しあわせ日記 「幸せとは」


「幸せとは何か?」を考えるヒントを見つけたい方は、
幸福論のページ」をご覧ください。

1月21日(水)幸せとは
 幸せになるためには、まず「幸せについての幸せになる考え方」をしたほうがいいと思います。
 「幸せとは、幸せを感じられるもの」「幸福感が大事」「幸せはたくさんある」というようなことです。

 自分が幸せを感じられるもの(事/人/物/状況/・・・)は、すべて自分の幸せです。
 幸せには、大きな幸せから小さな幸せまで、様々な幸せがあります。それだけ、いろんな幸せを感じられる可能性があるわけです。
 幸せはたくさん(星の数ほど/無数に)あるのですから、幸せを感じる方法/幸せになる方法もたくさんあるわけです。
 今の自分にできる幸せになる方法を実践して、幸せを感じられるようになれば、誰でも幸せになれるのではないでしょうか。(すぐに、そう簡単には、なれないでしょうが)

 幸せに関しては、「幸せ問答」に簡単に、「幸せについて」にいろいろと書いてあります。
 「幸せについて」は本の原稿を意識して書いたのでHPでは読みづらくわかりにくく、「幸せ問答」は内容が少ないと思います。
 そこで、新しいページを作ろうと思います。
 どうせ作るのなら、新しいHP上に作ることにします。

 ということで、とりあえず、「幸福論のページ」を作りました。



1月22日(木)幸福とは
 「幸福論のページ」に「幸福とは」のページを作りました。
 このページには「幸せオタクの幸福論」という大題を入れました。「幸福論」という言葉を使っていますが、難しいことを書きたいとは思っていません。できるたけ「わかりやすく」書けたらいいな、と思っています。

 「幸福」には「幸福の対象」と「幸福感」がある、といつも書いています。
 そして、幸せになるためのアプローチ法として、「幸福の対象を得られるように努力する」方法と、「幸福をより感じられるように心がける」方法があると書きました。
 別の言い方をすると、「現実を変える方法」と「心を変える方法」です。(ハオハオ童話『幸せの魔法』では、「現実を変える魔法」と「心を変える魔法」があると書きました)
 両方のアプローチを行えばいいのだと思います。

 「幸福とは」には、いろんな考え方があると思います。いろんな名言もあります。
 私は「幸せになるための幸福についての考え方」をしたいと思っています。



1月23日(金)幸福感が大事
 「幸福論のページ」に「幸福感が大事」を書きました。
 「幸せについて」の中に、このように書きました。
 幸せの対象があっても幸福感を得られるとは限りません。
 たとえば、いい家に住んでいる人や、金持ちの人や、成功をした人や、素敵なパートナーがいる人などの、人から見たら幸せそうな人でも本人が幸せを感じているかどうかはわかりません。
「どんなに幸せそうに見える人でも、本人が幸せだと思っていなければ、その人は幸せではない」のです。
 実際に「幸せそうな幸せでない(不幸な)人」がたくさんいるのです。
 私は、「幸せそうな幸せでない人にはなりたくない」と思っています。
 どちらかというと、「あまり幸せそうには見えないかもしれないけど、本人はすごく幸せだと思っている人になりたい」のかもしれません。



1月24日(土)幸福になる?
 「幸福論のページ」に「幸福になるとは?」を書きました。

 「幸せになるとは、幸せに暮らせるようになること」というのは、いつも書いていることです。
 今回は、「幸せになる」には「一時的に幸せになる」と「日常的に幸せになる」がある、日常的に幸せになるためには幸せに暮らす習慣が必要、と書きました。

 幸せなことがあったり、自分が求める幸せ(の対象)を手に入れれば、幸せになれます。
 でも、それは一時的でしょう。(一つ一つの幸福感としてはすべて一時的ですが)
 幸せに暮らす習慣がない人は、いずれ幸せに暮らせなくなってしまうでしょう。
 夢や目標を達成しても幸せだったのはその直後だけだったり、結婚しても幸せだったのは新婚当初だけだったり、・・・。

 本当の意味での「幸せになる」とは、「日常的に幸せに(暮らせるように)なる」ことではないでしょうか。
 日常的な幸せの中にポツンポツンと非日常的な幸せがあれば、なお幸せでしょう。



1月25日(日)幸せはたくさんある
 「幸福論のページ」に「幸福はたくさんある」を書きました。

 「幸せはたくさんある」というのは、私のいちばん基本的な考え方です。
 そう考えることができれば、幸せになりやすいでしょう。
 幸せはたくさんあるのに、どうして幸せになれないのでしょうか?

 一つの理由は、一つの幸せへの執着が強すぎるのかもしれません。
 自分が求める一つの幸せだけしか(幸せとして)考えられず、「○○が得られないと幸せになれない」「○○がないから幸せになれない」のように思い込んでしまっているような人もいます。

 もう一つの理由は、大きな幸せしか(幸せと)考えられないのかもしれません。
 それでは、小さな幸せは幸せと思えず、感じることはできません。
 大きな幸せはそんなにあるものではありません。また、手に入れるためには、難しい条件があるのではないでしょうか。

 もう一つの理由は、自分の不幸にとらわれているのかもしれません。
 「私は××だから、幸せになれない」。その不幸は、自分にはどうしようもないことが多いのではないでしょうか。

 もう一つの理由は、不幸を数えるクセがあるのかもしれません。
 誰にでも、幸せもあれば、不幸もあります。不幸を数えてばかりいると、不幸な気もちになるだけで、幸せになることができないでしょう。
 「不幸を数えて暮らすより、幸せを数えて暮らそう

 幸せはたくさんあるのですから、自分が幸せになる方法もたくさんあるはずです。



1月26日(月)幸福な人生
 「幸福論のページ」に「幸福な人生とは」を書きました。

 “幸せな人生”のイメージをもっている人はどのくらいいるのでしょうか?
 それを目標に努力している人はどのくらいいるのでしょうか?
 自分が幸せな人生を送っていると実感して生きられている人はどのくらいいるのでしょうか?

 “幸せな人生”のイメージは、現実的であることが大切だと思います。
 現実的でなけば、希望もわかないでしょうし、それを目標に努力もできないでしょう。
 現実の人生と“幸せな人生”のギャップを感じて不幸になってしまうこともあるのではないでしょうか。

 希望がもてる「幸せな人生のイメージ」があれば、それを目標に努力できるのではないでしょうか。
 そういう意味で、私が提案している、

   「日々小さな幸せをいくつも感じ、時々中ぐらいの幸せを感じ、
        たまに大きな幸せを感じられる可能性のある人生」

 というのは、誰でも実現可能なのではないでしょうか。



1月27日(火)幸福を感じる習慣
 「幸福論のページ」に「幸福を感じる習慣をつくる」を書きました。
 幸せになるためには幸せに暮らす習慣をつくればいい、ということです。

 幸せに暮らす習慣にもいろいろありますが、まず第一は「幸せを感じる習慣」です。
 これは、生活を大きく変えなくても、心がけを変えて努力すればできるようになることだと思います。

 ところで、「幸せのホームページ」のカウンターが1日で826アップしました。

新記録達成! ヤッター、好!好!

 今年になってから、少しずつアクセスが増えているのですが、きのうはちょっと増え方が大きかったですね。なぜなのかは、よくわかりませんが。
 きょうも今のところはきのうとあまり変わらない感じなので、自然増ということなら、それはそれでとてもうれしいことです。
 さて、今後はどのように推移するのでしょうか。楽しみにしたいと思います。



1月28日(水)夢をもって努力する習慣
 「幸福論のページ」に「夢や目標をもって努力する習慣をつくる」のページを追加しました。

 目標をもって努力したほうが幸せになりやすいでしょう。
 目標は何らかの将来の幸せにつながるはずですから。

 目標をもって努力しているのに幸せになれない、というのはどうしてでしょうか?

 「目標が達成できないから」 それはなぜでしょうか?
 「努力が足りないから」「目標が高すぎるから」・・・

 「目標が達成できないと幸せになれない、と思い込んでいるから」
 「目標達成を目指す努力の過程を愉しめないから」

 夢や目標をもって幸せに暮らせるようになれば、(たとえ達成できなくても)幸せになれるのではないでしょうか。
 「そんなことできない」と思って、努力しない人はできないでしょう。
 「できるかもしれない/きっとできる」と思って、努力を続ければできるようになれるのではないでしょうか。
 決して高すぎる目標ではない、と思うのですが。

 夢をもって、その生活を愉しんで、イキイキと生きられたら、幸せだと思いませんか?



1月29日(木)人の幸せを考える習慣
 「幸福論のページ」に「人の幸せを考える習慣をつくる」のページを追加しました。

 人を幸せにする幸せは、けっこう強く感じられることが多く、また、とても心地よいものだと思います。
 人を幸せにする幸せは何度も味わえるものでもあります。
 自分が幸せになる方法の一つとして、「人を幸せにする」ことをおすすめしたいと思います。

 「人を幸せにする」というのは、確かに難しいことだと思います。特に、そういうことに慣れていない人にとっては。
 人を幸せにすることも能力だと思います。能力は高めていくことができます。
 そのためには、まず「人の幸せを考える習慣をつくる」のがいいと思います。

 人が不幸になるのは、ほとんどが自分のこと(不幸)を考えている時でしょう。
 (幸せにしたい)人のこと(幸せ)を考えていれば、自分のことを考えて不幸にならずにすみ、少しは幸せな気もちにもなれるでしょう。
 このことも、とても大きいことではないかと思います。



1月30日(金)自育の習慣
 「幸福論のページ」に「自分を育てる習慣をつくる」のページを追加しました。

 幸せを感じられないのは、幸せを感じる能力が足りないから。
 将来が暗く思えてしまうのは、希望をもつ能力が足りないから。
 イキイキと生きられないのは、夢をもって幸せに暮らす能力が足りないから。
 人間関係でイヤなことばかりなのは、人を愛する能力が足りないから。
 小さいことで、イヤな気もちになってしまうのは、まだまだ未熟だから。
 悩みですごく苦しんでしまうのは、問題をいい経験にする能力が足りないから。

 幸せになるためには、幸せになる能力を向上させればいい。
 幸せになる能力が向上すれば、それだけ幸せになっていける。
 能力は努力しだいで向上させることができる。

 目標をもってうまくいかない時が、自分を育てるチャンス。
 イヤな気もちになった時が、自分を育てるチャンス。

 努力を続ければ、「1年前と比べたら、少しは幸せに暮らせるようになれた」と、きっと思えるようになると思います。
 現実生活はそれほど変わらなくも、自分の心の中の違いは感じることができるのではないでしょうか。
 このHPの読者の方の中には、そういう人がたくさんいます。

 自分で自分を育てるための手助けができたらいいな、と思っています。



1月31日(土)幸せオタクの幸福論
 「幸福論のページ」を作ってきましたが、内容としては今までに書いてきたことばかりです。
 できるだけわかりやすくしたいと思っていたのですが、いかがでしょうか?

 「幸せオタクの幸福論」という副題をつけました。私が自称「幸せオタク」ですから。
 『幸福論』というタイトルがついている本はたくさんあります。私が読んだことがあるのは、アラン、ヒルティ、ラッセル、ヘッセ、寺山修司、本田宗一郎、柴門ふみ、新井満、秋元康、水上勉など。『幸福について』も、ショーペンハウエル、武者小路実篤。他にも、「幸福」「幸せ」という言葉がタイトルに入っている本はいろいろ読みました。
 いろんな幸福論がありますが、幸せになるための幸福論というのは少ないような気がします。もちろん、読み方しだいで幸せになるためのヒントを見つけることはできるのですが。
 で、幸せオタクの私として、幸せになれる(幸せになるために役立つ)幸福論(幸せについての考え方)を提案できたら、ずっと思っています。

 今回、幸福論のページを作成するの中では、私がふだんは使わない「幸福」という言葉を使いました。(実際には、「幸福」を「幸せ」に置き換えても、ほとんど問題ないでしょう)
 一応、ページのタイトルが「幸福論」ですから。(「幸せ論」とは言いませんし)
 もう一つの理由は、幸せのホームページには「幸せ」を検索してくる方がいちばん多いのですが、「幸福」を検索してくる方は少ないです。
 「幸福」で検索してもなかなか出てこないからです。というのも、私が「幸福」という言葉をほとんど使わず、「幸せ」という言葉ばかりを使うからです。(使うのは「幸福感」と「幸福論」ぐらい?)
 それはなぜかというと、「こうふく」と言うよりも「しあわせ」と言ったほうが、より幸せな感じがする(幸福感が高まる)と思うからです。(「幸福感が大事」というのが私の中心的な考え方)
 こういうこだわりからして、「幸せオタク」なのかもしれませんね。

 「幸福論」のページはとりあえずここまでにして、明日からは「気分転換」のページを作りたいと思っています。

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