しあわせ日記


4月11日(金) 「21世紀の君達へ」
 午後2時から、「21世紀の君達へ」(NHK教育テレビ)という新番組が始まった。タイトルに惹かれて試しに見てみた。今日の内容は「OLからの旅立ち」、脚本家・内館牧子さんのヒストリーを紹介した。

 内館さんは、大学卒業後、三菱重工業・横浜造船所に勤め、社内報の編集をしていた。責任のある仕事を任されないなどの不満を感じて、転職を考えて中途採用試験を受けたり、とにかく結婚したいと花嫁修行をしたりした。
 28歳のとき、シナリオ学校の生徒募集の新聞広告を見て、さっそく入学する。しかし、まわりの人を見て自分には才能がないと思い、挫折する。
 29歳のときニューヨークに旅行した。高層ビル群中で何か人生観が変わった。帰国後シナリオ学校に再入学。毎週欠かさず課題のシナリオを出し続ける。勉強のために映画を観る。1年間に260本も観た。ある雑誌への投稿が佳作となり、ラジオドラマのシナリオなどを書くようになる。
 35歳で13年間のOL生活にピリオドを打つ。

 内館さんの脚本の中には、OL時代の経験が活きているという。
 そして、番組の最後に、「21世紀の君達へ」と題したメッセージを、内館さんご本人が朗読した。
  「毛利元就はたくさん回り道をして59歳で立ち上がった。
   私もさんざん回り道をして30歳で脚本の勉強をはじめた。
   10代ならどんな夢でも実現する。これは間違いない。
   友だちに追い抜かれてもあせらないことだ。
   回り道は力になるのだから」



4月12日(土) 小食
 今日はなんとなく昼食を抜いてしまった。
 私は小食だ。私よりも小食の友達を(男女合わせても)想いつかない。牛丼の並はなんとか食べ切れるが、満腹になる。私は平素、腹八分目を心がけている。満腹感は食べ終わった直後の一瞬は快いが、その後は胃が重く感じられ、動きたくないような気分になり、好きではない。腹八分目を続けていると、胃袋が少しずつ小さくなるようだ。だから徐々に小食になる。でも、あるところまでくると、それも安定する。きっと今がちょうどいいところなのだろう。

 腹八分目にすると安定するまでは、どうしても空腹の時間がくる。空腹の時間をいかにうまく過ごす工夫をするかが肝心だ。ダイエットができない人は空腹の時間を長くできないのだと思う。空腹の時間に活動すれば身体に蓄えたエネルギーを使うしかない。
 空腹で困るのは人前でお腹が鳴ることだ。1つの対策は水分を摂ること。お茶や水などで一時的にお腹を埋めればいい。もう1つは、公言してしまうこと。「おなかがへった」と自分で言ってしまえば、ふつうまわりの人は納得してくれる。「ダイエット中なの」と宣言してしまうのもいいと思う。

 空腹の時間を過ごすいちばんいい方法は、夢中になって何かをすることだ。本当に夢中になってしまえば空腹なんて忘れてしまう。お腹が鳴ることにも気がつかない(もしかしたら、鳴らなくなるのかもしれない)。誰でも何かを夢中になってやっていて、あっと言うまに時間が過ぎて、気がついたら腹ペコだったという経験があると思う。
 私の事務所には飴かチョコレートがだいたい置いてある。ちょっとした空腹感や気分転換に口に入れるが、それと同時に何かを始めることにしている。始めてしまえば30分や1時間はじきに過ぎてしまう。口にするのは1回に1粒だから、ダイエットなどの心配もない。

 空腹感に対する考え方も大きいと思う。空腹の時間があってはいけない、健康に悪いと、頭から思っているような人がいる。断食は健康に良いそうだし、ふつうの人はたまに1食抜いても健康に問題はないと思う。
 私は空腹を感じた時に、「今度のごはんがうまいぞ」と思うことにしている。そうすると、いざ食事の時になると、食べる前から期待する。実際に何を食べてもおいしいと思う。それを幸せだと思う。おいしい食事を愉しむ方法の1つは腹ペコにして食べることだと考えている。そのためには、腹八分目と空腹の時間の過ごし方が大事だ。

 私は10代の頃からほとんど体型も体重も変わっていない。バスケットをやれば動けるし、体力もある。小食は健康にいいと思っている。



4月13日(日) 尾崎豊
 今晩の「知ってるつもり」(日本テレビ)は「尾崎豊」だった。
 私は尾崎豊をあまり知らない。知っていることは死んでから入ってきた情報のほうが圧倒的に多い。
 この番組を視て感じた尾崎豊の印象は、感受性が強く、現実に疑問を抱き、真理を求める姿。こういう面は多くの人にもある。私にもある。ただ尾崎豊はとことんまで考える。いい加減なところでやめない。完全主義者なんだろう。
 現実には矛盾やいい加減なことが多い。それを許せないとつらいだろう。現実は理想とは違う。自分自身についてはなおさらだ。自分が理想どおりでないことを許せないと苦しいばかりだ。でも人間は完璧ではない。逆にいい加減なところがあるから、平気な顔をして生きていけるような気もする。

 尾崎豊の思考はさらに進んでいる。「なぜ歌うのかっていうと、みんなの幸せのため」「自分を愛するように人を愛することができるのか?」。自分だけの幸せから先に進んでいる。自分の幸せについて考えていくと、いつかは人の幸せについて考えるようになる、と私は考えている。
 人の幸せを考えることだけが最高のことだとは思わない。ただ、自分の幸せと人の幸せの両方を考えられることは、幸せの種類を増やしただけではない大きな進歩だと思っている。

 尾崎豊に足りなかったのは、自分の幸せを考えることだったのかもしれない。もっと自分を大切にしてほしかった。



4月14日(月) 判決
 今日、少女連続誘拐殺人事件の宮崎勤被告に対する判決が出た。死刑だ。
 この裁判の争点は、宮崎被告の精神鑑定による責任能力についてだ。一流の専門家による鑑定結果が3つに分かれた。(1)性格に片寄りはあるが責任能力は100%ある。(2)精神分裂病と認められる。責任能力は一部欠ける。(3)多重人格。責任能力に欠ける。性格と精神の病いについての判定は難しいということだろう。やはり、人の心はわからない
 多重人格については更に複雑だ。「24人のビリー・ミリガン」を読み、「存在の深き眠り」を視た。1人の人間の中に別の人格が存在するなんて、とても信じられない気がする。アメリカでは裁判で多重人格が認められている。でも、責任能力はあるし、それなりの刑罰を受けるという。

 多重人格者は幼時の虐待経験が作り出すと言われている。人の性格のほとんども過去の経験が作り出したと言える。しかし、それを言ったらきりがない。考え方を変えれば人は変われると思う。物事の受け取り方が変われば、感情が変わり表情も変わる。考え方の方向性が変われば、言動が変わる。そのためには、1つ1つの考え方を少しずつ変えていくのがいちばんだと思う。「幸せな考え方は?」と考える習慣さえできるようになれば、大きく変われると思う。

 宮崎被告は控訴した。どちらにしても、死刑か無期懲役だろう。以前の私なら、死刑を望んだだろう。今なら、無期懲役を望む。そこで幸せに暮らすように心がけ、人の幸せに貢献できる方法を考えたい。



4月15日(火) 人生相談
 みのもんたさんが昼間にやっている「おもいっきりテレビ」(日本テレビ)の人生相談のコーナー「おもいっきり生電話」をよく視る。今日の相談は、「娘の交際相手の学歴が低いために結婚に反対しているが、娘が言うことを聞かない」という母親の相談だった。
 今晩始まった新番組「快傑熟女!心配ご無用」(TBSテレビ)も人生相談番組だ。その中の1つの相談が、「交際相手の学歴が低い」と親に結婚を反対されている娘の相談だった。
 この手の相談に対する回答はだいたい決まっている。親には、「学歴で人を判断するのは間違っている」「子供ももう大人なのだから任せなさい」「反対しても子供は聞かない。逆効果になることが多い」など。子には、「本当に交際相手を愛しているなら、最終的には親の反対を押し切ってでも結婚しなさい」のようなものだ。

 その他の相談内容は、父親の暴力、拒食症、嫁姑問題。どれも人生相談ではよく見かける相談内容だ。他人事ならいろいろと言えるが、本人にとっては深刻な問題だ。
 テレビや新聞の人生相談では、時間や紙面の制限があり、具体的な解決方法を急いで提示する必要がある。また、その回答も一般的なものになりがちだ。それでも回答者の個性が出て、違うイメージの内容になる。でも、それを相談者がそのまま受け入れて、問題が解決することは少ないのではないかと思う。

 私も人生相談のような内容のメールを受けることがある。具体的な解決方法はほとんど書けない。少なくとも1つの解決方法のみを書くことはない。考えるヒントのようなもので終わってしまうことも多い。私なりに相手の方のことを考えて返事を書いています。



4月16日(水) 幸福の条件
 古本屋さんで「武者小路実篤人生論集4・幸福の条件」(講談社)という1966年に出版された古い本を見つけたのは3月26日だった。とても気に入った。そもそも「幸」という文字の出現頻度で私が負けた、と思ったのははじめてだ。
 最近毎日書いている読書ノートでは、ラッセルの「幸福論」が今日で終わりました。明日(4月17分)からは、この本の中の「幸福について」を始めます。

 その前に、「幸福の条件」という6頁の著作があるので、予告としてここに書かせてもらいます。
 武者小路実篤さんの幸福についての著述は、とても基本的で本質をついていると思います。次のような文章があります。
「僕は幸福な条件は第一自分を幸福だと思う事だと思っている」
「僕はつまらなぬ事を気にせず、いつも心うれしく元気でいられる人が幸福な人と思う」
「希望のない生活からは幸福は生まれない」
「幸福の条件は、自分さえよければいいと言う利己心からは生まれない」
「段々自分が人間として進歩出来、人間としての価値を高める事が大事だ」
 これらは、私の「幸せになる方法」と基本的に同じだと思う。悪く言えば、当り前のこと、よく書かれることである。では、どうして幸せをたくさん感じて生きている人は少ないのか。それは、上記のような基本的なことが生活の中でできていないからだ。では、どうしたらそれができるようになるか、それが私のテーマである。そのために考え、方法を工夫し、自分で実践し、幸せになる能力を向上させるように努力している。

 武者小路実篤さんは、幸せな人のあり方を次のように書いている。
「不安を感じる事もなく、何となく心うれしく、そして自分の仕事に自信が持て、生きている事に益々希望が持て、働き甲斐が感じられて、皆にも自分が生きている事が喜ばれる」
 さてこのような人になるためにはどうしたらいいか。このホームページ(将来も含めて)で探していただけるとうれしいと思っています。



4月17日(木) 遺言
 今朝、俳優の西村晃さんの訃報をテレビで知った。2代目の黄門様だ。私は「水戸黄門」(TBSテレビ)を今でもたまに視る。以前には夕方の再放送を視ていたこともある。もちろん西村さんの黄門様もよく視た。
 西村さんは自分の死を家族以外には知らせないように遺言していたという。しかし、マスコミにかぎつけられてしまったようだ。

 自分の人生について考え直す方法として、遺言状を書くことがあります。自分の人生は〜だったと過去を振り返る。こうすればよかったと反省する。あと何がしたかったを書く。または、これからやりたいことをやったつもりになって書く。そして、まわりの人への感謝の気持ちを素直に書く。
 本気になって真剣に書けば、何か気づくことはあると思う。
 現実社会での遺言状はもっと生々しそうだ。遺産分配がメインのような気がする。

 私は自分の遺言など考えたこともないが、死に方について考えたことはある。誰にも見つからずに死にたいと思ったことがある。ゾウや猫などは自分の死期を覚るといつのまにかいなくなる、と聞いたことがある。そんな感じだ。そして、絶対に遺体を人に見つからないようにするためにはどうしたらいいか、などと考えた。

 今は遺言や死に方を考えるヒマがあったら、今を楽しむことや、夢や愛などのこれからの生き方について考えたい。それを考えるヒントとして遺言や死について考えるのは悪くない。



4月19日(土) バスケットの合宿(予定)
 今日と明日はバスケットの合宿だ。場所は房総半島の富浦。
 朝7時に東京駅に集合するために、5時前に起きる。
 内房線に乗り、富浦に着くのは9時過ぎだ。10時から練習開始。練習内容はヘッドコーチである私が決める。昼食後、午後の練習は2時から5時くらいまで。宿に戻り、入浴後、6時頃から夕食。夕食というより宴会だ。でもこれは一次会。夕食後に別室に集まって本格的な飲み会になる。後は寝たい人から勝手に寝に入る。遅い人は3時くらいまで起きている。私も何年か前までは最後まで起きていたが、最近は1時くらいに寝てしまうことが多い。
 それでも私は翌朝早めに起きて散歩することは欠かさない。合宿での早朝散歩は私の大きな楽しみの1つだ。おっと、これはあしたの話だ。実は、あさっての話です。今、この日記を書いているのは、18日金曜日です。(この文章が読めるのは20日以降です)
 楽しい合宿です。いつも。
 気が置けない仲間と、大好きなバスケット、海のそば、宴会。楽しくないわけがない。
 本当の合宿の話は明日に。



4月18日(金) 春
 めっきり春らしくなって、ソメイヨシノは散ってしまった。でもソメイヨシノより少し小振りで幹が白っぽい桜にはまだ花びらが残っている。
 家から駅への途中の道の両側には広い空き地がある。旧国鉄の操車場跡だ。今は国鉄清算事業団の管理らしい。長い間遊んでいる土地だ。でもおかげで私は様々な草花を楽しむことができる。

 雑草ばかりだが、よく見るといろいろなものがある。
 最近目立つのはスギナだ。スギナの胞子茎がツクシだ。スギナとツクシは地下で根がつながっている。今年はまだツクシは見つかっていない。しかし、スギナも農家にとっては手ごわい雑草らしい。先日も深夜にスギナ用除草剤のTVコマーシャルが流れていた。
 たんぽぽも目立つようになってきた。
 今朝はハルジオンが咲いているのも見つけた
 花のない草でも気になるものはある。今ならよもぎ、もう少しすればクローバー。
 今朝、だいこん草がはえているのも確認した。だいこん草は6月頃になると実がなる。トゲにおおわれた実だ。子どもの頃には、採って人のセーターにくっつけた。イノコヅチなどとともに"ヒッツキムシ"と呼んでいた。
 最近空き地で見かける草で多いのはセイタカワダチ草だ。背の高い雑草だ。たぶんみんな見たことがあると思う。セイタカワダチ草に花が咲くのに気づいたのは5年くらい前だ。ビックリした。でも季節は春ではない。その紹介はその季節にしたいと思う。

 今朝はすずめの3倍くらいの大きさの鳥が目についた。よく見るといろいろな種類の鳥がいる。でも私には鳥の種類がわからない。今度少し調べてみようかと思う。知ればきっともっと楽しく見ることができるようになると思う。

 四季折々の自然が楽しめる日本に生まれて幸せだと思う。



4月20日(日) バスケットの合宿・2日目
 昨晩の飲み会は、最後にゲーム大会になり、大騒ぎしてしまった。宿は貸切り状態だったので、つい目一杯盛り上がってしまった。さすがに夜12時になって、宿の人にそろそろおとなしくしてくれるように、と注意されてしまった。それを機に散会となった。私はそのまま寝てしまった。遅い人は2時半くらいまでしゃべっていたという。

 12時半には眠ってしまったので、今朝は5時過ぎには目が覚めてしまった。6時前にひとり散歩に出る。歩いて5分で海辺についた。富浦の入江の中は、堤防と磯の海岸だった。ブラブラしながら、2箇所ですわって海の感じを愉しんだ。磯の香り、波の音、潮風、海鳥、釣り人、沖を行く船、そして、大きな海のうねり。海には大きなパワーを感じる。
 海岸からの戻り道、「八犬伝」で有名な里見氏の岡本城跡にある里見公園に登る。けわしい坂を登りきると、山頂には予想より広い平地があり、ベンチなどがある。さらに脇道を少し登ると、富浦の入江全体が見渡せる見晴らし台のようなところに出る。さっきまでいた海岸の構図がよくわかる。遠くにはとなりの入江まで見える。大きな建物が並んでいるのは館山かもしれない。なかなかの絶景だった。

 朝食後、9時半から12時までバスケットの練習をする。今回は女子の参加が多く、今日は10人いたので、女子だけの試合形式の練習ができた。うちのクラブでははじめてかもしれない。宿に戻り、シャワーを浴びさせてもらい、1時頃現地解散となった。
 私は家が近い仲間の車に同乗させてもらう。彼は小学校1年の女の子と、4歳の男の子を連れてきている。すでに何度か合宿に来ているので仲間とも仲良しだ。私の他には20代の女の子が2人同乗している。金谷から横須賀までフェリーに乗る。35分間の乗船だがなかなかいい。帰りの車中では、2人の子供を中心になぞなぞ遊びなどをしながら、楽しく過ごす。2人ともすごくかわいい子だ。

 事務所についたのは5時半、ほんとうに楽しい2日間だった。