読書日記

  ものから自由になる

 『生きるということ』(エーリッヒ・フロム)より、
 何よりもまず、私たちは自分の物や自分の行為から自由にならなければならない。これは何も所有してはならず、何もしてはならないということを意味してはいない。それの意味するところは、自分が所有するもの、自分が持つものに、また神にさえも、縛られ、自由を奪われ、つなぎとめられてはならない、ということである。

 すべてのものが、何でもが、渇望の対象となりうる。日常生活で使う物、財産、儀礼、善行、知識、思想。それらはそれ自身として〈悪い〉わけではなく、悪くなるのである。すなわち私たちがそれらに執着する時、それらが自由をそこなう鎖となる時、それらは私たちの自己実現を妨げるのである。
 「持つ」ことは〈悪い〉わけではない。でも、何かに執着してしまうと、自由な心を失い、本来の自分を発揮できなくなったり、不幸になったりするのでしょう。

 私たちはいろんなもの(事・人・物)を求めます。
 そして、求めすぎは不幸の元です。
 たとえば、何か(やりたい事/好きな事/すべき事/いつもしている事など)ができなくてつらい(悲しい/耐えられない/不幸だ)、誰か(好きな人/恋人/配偶者/子供/親友など)がいないから寂しい(耐えられない/不幸だ)、何か欲しい物(いつも使っている物)がない(手に入らない/買えない)からイヤだ(耐えられない/不幸だ)、のように。

 他にも、人が求めすぎてとらわれてしまうものはいろいろあります。
 たとえば、お金(損得)、地位・名誉、成績・業績、夢・目標、愛する人、人づきあい、世間体、常識、健康、・・・。
 儀礼や善行や知識や思想など、正しいものであっても、それにとらわれてしまうと、心の自由を奪われてしまうのでしょう。

 一つのことにとらわれない執着を捨て自由な心を取り戻して、自己実現などの幸せになる方法を実践していけるといいのではないでしょうか。
 ただし、一つの幸せになる方法に執着してしまうのはよくないのでしょう。



   

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