しあわせ日記

8月1日(木)「夏」
 最近暑い日が続いていますね。
 きょうは35度を越えたようです。
 いかにも、「夏」という感じです。

 私は相変わらず冷房ナシで生活していますが、けっこう平気です。
 高知で炎天下を汗ダクになって歩き回ったせいか、また暑さに強くなったような気がします。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏の暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
 (中略)
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ
     [宮沢賢治『雨ニモマケズ』(岩崎書店・フォア文庫)より]
 宮沢賢治の有名な詩ですが、やっぱり丈夫な体は大切ですよね。
 体調を崩しては、なかなか幸せには過ごせません。
 暑さに負けぬ身体をもつためには、暑さを多少とも我慢して慣れるしかなさそうです。
 (では、心を強くするためには? と、いつものクセでつい考えてしまいます)

 そう言えば、今朝届いた小泉メルマガで、小泉さんが首相公邸の中で「セミの脱皮を見た」と季節感のあることを書かれていました。
 高知でも朝、うるさいくらいにセミが鳴いていました。



8月2日(金)欲を選ぶ
 きのうに続いて、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」より。
 (前略)
欲ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシズカニワラッテイル
 (中略)
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ
 「欲をなくす」というのは、「不幸にならない考え方」ではないか、不幸にならない生き方より幸せになる生き方を、と以前に書いたことがあります。
 幸せになるためには「欲」が必要だと思うのです。(「幸せになりたい」というのも欲ですし)
 ただし、いろんな欲があって、どの欲を選ぶかが問題だと思うのです。

 私は、「決して怒らず、よく静かに微笑んでいる」ように見えるかもしれません。
 怒るようなことがあっても、心の中で「ハオハオ」と言って、心を鎮めているし。
 何でもない時に、「ハオハオ」と心の中で言って、微笑み気味のことも多いし。

 もの静かな幸せもいいのですが、やっぱりワクワクドキドキできることが時々あったほうがいいな、そういう生き方をしたいなって思います。



8月3日(土)小食の理由?
 おとといきのうに続いて、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」より。
 (前略)
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 (中略)
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ
 いくらなんでも、これだけでは栄養が足りないように思います。
 私も元々小食なのですが、最近は1日2食で1食もけっこう小食です。でも、不思議なことに体重はほとんど変わりません。

 その理由として考えられる一つは、「消化効率」。
 今の日本人はほとんどの人が食べすぎなのではないでしょうか。でも、消化効率が悪くなっているから、それほどは太らない。
 その証拠に、ダイエットをしようと思って、少しぐらい食べる量を減らしてもぜんぜん体重は変わらない。一時的にちょっと減っても、すぐに消化効率がよくなって、それ以上体重は減らない。だから、本当に体重を落とそうと思ったら、相当に食べる量を減らさなければ無理なのではないでしょうか。
 私の場合には、今すでにかなり消化効率がいいのだと思います。

 もう一つの理由は、「精神的な省エネ」。
 私は最近、大した悩みがない。悩むとしても少しはラクに考えられるし、長時間悩み続けるということはありません。
 悩むとすごい(精神的な)エネルギーを使うのではないでしょうか。それはもちろん、消費カロリーにも影響し、体重にも現れるのではないでしょうか。
 だから、大きな不幸でやせることもあるし、幸せ太りもあるのだと思います。

 何が言いたいかというと、・・・私は消化効率がよく、精神的にも省エネ(幸せ)だから、小食だけどやせないということみたいです。(?)

 ということは、やせたい人は幸せにならないほうがいい?
 でも、太ってしまう人は食べすぎるからでしょう。その原因が実はストレスということも多いのです。やけ食いとかもあるし。

 と何が言いたいんだかわからなくなりましたが、私が体重を減らしてみせましょう。今は61キロで、8月中に59キロにします。
 と、酔った勢いで書いてますが(きょうもバスケの練習後に、仲間と飲んで帰ってきたところなのですが)、大好きなバスケを目標の50歳まで続けるためには、そうしたほうがいいかな、と思ったからでした。



8月4日(日)玄米ダイエット?
 きのうと同じなのですが、宮沢賢治「雨ニモマケズ」より。
 (前略)
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 (中略)
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ
 きのう、「いくらなんでも、これだけでは栄養が足りないように思います」と書いたのですが、訂正したほうがいいのかもしれません。

 今夜の「発掘!あるある大事典」(関西テレビ/フジテレビ系)は「玄米」。
 玄米には様々な栄養素が含まれているようです。(詳しくはわかりませんが)
 玄米は消化効率が良いそうです。
 発芽によって抑制系神経伝達物質ギャバが生み出されるということで、発芽玄米を食べると落ちつきがでるそうです。

 私も玄米を試してみようかなと思いました。
 玄米を水につけて発芽させて、炊飯器で炊いて、冷凍保存しておけばいいのでしょう。
 玄米チャーハンなら、おいしく食べられそうです。
 これでダイエットができたりして。

 健康食の玄米を選ぶか、美味しい白米を選ぶかと言ったら、美味しさを選ぶほうがふつうだと思います。そのほうが食事を愉しめるでしょうし、白米が健康に悪いわけでもありませんし。
 でも、あえて健康にこだわる人がいてもいいのだと思います。
 健康はそれだけ大切なものです。
 健康については以前に書いたことがありますが、今週は「健康」がテーマになりそうです。



8月5日(月)元気は幸せの素
 今週の生きるヒントは、「元気がでない」です。

 元気がないと、それだけで気分が沈みがちになり幸せな状態ではないのですが、何か(幸せになれること)をする気もちになれないために、さらに生活を愉しめなくなってしまいます。
 将来の幸せへ向かっての努力もなかなかできなくなってしまいます。そういう自分に嫌悪を感じたり、自分の将来に不安を抱いたりしてしまうこともあります。

 元気がないと、幸せに目がなかなか行かないし、幸せを感じにくくもなってしまいます。元気がなくなると幸せになる能力が低下するのだと思います。

 「元気は幸せの素」とも言えるかもしれません。
 元気があるから、幸せを求める気にもなれるし、そのための行動もでき、素直に幸せを感じることもできるのではないでしょうか。



8月6日(火)私は元気です
 この夏いちばんの暑さになったようです。35度は越えたのでしょう。
 でも、私はけっこう元気です。(もちろん、冷房ナシです)

 やっぱり、週に1回でもバスケットをやっていると体調がいいです。体調がいいと気分もよく、自然に元気もでてきます。

 ところで、きのう早速玄米を買ってきて、一晩(12時間)水につけておいて、午前中に久しぶり(5年ぶりぐらい?)に炊飯器を出して玄米を炊いてみました。
 白米の時よりちょっと水を増やしたのですが、なかなかの炊きあがり。思ったよりもふっくらしていて、そのまま食べましたがけっこう美味しかったです。白米には白米の、玄米には玄米の、それぞれの持ち味があるのだと思います。(私の場合には、ほとんどなんでも好好なのですが(味覚音痴?))

 2合だけ炊いたのですが、残りを1食分ずつポリ袋に入れて冷凍保存したら、4食分できました。
 ということは、宮沢賢治の「1日に玄米4合」と言ったら、私の10食分、私は1日2食だから5日分です。
 これだけ小食を続けていても体重は減らないのですから、不思議です。
 玄米食にしても、その分、麺類を食べる回数が減り、逆に体重が増えそうな気もします。

 私には、やりたいこともいろいろあるし、夢も目標(当面は「ハオハオ」の本を書いて出版すること)もあります。だから、元気なのかもしれません。
 やっぱり、心に希望がないと、元気はなかなかでてこないのではないでしょうか。



8月7日(水)不眠
 暑い日が続いていますが、この時期、なかなか眠れないという人も多いのではないでしょうか。

 私は元来、あまり眠れない質です。いろいろ考えて眠れないことが多いのです。若い頃には、不眠に悩むこともけっこうありました。
 そこでいろいろ考えたのですが、一つには、私は睡眠時間が少なくても平気なのではないかということです。そして、ふつうは1日に4時間半寝れば大丈夫だとわかりました。
 もう一つは、眠れない時には眠らなくてもいいんじゃないかということです。起き出して活動するということではありません。寝たままで体(と眼)を休めていれば、頭は寝てなくても大丈夫ということです。

 そこで、寝たままで考え事をしてもいいんだと思い、どうせ考えるのなら幸せになれることを考えようと思うことにしました。最近あった幸せなことを考えてもいいし、これからの愉しみについて考えてもいいし、自分の夢や目標について考えてもいいし、好きな人・幸せにしたい人のことを考えてもいいし、まわりの人や関係をよくしたい人に感謝してもいいし、自分がもっている幸せを数えていいし、・・・。幸せになれることはたくさんありますから、時には朝まで寝ないこともあります。幸福感は心の栄養になります。幸せを感じられれば、それだけ心の健康にいいのでしょう。
 昼間に眠い時もありますが、それはその時に工夫をすればなんとかなります。よく寝た時でも午後は眠くなるものですし。
 次の夜にはぐっすりと眠れるはずです。

 不眠を訴える人でも、目を閉じて体を横たえていれば、いつのまにか眠っているそうです。ただ覚えているのは目が覚めている時だけなので、ぜんぜん眠れなかったと思うようです。
 不眠でいちばんよくないのは、「眠れない」とあせることだと思います。(あせるから、よけい眠れない)
 「眠れなくてもいい」と、幸せになれることを考えて一夜を明かすのも悪くないと思うのです。



8月8日(木)暑さへの心の対策
 暑さ対策と言えば、「エアコン(の効いている場所で過ごすの)がいちばん」という人も多いのではないでしょうか。
 他にも、扇風機/うちわ/冷たいものを食べる・飲む/栄養のあるもの・熱いもの・辛いものを食べる/海やプールに行く/水浴び・シャワーなど、いろいろあると思います。

 私のいちばんの暑さ対策は、「慣れる」でしょうか。「慣れ」には、体の慣れだけでなく、心の慣れもあると思います。
 また、猛暑をちゃんと経験したことがある人は、「あの時と比べたら、今はまだまし」「あの土地と比べたら、ここはまだまし」と考えられることもあります。

 「暑いのはイヤだ(嫌い/耐えられない)」などとすぐに思ってしまう人は、暑さに弱いでしょう。
 「夏、暑いのは当たり前」「暑くてもしかたないんじゃないの」「暑い時もあったほうがいい」「暑いのも好き」などと考えられる人は、少しは暑さに強いでしょう。
 考え方によって、暑さのつらさが違うのだと思います。ということは、暑さのつらさを軽くするための心の対策もできるのではないでしょうか。

 私も暑くて寝苦しい時があります。そんな時、「暑くても好好(いいんじゃないの)」「汗が流れても好好(いいんじゃないの)」「このくらいの暑さなら眠れる(はず)」などと考えます。
 暑さを受け入れ、汗ダクで寝ることを受け入れることができれば、眠れるはずだと思うのです。眠れないのは、ちゃんと受け入れていないから、もしくは単に眠くないからだと考えます。
 そうするとだいたいは眠れます(寝苦しくてまた目が覚めることはありますが)。どうしても眠れない時には、眠くないのだから、幸せなことを考えます。

 暑さを受け入れられるか受け入れられないかが、暑さに耐えられるか耐えられないかの分かれ目、と考えているのですが。
 「何くだらないこと考えてるんだ、コイツは」と、ふつうの人なら思うでしょうね。「とっとと、エアコンか扇風機つけて(タイマーかけて)眠ればいいじゃないか」って。

 ここでは「暑さ」への心の対策の話でしたが、「つらさ」や「苦しさ」なども同じことが言えると考えているのです。この幸せオタクは。



8月9日(金)チャーハンとピラフの違い
 きのうに続けて、きょうも玄米チャーハンを作って食べましたが、私にしては上出来、けっこう美味しかったです。
 きのうはしょう油で味付けをしましたが、きょうはコンソメを使いました。具はウインナー(5ミリ角ぐらいに切る)とタマネギ、と卵だけです。
 玄米のほうがパラパラ感がでて、“チャーハン”という感じです。
 それに、私の味覚では玄米か白米かの区別はつかないくらいです。
 これで食事のレパーリーが一つ増えました。

 ところで、チャーハンとピラフの違いって知ってますか?
 Googleでズバリ「チャーハンとピラフの違い」を検索したところ、14件でてきました。それらによると、「チャーハンは炊いたご飯を炒める、ピラフは炒めた米を炊く」ということです。
 なーるほど。そうだったのか。やっぱ、ネットは便利だなぁ。

 ちなみに、きょうの食卓(作業用デスクですが)の上には、チャーハンにみそ汁(インスタント)、サラダ(キャベツ/タマネギ/キュウリ)、サバの味噌煮(缶詰)、こおなご(小魚)の煮付、ひじき、梅干し。
 けっこうなものでしょ。栄養も良さそうですよね。

 などと、ご飯食を続けたら体重が戻りかけています。
 それにもう「夏はやっぱり、冷たい麺類がいいな」とかも思っています。

 夕方、買い物がてら散歩にでたら、があってすごく気もちいい。それだけで幸せな気もちになってしまいました。



8月10日(土)お盆
 お盆の季節ですね。
 きょう、町田では盆踊りをやっていました。
 きのうから橋本では七夕まつり仙台と同様1ヶ月遅れ)をやっています。第51回だそうで、私が生まれる前からやっていたんですね。子供の頃を想い出しました。
 高知の友達からは、「よさこい祭りがはじまりました」というメールが届きました。
 帰省ラッシュも始まったようです。

 宮沢賢治『雨ニモマケズ』(岩崎書店・フォア文庫)より。
 (前略)
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ
 人になんと言われてもかまわない、人にほめられなくてもいい、人に迷惑さえかけなければ・・・そんな感じでしょうか。
 もしかしたら、もっと積極的なのかもしれません。「みんなに“木偶の坊”と呼ばれたい」。こんなふうに考えたら、人生もっと違う生き方ができるのかもしれません。

 宮沢賢治の生き方って、いまどき流行らないでしょうが、いつか流行る(実は一部で流行ってる?)かもしれませんね。
 と言っても、なかなかできないことばかりだから、多くの人が感動するのでしょうが。

 「そういう人に、私はなりたい」というなりたい自分をもつことはいいことだと思います。

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