しあわせ日記 「人づきあいの距離感について」

10月1日(月)人づきあいの距離?
 どういう人間関係を望むかは人それぞれです。親密な関係を望む人もいれば、必要以上の関係は望まない人もいます。相手によっても望む親密さは変わります。
 「もっと仲良くなりたいのに思うように親密になれない」と悩む人もいれば、「相手とのつきあいがうっとうしい」と悩む人もいます。
 「人づきあいの距離の取り方が難しい」と感じている人は多いのではないでしょうか。
 (相手によって)自分が望む親密さを築き、その関係をうまく維持することができればいいのですが・・・。

 ところで、人づきあいの“距離感”でしょうか? “距離観”でしょうか?
 「人づきあいの距離感」は、距離の感じ方のことでしょうか? 方向感覚やバランス感覚のような能力のことでしょうか?
 人生観や死生観のような「人づきあいの距離観」(人づきあいに対する考え方)というのもありそうです。

 いずれにしても人づきあい/人間関係に対する感じ方・能力・考え方は人それぞれです。当然、一方(自分)の思い通りにならないことが多いのもしかたがないのかもしれません。
 ということで、「人づきあいの距離」について考えてみようと思います。



10月2日(火)2つの望みと現状
 人間関係で、自分がどのくらいの距離を望んでいるかを意識している人は少ないと思います。「できれば(ある程度)仲がいいほうがいい」「少なくとも悪い関係にはなりたくない」というのは、誰でも無意識に思っていることなのでしょうが。
 「仲良くなりたいのに思うようにならない」「この人とつきあうのはイヤだ/うっとうしい」のように考えてしまった人は、その相手との距離を意識していることになるのでしょう。そこで、自分はその相手とどのような関係・どのくらいの距離を望んでいるかに気づくことは可能なのかもしれません。
 人間関係は「成り行きまかせ」のように、無意識に人づきあいをしている人も多いような気がします。

 もちろん、どのくらいの距離を望むかは相手によって違います。好き嫌いによって変わったりします。第一印象のようなもので仲良くしたいかあまりつきあいたくないかを決めてしまうことも多いような気がします。
 個人によって人づきあいに対する考え方や能力も違います。
 人づきあいを愉しめる人もいれば、人づきあいは苦手という人もいます。人とすぐにうち解けられる人もいれば、人見知りの人もいます。人と深く関わりたいという人もいれば、人にあまり干渉されたくないという人もいます。
 人間関係を重視している人もいれば、その他のものを重視して人間関係をあまり重視しない人もいます。自分以外に大切にしたい相手がいるから、自分との関係は大切にしたいと思っていない人もいます。

 人づきあいの距離に関して、自分に望みがあるように、相手にも望みがあります。それが一致していなければ、少なくともどちらかは自分の望みどおりにはなりません。相手が望む距離の方向に動こうことすると、自分がイヤな思いをするかもしれません。たとえば、自分は仲良くしたいのに相手が距離を置こうとしたり、自分はある程度距離を置きたいのに相手が過度に接近してきた場合です。
 また、「望み」に対して「現状」があります。互いに親密な関係を望んでいても、急に親密になることはめったにありません。なかなか関係が進展しないこともよくあります。互いにいい関係を望んでいても、何かのきっかけで悪い関係になってしまうこともあります。

 自分の望みと相手の望みと現状の3つをどう考えたらいいのでしょうか。
 まずは、「自分の望みを変える」ことを考えてみてはどうでしょうか。1つには、相手の望みを受け入れられればいいわけです。極端に言えば、「来る者は拒まず。去るものは追わず」ということでしょうか。もう1つは、「(この相手との関係は)このままでもいいんじゃないの」と現状を受け入れられれば悩むことはありません。
 次に、「相手の望みを変える」こと。たとえによくでてくる『北風と太陽』の童話での太陽のように、相手の気もちを自然に変えることができればいいのですが、それはなかなか難しいかもしれません。時間をかけて少しずつなら可能かもしれません。もっとも、相手の望みが確かにわかるわけではない(あくまでも自分の推量な)ので、相手の思惑はあまり意識しないで現状を変えることを考えればいいのでしょう。
 最後に、「現状を変える」。これはふつうの考え方です。自分が望む方向に現状を変えられるように努力することです。少しずつ自然にというのが人づきあいの距離を変えるのにはいいのでしょうが、時には北風策もありではないでしょうか。リスクはありますが、仲良くしたければ引っ張ってみる、距離を置きたければ突きはなすことです。

 私がおすすめするとすれば、「ハオハオこのままでもいいか)」「なるようになる」のように考えられるのなら、それで済ます。
 それで済まないなら、「こういうこと/状況もある(ハオハオ)。○○たらいいな。どうしたら?」(3Hの考え方)と、現状を受け入れた上で自分はどうしたいかを明確にしてその方法を考えて実践することを続ける。もう少し具体的な方法・考え方については、この後で考えてみたいと思っています。



10月3日(水)まず自分から
 相手との距離を縮めたいのなら、「まず自分から」という考え方がいちばんだと思います。
 自分からあいさつをする、自分からそばに寄っていく、自分から話しかける、自分から何かに誘う、自分から楽しいことを提案する、自分から雑用を買って出るなどの、「まず自分から」ということができるようになれば、人間関係が進展しやすくなります。「話しかけてくれない」「誘ってくれない」などとくよくよしなくてもすみます。
 ケンカをした後なども、「まず自分から」と謝ったり仲直りを提案できたほうがいいと思います。
 「つきあいがなかなか続かない」と悩む人がいますが、自分から相手を誘えるようになればつきあいたい相手との関係は続くようになるでしょう。

 「まず自分から」ということを今まであまりしたことがない人は、はじめはドキドキするでしょう。勇気をだしてやってみれば意外に簡単なことだったりします。また、慣れればそんなにドキドキしないでできるようになるものです。
 自分からアプローチして相手の反応が悪かったらどうしよう、と心配してしまう人もいると思います。確かに相手に拒絶される場合もありえます。「相手を試してみる」と考えてはどうでしょうか。今後にいいつきあいができる相手かどうかを反応をみて判断すればいいのです。悪い反応はいい判断材料になります。1回のことで相手を決めつけてしまうのは判断を誤る危険性があるので、何回か試してみたほうがいいと思います。
 「自分から○○したのに相手からお返しがない」と不満に思うのはやめたほうがいいと思います。「こんな人もいる」「○○してくれないのは当たり前」などと考えたほうがいいでしょう。でも、お返しがある人とはこれからもつきあいたい、お返しがない人とはつきあいたくないと思うのは自然なことだと思います。
 「なぜ自分から何かしなくてはいけないのか?」と考える人もいると思います。自分が相手との距離を本当に縮めたいと思うのなら、「まず自分から」と考えたほうがいいでしょう。



10月4日(木)ことわる
 相手によってつきあいの距離を変えることはふつうのことだと思います。つきあいを大切にしたい人以外とはそれなりにつきあうことができればいいと思います。

 自分が距離を置こうと思っていても、相手から誘いや訪問などのアプローチをしてくることがあります。そういう際には「ことわる」ことも必要です。
 親しくなってから、過度に接近してくる人に困ってしまうこともあると思います。頻繁に誘いや訪問があったり、長時間のつきあいを求められるような場合です。自分のことにやたらと干渉してくる人もいます。そういうことを自分がイヤな場合にも、ことわったり、つきあいを途中で切り上げることがあっていいと思います。人にはそれぞれ踏み込まれたくない部分があります。幸せに暮らすためには、それを守ることも必要だと思います。

 と言っても、過度に相手を避けるのも気もちがいいものではありません。少々のイヤな言葉(悪口/イヤミ/詮索/自慢話など)は(心の中でハオハオと)聞き流し、ことわりたいことは丁重にことわり、適当なところで話を切り上げればいいのです。相手が多少悪く思うことがあってもしかたがないと覚悟してはどうでしょうか。

 さりげなくことわることができればいいのですが、言い方が難しかったり相手がしつこかったりすることもあります。どうしようもない時には、ていねいに正直な気もちを伝えて(相手を説得する必要はない)「ごめんなさい」とことわればいいのです。それで関係が悪くなってもしかたがないと思います。イヤイヤつきあうよりもいいのではないでしょうか。



10月5日(金)深い−浅い
 「人づきあいの距離」ということで、“ヤマアラシ症候群”を思いだしました。近づきたくても近寄り過ぎると互いのハリで傷つけ合ってしまうのが恐いから、人間関係で深入りできない。そういう若者が増えていると精神科医の香山リカさんがだいぶ前にテレビ番組で言っていました。
 最近の若者は表面的なつきあいしかしないというようなことをどこかで読んだことがあります。差し障りのない話ばかりをしてまじめな話はさける傾向があるとか。
 一方、人とのつながりを過度に求める「依存」傾向が指摘されることもあります。携帯電話やメールで頻繁にコミュニケーションをとる若者とか。
 まぁ、「最近の若者は」というのはあまりあてにはならないと思います。そういう傾向はあるのかもしれませんが、個人個人は歳に関係なく人それぞれですから。

 人と深いつきあいができたら、それはいいでしょう。でも、深いつきあいをしなくてもかまわないと思います。
 一方、傷つくことを恐れすぎて、ふつうの人間関係を極端に避けるのは自分のためによくないのではないでしょうか。
 浅いつきあいがふつうだと思います。悪く言えば「表面的」かもしれませんが、良く言えば「さっぱりした」つきあいです。

 人づきあいは“広く浅く”がいいか“狭く深く”がいいかというは、どちらが良いかではなく、どちらが好きかでいいのだと思います。



10月6日(土)人づきあいの速度
 「人づきあいの距離」に対して「人づきあいの速度」も考えられます。どのくらいの時間で関係がどのくらい進展するかということです。
 世の中には知らない人とでもすぐに会話をはずませることができる人も人見知りの人もいます。人によって人づきあいの速度はけっこう違うのではないでしょうか。
 人づきあいの速度が違う人同士のつきあいでは、どちらかに違和感が生じてしまうことがあります。なかなか関係が進まないと不満に思う、急に近づかれると(気もちが/腰を)ひいてしまう、など。
 第一印象がよくないのは単に人づきあいの速度が違う人という場合もあるのではないでしょうか。世の中にはいろんな人がいるのです。

 つきあいのしかたによっても関係進展の速度は違ってきます。いっしょに何をするかということです。会ってもとりとめもない話をするだけではなかなか関係は進展しません。共通の趣味や嗜好がある、共通の目的や目標がある、共通経験として心に残る何か(旅やイベントなど)をするなどのことが人づきあいの速度をあげてくれます。そういう仲間を見つけ参加するというのは、いい人間関係を求める方法として有力だと思います。
 私にはバスケットの仲間がいます。バスケットボールという共通の趣味があり、試合に勝つという共通の目標もあり、合宿などの共通経験を通していい関係になっていると思っています。

 速度が遅くても時間をかければいい関係を築くことができます。長いつきあいには深いつきあいとはちょっと違う居心地の良さ/ラクさ/信頼感があります。
 私には勉強会の仲間がいます。みんな大学時代からの友人です。勉強会は15年以上続いています。最近は毎年キャンプに行ったりもします。バスケットの仲間も10年以上のつきあいの人がけっこういます。他にも大学時代からつきあっている仲間が何人かいます。
 長いつきあいをするためにはとにかく(参加し)続けることです(当たり前ですが)。私は勉強会もバスケットもほぼ毎回参加しています。また、勉強会ではずっと会計と連絡係をやっています。バスケットでもそれなりの役割(今はヘッドコーチ)をしています。
 大切にしたい関係を長いつきあいにしたいと思うのなら、(自分なりの役割をしながら)参加し続けること。できれば、自分から誘う人になること。このようなことを心がけてみればいいと思います。



10月7日(日)親しい関係?
 親しい関係(人づきあいの距離が近い)ってどういうことでしょうか?
 頻繁に会う関係、長時間いっしょにいる関係、深い内容(人生の問題や悩みなど)の話をする関係、趣味や遊びをいっしょにする関係、一緒にいてやすらげる/ラクな関係、信頼できる関係、相思相愛の関係、・・・、幸せな関係。

 人間関係にはいろんな形があっていいはずです。というよりも人と人とのすべての組み合わせで違う関係のはずです。互いに納得していればどんな関係でもいいのです。「こういう関係にならないといけない」のように形にこだわらないほうがいいと思います。

 関係に100%満足というのは難しいと思います。80%満足なら上出来、60%でもいいのではないでしょうか。相手に完璧を求めたら、不満にイライラしなければならないし、相手もたまらないのではないかと思います。

 自分が幸せになるための人づきあいは、相手を愛する(相手を幸せにする=人が自分を幸せにくれるのを待っているよりも、自分が相手を幸せすることを自分の幸せとする)ことだと私は考えます。
 そのためには、相手といっしょにいる幸せを感じる、相手を信じる(疑わない)、共通の(幸せになれる)目標を持つ(提案する)、相手の幸せを考える、相手の困難や悩みも共有する。こんなことをヒントに考え直してみてはどうでしょうか。

 親しい関係を求めるのはいいこと、求め過ぎるのは・・・
 相手に求め過ぎると、自分がイライラすることが多くなり、それを重荷に感じてしまう相手もいると思います。
 自分に求め過ぎると、クヨクヨしたり落ち込んでしまうことになります。
 「今の関係はハオハオ。でももう少しいい関係になれたらいいな」ぐらいのほうがいいのではないでしょうか。



10月8日(月)変化・別れ
 人間関係にも変化はあります。いい関係が何かのきっかけで急に悪くなってしまい、つらい思いをしてしまうことがあります。

 ケンカなどがあった後にその相手と気まずい関係になってしまうことがあります。もし大切にしたい関係なら、「まず自分から」ということが大事だと思います。自分から相手に仲直りを提案したり、自分の悪かった部分は相手に謝ったりすることです。

 気まずいぐらいならまだいいのですが、関係が冷たくなったり険悪になったりしてしまうこともあります。避けるように近寄らない、目を合わせない、あいさつにこたえない、無視する、誘わない、ことわる、仲間はずれにする、・・・、別れを告げる。
 話し合いができるのなら、ちゃんと話をして関係修復を目指すのが近道のような気がします。自分には理由がわからない場合には、相手に直接聞いてみるのがいいのではないでしょうか。いずれにしても、まず相手の話をよく聞くことが大事だと思います。反論したり自分の意見や望みを通そうとせずに、(たとえば、心の中で「ハオハオ」と)相手の気もちを理解しようとすることからだと思います。

 話し合っても関係修復ができないこともあります。話し合いに応じてくれない場合もあります。その場合には、どうしたらいいのでしょうか?
 少し時間をおく、誰かに間に入ってもらって話をする、『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョーンズ/扶桑社)の教訓のように、失ったチーズにしがみつかずに新しいチーズを探しにいく、・・・。
 いずれにしても、相手の心変わりを元に戻せないという現状を受け入れる(我慢する?)しかないのかもしれません。

 冷めた言い方かもしれませんが、人間関係には変化も別れもつきものです。人は心変わりすることがあります。それを許せないという気もちはわかりますが、しかたがないのではないでしょうか。自分が心変わりすることもあると思うのです。
 自分から人と距離を置く、別れるという時もあると思います。そういう時には、誠意をもった別れ方をすることが大事なんじゃないかと思います。別れ方が未熟な人が相手を傷つけるのだと思います。
 逆の立場で考えると、ひどい別れ方をするような未熟な人のために、自分がいつまでもつらい思いをするのはもったいないのではないでしょうか。



10月9日(火)綱引き?
 人間関係は綱引きのようなものかな?とか思うことがあります。引っ張る力が強ければ距離を縮めることができるんじゃないか、と。運動会の綱引きとは違ってたぐり寄せる感じですが。
 (無意識かもしれませんが)引っ張ろうとする人と引っ張ろうとしない人がいます。関係をよくしたいと相手に働きかける人と働きかけない人です。その時の状況によって、相手によってだとは思いますが。
 人との関係をよくしたいと意識して努力している人もいます。

 (人を引き寄せる)力の強い人がいます。ちょっと違うかもしれませんが、赤ちゃんは力が強いと思います。たいていの人は赤ちゃん相手だと赤ちゃんに合わせて距離を縮めてしまいます。同じように、相手との距離を(相手の心も)すぐに縮められる人がいます。

 引っ張ろうとはしなくても、相手に引っ張られると(素直に)ついていける人もいます。
 いくら引っ張っても(頑固に)動かない人もいます。単に人見知りという場合も多いと思いますが。
 なかなか動かない人でも、もっと力が強い人が引けば動きます。引き続ければ(疲れて?/心が溶けて?)動く人もいます。

 相手との関係をよくしたいと思うのなら、引っ張る努力をするか、引っ張ってくれる人に素直についていけるように努力すればいいんじゃないか。
 なかなか動かない相手との距離を縮めたければ、いつもより気合いを入れて引っ張り続ければ、きっといつか動かすことができるんじゃないか。
 そんなふうなことを最近考えることがあります。



10月10日(水)距離感
 人づきあいの距離感を意識したり考えたりしなくてもいいのかもしれません。ただ、人によってどのくらいの距離が心地いいかは違うと思います。また、大切にしたい関係もあれば、それなりにつきあえばいい関係もあると思います。大切にしたい関係なら、自分からいい距離を築き、保てるように努力したほうがいいんじゃないでしょうか。

 人づきあいの距離の感じ方は、人によってけっこう違うんじゃないかという気がします。小さいことを繊細に感じて悲観的に考えることで大きくしてしまう人と、小さいことはあまり気にせずに楽観的に考えられる人がいるようです。
 小さいことを繊細に感じるのは性格のようなものだと思います(私もそういう質です)。人間関係の問題でいろいろ感じることがあっても、意識して楽観的に考えることでいい方向に考えることができるようになれたら、と思います。

 人づきあいは本来、“いいもの”のはずです。ヘタに距離を考えるより、人づきあいを愉しむことを考えたほうがいいのでしょう。
 と言っても、世の中には人づきあいがうまくない人も多いと思います(私もそうです)。それでも、努力すればそれなりに人づきあいもでき、それなりに幸せに暮らすこともできるんじゃないかと思います。


   

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