しあわせ日記

6月1日(木)人づきあいの問題
 「人づきあい」について、また少し考えてみようと思いました。
 人づきあいでイヤな思いをしたり悩んだりすることは、誰にでもあると思います。

 では、人づきあいで悩み苦しんでしまうのは、何に問題があるのでしょうか?
 相手に問題があるのでしょうか? 出会いや運が悪いからでしょうか? 自分に問題があるからでしょうか?
 どれにも、問題はあると思います。

 世の中には無礼な人も意地悪な人も無神経な人もたくさんいます。そういう人を変えることはまずできません。「世の中にはこういう人もいる」「こんな人のためにイヤや思いをするのは損だ」などと考えることで済ますことができれば、それに越したことはないのですが・・・。

 イヤな人や自分と合わない人と出会ってしまったことは、運が悪かったとも言えます。その人と出会いさえしなければ問題はなかったはずです。でも、出会ってしまったのは現実だし、変えようのない関係もあります。「これも運命」「しょうがない」のように考えることができれば、少しはラクになれ、“それなり”のつきあいを考えらるのではないでしょうか。

 自分に問題があるのなら、それを変えられればいいわけですが・・・。

 その辺のことも含めて「人づきあい」について、いろいろ考えてみようと思います。



6月2日(金)私は人づきあいがうまくない
 私は、無口です。
 私は、人見知りです。
 私は、人の目を見るのが苦手です。
 私は、人の欠点や無神経さに気づきやすいと思います。
 私は、人を誘うのが苦手です。
 私は、自分の問題を人に相談することはありません。

 私も、以前は人づきあいに悩むことがよくありました。



6月3日(土)私は人づきあいがうまくない2
 私は、人の話を聞くのが好きです。
 私は、「最初はつきあいづらそうだと思った」と、よく言われます。
 私は、シャイ(恥ずかしがり)です。
 私は、人に対するイヤな感情を露骨に表すことはありません。
 私は、ひとりの時間が好きで、大切にしています。
 私は、「すべてのことはいい経験」だと考えます。

 私は最近、人づきあいのことで悩むことはほとんどなくなりました。少しくらいイヤな思いをすることはあります。でも、その思いを強くしたり募らせたりすることはありません。

 私は、きっと人づきあいがうまいほうではないと思います。
 でも、仲間と言える友達はたくさんいます。

 私のまわりの人に「本多は人づきあいはいいか?」と聞いたら、「よくない」と言う人のほうが多いかもしれません。これは親戚なんかに聞いたら特にそうだと思います。でも仲間に聞いたら違うんじゃないか、とは思ってはいますが。

 人づきあいに悩み苦しまないための方法としては、人づきあいをよくする方法と、人づきあいはヘタでも悩まない方法の2つがあると思います。



6月4日(日)ヘタでもいい
 「人との会話が苦手」と、人づきあいに悩む人がいます。このことについては、以前に書きました

 人の目を見て話すことが苦手な人がいます。実は私もそうです。私は、物心ついたときから、無意識に人と目を合わせないようにしていました。シャイな性格のため、と自分では思っていますが。ある時、「人の目を見て話さない人の言うことは信じられない」と言った人がいました。私は、こういう人もいるんだ、と思いました。それ以来、重要な話やきちんと伝えたいことがある時などには、相手の目を見て話した方がいい、と考えるようになりました。人の目を見るとドキドキするのは変わりませんが(ドキドキしてもいい、ハオハオです)、必要な時には(その重要さを意識していれば)できるものだと思います。でも、必要があるのはそれほど多くないと思っています。いつでも誰とでも目を合わせて話をしなければならない、と思ったら気を使いすぎて疲れてしまうと思います。

 人間関係が苦手、会話が苦手、目を合わせるのが苦手(それらができなければいけない)などと悩み苦しむのは、自分の心の問題だと思います。自分さえそう考えなければ苦しまなくてもすむはずです。

 世の中には、無口な人、シャイな人はたくさんいます。ある程度人が集まれば、その中にはそういう人が何人かはいると思います。無口やシャイだから人づきあいができないということはないと思います。それを意識しすぎて、勝手にイヤな思いをして、人づきあいを避けるようになるのが、人づきあいが苦手になるパターンではないでしょうか。

 私は無口でシャイですが、人づきあいをイヤだとは思いません。私は人の話を聞くのが好きだし、人の話を聞く方法もある程度は身についています。深刻な話やイヤな相手でも「ハオハオを使う」ことで話を聞くことができます。ヘタでも好きなら問題ないんですよね。

 人づきあいが苦手という場合、1つの方法は人づきあいが上手になることです。人の話を聞くことも、人の目を見て話すことも、努力すれば少しずつ上達します。無口やシャイな人は、どちらかというと聞き上手を目指したほうがいいと思います。
 もう1つの方法は、人づきあいはヘタかもしれないが、それを気にしすぎて苦しまないようにすることです。無口やシャイでも(人づきあいの)いい人はたくさんいます。私は無口やシャイな人は好きなほうです。

 本当は最終的には、人づきあいを愉しめるかどうか、が問題だと思うのですが・・・。



6月5日(月)イヤな相手とつきあう
 「イヤな相手とつきあうのが苦痛」と、人づきあいに悩む人がいます。このことについては以前に書きました
 イヤな相手とはつきあわなければいいのですが、現実にはそうはいかない場合がたくさんあります。
 イヤな相手とどうつきあうか、それが問題です。

 「一時の事」と考えることができる相手なら、なんでも「ハオハオ」と、とにかくなんとかその場をやりすごせば、それ以外の時はそんな相手のことは考えずに幸せに過ごすように心がければいいと思います。

 どうしても頻繁に会わなければならない相手の場合には、なかなかたいへんです。相手のイヤなことが目につき、ともすると、相手の悪いところや過去にされたイヤなことまで思い出して、さらにイヤな思いを募らせてしまいます。
 まず、相手は「こういう人なんだ」と知った上で、どうつきあっていくかを考えることではないかと思います。あまり人を決めつけてしまうのも問題ですが、「こういう(ところがある)人なんだ」くらいにでも考えられれば、「世の中にはこういう人もいる」や「こんな人のためにイヤな思いをするのは損だ」などと考えられるのではないでしょうか。

 相手のイヤな部分に気づいても、それをいかに軽く受け流せるか、イヤな思いを強くしないですむか、その時をそれなりに過ごせるか、そのように工夫することが重要だと思います。「ハオハオ」は使ってみるとけっこう役に立つことがあると思います。
 また、人間関係をよくする方法をおすすめしたいと思います。

 最近の私でも、人のイヤなところを考えて気分を悪くしてしまうことがあります。そんな自分に気づいた時には、「(私も)まだまだ未熟だなぁ」などと考えます。こう考えられれば、自分の心をコントロールし始めることができます。



6月6日(火)イヤな人といない時
 人づきあいで悩み苦しまないためのポイントは、イヤな人といっしょにいない時の過ごし方だと思います。イヤな人といっしょにいないのに、その人のことを考えてイヤな気もちになったり苦しんだりするのはもったいないと思います。
 もし何かいい方法を考えて実行しようというのなら、話は別ですが、考えるだけで何もしないのなら、時間やエネルギーがもったいないし、イヤな気もちになるだけでも損です。

 過去に人が自分にしたことを繰り返し思い出して、腹を立てたり悲しんだりして「なんになる?」のでしょうか。

 将来にイヤな相手と接しなければならない時のことを、あれこれ考えすぎて憂うつになってしまうのも問題です。ある程度考えたら、「なるようになる」や「一時の事」と割り切ったほうがいいと思います。

 「あ、またイヤな気もちになっている」「イヤな人のことを考えているからだ」「あんな人のことを考えるヒマがあったら、もっといいことを考えよう」
 こんなふうに考えられたら、と思います。そうすれば“いいこと”を始めるきっかけになります。好きなこと、自分の夢や目標、好きな人のこと、幸せにしたい人のことなどを考え始めればいいだけです。

 イヤな相手のことをふと考えてしまうのはしょうがないと思います、無意識にですから。それに早めに気づき、考えを変えることができればいいわけです。
 イヤな人といっしょにいない時に、その人のことを考えることが少なくなれば、それだけその人とのつきあいの問題も小さくなると思います。



6月7日(水)人を選ぶ
 すべての人とつきあいよく接しよう、と考えたらなかなかたいへんだと思います。もちろん、それが自然にラクにできる人だっているかもしれませんが。私のようなまだまだ未熟な人間にはちょっときつそうです。
 人(づきあい)を選ぶことを考えてもいいと思います。

 私は、したくないつきあいは最小限にしたい、と考えています。
 私は、近所づきあいや親戚づきあいはほとんどしていません。もちろん会えばあいさつ程度をする近所の人もいますし、冠婚葬祭などで親戚と席がいっしょになればそれなりに話はします。
 今の職場でも仕事が終われば、できるだけ早く自分の事務所に帰って、やりたいこと(この日記を書くなど)があるので、人づきあいはほとんどしていません。もちろん仕事をいっしょする人とのコミュニケーションはちゃんとしますが、仕事で直接関わらない人とはほとんどコミュニケーションはとっていません。できるだけいい仕事をして、できるだけ早く帰ろうと、職場では雑談も休憩もしない(1日2食なので昼も抜き)で仕事に集中しています。
 だから私のことを「人づきあいが悪い」と思っている人が多いかもしれません。
 親戚などは、私が無口でシャイでそのくせ頑固でやりたいことばかりやっている、ってわかっていると思いますが。

 私は、好きな仲間とのつきあいを大切にしています。
 私は、バスケットの練習も、大学時代の仲間との勉強会もほとんど皆勤賞です(今の仕事も無遅刻無欠勤ですが)。どちらも15年以上続いています。長いつきあいで定期的に会って、いっしょに合宿やキャンプに行ったりもしているので、本当に気心の知れた“仲間”という感じです。

 親しい人とは親しいつきあい、そうでない人とはそれなりのつきあい、これは自然なことだと思います。上司に前だとコロッと変わるとか、異性の前だとガラリと変わるのようなのは、ヒンシュクを買うとは思いますが。

 みんなに“(つきあいの)いい人”と思われたい、と(無意識にでも)気を使いすぎると疲れてしまいます。どうでもいい相手にだったら「つきあいの悪い人」と思われてもいいではないでしょうか。
 「無口な人」「無愛想な人」「つきあいの悪い人」などと思われたほうが、気を使って人づきあいをしなくていいので気がラク、などと私は考えてしまうこともあります。いいんです、私にはいい仲間がたくさんいるし、やりたいこともいっぱいあるし。

 最近の私は少し極端に人づきあいを選んでいるような気がしてきました。人にどう思われてもいい、という考えがラクにできるようになったからかもしれません。少し反省しよう、と思います。
 私のように極端ではなくても、人づきあいを選ぶ、ということは考えてもいいと思います。



6月8日(木)愉しむ
 「なんのための“人づきあい”?」ということを考えてみました。
 いろんなことを考えたのですが、まだまとまっていません。(あさってには何か書こうと思っています)
 そこできょうは私流の考え方の1つを使って、
 「なんのための“人づきあい”?」
 その答えは人それぞれで違っていても、「どうせするなら人づきあいを愉しめたら」と思います。
 「愉しむ」というのは、「楽しい」だけではなく、もっといろんな愉しみ方があると思っています。
 ともに愉しめる何かをいっしょにする、というのがいいと思います。それがいっしょに話をすることでもいいわけです。もちろん話が合う相手でないとなかなか愉しめないと思います。

 私は人の話を聞くのが好きですが、それは人づきあいの中からいろんなことを学べるからではないかと思います。人がどういうことに興味を持っていて、どんなことを考えているかなど、私にとっては「幸せのヒント」になります。
 私と同じように「自分を育てる」ことを人生目標にすれば、イヤな人や苦手な人は「いい練習相手」と考えられます。
 最近の私は、いい仲間といっしょにいる時には、「いっしょにいれて幸せ」「この場にいれて幸せ」などと思います。

 少しでも人づきあいを愉しめたら、と思います。



6月9日(金)なんのため?
 「なんのために“人づきあい”をするのか?」

 「必要がある」からでしょうか。
 人はひとりでは生きていけません。まわりの人と関わりながら生きていくものです。完全に人づきあいをしないで生きていくわけにはいきません。
 生きていくためにどうしてもつきあいが必要な人はいます。そういう人とのつきあいは大切にしなければなりません。
 でも実はつきあう必要はない人もいると思います。「つきあいが必要」と自分で決めつけて、「つきあいのための人づきあい」をイヤイヤながらしている人もいるように思います。

 「したほうがいい」からでしょうか。
 まわりの人とのつきあいがうまくいかないと、気分よく過ごすことは難しいと思います。人づきあいで苦しんでしまう人はたくさんいます。「人と親しくできない」と悩む人もいます。
 人づきあいがうまくいってないために、損失や被害を受けてしまうこともあります。
 いい人間関係を心がけたほうがいいと思いますが、そのために苦しむほどなら無理をしなくてもいい場合もあると思います。

 「幸せになるため」でしょうか。
 人とのつきあいの中でたくさんの幸せを得ることができます。楽しいこと・うれしいことだけでなく、やすらぎや安心も大きな幸せだと思います。
 人から学べることがたくさんあります。自分を成長させることもできます。
 幸せになるための人づきあいは限られると思います。そういう人が何人かでも、いればいいのではないでしょうか。

 「誰のための人づきあい」でしょうか?
 「自分のため」でしょうか。だったら、それで苦しむのは自分のためになっていません。
 「人のため」でしょうか。それを喜んでやれればいいのですが・・・。
 「自分のため」と「人のため」両方だとは思いますが、自分の心は大切だと思います。

 人づきあいに対する考え方人づきあいの距離感を考えてみるのもいいと思います。

 「人づきあいはなんのため?」の答えは、人それぞれ、その時々、相手によって違うと思いますが、それを考え直してみると何かヒントが見つかるかもしれません。また、「幸せに過ごす」というもう1つの目標を想い出せたら、思います。



6月10日(土)人間関係をよくしたいなら
 もし本当に「人間関係をよくしたい」と考える相手がいるのなら、まず1つは「人間関係を良くする方法」をおすすめします。
 もう1つの方法は、その相手を幸せにすることを考え・実践することだと思います。
 自分を幸せにしてくれる人を嫌いな人はいないと思います。ただ、それになかなか気づかない人はいますが。

 「人を幸せにする」と言っても、すごいことをする必要はありません。それよりも、小さいことの積み重ねのほうが、人の心には浸透するように思います。
 その辺については、こちらも参考になると思います。

 いい人間関係をつくれるようになりたい、と考えるのはいいことです。いい人間関係をつくるためにをご覧ください。また、こちらのページも参考になると思います。

 最近私が思うことは、もっと人の幸せを考えられたら、ということです。きれいごとではなく、自分の幸せのために、です。などと思っていても、なかなか人の幸せを考えることはできません。
 最近の私は、人づきあいを割り切りすぎの感があります。もう少し人づきあいを大切にしたほうがいいのかな、とも思いました。


   

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