「将来」を大切にする人は、その「将来」になってもそのまた「将来」のために時間を使ってしまうのではないでしょうか。
「今」を大切にできるようになれれば、「将来」もその「今」を大切にできます。「今を大切にできるようになる」というのは「将来」のためでもあるのです
 「人に認められない」ことについて、孔子は「人の己れを知らざることを患(うれ)えず、己れの能なきを患う」(人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、自分に才能のないことを気にかけることだ/『論語』岩波文庫)と言っています。
 才能というよりも能力だと思います。能力は努力で向上させることができます。

 「人に認められないと価値はない」というのは、「愛」と共通すると思いました。「自分の愛の行為に対して見返りがないとイヤ」「愛されないと価値がない」というような。
 私は、「見返りがあったほうがいいな」「自分の愛を受け入れてくれる人を、幸せにしたい人に選ぶのもいい」と思います。
 その一方、「愛」のキーポイントは「人を幸せにする自分の幸せを感じられるかどうか」だとも思います。
 そして、いつも書いているように「夢は結果よりも過程の幸せを大切にしたい」と思っています。
 でも、「自分には合わない夢(実現の可能性を感じられない夢/やっていて愉しめない夢)は自分を苦しめる」と思います。

 人の評価と自分の愉しみ、結果と過程。やはりどちらも大切なのだと思います。
 また、努力は大切だけど、つらいだけの努力はイヤです。努力を愉しむ工夫が大事なのだと思います。

 先週末から続けていた『くよくよしない考え方』の再校ゲラの校正がきょうやっと終わり、文芸社さんに送りました。これですべて私の手からは離れたことになります。
 そして、出版は5月15日ということになりました。乞う、ご期待!!

ワクワク・・・



3月5日(火)人づきあいが苦手
 生きるヒントで「人づきあいが苦手」というテーマを始めるための準備をしました。
 まずは、人生相談のスクラップの中から関連するものを選びだし、相談を聞くつもりになって読み直しながら、どういう悩みがあるのかを書き出しました。
 次に、このHPの中の人づきあいに関するページを一通り見直して、作業用のリンク集をつくりました。
 次に、「人づきあいが苦手」のページで扱う問題とその構成を考えました。

 以前、「私は人づきあいがうまくない」と書きました。
 若い頃には、人づきあいに対する苦手意識もあり、けっこう悩みました。
 克服するための努力もいろいろしました。少しは改善された部分もあります。また、意識して心がければ、それなりの応対はできるようになれました。でも、それで疲れることも多く、努力することに疑問を感じることもありました。

 今でも「人づきあいはうまくない」と思っています。気まずい思いをすることもあります。
 でも今は、「ハオハオ(まぁいいか)」と思えるようになれました。「自分は人見知りでシャイで無口でいい」と思えるようにもなれました。
 そんな感じで、最近は人づきあいで努力することがあまりなかったような気がします。
 このテーマをいい機会に、人づきあいがうまくなる努力についても考え直して、実践してみようと思います。

 ということで、生きるヒントに「人づきあいが苦手」のページをとりあえず作成しました。まずは、「会話が苦手」という問題について考え直したいと思います。「人と会話するのが苦手」はだいぶ前に書いたのですが、リメイクするつもりです。乞う、ご期待!



3月6日(水)話題
 人づきあいの中で、ほとんどの人は会話が途切れて気まずい思いをしてしまうことがあるのではないでしょうか。
 ということで、話題を思いつくための方法を考えてみましょう。
 まず、会話の中ではどんな話題があるのでしょうか。

1.自分の話題
 自己紹介、自分の近況、自分の今の気分や体調、自分の仕事/家庭について、自分が好きなもの(事/人/物)に関すること、自分が興味のあること、自分の経験(よかった事/悪かったこと)、自分が思ったこと/考えたこと/感じたこと、自分の夢や目標や将来について、自分の悩み(恋愛/家庭/人生など)について、・・・。

2.相手の話題
 (1.での「自分」を「相手」に置き換えたもの)

3.共通の話題
 この前に会った時のこと、いっしょにしている事、過去に共に経験した事、共通する趣味や興味があること、共通の知人について、・・・。

4.一般的な話題
 天気・気候、ニュース(時事/スポーツ/芸能)、テレビ番組・映画・本、流行(音楽/ファッション/グルメ)、政治・社会問題・・・。

 相手と状況によりますが、まず上の4つのどれかについて考えてみてはどうでしょうか。
 順繰りに考えるのもいいと思います。
 私的には、4〜1へと考えたいと思います。たとえば、

 まず、あいさつに続けて天気・気候。「おはよう。いい天気だね」「こんちは。きょうは寒いねー」とか。
 次に、この前に会った時のこと。「この前はどうも」「楽しかったね」「ありがとう」「ごめん」とか。
 次に、相手の近況。「元気?」「あれからどうした?」「変わりない?」とか。
 次に、自分の近況。「きょう調子悪くて」「最近、こんなことがあってねー」とか。
 次に、最近の話題。「あのニュース知ってる?」「あのテレビ(映画)見た?」とか。
 次に、共通の知人。「あの人こうだったんだって」「あの人どうしたか知ってる?」とか。
 次に、相手の仕事/家庭。「仕事のほうはどう?」「ダンナ(奥さん)/子供は元気?」とか。
 次に、自分の仕事/家庭。「仕事でこんなことがあってね」「うちのダンナ(奥さん)/子供にこんなことがあってね」とか。
 次に、流行。「今あれが流行ってるんだって?」「誰々の新曲聴いた?」「あの本読んだ?」「あれ食べたことある?」とか。
 次に、共通の興味。「この前のあれおもしろかったね」「今度またあれいっしょにしない?」とか。
 次に、相手の興味。「あれ好きだったっけ?」「あなたの好きなあれのこういう話知ってる?」「あれについてもうちょっと教えてくれる?」「最近なんかおもしろいことない?」とか。
 次に、自分の興味。「これおもしろかったよ」「最近、これがマイブームでね」とか。
 次に、政治・社会問題。「小泉さん、最近どう思う?」「相変わらず景気悪いみたいだねー」「イヤな事件が多くてイヤになっちゃうね」とか。
 次に、共通の経験。「前にこんなことあったよね」「あれ(あの人)なつかしいね」「昔、こんなの流行らなかった?」とか。
 次に、相手の夢や目標や将来。「なんかやりたいことあるの?」「あれ頑張ってる?」「将来のこととか考えてる?」とか。
 次に、自分の夢や目標や将来。「実は、こういうことやりたいんだ」「今こういうことやってるんだ」「こうなったらいいなって思ってるんだけど」とか。
 次に、社会問題について。「(教育/少子高齢化など)日本はどうなっちゃうのかなー」「(環境問題/戦争・紛争など)地球はどうなるのかな」とか。
 次に、共通の問題や計画。「このことは協力して頑張ろうよ」「こういうこといっしょにやらない?」とか。
 次に、相手の悩み。「元気ないけど、どうしたの?」「あの問題どうなった?」とか。
 次に、自分の悩み。「今こういうことで困ってるんだ」「ちょっと相談にのってもらっていい?」とか。

 などと、書いていると簡単に会話が続きそうな気がしないでもありませんが・・・。
 最後は、正直に、「話が続かないね」「私はこういうことよくあるんだけど、○○さんはどう?」「こういう時ってどんな話をするんだろうね?」とか、場合によっては「あり」かもしれませんね。
 これはあくまでも例で、内容や言い方は人それぞれだと思います。また、話のきっかけですので、そこから話が展開していくことも十分に考えられます。

 「一般」「共通」「相手」「自分」を意識して考えてみると、何か話題が思いつきやすいのではないかという提案です。ここに書いたような話のきっかけのパターンを1つ1つ自分のレパートリーに加えていけばよさそうです。(私も試してみます)
 また、慣れもあると思います。このような工夫をしながら、ちょっと気合いを入れて努力し続ければ、得意のレパートリーのようなものもでき、会話がふくらむことが多くなるのではないでしょうか。



3月7日(木)会話の展開
 会話をうまく進めるためにはどうしたらいいのでしょうか?
 ということで、会話の展開について考えてみました。

 会話中には、話し手と聞き手が発生します。それが交互に入れ替わるのがふつうでしょう。
 話し手になるのは、自分から発言するか、相手からの問いかけに応答するかです。
 話し手が話すのに対して、聞き手は様々なリアクション(相づち/表情/動作など)をとります。それが続いたのちに、聞き手が次の質問をすれば話し手の話は続きます。聞き手が自分の感想や意見などを発言すれば、話し手と聞き手の立場が入れ替わります。
 話題はそのまま続いたり、少しずつ変化したり、どこかでガラッと変わることもあります。

 会話が苦手という人は、発言が苦手なのだと思います。何を話したらいいのかわからない、こんなことを言ったらどう思われるか怖いなどという人はそうだと思います。
 自分が話し上手になるというのも1つの方法で、いいことだと思います。会話上手には、話し上手な人と聞き上手な人がいると思います。会話が苦手という人は、まずは聞き上手を目指したほうがいいと思います。
 聞き手がうまいと話は進展するものです。

 どうしたら聞き上手になれるでしょうか?
 会話を始めるには、自分から相手に問いかければいいのです。いろんな話題があります。
 相手が発言し始めたら、よく聞くことです。相手の話に「のる」という感じでしょうか。具体的には、うなずいたり相づちをうったりしながらちゃんとリアクションをとることです(それは会話に参加しているということです)。さらに(続き/詳細/疑問点などを)質問すればその話題は続きます。もちろん、その間に思いついたことがあれば、自分が発言すればいいのです。
 話が途切れたら、次の話題を問いかければいいでしょう。
 相手から問いかけられた時には、話せれるだけ話して、同じことを聞き返してみるといいでしょう。人は自分が聞かれたいことを質問することがよくあります。

 このようなことがうまくできるようになるだけで、けっこう聞き上手になれるのです。「ハオハオ」も聞き上手になるために役立つと思います。
 話をよく聞く基本は共通ですから、一度身につければのちに様々な相手に対して役立つでしょう。
 「相手を知れば知るほど好きになる」という心理学の実験結果もあるそうですから、話を聞くうちに親近感が増して、会話もしやすくなるでしょう。
 会話に慣れてくれば、自分でも少しは発言できるようになると思います。



3月8日(金)会話の価値
 会話にはどのような価値・機能があるのか、考えてみました。
 まず、何かを伝え合うこと。それぞれの意思や感情などを伝えることができる。様々な知識や情報を得ることができる。それらが役に立ったり、興味深かったりすることもあります。
 単に、会話が楽しかったりおもしろかったりすることもあります。
 会話がなんらかの“癒し”になっていることも考えられます。ストレス発散になる。喜びや悲しみなどを共有する(「二人だと悲しみは半分になり、喜びは倍になる」などとも言われます)。孤独・寂しさからの脱却と考えることもできそうです。
 会話の場は、自己表現の場/発表の場/自分を発揮する場などと考えることもできます。
 会話は思考の役に立つことがあります。人に話すことで自分の考えが整理できる。人から考えるヒントをもらえることもあります。
 会話を通して人間を知るができます。世の中にはいろんな人がいることがわかる。人のいいところを参考にできる。「人の振り見て我が振り直せ」ということわざもあります。また、人づきあいを学ぶ、もっと言えば人生勉強にもなるのではないでしょうか。

 会話の価値として忘れてはいけないのが、相手を知ることだと思います。会話を通していろいろと相手を知ることで、好意や信頼感が増し、関係が進展するのです。人づきあいに会話は不可欠だし、いい会話をすることがいいつきあいにつながるのではないでしょうか。

 このような会話の機能・価値を意識することで、少しは会話上手になれるかもしれません。自分がそういう価値を少しでも得られれば、会話をして「よかった」と思えます。知らなければ、それに気づけないかもしれません。
 また、相手にそういう価値を与えることで相手に喜ばれます。そういうことができる人は好かれます。何かを教えるプロもいるし、人を笑わすプロもいるし、人の話をきくプロもいます。お金を払ってまでする価値のある会話もあるのです。そこまでいかなくても、会話の中で人を(たとえ少しでも)幸せにできることもあるのです。

 人との会話について、「楽しくない」「興味がない話ばかり」「イヤな話は聞きたくない」「深刻な話は聞きたくない」「人に話を合わせるのは疲れる」などと感じてしまうことはあると思います。でも、そういう会話の中にもなんらかの価値があるのではないでしょうか。また、自分が会話に特定の価値を求めすぎているのかもしれません。
 会話にはいろんな価値があることを思い出すことができれば、「会話がイヤ」だと思ってしまうことも減るのではないでしょうか。

 会話の価値を知ることで、会話の大切さを知り、少しは積極的に会話(の努力)ができるのではないでしょうか。



3月9日(土)無口でも
 バスケの練習に向かう電車の中で『竜馬がゆく』を読んでいたら、竜馬と西郷さんの初対面の場面がでてきました。
 ふたりの対話は、なかなか運ばない。
 なぜなら、西郷は薩摩隼人特有の無口だし、竜馬は、土佐の仲間がいう“すぼっこ”(無愛想)だから、余計な口はきかない。
(中略)
 西郷はしまいに笑いだして、
「おいも無口じゃと人に叱られもすが、坂本サンも劣らんごわすなあ」
 といった。
 竜馬も、ニコニコした。その笑顔が、ひどく愛嬌があり、
(おお、みごとな男じゃ)
 と西郷はおもった。
 竜馬も西郷さんも無口なのです。でも、ふたりともすごく人をひきつける人です。
 その理由を司馬遼さんは「無欲と至誠」と書かれています。
 自分のことには無欲で、人に対しては誠をつくす、ということでしょうか。
 「なるほど」という気がします。

 私も元来、無口です。
 人に好かれようと(たぶん)、もっとしゃべれるように努力したこともありました。
 近頃はずっと、「無口でもいいんじゃないの(ハオハオじゃん)」という感じで、黙って(できれば、微笑んで)いればいいと考えることが多くなっていました。(平然と無口でいるというのも簡単なことではありませんが)
 これからは少しでも人を幸せにできるように会話できたほうがいいんじゃないか、と今思っています。そういう自分になれるように努力してみようかな、とか思っています。
 私の今年のテーマは「愛」だし、もっと心に愛をもって、それを伝えられるようになれたらいいな、と思います。でもそれは、多弁になることではないと思います。やはり、無口でもいいとは思うのです。



3月10日(日)感情と考えに振り回される
 人はなんで自分の感情と考えに振り回されてしまうのだろう?

 イヤな事があった時にイヤな気もちになるのはある程度はしかたがない。
 でも、なんでその事をわざわざ想い出してまたイヤな気もちになってしまうのだろう?
 心のどこかにイヤな気もちが残っているからだろうか。

 考えて何かいい対策が見つけられればいいのだろうが、実際に何もしないのならイヤな気分になるだけ損なのに。
 そのために後悔するような事をしてしまったり、なりたくない自分になってしまうこともある。
 忘れられれば、何も問題なくすむはずなのに。

 私は、イヤな気もちになるのは自分が不幸になる考え方をしているから、と考えます。
 それよりは幸せになる考え方があるはず。
 少なくとも、イヤな事を考えるより何かいい事を考えたほういい。

 不幸になる考え方をしてしまうから、必要以上にイヤな気もちになってしまう。
 イヤな気分に振り回されて不幸になる考え方をしてしまう。
 悪循環に陥ってしまう。

 どうして、自分の感情と考えに振り回されてしまうのか?
 自分の悪い感情・考えとその悪循環に気づけないのか。
 気づいても自分の感情や考えをコントロールできないのか。
 そんなことは最初から、できるわけがないと(無意識に)考えているのか。
 どうせ自分は・・・と考えて、その努力をしないのか。
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