しあわせ日記
悟り
9月17日が誕生日の正岡子規(俳人・歌人/1867年生まれ)の言葉。
『悟りといふ事は如何なる場合にも
平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも
平気で生きて居る事であつた』 正岡子規
平気で死ぬことも、平気で生きることも、ふつうの人には難しいことだと思います。
それでも、できるだけ気分よく生活する中で、少しでも幸せを感じて生きられるようになれるといいでしょう。
それが「幸せな人生だった」と、幸せな気もちで死んでいけることにもつながるのではないかと思います。
“悟り”とは「まよいが解けて真理を会得すること」(広辞苑)。
“悟り”というものがあるとしても、すべてに通じる悟りはないと思います。
また、この悟りさえ得れば、もう不幸になることはなく、いつでも幸せでいられる、というような唯一の悟りはないと思います。一つの悟りだけで、ずっと幸せに暮らせるようになるとは思えません。
さとりがあるとすれば、小さな悟りから大きな悟りまでたくさんあるのだと思います。
それは、悟りというよりも、気づきや学びや知恵などといったほうがいいものがほとんどでしょう。その中には幸せになる方法や幸せになる考え方も含まれているでしょう。
「悟り(幸せに生きる知恵)」の中には、当たり前のことがけっこうあるような気がします。
たとえば、「生きることには苦しみがつきもの」「人生ラクありゃ、苦もあるさ」とか「すべてのものには終わりがある」「出会いもあるし別れもある」「人は死ぬもの」「すべてのものは無常」とか「すべてのものには価値がある」「すべての人は貴重なんだ」「この世はすべて美しい」のようなもの。
すべてのものは好好
(なまけものの悟り方)
私たち凡人には大きな悟りはできないのでしょう。
ですが、たくさんの小さな悟り・知恵を身につけていくことで、幸せに生きられるようになっていけるといいのではないでしょうか。