読書日記

  後悔を嫌う本能

 『脳はなにかと言い訳する』(池谷裕二)より、
 自分の死期を悟ったとき、多くの人は、過去を振り返ってこう言うという。「幸せな人生だった」と。

 結婚や高額商談など重要な選択をした後に、人はもっともらしい“言い訳”を探して「後悔していない」と思い込みたがる傾向が強い。
 後悔を嫌うという本能が人間にある限り、私も最期に「自分の人生は素晴らしかった」と盲目的に信じることができるのだろうと思う。
 誰の人生にも、いいこともあれば、悪いこともあるのだと思います。
 自分の人生を振り返ったときに、幸せなことと不幸なことのどちらを思い出すかによって、幸不幸は変わるでしょう。
 ただし、過去の不幸を思い出しても、今考えてみると「大したことではなかった」「むしろ、いい経験だった」「懐かしい」のように思えることも多いのではないでしょうか(不幸を幸せに変える)。そういう考え方ができる人は、「幸せな人生だった」と思えるのでしょう。

 自分の人生をじっくりと振り返れるのは、時間と心の余裕がある人でしょう。
 そういう人は「幸せな人生だった」と思いやすいのではないでしょうか。

 誰でも後悔はしたくないでしょう。自分は正しかったと思いたいでしょう。
 だから、もっともらしい言い訳や理由を後づけして、自分を正当化するのではないでしょうか。
 でも、つい後悔(のような考えを)してしまうことが多い人もいるでしょう。

 自分の人生を振り返って幸せな人生だったかどうかを考える際、こういうことをして、こうなって、こういうものを得たからなどの事実を理由として、「幸せな人生だった(と言えるだろう)」と考えるのは客観的な判断だと思います。もし客観的に幸せな人生だった人は、幸せを感じて生活できたはずなのですが・・・。
 自分の人生を振り返って、自分が実際にこういうことにすごく幸せを感じた、幸せを感じたことがいっぱいあった、日々幸せを感じて生活できたなどの実感を理由として、「幸せな人生だった」と思えるのは主観的な判断だと思います。

 幸せを感じる生活を積み重ねることで、幸せな人生を実感できれば、後悔することはないのではないでしょうか。



   

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