読書日記

  二種類の富

 『幸福論』(アラン)より、
 ふつうは現実の富よりも想像力によってより大きな幸福が得られるものである。なぜかというと、現実の富が得られると、人はそれですべてが終わったと思いこみ、その場に座り込んで、もう求めることをしなくなるからである。
 富には二種類ある。手に入れると座り込んでしまうような富はわれわれを退屈させる。われわれの好む富というのは、更にその次の計画や仕事を求める富である。
 人に幸福をもたらす富はたくさんあり、いろんな種類の富があるのでしょう。

 手に入れると、それで終わりと思い、もう求めなくなるような富もあるでしょう。
 たとえば、マイホームを手に入れた場合、次のマイホームを求める人は少ないでしょう。マイホームを手に入れた直後は、幸福を感じられるでしょう。でも、やがてはそれに慣れて「当たり前」と思い、幸福を感じられなく人がほとんどでしょう。
 たとえば、いい結婚相手を求めて、その通りに結婚できた人は、もう結婚相手を求めることはありません(離婚後は別)。
 たとえば、出世を求めていた人は、社長になれば、それ以上を求める人は少ないでしょう。
 他にも、手に入れたら、もう求めなくなるような富はいろいろありそうです。

 ところで、お金の場合はどうでしょうか。
 自分が求めていた額のお金を手に入れたら、それ以上求めない人もいるのでしょうが、もっと多額のお金を求める人のほうが多いような気がします。
 お金はある程度あれば幸せに暮らせるようになれ、それ以上あっても幸福度はあまり変わらない、という研究結果があります(お金と幸福感)。
 お金を求めすぎて不幸になってしまう人もいます。

 成功についても同様でしょう。成功したら次の成功を求める人が多いでしょう。成功過程の途中で成功を求めるのをやめる人は少ないでしょう。
 どこかで失敗して不幸になってしまう人もいます。
 成功と失敗(いい経験)を繰り返しながら、成功を求め続けて生きる人もいます。

 「富は心に積め」というような言葉があります。お金を銀行や金庫に積んだり財宝を蔵に積んだりするよりも、心に富を積んだほうがいい、ということでしょう。いくら積んであっても使わない財産よりも、いつでも使える心の富で幸福に暮らしたほうがいいのでしょう。
 心の富を幸せになる能力と考えればわかりやすいと思います。
 幸せになる能力を向上させていくことで、少しずつ幸せに暮らせるようになっていけるといいのではないでしょうか。



   

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