読書日記

  「孤独」は快楽

 『幸せになるための罪深き7つの知恵』(ロジャー・フーズデン)より、
 私たちの社会では、「孤独」とはもっとも過小評価された快楽になっています。それはもしかして、孤独が「寂しさ」と(誤って)結びつけられているからかもしれません。
 「孤独」と「寂しさ」の違い、それは、私たちがそこに「いる」か「いない」かの違いです。自分が「不在」なときに初めて、私たちは「ひとりぼっち」とか「寂しい」とかいう感情を抱きます逆に、そこに存在すること、つまり、自分に帰ることは、他の誰かに依存しなくても、十分できることです。
 「孤独」という言葉には、「寂しい」というニュアンスがあるような気がします。
 「孤独」ということは「ひとり」ということです。「ひとりは寂しい」と考えるか、「ひとりは気がラク」「ひとりならやりたいことができる」「ひとりは楽しい」などと考えられるかによって、感じ方はまったく違ってくるでしょう。

 ひとりの時間を十分に楽しめる人は、「寂しい」とはあまり思わないでしょう。
 ひとりを楽しむ方法はいろいろあるはずです。楽しいこと/夢中になれること/やすらげること/・・・自分の好きなことをすればいいのです。

 また、やりたいことがいろいろある人も、「寂しい」とはあまり思わないでしょう。
 「ひとり」ということは自由(な時間)とも考えられるでしょう。自由な時間があったらやりたいことがやれます。

 ひとりの時は、「確実に幸せを感じられる時間」とも考えられます。自分が幸せになれることをすればいいのです。
 ひとりの時は、何かを勉強したり、「自分を育てる時間」にも使えます。いろんなことを学んだり考えたりすることができます。

 ひとりの時間を楽しめない、ひとりで幸せに過ごせないという人は、誰かに依存していると考えられるのでしょう。それは「主体性がない」とも言えそうです。
 主体性があるときには、自分が「いる」。主体性がないときには、自分が「いない」「不在」ということなのかもしれません。

 ひとりの時間を幸せに過ごせるようになれば、「ひとりが好き」「孤独もいいもの」のように考えられるのではないでしょうか。



   

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