1 「生きがい」とは 2 感情としての生きがい感 3 生きがい感と幸福感 4 やりたいことと義務 5 生きがいを求める心 6 生きがいの特徴 7 生きがいのさまざま 8 生きがい喪失の苦悩 9 運命への反抗から受容へ 10 精神のよろこびを感じとる心 11 生きがいの大切さ |
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生きがいということばの使い方には、ふた通りある。この子は私の生きがいです、などという場合のように生きがいの源泉、または対象となるものを指すときと、生きがいを感じている精神状態を意味するときと、このふたつである。私は、「幸せ」って何?と聞かれたら、「幸せの対象」と「幸福感」と答えるでしょう。ふつう「幸せ」と言っている場合、幸せの対象を指している場合と、幸せを感じることを指している場合があります。
生きがいを感じる心にはいろいろな要素がまざりあっている。これをもしざっと感情的なものと理性的なもののふたつに分けるならば、生きがい感の形成にはどちらが重要であろうか。「あなたには生きがいがありますか?」と聞かれれば「ある」と答える人でも、「あなたは生きがいを感じて生活していますか?」と聞かれて「はい」と答えられない人もいると思います。
なんといっても生きがいについていちばん正直なのものは感情であろう。
あるひとに真のよろこびをもたらすものこそ、そのひとの生きがいとなりうるものであるといえる。
生きがい感は幸福感の一種で、しかもその一ばん大きなものともいえる。いろんな幸福感があります。
生きがいには、大きな生きがいもあれば、小さな生きがいもあります。大きな生きがいを見つけるのには時間がかかるかもしれません。小さな生きがいならすぐに見つかるでしょう。自分がすでに持っている小さな生きがいを探してみることをおすすめします。とりあえず小さな生きがいを持って大きな生きがいを時間をかけて探し続ける、というのが現実的な方法ではないでしょうか。
人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われる。やりたいことをやれるのは幸せなことだと思います。
しかしもちろんこれは必ずしも一致しない。
第一に明白な点は、生きがいというものがひとに「生きがい感」をあたえるものだということである。それぞれについて詳しく知りたい人は、本のほうをお読みいただけたら、と思います。
第二の特徴は、生きがいというものが、生活をいとなんで行く上の実利実益とは必ずしも関係がないということである。
第三に、生きがい活動は「やりたいからやる」という自発性を持っている。
第四に、生きがいというものは、まったく個性的なものである。
第五に、生きがいはそれを持つひとにひとつの価値体系をつくる性質を持っている。
第六に、生きがいはひとがそのなかでのびのびと生きていけるような、そのひと独自の心の世界をつくる。
生存実存感への欲求をみたすもの。審美的観照(自然、芸術その他)、あそび、スポーツ、趣味的活動、日常生活のささやかなよろこび。さまざまな生きがいがあります。私は『くよくよしない考え方』の中には次のように書きました。
変化と成長への欲求をみたすもの。学問、旅行、登山、冒険など。
未来性への欲求をみたすもの。種々の生活目標、夢、野心。
反響への欲求をみたすもの。共感や友情や愛の交流。優越または支配によって他人から尊敬や名誉や服従をうけること。服従と奉仕によって他人から必要とされること。
自由への欲求をみたすもの。
自己実現への欲求をみたすもの。特殊な才能をもって文化の各方面に独特な貢献をする。ささやかな文芸活動や織物や料理など。「創造のよろこび」
意味への欲求をみたすもの。自分の存在意義の感じられるようなあらゆる仕事や使命。
自分が生きがいだと思えれば、思い込みでも何でもいいのです。自分の好きなものややりたいことを生きがいだと思っていいのです。日常的な生きがいでもいいのです。たとえば、一日の終わりにビールを飲んで「あー、最高。生きててよかった」とか、子どもの寝顔を見て「これが生きがい」とか思ってもいいわけです。
生きがいを感じやすいものとしては、「夢や目標」と「人の役に立てること」があります。また、その中で「自分を活かせること」や「充実感を感じられること」などがポイントになります。そして、続けていくためには「好きなこと」や「愉しめること」が重要です。
苦悩がひとの心の上に及ぼす作用として一般にみとめられるのは、それが反省的思考をうながすという事実である。苦しんでいるとき、精神的エネルギーの多くは行動によって外部に発散されずに、精神の内部に逆流する傾向がある。そこにさまざまの感情や願望や思考の渦がうまれ、ひとはそれに眼をむけさせられ、そこで自己に対面する。人間が真にものを考えるようになるのも、自己にめざめるのも、苦悩を通してはじめて真剣に行われる。そうですよね。
生きがいをうしなったひとが、もし忍耐を持つことができれば、長い時間の経つうちには、次第に運命のもたらしたものをすなおに受け入れることができるようになるであろう。避けることのできないものは受け入れるほかはないという、いわばあたりまえのことを、理くつでなく、全存在でうけとめるようになるであろう。どんなに不幸な出来事があっても、時がたてば受け入れることができるのだと思います。人間にはそういう能力があるのだと思います。
生きがいをうしなったひとが、精神の世界に新しい生きるよろこびをみいだすとしたら、どんなものがありうるだろうか。神谷美恵子さんは精神のよろこびとして、認識と思索のよろこび/審美と創造のよろこび/愛のよろこび/宗教的なよろこびを挙げています。
日常のささやかなくらしのなかにも感じとる心さえあれば多くの精神のよろこびがある。
たとえば著者の調査でも、「病気になる前とくらべて私の気持は・・・」という刺激語に対して次のような反応を記したひとびとのなかにはその例があろう。一つ一つの言葉にとても重みを感じます。
「よりよく人生を肯定しうるようになった。」
「心ゆたかになった。安らかになった。」
「心が高められ、人の愛、生命の尊さを悟った。」
「事業欲、出世欲が消失し、潔白になった。」
「人生の目的を知り、人生を咀嚼する歯が丈夫になり、生きる意味を感じる。」
「考え深くなり、あらゆる角度からものを考えるようになった。」
「生きがい」というのは継続するものです。だから自分の生きがいを一度持てば、長い期間に渡ってイキイキと生活することができるのです。