しあわせ日記
8月1日(水)改善作業
きょうから『くよくよしない考え方』の改善作業に入りました。
ということでまず、改善作業の内容を箇条書きにしてみました。この中には、メールモニターの皆さんのご意見も含まれています。これからも追加更新していくつもりです。
その中にある「読者(くよくよしやすい人)に対する理解を深める」ために、「くよくよの悪循環」についていろいろ考えてみました。「くよくよの悪循環がある」とのメールモニターのD子さんからのご意見があったからです。
「くよくよの悪循環」にはいろんなパターンがあることに気づくことができました。これを主に9章に活かして改善しようと考えています。
改善作業にはきりがなく、それが本の売上げにどのくらい影響があるのかわかりませんが、私としては「いい本」にしたいのです。それが将来の自分にとってもきっといいことだと信じています。それに私には、メールモニターの皆さんやHPの読者の方々や友達などの力強い協力者や応援者もいるのです。その幸せを力に頑張ってみたいと思っています。
8月2日(木)目が回る
きょうは涼しくて快適でした。
『くよくよしない考え方』を改善するヒント・材料を探すために、HPの中を一通り見てまわることにしました。
心の散歩やインナーチャイルドへのメッセージ「自分を大切に」などは、自分でもけっこういい感じがしました。この辺ももっと膨らませたいな、と思いました。心の散歩の中の「1年間あったら何をしますか?」の内容を8章の「やりたいことを探す」の中に追加することにしました。
幸せ雑記の中では、「タモリの新哲学大王!」や「お言葉」が人の意見や言葉が興味深くて楽しかったのです。
と、この辺で目が回ってきました。とても1日で見てまわるのは無理なようです。1日に少しずつ回ることにしました。
小さい部分でいくつかの改善のヒントは見つかりましたが、なかなか大きいものは見つかりませんでした。でも、小さいことの積み重ねが大きいのかもしれません。
きのう書いた「くよくよの悪循環」をベースに、『くよくよしない考え方』の「はじめに」を書いてみました。メールモニターのYumikoさんからも「目次だけだと構成がわかりにくい」というご指摘をいただきましたので、各章の内容なども簡単に紹介しました。
久しぶりに水分補給にお茶を入れました。コーヒーはホットで飲むことはあるのですが、最近はスポーツドリンクがほとんどでした。
このくらいの涼しさが続けばいいのですが。
皆さんも夏バテなどしないように、お元気でお過ごしください。
8月3日(金)売れるか売れないか
HPの人生相談のページを見てまわりました。気がついたのは、けっこう前向きなことも書いてあることでした。
『くよくよしない考え方』の中には、前向きな考え方は少なくなっています。前向きな考え方がすぐにできるような人なら、そうくよくよはしないはずだと考えるからです。多くの本には前向きなことがよく書いてあります。そういう本を求めている人が多いのもわかっています。でも、この本は「くよくよしやすい人」のために書いています。
だから、あまりくよくよしない人にとっては「ものたりない」「当たり前」などと感じてしまうようです。でも、くよくよしやすい人にとっては「役に立つ」と感じる考え方がいろいろあるはずです。(このことは12名のメールモニターの皆さんのご意見・ご感想からも感じることがあります)
たぶんこの点がどう出るかが、この本の今後を分けるような気がしています。出版社と消費者(買う前の(立ち)読者)がどちらの評価を下すかにかかっているのではないかと思うのです。
私の気もちから言えば、くよくよしやすい人はたくさんいるから(書店に並べば、それなりに)売れるはず。でも、大半の人が「ものたりない」「当たり前」と感じるだろうから売れないんじゃないか、という考えも成り立つわけです。
そこで成否を分けるのは、文章の質ような気がします。「わかりやすく」「読んでいい感じがする」というのが大きいのでは、と今思っています。そのために必要なのが現在やっている改善作業なのだと思うのです。
まぁ、予測は難しいし、やってみなければわからない、やればわかる、ということでしょうか。
今は自分のやり方を信じて「ベストを尽くす」。それでいいのだと思います。
8月4日(土)くよくよの自覚
きのう・きょうと人生相談をいろいろ読んでいます。読売新聞の「人生案内」のスクラップ、人生相談の本や雑誌です。くよくよしやい人の考え方やそのパターンをもっと理解することが目的です。ですから、回答のほうはあまり読んでいません。
やはり気がつくのは、物事を悪く悪く考えることと、イヤな事・悪い事をたくさんつけ足して考えることです。このような考え方をしたら、イヤな気もちが大きくなり、解決法も見つからなくなり、つらくなるばかりです。
くよくよしやすい人は、くよくよする考え方がクセや習慣になっているのだと思います。人から見たら、「なぜそんなに細かいことにこだわるのか」「なんでそんなにくよくよするのか」と思われるかもしれません。「くよくよを自分で選んでいるみたい」「くよくよすることに執着しているみたい」「悩みを探している」ように見える人もいます。(この部分は、何人かのメールモニターの方のご意見を参考にして書きました)
自分のくよくよを自覚している人はどのくらいいるのでしょうか。
「自分はくよくよしやすい」と自覚している人の中には、「くよくよしない自分になりたい」と考えて努力している人もいると思います。でも、実際にくよくよしない考え方を心がけて生活している人は少ないような気がします。「性格だから」などとあきらめている人も多いのではないでしょうか。
『くよくよしない考え方』は、「自分はくよくよしやすい」という人には役に立つと思います。
「自分はくよくよしやすい」と自覚していない人でも、実際にはイヤな事を考えてくよくよ・イライラしていることはあると思います。そこから何かいい対策を考えられるのならいいのですが、ただくよくよ・イライラするのは時間の無駄です。そのために後々まで悪い気分で過ごしてしまっていることもあるのではないでしょうか。そういうことが実は自分の生活に悪影響を与えているということに気づいていない人も多いような気がします。
そういう人にも『くよくよしない考え方』は役に立つと思うのですが・・・。
「あなたは、知らず知らずのうちに、くよくよ・イライラしていることはないですか? そのために気分を悪くしたまま過ごしてしまうことがありませんか?」
このような文章を、「はじめに」や帯(スリップ?=本の表紙の外に巻いてある紙)に入れてみてはどうか、と思いました。
これってマッチポンプ(自分で火をつけて自分で消す)かなぁ。自分のくよくよ・イライラに気づいていない人は、そのままそれなりに暮らしていてもいいのかなぁ。中には「くよくよする自分」に気づいてくよくよしてしまう人もいるかもしれません。などとも考えてしまいました。
でも『くよくよしない考え方』が役に立てば、今より少しはラクに生活を愉しめるようになるはずです。この本を選び、どう読んで、どう自分の生活に活かすかはその人しだいです。
私としては、多くの人の役に立てればいいな、と願うだけです。
8月5日(日)編集者の仕事
1日からきょうまでは、『くよくよしない考え方』の全体を見直すための作業をしました。HPの中から役に立つ材料やヒントを探し、人生相談などを読んで読者(くよくよしやすい人)に対する理解を深め、どのような観点で改善作業を行うかをまとめてきました。
目次と構成にはメールモニターの方にアンケートを実施中です。今週中くらいにはまとめて、方針を決定しようと思っています。
夕方、「課外授業 ようこそ先輩」(NHKテレビ)で幻冬舎の見城徹社長が母校の小学校を訪れて、「編集」の授業をしました。班に分かれて1人の著者の文章を、編集会議を経て「いい本」にする作業です。編集者と著者が本気でぶつかり合うことも必要。そのためには著者と編集者の信頼関係も大切なのだと思いました。著者と編集者のきびしい協同作業によって「いい本」が生まれているということが分かりました。
もちろん、無名の私に編集者がついているわけがありません。でも私には、編集スタッフとも言えるメールモニターの皆さんがいます。個別にですがメールで編集会議のようなことをしているわけです。他にも読者の方からご意見・ご感想・ご声援のメールをいただくこともあります。
明日からはいよいよ本格的に、1章毎に1話1話の改善(編集)作業を開始するつもりです。これからは私自身がきびしい編集者の目で原稿を見直すことも必要だと思っています。執筆した原稿にこだわらずにバンバン改善作業を進めていけたら、と思っています。
きょうは、「自育の広場」のページを考えていたのですが、まだまとまっていません。近いうちにはなんとか立ち上げたいと思っています。
8月6日(月)1章の改善作業
きょうも涼しくて快適です。関東地方は9月中旬の気温だそうです。
きょうは一日、『くよくよしない考え方』の1章の改善作業をしていました。
1章というのは、やはりいちばん大事だと思います。
その中でも書きだしは1つのキーポイントだと思います。ちなみに、現時点での書きだしは、こんな感じです。
小さいことでくよくよしないためのいちばん簡単で役に立つ考え方は、「まぁいいか」だと思います。
小さいことにくよくよしそうな時に、「まぁいいか」の一言が自ら言えるだけで“くよくよ”を軽く済ませることができます。小さいことは「まぁいいか」で済ませていいはずです。でも、くよくよしやすい人には「まぁいいか」の一言がなかなか言えないのです。
1章の「小さいことにくよくよしないために」には、くよくよのパターンやくよくよしやすい人やくよくよの影響など、くよくよに関する「そういうこともあるんだ」「私もそういうことある」というように思ってもらえるようなことをそれとなく入れることを意識しました。先週のくよくよしやすい人の理解も活かしています。
実際に作業をしてみると、なかなかバンバン改善するというわけにはいきません。足りないところを足したり、いまいちのところを書きなおしたりはしているのですが、新しい魅力を追加することは難しいのです。
それでも少しは善くなっている実感はあります。古い原稿と比較してみればわかります。今月末までには、それなりに質の向上ができるんじゃないかと思っています。
次の出版社へのアプローチは、早くても改善作業が一巡したお盆明け以降だと考えています。今度は出版社に電話で確認の上で「持ちこみ原稿」として全部を送って、ちゃんと見てもらおうと考えています。
改善作業は執筆作業に比べて地味なような気がしますが、改善作業のほうが頭を使ってけっこう大変な作業です。でも、これって自分にとってはすごくいい経験のような気がします。というよりも、いい経験にできように一生懸命にやらなくてはいけないことだと思っています。
自分を変えるには、まず自分を知るところから。自分の文章を改善するためには、まず自分の文章を知るところから。欠点は改善できるようにし、新しい魅力を見つけて伸ばしていくことが大事なのだと思います。
そういう作業をする時間がたっぷり持てることは、すごくいいこと、幸せなことだと思います。
8月7日(火)削る作業
きょうは1日、『くよくよしない考え方』の2章の改善作業をしていました。
人間関係についてはこの日記の中でも何度か考えてきましたので、書く材料はけっこうあります。『くよくよしない考え方』では2章の「人のためにイライラしないために」と6章の「人間関係でくよくよしないために」が人間関係に関することです。
そこで、つい1話が長くなりがちです。きょうは削る作業をけっこうやりました。文や語句だけでなく、段落ごと削除もしました。と言っても、せっかく書いたものをバッサバッサと削ることはなかなかできないものです。
長ければいい、いろんなことが書いてあればいいとは思っていません。2章の中にはいくつか短い話があるのですが、そういうほうがけっこういい感じがしたりします。
今回は1話を原稿用紙何枚・何千何百字とか決めずに、自由な長さで書いています。出版前に必要があれば長さを調整する編集作業をすればいいと考えています。『幸せになる方法』は自分で(手)製本もしましたので、1行何文字・1頁何行まで決めて書きましたから、各頁の終わりに空白行はほとんどありません。その形式でそのまま出版されました。
生きる上でも削る作業があったほうがいいかな、とか思いました。(強引な展開)
やらなくてもいいことはやめる、必要ないものは捨てる・求めない、余計なことは考えない、というようなことです。「くよくよしない」なんていうのは、要は「余計なことは考えない」ことなのでしょう。それがそう簡単にはできないのですが。
やめるとか、捨てるとか、考えないとかいうのは、けっこう難しいことのようです。それよりも、やりたいことをやる、好きなものを大切にする、いいことを考える・・・このようなことを増やしていくと自然に不要なものが削れるというほうがいいようです。忙しくするのがくよくよしない方法というのもあります。
1日は24時間と決まっています。やりたいことをやる時間を増やしていけば、それだけやらなくてもいいことは減ることになるはずです。
そうか、原稿のサイズが決まっていれば、いいことを書き足せばなくてもいい部分は削れるはずですね。そのつもりになって、もっと削ったほうがいいのかもしれません。
8月8日(水)得意分野・苦手分野
勝手なものでこう涼しい日が続くと、「もう少し夏らしくてもいいよな」とか思ってしまいます。
きょうは、『くよくよしない考え方』の3章と4章の改善作業をしました。
3章は小さい修正だけで、大きく手を入れることはしませんでした。というのも、3章の「決断で迷ってくよくよしないために」というのは、私の得意分野のようです。私は元来、優柔不断でなかなか決断ができないほうなのです。それが、20代に『竜馬がゆく』を読んで「夢を持って生きよう」と考え、会社を辞めてフリーでパソコンソフトを開発したり、本を書いたり、このHPをやったりすることになったのです。当然、大きい決断を何回かすることになりました。迷うこと・決断することに関しては自分なりにいろいろ工夫してきたのです。
ですから、3章にはそういうものがつまっていて自分としては力を入れた所であり自信のある所なのです(だから3章と前のほうにもってきた?)。決断ということで、他の章と比べて前向きな考え方が多く、ちょっと違う感じだと思います。人によって好みはあると思います。メールモニターの方の反応も様々です。
反対に、4章の「過ぎたことでくよくよしないために」は私の苦手な分野です。私は、将来の心配をしやすいほうで過去の事でくよくよすることはあまりないのです。たぶんケチなのだと思います。過去の事をくよくよしても得にはならないから、将来に得することを考えたほうがいいというようなことじゃないかと思います。
ということで、4章の原稿は短く(7話も最少)、きょうはきのうの削る作業とは逆の加える作業が主でした。この加える作業がまた難しいのです。基本的には、足りない所を補ってつけ加えるか、新たなものを加えるかなのですが。「これを加えたらもっと善くなるのではないか」というのはなかなか見つかりません。その点で力になるのが、メールモニターの皆さんのご意見・ご感想です。その中には私にはない視点や考え方や言葉などがあります。その中からつけ加えさせていただいた部分がけっこうあります。改めて感謝しております。
くよくよしてしまうのにも、その人によっていろんな傾向やパターンがあるようです。過去のことでくよくよしやすい人、将来のことでくよくよしやすい人、人にイライラしやすい人、人間関係でくよくよしやすい人、自分のことでくよくよしやすい人・・・。と、これが『くよくよしない考え方』の目次になっているのですが。
メールモニターの方のご感想などで、けっこう手応えを感じています。それなりの出来になっているような気がします。これからの展開にも期待できそうです。さらに頑張って「いい本」にしていきたいと思っています。
8月9日(木)夢は愉しむもの
夕方に外出して、『「夢ノート」のつくりかた』(中山庸子・PHP文庫)を買う。メールモニターの☆さんに著者の「夢ノート」シリーズを紹介してもらったからだ。
事務所に戻るとちょうどNHKテレビで「私はあきらめない!道はその瞬間に開けた」という番組が始まったところだった。予告編(番組宣伝)を見て、見てみようかと思っていたのでした。
演歌歌手の天童よしみさんは、若くしてデビューしたが売れなくなって、20歳で東京から大阪の実家に帰ってからも、夢をあきらめずに歌の練習を続け、30歳で再デビューを果たし大ヒットを出した。
将棋の谷川浩二さんは、羽生善治さんにタイトル戦で連敗し、スランプに陥ったが、基本に帰ることで復活した。それは「楽しむこと」だと言う。
『「夢ノート」のつくりかた』を読みだしたら、これがけっこうおもしろい。
中山庸子さんの本では『なりたい自分になる100の方法』を読んでいたのと、『つくりかた』というタイトルから、てっきりハウトゥー本だと思っていたら、ぜんぜん違った。
エピローグからして、著者の高校教師時代の話から始まり、自分の夢の話へ進み、読んでいておもしろい。(やはり書きだしがうまいなぁ)
もちろん「夢ノート」の書き方・作り方は書いてありますが、どちらかというと「夢ノート」体験記という感じ。先へ進むと、ご自身の生活を愉しむ工夫が楽しいエッセイとして書かれている。
確かにこの本は売れて当然だと思いました。「夢ノート」は、著者自らが実践していて現に夢を叶えているわけですから説得力があります。たぶん、著者のように意識的楽天主義で夢の過程を愉しめたら、たいていの夢は叶うような気がしてきます。それを実践し続けることができるかどうかは読者の問題だとは思いますが。
そしてやはり、読んでいていい感じがするというのが大きいと思いました。
きょうは、『くよくよしない考え方』5章の「まだ先のことでくよくよしないために」の改善作業をしていました。私の場合には「なるようになる」が口グセのようになってからは、将来のことでくよくよすることは激減しました。それだけでなく、夢へのチャレンジもしやすくなりました。実現しようがしまいが、「なるようになる」と思えますから。
夢で大切なのはやはり、夢を持って生きている今を愉しむことだと再確認した一日でした。今を愉しめれば夢が叶わなくったっていいじゃないか。そういう時期が人生の中にあることはステキなことじゃないか、と思います。
でもやっぱり、夢が叶うといいな。では、どうしたら?
テレビ見たり本とか読んでないで、きょうの作業をしっかりやればいいんだよね。
でも、生活を愉しむことも忘れちゃいけないんだよ
ハオハオ
8月10日(金)くよくよとイライラ
きょうは、『くよくよしない考え方』6章の「人間関係でくよくよしないために」の改善作業をしていました。
最近ちょっと気になっていたのが、「くよくよ」と「イライラ」の違いです。
『くよくよしない考え方』では2章が「人にイライラ」で6章が「人間関係でくよくよ」になっています。
私は最初、人のせいにしやすい人は「イライラ」しやすく、自分のせいにしやすい人は「くよくよ」しやすいのではないか。だから人によってどちらかの傾向が強いのではないか、と考えました。
でも、メールモニターの複数の方から「自分にイライラする」それで「イライラの悪循環になる」というご意見があり、考え直してみました。
そこで思いついたのが、まだ期待がある場合には「イライラ」して、あきらめがあると「くよくよ」してしまうのではないか、ということです。人や自分が「こうあるべきだ」「こうなってほしい」という思いがあると、人や自分に「イライラ」してしまい、「変わらないんじゃないか」という思いがあると「くよくよ」してしまうのではないか、ということです。
ちなみに広辞苑をひくと、「くよくよ」は「気にやんでも仕方がないことに心をなやますさま」、「いらいら」は「思うようにならず、気があせるさま」とありました。
「くよくよ」も「イライラ」もその元・種は同じで、そのイヤなことや悩みに対して自分が「くよくよ」と感じるか「イライラ」と感じるかの違いと言ってしまえばいいのかもしれませんが、なかなかうまい表現は見つかっていません。考え方のクセやパターンの傾向よるのかもしれません。
今考えている改善作業の中での一番大きなものは、9章に「くよくよの悪循環・イライラの悪循環」にどう対処するか、ということをどのように反映させるかということです。そこで「くよくよ」と「イライラ」の違いについて書くかどうかも1つの課題になっています。
もう少し「くよくよ」「イライラ」に関する考察が必要なような気もしています。一方、早くそれなりの原稿をまとめて出版社に持ち込んでみたいと気もちもあります。まぁ、時間が許す限り改善していきたいとは思っていますが。