しあわせ日記
11月1日(木)親子問題
親子問題について考えてみようと思います。
親に関する悩みのメールを時折いただきますが、深刻な悩みが多いようです。
「最後の家族」というドラマが木曜にやっています(テレビ朝日系)。
仕事人間の父親は会社が危ない、母親は不倫、息子はひきこもり、娘は援助交際。家庭内暴力もあります。
極端な設定という気もしますが、個々の問題については現実に多いのかもしれません。
親子関係で悩み苦しむ人がいます。親の考え・望みと子の考え・望みが合わないこともよくあります。一方が他方を傷つけている場合もあります。親の問題、子の問題、それぞれに悩みがあり、大きい問題は家庭の問題にもなります。自分の生き方が家族によって左右されてしまうこともあります。
親子関係で悩み苦しまないためには?
家族の重大な問題に対して自分はどうしたらいいか?
自分らしく幸せに生きるためには?
というようなことを考えてみようと思います。
親との問題については以前に書きました。今回は親の立場での親子の問題についても考えてみようと思います。
11月2日(金)言葉の暴力
家族の言葉に傷つく人もいます。怒り、悪口、強制、バカにする、無神経な言葉などに心を痛めてしまいます。家族の場合にはしょっちゅう、それも長い年月に渡ってそういうことが繰り返されることにもなります。
「親の暴言」については以前に書きました。「人の言葉で傷ついた」には、気にしない/傷つかない考え方/相手に伝える/人に相談するという対策を書きました。
家族の場合には、本人にお願いすることも可能なはずです。相手は傷つけていることに気づいていないかもしれません。真剣にお願いすればやめようとしてくれるかもしれません。残念ながらお願いしてもやめようとしてくれない人もいます。クセや性格のようになっていてやめられない人もいます。
「自分を守る」ということも必要なのではないでしょうか。
予防の方法もあるかもしれません。相手を怒らせないとか、こういうことは言わないとか、こういう時にはそばに寄らないというようなことです。
イヤな言葉を言われた現場では、「ハオハオ」を使ってイヤな気もちを軽くできたらと思います。この人は「こういう人」「こういう性格」「こういう時期(思春期/更年期)」と認識した上で、軽く受け流すことができたらいいのですが。頭にくる一言への対処法も参考になるかもしれません。
大事なのは後々までそのことを気にしないことだと思います。その場をなんとかやり過ごしたら、そのことやその人のことを考えないように心がけることです。それが自分の心を深く傷つけない方法だと思うのです。
人を傷つけるようなことを平気で言う人は未熟なのです。そんな未熟な人の言うことは受け流せばいいのです。(自分を育てて)大人の対応ができるようになれたら、と思います。
11月3日(土)意見が合わない
親子で意見が合わないことは多いと思います。そのことでイライラしたり悩んだりつらい思いをしてしまうこともあると思います。
親子でも「意見が合わないこともある」「意見が合わないことがあって当たり前」「意見が合わなくてもいい」と考えられる少しはラクになれるのではないでしょうか。
そういうことを「親と意見が合わない」にも書きました。
意見が合わない時に、どう考えれば、相手との対応をどうしたら、あまり苦しまなくてすむかということが大事だと思います。
まずは、「誰の問題か?(決定権は誰にあるのか?)」を認識することだと思います。自分に決定権がない場合には、説得できなければあきらめるしかありません。それはしかたがないのです。
相手の問題は相手が決める。こちらの望みや意見は言ってもいいけど、それを強制させようとすれば相手は苦しみ関係が悪くなり自分もイヤな思いをするのではないでしょうか。「自分はこう思うけど、よく考えて自分で決めればいいよ」って言ってくれたらどんなにいいでしょうか。
自分の問題は自分で決める。『くよくよしない考え方』には自分の望みを押し通す方法を書きました。人の意見はよく聞く、でも自分のことは自分で決める、その責任は自分が経験としてとるしかない。意見が違っても「議論も説得もしなくていい」ということです。
1つの意見対立があるからといって関係を悪くしないことが大事だと思います。「それはそれ、これはこれ」として、そのこと以外ではふつうに接することが大切です。
親の意見に逆らうことは親不孝か?
親の言うことを聞いていれば幸せになれるのか?
子供の幸せのために自分の意見を押しつけることは?
子供の幸せのために自分の幸せを犠牲にしていいのか?
このようなことについては、これから考えてみます。
11月4日(日)親孝行
親の意見に従わないことは親不幸なのでしょうか?
そうかもしれません。でも、親のわがままなのかもしれません。
よく考えた上で、自分の幸せのために親の意見に従えないということがあってもしかたがないと思います。たとえ、それが親不孝かもしれなくても。
でも、一事が万事ではありません。親孝行の方法はいろいろあります。1つ親不幸してもその何倍も親孝行するのと、親不孝も親孝行も何もしないのとどちらがいいのでしょうか。一時の関係悪化も、その後の心がけしだいで関係修復は可能だと思います。
そして、自分の選択した道でイキイキと幸せに暮らすことが、自分の正しさを証明する方法であり、親孝行でもあるのではないでしょうか。子の幸せを願うのが親のはずです。
「親孝行をしたい」という気もちはいいと思います。でも、「親孝行をしなくてはいけない」「絶対に親不孝をしてはいけない」というような思い込みは自分を苦しめることになってしまうことがあります。「なかなか親孝行はできないもの」「親不孝をしてしまうことはあるもの」というのが現実です。ほとんどの人はみんなそんなものです。
「親孝行したい」と思った時には、「親孝行できたらいいな。どうしたら?」と考えて思いついた時にできることをすればいいのではないでしょうか。
「親孝行したい」と思わない時には、ムリしてしなくてもいいと思います。
一方、親の立場から考えると、親孝行を強要するのはどうかと思います。「親孝行してくれない」とイヤな思いを続けるのは自分のためによくないと思います。
「親孝行してくれないのは当たり前」と考えていたほうがラクだし、親孝行をしてくれた時には喜びも大きいのではないでしょうか。
ところで、自分はどのくらい親孝行をしてきたのでしょうか? それを考えれば「してくれないのは当たり前」と思いやすいかもしれません。また、「親孝行するような子供に育ててこなかった自分のせい」と考えればあきらめもつくかもしれません。
親孝行を期待して生きるよりも、自分の幸せを考えて生きたほうがいいと思うのですが。
11月5日(月)誰の責任?
親の言うことは聞いたほうがいいのか?
よく聞いたほうがいいでしょう。自分よりも人生経験が豊かな人、自分のことをよく知っている人の意見は参考にしたほうがいいでしょう。(けっこう難しいことですが)
親の言うことに従うかどうかは、自分の判断しだいです。自分のこと(望み/幸せ)をいちばん知っているのは自分です。
選択の結果はわかりません。
たとえば、親が結婚(相手)に反対した場合。親の反対を押し切って結婚して、幸せになれることもあるし、そうはならないこともあります。幸せになれる時期はあるでしょう。それでいいと考えられる人はそういう選択をしたほうがいいのではないでしょうか。親の言うとおりにして、後でいい出会いがあって幸せになれることもあるし、そうはならないこともあります。幸せになって親に感謝をするのはいいけど、幸せになれないことを「親のせい」にするのはどうかと思います。
それに、選択よりも本人の幸せになる能力のほうが大きいんじゃないかと思います。どちらを選んでも幸せなれる人と、どちらを選んでも幸せになれない人が多いような気がします。
「親のせいで不幸になった」と考えるのは親不幸だと思いますが、ふとそう考えてしまうのはしかたがないような気もします。でも、「親のせいで幸せになれない」と考えるのはどうかと思います。過去はともかく、これから幸せになれるかどうかは自分しだいです。努力すれば少しずつ幸せになれるはずです。「親のせい」を幸せになる努力をしない言い訳にしてしまうのは、自分のためによくないと思います。
親の意見に従ったとしても、それは自分が選んだことです。その選択の責任も自分が経験としてとるしかありません。「(人の意見は聞いても)自分で決めて生きている」という自覚が必要なんじゃないでしょうか。
そして、「自分(の努力)で幸せになっていく」という気もちが大事だと思います。
11月6日(火)子供の(幸せの)ため
親が子に「こうしろ」というのは、「子供のため」のはずです。少なくとも親はそのつもりです。他人にはそんなこと言いません。
ただし、言うことが子供に合っていなかったり現実的でなかったり間違っていたりすることも多いと思います。ただ怒っていたり言い方が悪かったりすることもあります。「自分が親にこんなふうに言われたらどう思うだろうか?」とか考えてみれば、子供が反発する気もちに少しはわかるのではないでしょうか。
そんなにできた親は少ないと思います。社会的に立派な人でも子供の気もちをわからない人が多いような気がします。大人だってみんな未熟です。
子供も「親も未熟」とわかった上で、内容はともかく「自分に何か言うのは“子供のため”という気もちがどこかにあるからだ」と思えたらいいんじゃないかと思います。
「子供のため」というのは、「子供の幸せのため」のはずです。
本当に子供の幸せを考えているのか?には疑問が残るところです。
そもそも幸せに暮らしていない親が、子供を幸せにできるのでしょうか?
自分(もしくは、夫婦)の叶わなかった夢や目標を子供に託しているような人が多いような気がします。
子供には子供の幸せがあります。親とは違ってもいいはずです。親の考える幸せを子供に押しつけるのはいかがなものでしょうか。自分が自分の親に押しつけられた場合を考えればわかるのではないでしょうか。
親には親の幸せがあるはずです。親が幸せに暮らすところを見せるのが、子供を幸せにする方法の最有力のような気がします。
11月7日(水)親の幸せ
子供が親孝行してくれたら、親は幸せでしょう。
親孝行してほしいのなら、やさしい子に育てるのがよさそうです。
やさしい子に育てるにはどうしたらいいのでしょうか?
けっこう難しそうです。成績のいい子に育てようと努力する親は多そうですが、やさしい子に育てようと努力を続ける親は少ないような気がします。
やはり、やさしい家庭の中で育てるのがいいのではないでしょうか。何よりも親が見本を見せることが肝心だと思います。自然に親孝行をしている親の姿を見せることも大事でしょう。
「空の巣症候群」というのがあるそうです。手がかかった子供が成長して親の手元から離れていき、家に取り残された母親がなるそうです。
一方、子供が巣立って子育てから開放されて羽をのばす母親もいます。
子供の自立は喜ばしいことのはずです。また、自分の時間が持てて新しい事を始められると考えることもできます。
子供が成長してから親の面倒をみたり親孝行をする動物は人間以外にいるのでしょうか。人間の親は幸せなのかもしれません。
「子供は子どものうちに十分な親孝行をしている」というようなことを何かで読んだことがあります。子供は特に何もしなくても親をたくさん幸せにしているのだと思います。
親にとって子供は「幸せにしたい人」です。子供を幸せにすることが自分の幸せだと思えるんじゃないでしょうか。(幸せになる方法・その4「人を幸せにする」)
子供の存在が親の大きな幸せなんだと思います。(子供がいないと親にはなれませんが)
(子供がいないと幸せになれない、ということはありません。幸せになる方法は星の数ほどあるのですから)
また、親には子供以外にも自分の幸せがあるはずです。自分の幸せを考えることも大切です。子供が自立したら、子供の幸せを願いつつも自分の幸せのために生きたほうがいいと思います。自分が幸せでいて、子供が自分の力で幸せになるのを見守るというのが理想なんじゃないか、と(親になるつもりがない)私は思うのですが。(幸せにしたい人はたくさんいます)
11月8日(木)言い訳にしない
「親のせいで不幸になった」と考える子供がいます。親のせいでこんな性格になってしまった、親の暴力・暴言で心に傷を負ってしまった、生まれた家が悪かった、・・・。
「子供のために不幸になった」と考える親がいます。子供のために幸せをあきらめた、子供のために我慢した、子供(家族)の犠牲になった、・・・。
そのように思うのはよくないと思うのですが、ふとそう思ってしまうことがあるのはしかたがないのかもしれません。実際にそういう面もあるのだと思います。
でも、「親のせいで/子供のために幸せになれない」と考えるのはやめたほうがいいと思います。きびしい言い方をさせてもらえば、「『親のせい/子供のため』という言葉を、自分が今幸せになる努力をしない言い訳にしている」のではないでしょうか。「親のせい/子供のため」(自分のせいではない)ということで言い訳にしやすいのかもしれません。
「親のせい/子供のため」を言い訳にしてしまうのは、自分の(幸せの)ためによくありません。自分の幸せをあきらめているようなものです。
過去のことはともかく、これから自分が幸せになれるかどうかは自分しだいです。少しでも幸せに暮らせるように心がけ、幸せになれるように努力することが大切なのではないでしょうか。
家族に何か問題があっても、家庭環境に恵まれていなくても、家族のためにすることがいろいろあっても、家族のために制限されることがあっても、その中で自分を育てながら自分の幸せを大切にしていけば、それなりに幸せに暮らすことはできるようになると思うのです。
そのためにはまず、「親のせい/子供のため」という言い訳を自分にしないようにすることから、だと思うのですが。
11月9日(金)家族の問題
家族の問題に悩む人もたくさんいます。親の失業、夫婦の不和/離婚、子供の非行、子供の不登校/ひきこもり、家庭内暴力、家族の悪癖、家族の病気、・・・。
問題を抱えている当人だけでなく、その家族にも大きな影響があり、悩み苦しんでしまうことがあります。
問題を抱えた家族に対して、自分はどのように接したらいいか、と苦労している人も多いと思います。
様々な問題があり、一概には言えませんが、なんとか家族の力になれたら思うのがふつうでしょう。「これは当人の問題だ」と黙って見守るというのも一つの選択だとは思います。問題の解決法や対処法をアドバイスしてうまくいくのなら、それもいいでしょう。と言っても、それで済むようなことなら大きな問題にはならないはずです。一方的に自分の答えを押しつけても、当人には受け入れられないことが多いのではないでしょうか。心の問題に関わる場合は特にそうだと思います。
力になるためには、「味方になる」ことが必要なのではないでしょうか。そのためにはまず当人の現状を受け入れ、当人の話をよく聞くことからではないかと思います。
大きな問題は「時間をかける」ことも必要だと思います。自分があせってもどうにもなりません。
さらに問題が大きくなると、家族の手だけには負えないこともあります。そういう場合には、人の力を借りたほうがいいと思います。
「人に相談する」ことも考えたほうがいいと思います。
地方自治体の相談窓口を利用するのも一つの方法です。役所や保健所や精神保健福祉センターなどに対応してくれる窓口があるか調べてみてはどうでしょうか。最近は、各HPにも窓口の紹介がされています。
また、病気は医者、法律は弁護士など、専門家に相談するのがいいでしょう。
アルコール依存症、不登校、ひきこもり、拒食・過食などの問題は、同じ悩み持つ人たちによる自助グループも少しずつ増えているようです。検討してみてはどうかと思います。
家族の問題に対していちばん大切なことは、自分が共倒れにならないことではないでしょうか。自分の基本的な生活に支障をきたすようでは、家族を支えることも難しくなってしまいます。「悩みや問題があってもそれなりに幸せに暮らす」ことを、いつもよりも意識して心がける必要があるのではないでしょうか。
11月10日(土)親も子も
家族と言えども1人の人間です。それぞれの生き方・幸せ・考え方があります。自分と合わないこともあって当然です。
また、みんな同じ未熟な人間です。欠点も悪いクセもあるものです。
そして、誰でもが自分なりの問題を抱えて生きています。
親子関係があまりうまくいっていない家庭も多いように思います。理想的な家族なんてほとんどないと思います。ある程度うまくいっている家庭はけっこう幸せだと思ったほうがいいんじゃないでしょうか。
家族と自分との関係、家族が抱えている問題などによって、悩んでしまうこともあると思います。自分の生き方にも少なからず影響があります。家族と離別することは簡単にできることではありません。
家庭の中に多少の問題があっても、家族との関わりも含めた自分の(少しでも幸せな)生き方ができるように努力するしかないように思います。
まず、(精神的な)親離れ・子離れをすることだと思います。そのためには、自分の幸せを知り、それを大切にすることだと思います。
そんな中で自分の「大切な人」「幸せにしたい人」と思える家族を大切に/幸せにすること(親孝行/子供の幸せのためなど)を自分の幸せとしてやれたらいいんじゃないかと思います。(無理をしてまでやる必要はないと思います)
また、困った時に助け合えるのが家族です。本当に困った時にはきっと家族が力になってれると思います。自分も家族が困った時にはできるだけのことをしようという気もちがあれば、ふだんの多少のわがままも許してもらえるのではないでしょうか。(あまり親孝行でない私の言い訳ですが)
親は子供の幸せを願うもの。
子供は幸せに暮らすことが第一の親孝行。
などと、私は考えます。(これまた、言い訳かもしれませんが)
子供も親の幸せを願えたらいいな。
親が幸せに暮らしてくれたらうれしいな。
とか考えたほうがいいのかな、と今思いました。
いずれにしても、親も子も、互いの幸せを願いつつ、自分が幸せに暮らそうと心がけることがいちばん大切なんじゃないか、と思うのですが。(まだ勝手かなー?)