読書日記
幸福なのを知らない
『無』(本荘可宗)より、
幸福の求め方を知ること――これが幸せになる第一歩である。
幸福が“ない”のではない。幸福が自分の身にあることを“知らない”のであった。各人誰もその人らしい幸福を身にいっぱい持っているのである。
結局、世上のこと、幸福者が自らを不幸だと誤認して自分を虐(さいな)んでいるだけのことである。
幸福はたくさんあります。いろんな幸福があります。大きな幸福もあれば、中ぐらいの幸福もあれば、小さな幸福もあります。
そして、誰にでもすでに持っている幸福がたくさんあるのです。ただ、そのことを知らない(あるいは、認められない)で、持っていない幸福や持っている不幸について考えて、不幸になっているのでしょう。
実際には、誰でも幸福も不幸も両方いろいろ持っているのです。
何をどう考えるかによって幸不幸は大きく異なってくるのです。
不幸を数えて暮らすより
幸福を数えて暮らそう
現在日本に暮らす大半の人は、現実を変えなくても心の働きを変えれば、「今は(それなりに)幸せ」と思えるようになれると思います。
そのためには、身近にあるものを大切に、小さな幸福を感じられるようになることが肝心なのではないかと思います。
たとえ、自分が持っている幸福が少なくても、今ある一つの幸福を大切にできるようになればいいのです。