しあわせ日記 「いろんな幸福感」
10月1日(金)充実感
今週はもともときつい予定だったが、そのうえ週の前半にいろいろあり、金曜には疲れ果てているのかと思ったが、そうでもなかった。
気合いが入っていたことと、「くるならこい」と思えたことと、「1つ1つやるだけ」と考えたことなどが良かったように思います。
忙しいことは不幸なことではありません。疲れると不幸になる考えをしがちになるのは確かですが、それを克服する工夫はいろいろとあると思います。また、イヤイヤやるのと、自分からすすんでやるのでは疲れ方がぜんぜん違うように思います。
私はバスケットだったら、この歳にしてはそうとうに動けると思っています。それにバスケットの疲れや筋肉の張りは心地よいとさえ思えます。
今は充実感を感じています。私は「よくやったな」と自分で思うと幸せな気分になれます。充実感はとても幸せな気分だと思います。私は好きです。
「幸せな感じ」っていうのは、いろいろあると思います。
ところで、あした・あさってはバスケットの合宿のため、明日の日記はお休みします。
10月2日(土)3日(日)楽しい
バスケットの合宿で、西湖(富士五湖)へ。
陽射しが暖かく、風は涼しくて、何度も「いいなぁ」と思いました。
練習後の広い風呂は「ゴクラク」で、その後のビールは「サイコー」でした。
食事とその後の飲み会で、楽しく仲間と過ごしました。
寝る前にも風呂に入り、気もちよくぐっすりと眠れました。
朝、ひとりで気もちいい風に吹かれながら湖畔を散歩し、戻って朝風呂に。
好きなバスケットをいっぱい楽しみました。
本当に楽しい合宿でした。
「楽しい」というのも幸せな感じの1つです。
でも、「楽しい」時にそれを「幸せ」と感じられる人は少ないように思います。
私も、楽しい時に「幸せ」と思えるようになったのは最近のことです。それでもまだ、いつもというわけにはいきません。でも、楽しかった後に、「楽しかった。幸せだなぁ」とは思うことができます。
「楽しい」ことを「幸せ」と思えない人もいるような気がします。
「楽しい」ことを「幸せ」と思えるようになると、もっと楽しめるようになれるし、もっと幸せを感じられるようにもなれます。
10月4日(月)快感
「快感」は「幸せな感じ」でしょうか?
「一時の快感なんて幸せじゃない」と考える人がいます。私もかつてはそうでした。
近頃では快感も大切にして、幸せを感じられるようにしています。
今も、風呂上がりにビールを飲みながら、この日記を書いています。こんなことでも、とっても幸せだと思います。
もちろん快感に溺れて(幸せな)生活に支障がでるようでは問題があります。お金や時間を使いすぎて生活に支障がでたり、快感を得るために悪いことをしてしまったりでは困ります。
実は快感と言ってもいろいろあって、自分が気もちいい・快いと思えればなんでもよく、それは幸せと同じです。
私は、1日(1週間、・・・、一生)の中でもいろいろな幸せがあったほうがいいと思うし、その中で「快感」は自分の幸せを感じる大きなヒントだと思います。
「快感」をバカにすることもなく、「快感」に溺れることもなく、「快感」を愉しみ、自分が幸せに暮らすために役立てられたらと思います。
10月5日(火)やすらか
「やすらいだ感じ」も幸せな感じだと思います。
心やすらかな感じ、落ち着いた感じ、リラックスした感じなどもそうだと思います。
このような感じを「幸せ」と思えない人も多いと思います。
もしかしたら、忙しい人はやすらいだ感じを幸せと思えやすいのではないか、と思います。言葉は悪いですが、ヒマな人はやすらいだ感じを幸せと思えにくいような気がします。もちろん忙しすぎる人もやすらぎを感じることはできません。
やすらかな感じは、心に余裕のある人なら、どんな状況の人でも、1日の中には何度かは感じることができると思います。どうしたら心に余裕を持つことができるかはすぐには思いつきませんが、「やすらかな感じ」を大切にしよう、と考えることが結果として心の余裕につながるような気もします。
特に、忙しかったり、大きな問題が切迫していなければ、誰でもやすらいだ時間をつくることはできると思います。
例えば、深呼吸をしながら、ちょっと微笑みながら、「(これも)幸せ」と考えれば、「やすらかな感じ」を味わうことができると思います。
やすらかな時間を持つということは、心身の健康と幸せのために大きいと思います。
10月6日(水)ワクワク
「ワクワク」も幸せな感じの1つだと思います。
ワクワクできるのは、この先にいいこと・幸せなことが期待できる時だと思います。
でも多くの人は、ワクワクすることはめったになく、あってもそれを幸せだとは思えないのではないでしょうか。
私でも、すごくワクワクすることはそう頻繁にあるわけではありません。でも、小さなワクワクを感じることはよくあります。いちばん多いのは、自分の夢について考えている時です。「夢の実現を想うと“幸せの予感”を感じられる」(「幸せになる方法」)この“幸せの予感”が小さなワクワクです。「私には夢がある。夢が叶ったらいいな。(では、どうしたら)」と考えることは私の習慣になっており、その際に小さなワクワクを感じることができます。
たまたま幸せなこと(事/物/出会い・・・)がやってくることもあります。でもそれは、たまたまです。自分から幸せなことに向かっていれば、いつも小さなワクワクに出会えます。その先には、大きなワクワクや大きな幸せも待っている可能性があります。
「ワクワクしたい」という理由・目的で、何かを求め・目指してみてはどうでしょうか。
10月7日(木)愛の感じ
「愛されている」と感じた時、人は幸せを感じられます。
愛する人といっしょにいるだけで「幸せ」と思える人もいます。
人から何かをしてもらって、うれしかったり、幸せになれることがあります。
人に何かをして、喜ばれたり、相手を幸せにすることで幸せになれる人もいます。
人のやさしさにふれて、心の中に暖かいものを感じられることがあります。
人にやさしくすることで、心地よくなれることもあります。
いろんな幸せな「愛の感じ」があるのだと思います。
私は、自分の「やさしい気もち」が好きです。ひとりでいる時でさえ、やさしい気もちでいたいと思います。私にとって「やさしい気もち」はとても幸せな気もちなのです。
世の中には“愛”だけが自分を幸せにしてくれるものだと信じているような人がいます。自分を幸せにできるのは“愛”以外にもたくさんありますが、“愛”が人を幸せにしてくれる、というのも事実です。
“人の愛”も自分を幸せにしてくれますが、“自分の(心の中にある)愛”はもっと確かに自分を幸せにしてくれるものだと思います。
10月8日(金)達成感
達成感は「幸せな感じ」の中でも強く感じられるものの1つです。
目標を達成した時、欲しいものを手に入れた時、うまくいった時、成功した時、夢が叶った時、・・・。
達成感を得るためには、目標を持ち努力する必要があります。何もしなければ達成感を味わうことはできません。
「きっと、できないから」と最初からあきらめてばかりいたり、「どうせ何をやってもうまくいかない」とその前からあきらめていたら、達成感という幸せは絶対にやってきません。
難しから達成した時の幸福感はそれだけ強くなる、ということもあります。絶対にできることをやっても達成感はほとんど感じることはできません。
誰にでも必ず、できることがたくさんあります。達成感という幸せを感じられることがあるはずです。それを探し求めることも大切なことだと思います。
夢や目標は達成した時だけでなく、期待感や充実感や(途中の)小さな達成感などの幸せな感じを与えてくれます。私は、結果としての達成感だけの幸せよりもその過程の幸せを大切にして、「夢を持ち続けて生きよう」と思っています。
自ら求めずに得られることはそうはありません。今の幸せを感じることだって、幸せを(感じようと)求める気もちがあって、自分の持っている幸せに気づき、「ありがたい」「幸せ」などと思うことで感じられます。「幸せを感じよう」と思わなければめったに気づくことはできません。
「達成感」を感じられるのは、夢や成功という言葉がイメージするような大きなことばかりではありません。小さな達成感もたくさんあります。
「(自分は)何がしたい?」「○○たらいいな」「では、どうしたら?」
この3つの言葉が自分の心の口グセになるだけでも、達成感のような幸せを感じられるチャンスがいっぱい増える、と思うのですが・・・。
それからもう1つ、うまくできた時に、
好!好!
10月9日(土)感動
「感動」や「感激」のような強い感情があります。
うれしさや達成感や愛を伴う幸せなどの、より強い感情はとても幸せなものです。
感動や感激は、それを感じやすい場や状況があるような気がします。そういう場を見つけ、そこに自分から行ったり・参加したりすることも幸せになる方法です。また、そういう場や状況を自分で企画したり・作り出すことができたら、もっと幸せを感じられると思います。
感動なんてものはめったにない、かという気もしないでもありませんが、映画やテレビを観ていて思わず感動してしまうことが多々あります。このような感動も幸せな感じの一種だと思います。
楽しいことや快感や自分の身の上ではない感動など、自分が感じる「いい感じ」はすべて、自分の幸せであり、また心の栄養や薬になり、幸せに暮らすために役立つと思います。様々な「幸せな感じ」を心から「幸せ」と思えるようになれたら、と思います。
10月10日(日)しみじみ
何かいいことがあった時、何かを達成した時、何かを手に入れた時などは「幸せな感じ」を強く感じられます。でも意外に「幸せだなぁ」という思いはそう強くないことも多いような気がします。
「幸せだなぁ」としみじみ思えるのは、今の自分の状況や、まわりにいる人に対してや、自分のささやかな愉しみを「幸せ」と自覚できた時が多いように感じるのは、私だけでしょうか。
そういう「しみじみと感じられる幸せ」のほうが「幸せに暮らす」という目標においては大きいのではないか、と最近感じています。
「幸せな感じ」を「(自分は今)幸せ」と自覚できることが、確かな幸福感に変える方法だと思います。わかりやすく言えば、幸せな感じがした時に「幸せだなぁ」と心から思えることです。
「にわとりが先か、卵が先か」ではありませんが、「幸福感」と「幸せの自覚」は互いに相手を産むことができるのだと思います。
「幸せな感じ」はいろいろあります。私はいろいろな幸せを味わいたいと思っています。